オルシュファンと兄02

 キャンプ・ドラゴンヘッド。ここは我がフォルタン家が管轄するクルザス中央高地にある要衝だ。私がここでの任を異母兄から引き継いだのは数年前のことになる。初めは、剣の腕も戦況を読む知恵もまだまだ未熟である自分には到底務まるものではないと及び腰であった。何より嫡出子であるアルトアレールやエマネランを差し置いて要衝の指揮官を任されることに後ろめたさも感じていた。しかし尊敬してやまない長兄のナマエは誰よりも私を信じてくれたのだ。ならばその期待に応えてこそイイ騎士というもの。私はフォルタン家の名に恥じぬよう努め続け、今では胸を張れる程の自信がついた。これも全ては私を信じ、支えてくださった兄上や信頼のおける部下たちのおかげと言えよう。
 その兄がイシュガルドの地を離れてからもう随分と時が経とうとしていた。本家には生存を知らせる手紙が不定期に届いていると報告を受けている。私個人に対して連絡の一つも欲しいところではあるが不満を漏らしても仕方がない。私は私生児で兄上はフォルタン家の長子であり、いずれは父の後を継ぐお方。どれだけ弟として大事にされていてもその事実だけは変わることはない。背負っている立場や責任も私とは比べものにならないのだ。そうと理解していてもやはり少し面白くはない。
 幼い頃からずっとイイ兄だった。去って行ってしまった母と同じくらい優しく、正しく、そして美しい心を持っているお方だ。義母に疎まれながらも挫けずにいられたのは家族として無償の愛を兄から貰っていたからに他ならない。だから私は恥ずかしくも自身の立場を勘違いしていた。

「どうしてあいつに構うのですか。兄様は、私やエマネランの兄様なんですよ」
「もちろん、私はお前たちの兄だよ。お前たちは私の大切な弟だ」
「ならっ、ならあいつにばかり優しくしないでください……!」

 悲しみとどうしようもない苛立ちを滲ませた泣きそうな声音が耳に届き、咄嗟に物陰に隠れたのは私がまだ少年と呼べる年頃の出来事。声の主は二つ年上のアルトアレールのもので私は彼の訴えを聞いてとてつもない衝撃を受けたのだ。今ならそれが繊細な子供故の独占欲のようなものだと理解できるが、あの頃はまだ幼すぎた。弟の頭を慈しむように撫でる兄上から目を逸らして静かにその場を離れる。兄上が兄であることは当然のことではない。あの方の優しさがあってこそ成り立っていた兄弟の関係であったと、その時初めて気付いたのだった。
 これまで哀しみに寄り添い続けてくれた兄上は私だけのものではない。共に喜びを分かち合ってくれた兄上は私のものにはならない。でも、だから、と何度も自問自答を繰り返しては剣を鈍らせることもあった。深く胸に突き刺さった現実に苦悩し、絶望し、そして辿り着いたのは涙を呑んで受け入れること。

「どうしたんだ。集中できていないようだが、考え事でも?」
「いえ、なんでもありません。稽古に付き合って頂いているのに申し訳ありませんナマエ卿」

 それからすぐに私はあの方をナマエ卿と呼ぶよう心掛けた。己の立場を考えても呼び慣れることが早いに越したことはない。最初は驚いた様子を見せていたが何度も他人行儀のように呼んでしまえば困ったような辛そうな表情をされるようになった。それを見る度にどれほど心が苦しかったことか。

「君は本当に賢い子だな。だが、兄離れも距離を置かれすぎると寂しいものだ」

 あり得ないことだが、もし兄上が愚かであったなら何を暢気なことを言うのかと内心怒りに震えていただろう。私の気持ちも知らないで、と。しかし聡明な兄上は全てをご理解しておられた。だからどこまでも優しいのだ。

「ではこうしよう。二人っきりの時にだけ兄と呼んではくれないか」
「よろしいのですか!」
「頼んでいるのはこちらだ。もし君が私をまだ兄と慕ってくれているのなら、だが」

 父は我が子として私を迎え入れ騎士として育ててくれたが、義母はフォルタン家の子であると最期まで認めてはくださらなかった。そんな厳しい義母の教育を受けてきた嫡出子、とくにアルトアレールは血の繋がりを認識していても兄弟として受け入れてくれることは難しいだろう。だが、どうだ。兄上は私に弟であることを望まれている。これほど嬉しいことは他にない。できることなら全身を使って喜びを表現したいくらいだった。
 だから決めたのだ。私は兄上の誇れるイイ弟に、フォルタン家の名に恥じぬイイ騎士になろうと。それが兄上にお返しできる最上の愛なのだから。

「稽古の続きをお願いしてもよろしいでしょうか、兄上」
「あぁ。愛しい弟のためならばいくらでも付き合おう」

 そして私の心にそっと温もりをくださる穏やかな笑顔を必ずや護ってみせると誓った。
 こうして兄上や家令のフィルミアンに師事を受けた私は友となったフランセルを救ったことへの功績により騎士となり、今ではキャンプ・ドラゴンヘッドの指揮官を任されている。ドラゴン族との戦いによる目の負傷もあるが、フォルタン家騎兵団の指揮を父から継ぐため、もっと言えば家名を継ぐために一か所に留まるのは得策ではないという兄上の判断がきっかけでこの要衝を引き継いだ。四大名家の一つであるため騎士としてただ戦場に赴けばいいというものではない。それは理解している。しかしどうも私にはそれ以外にも理由があるのではないかと懸念していた。
 あの方は"何か"を隠している。きっとその"何か"がイシュガルドのためとなり、皇都を離れる理由となったのだろう。与えられた使命を無事に遂行できることを祈りながらも、心の奥底では早く帰ってきて欲しいと願ってしまう。やはり、せめて手紙の一つでもあればこの空虚な心は満たされるのだろうか。
 エオルゼアのどこかにいる兄上へと想いを馳せているとキャンプ・ドラゴンヘッドに嬉しい来客がみえた。執務用の椅子から立ち上がり出迎えるは素晴らしく美しい肉体を持つ冒険者だ。いつ何度見てもやはり、イイ。暁の血盟とイシュガルドとの会談に我が友も招かれたと聞いてその到着を今か今かと待っていたのだが、残念ながら私の耳にまで届いた友の活躍をゆっくり語る時間はない。すでに皇都からの特使はお越しになられているのだ。そのことをアルフィノ殿らに伝えていると執務室のドアが開閉する音とともに、鍛錬に励んでいる部下たちが一斉に姿勢を正したのを視界の端で捉えた。

「その会談、私も同席させてもらって構わないだろうか」

 落ち着いた、耳通りの心地よい声に言葉を止めてアルフィノ殿の後ろへと視線を向け目を見開く。驚くのも無理はない。なんと私を更に喜ばせる存在がもう一人現れたのだから。久方振りに拝む兄の姿に気分が高揚していくのが分かる。場を弁えず「兄上」と口にしてしまいそうになるのを必死に堪えた。

「っ、ナマエ卿! お戻りになられたのですね。この時をどれほど待ちわびていたことか!」
「長い間留守にしてすまなかったな、オルシュファン。変わりなく元気そうで安心した」
「それはこちらの台詞です。ご無事のお帰りに皆も喜びましょう」

 貴族としての装いや騎士としての鎧は身に纏っておらず、見慣れぬしかし高級感のある白地に金の装飾が施されたローブに身を包んだ兄上が盟友たちの隣へと並ぶ。困惑の様子を見せない彼らに顔見知りなのだと悟る。

「やはりナマエ殿はイシュガルドの民だったのですね」
「さすがはアルフィノ殿、気付いていたか。黙っていてすまない。これでも名家の出でな。皇都を離れていることが公になっては家の者のみならず国にまで迷惑をかけてしまうので話すことができなかった」
「そういうことでしたか。現状のイシュガルドの立場を考えれば理解もできます。それに貴方には蛮族、蛮神問題を解決する中で幾度も助けて頂きました。身分を隠していたからと言ってそれを責めるつもりはありません」
「心遣い感謝する。貴殿らとはこれからも対等な関係でありたいものだ」

 顔見知り、などという段階の関係ではなかったことに驚いて口も挟めずただ見ているだけしかできなかった。どうやら兄上はこの地を離れている間に彼らと共にエオルゼアを救わんと闘っていたようだ。それがイシュガルドが迎える運命のために兄上が成さねばならなかったこと。こうして戻られたということは己が使命を成し遂げられたということでいいのだろう。それは大変喜ばしいことだ。けれど親しげに話しをする彼らを、我が友と尊敬する兄上の良好な仲を喜ばしく思う一方で別の感情が込み上げてしまう。
 一日足りとも祈らない日はなかったくらいに、私はずっと兄上を心配していたというのに。モヤモヤとした黒いこの感情と似たものを昔も抱いたことがあった。そう、これはアルトアレールの言葉で気付かされた"嫉妬"というものだ。


 夜も更けた頃、私室に戻り鎧を脱いで軽装となる。アイメリク卿とアルフィノ殿の会談が『氷の巫女』率いる異端者たちの騒動により中断されてから数日が経った。やるべきことは山のようにある。異端者たちの活動が活発になっていることもあり夜間の警備も増やしつつ、蛮神問題を任せてしまっている盟友のためにと仕事に勤しもうと取り掛かれば部下にもう休めと咎められてしまった。立て続けに起こる問題にここ数日は働き詰めであったが私はまだまだ元気だ。しかしいつ何が起こるのかも分からない状況なのは確かである。ならば休める時に休むのは当然の指摘と言えよう。我が部下ながらイイ判断だ。
 火の灯る暖炉に薪を追加し加減を調整していると部屋のドアが数回ノックされた。

「オルシュファン、私だ。今いいだろうか」

 その声に返事をするよりも先に体が動く。ドアを開ければ同じように身軽な装いの兄上がそこにいて、部屋の外は寒いだろうとすぐに招き入れた。

「どうぞ。お入りになってください」
「こんな夜更けにすまないな」
「何か、あったのですか?」
「いや……ただ、君とゆっくり話せる時間が欲しかっただけさ」

 暖炉の火に照らされた兄上は変わらず優しい微笑みを私に向けてくださる。再会を果たしてからこれまで『氷の巫女』の問題もあるがただでさえ長らくイシュガルドを離れていた兄上は本家に顔を出したり、アイメリク卿と共に教皇庁に掛け合ったりと忙しくされていた。
 そして今夜はその忙しさから僅かな間だけ解放されたご様子でキャンプ・ドラゴンヘッドにお越しになられた。本家であればご自分の私室もありここよりも設備もしっかりとしている。だが、兄上は私と過ごす時間を優先してくださったのだ。これが喜ばずにいられるだろうか。いや、できない。ずっとお会いしたかったのだから。再会の時を心待ちにしていたのだから。待って、待って、ようやくお会いできて、それでも再会を祝うことができる状況ではなくなって、溢れ出そうになる気持ちを必死に抑え込んでいた。
 けれどこうして兄上を前にしてはもう我慢の限界だ。言いたいことは沢山あったが、言葉にするよりも前に兄上の体を抱きしめてその存在を全身で確かめた。

「こうして甘えてくれるのはいつ以来だろうな。随分と寂しい想いをさせてしまったようだ」

 まるで子供の頃のように優しく頭を撫でられる。その手付きの懐かしさに心にじんわりと熱が広がっていく一方で、もう精神も身体も大人なのだと言ってしまいたくなった。体を少しだけ離して兄上を見下ろす。いつの間にか見上げていた大きな背中を追い抜いてしまったことに小さく笑みを零した。

「貴方にお会いできない日々がとても辛かった。またご無理をなされているのではないかと眠れぬ夜もありました」
「そんなにも心配をかけてしまったのか……不甲斐ない兄で本当にすまない」
「違いますよ兄上。これは私の未熟さが生んだ想いなのですから」

 兄上の顔にかかった髪を梳きながら耳にかけて頬に手を添える。こうした行為は今までしてこなかった。触れられることはあっても、触れることは恐ろしかったからだ。何かが変わってしまうと心の奥底で気付いていたのかもしれない。だから兄上もどこか戸惑った様子を見せたが、それでも拒むことはしなかった。本当にどこまでもお優しい方だ。
 離れていた時間が教えてくれた。私はこんなにも兄上を愛しているのだと。
 父上の唯一の過ちは母との間に子を成してしまったこと。ならば私の過ちは兄を愛し、兄に愛されることを望んでしまったことだろう。そう思いながら緩く結ばれた髪の束に口付けを落とし、指先でするりとリボンを引き抜いた。白いシーツの上に広がる美しい黒髪。

「やはり、兄上はとてもイイ」

 開けた衣服から覗く色白の身体は前線から引いた今でも鍛錬を欠かさないおかげか引き締まっており、掌で撫でればきめ細かい肌にうっとりしてしまいそうになる。

「彼女がいなければ私は君と出会えなかった。やはり私は父上の血を引いているのだな」
「それはどういう……」

 困ったような微笑みを浮かべる兄上の幾度となく剣を握ってきた手が私の頬を撫でる。それは幼子を慰めるようなものではなく、もっと情緒的な熱と仕草で思わず声を飲み込んだ。

「オルシュファン。今夜だけ、私と過ちを犯してはくれないか」
「……今宵、太陽がその姿を隠している間だけは貴方に愛を囁いても許されると?」
「あぁ。君の全てを許すよ。だから私の戯言もどうか許しておくれ」

 甘く溶けるような哀願に誘われながらゆっくりと唇を重ねる。触れるだけの口付けを繰り返しながら私は何度も長年抱いていた心の内を吐露し、全てを受け入れて言葉にならない声を漏らしながらも兄上は謝罪と共に愛を告げられた。これは誰にも知られることのない秘密だ。私は兄上と一つの過ちを共有したのだ。



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