オルシュファンと兄03

 未来は貴方が望むような結果にはなりません。そう教皇に伝えてからどれほどの時間が経過しただろうかと薄暗い地下牢の中でナマエは静かに目を伏せた。光の加護を受け『超える力』を持っていてもその力を自由に行使することはできない。こうして囚われの身になってしまう未来を予期できるほどの都合のいいものではないのだ。
 イシュガルドに戻って来てからは神殿騎士団総長のアイメリクや追われる身となってしまった『暁』のアルフィノらと共に国が抱える問題に立ち向かおうと行動していたナマエだったが単独で動くことも少なくはなかった。国を出た時も独りであったし、英雄と呼ばれる冒険者と出会った後も必要以上に時間を共有することはしてきていない。その癖が抜けきっていなかったのだろう。結果、一人で教皇と接触し未来を視てしまったことで光の戦士と同様の力を持っていると悟られてしまった。その上、抵抗も空しく蒼天騎士団により捕らえられてしまったのが数日前のこと。

「まぁ、私がいなくとも君たちの未来は変わらないさ」

 教皇に立ち向かう一行の中に自分の姿は視えなかったのだから。口元に薄く笑みを浮かべながら呟くナマエの耳に地下監房へと続く階段を降りてくる複数人の足音が届いた。石造りの建物内を反響する甲冑の音は次第に大きくなり、ランタンの灯りが暗い部屋を淡く照らしていく。思考の海に沈みかけていた意識を浮上させ閉じていた瞼を上げると、対面する牢に誰かが収監される様子が瞳に映る。残念ながら護送してきた騎士たちが立ち塞がっていてその姿を視認することはできなかったがすぐに知れた人物であると判明した。

「っ、なぜ分からないんだッ!」

 役目を終えて去っていく騎士たちの背中に投げかけられた悲痛な声。聞き覚えがあるなんてものではない。紛れもなく友の声だった。

「アイメリク、か」
「その声は……ナマエ!?」

 一方でアイメリクも痛む体を引きずるように鉄格子に近づいて驚いた。薄暗い視界には数日前から行方知れずだった友人の姿があったからだ。同じように教皇率いる蒼天騎士団に捕まっていたらしい。しかし自分とは違いナマエの両手には枷が着けられており、余程警戒されているのだと察した。

「ここにいたのか。随分探したがどうりで見つからないはずだ」
「恥ずかしながら不覚を取ってしまってね。余計な手間をかけさせたかな」
「それは構わないが大丈夫なのか」
「問題ない。君のほうは……ひどくやられたものだね」

 ナマエも同様に鉄格子に近寄ると枷の着いた手をアイメリクへと向ける。エーテルを集中させればその手からは暖かな光が溢れ、そして傷付いた友の体を包み込んだ。けれど牢に入れられてからはまともな食事も取れず、睡眠も充分とは言えない身体では友の傷を満足に癒すこともできなかった。

「すまない、今はこれが精一杯だ」
「いや随分楽になったよ。ありがとう。ところで、どうしてここにいるのかを聞いても?」

 軽く、短い息を吐いて手を降ろしたナマエは一度考えるような素振りを見せた。

「……教皇を含めた蒼天騎士団、彼らから感じるエーテルに違和感を覚えたんだ。それを確かめようと教皇庁へ向かったのだが、どうやら彼らはそれを知られたくなかったみたいでね」
「全く君はいつも無茶をするな。一言、声を掛けてさえしてくれたらもっと早い救出だってできたものを。やはり目の届くとろこにいてもらうべきか……」
「また私を神殿騎士団に誘うつもりかい?」
「そうしたいが、君は断るのだろうな」
「私にはやるべきことがあるからね。そして皆にも、それぞれやらねばならないことがある。その邪魔はできないさ」

 たった一人で事を成すことは難しい。ナマエはそれを解っていながらも誰にも頼らず行動したことを申し訳なく思っている。けれど目指すべき未来を迎えるためには歯車を狂わせてはいけないのだ。それは異能と呼ばれる力を持ってしまった自分に与えられた責務であると。
 そんな想いも込められたナマエの言葉にアイメリクが驚いた様子を見せた。

「さすがは兄弟と言うべきか。オルシュファン卿も似たようなことを言っていたよ。ナマエ卿には為すべきことがあり、それが遂げられた時には必ず戻ってくる。だから心配せずとも我々は我々のやるべきことに専念するのがいい、とね」
「あの子がそんなことを……」
「まぁ、君の身を一番案じていたのも彼だったがね」

 動揺する皆を落ち着かせ冷静に場を治めたオルシュファンの力強い眼差しときつく握られた拳を思い出しアイメリクはそっと微笑んだ。きっとなりふり構わず兄を探し出したかっただろうに必死にその気持ちを抑え込んでいた。おそらくそうしたのは揺るぎない信頼があったからだろう。ナマエが弟を大切にしていることは知っていたが、弟からも慕われていることを目の当たりにできたことは友人として喜ばしかった。
 アイメリクの優しい表情からオルシュファンの想いを汲み取ったナマエもまた目を細めて笑みを浮かべた。その光景を見ることは叶わなかったが容易に想像できてしまう。
 それから静かな地下監房で情報を共有しあう中でナマエを驚かせたのは、エスティニアンらが邪竜ニーズヘッグを討ち、そこで得られたのがイシュガルドで長く語られてきた歴史が偽りであったという事実。竜詩戦争は人の欲と裏切りから始まったものだった。その真実を教皇が知っていてなお隠しているのであればそれはあまりにも重い罪である。そう考えたアイメリクは直接教皇に詰問を行い、こうして監房に押し込められてしまった。

「なるほど。君も随分大胆な行動をするね。急いては事を仕損じる、そう言ってやりたいが君のその無謀とも呼べる行動のおかげで私もようやくここから出られる」
「まるで脱出できるのが解っているみたいな言い様だが……、常々思っていたことがある。英雄殿と出会い、光の戦士というものをより知った今私は一つの答えに辿り着こうとしている」

 申し訳程度に備え付けてあるランタンの弱い光を受けた水縹色の瞳がナマエに向けられる。

「ナマエ、君は英雄殿と同じく"超える力"を持っているのではないか」

 清く、気高く、澄んだ瞳に恥じぬ洞察力に思わず感嘆の言葉を漏らしそうになった。そうだと答えるのは簡単だ。しかしすぐに返事をすることはしなかった。アイメリクもまた、答えを求めてはいるが追及はしない。心のどこかですでに確信を得ているからだろう。
 二人の間に流れる沈黙を破ったのは地下監房への扉が乱暴に開かれる音だった。次いで複数人の足音が反響して聞こえてくる。

「どうやら君を救出する部隊が到着したようだ」

 そう言いながら腰を上げるナマエに釣られるようにして、先ほどの治癒魔法だけでは完治していない腕の痛みに奥歯を噛みしめながらアイメリクも立ち上がる。そうして鉄格子越しにお互い向き合うと自然と視線が重なった。

「君の問いには必ず答えよう」

 だがそれは今ではない。そう続くだろう友の言葉を理解したアイメリクは深く頷きを返して、視線を近づいて来る足音の方へと向ける。そして現れたルキアを筆頭とする神殿騎士団の騎士たちに救出された二人は無事に牢を脱したのだった。


 ナマエは長い階段を一人駆け上っていた。途中で教皇側の騎士たちの邪魔が入らなかったのはおそらく冒険者やオルシュファンのおかげだろう。牢から脱した後、両手の自由を奪う枷を外すためアイメリクたちとは別行動をとった。一人でも問題ないと判断されたのは先行して冒険者たちが教皇を追っているという作戦のおかげだ。
 しかし枷の鍵を探し、戦闘に備えて奪われていた装備を回収するのに少々時間を取られてしまった。丸腰で後を追っても役には立たないだろうという判断からの行動だったが、その選択をすぐに後悔することになる。
 辿り着いた先ではすでに教皇や蒼天騎士団の姿はなく、なぜかアイメリクやエスティニアン、そして冒険者たちが一つ所に集まり何かを囲んでいる。いや、何かではなく、誰かを、だ。ドクリとナマエは自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。急に鉛のように足が重くなり、ゆっくりとでしか歩みを進めることができない。一歩踏み出す毎にそのナニかが見えてくる。決して視ることのなかった未来がそこには待っていた。

「……どうして」

 そんな消え入りそうな茫然とした声を拾ったのはアイメリクだった。俯いていた顔を上げると顔面蒼白なナマエが覚束ない足取りでやってくる。そのままふらりと力なく膝を地面に着いて、横たわるオルシュファンを見下ろした。

「こんな未来……私は……っ!」

 目を閉じ呼吸を止めたオルシュファンの頬へ手を伸ばし震える指先が躊躇うように触れる。もうほとんど切れかかった魔力で回復を試みるも腹部に空いた風穴が塞がることはない。冷静に現状を見ればこの場にアルフィノがいる時点ですでに出来る限りの治療は施された後だと解ったが、今のナマエにその余裕はなかった。

「目を……開けてくれ。私を見るんだ、オルシュファン」

 誰も何も言葉を発することができなかった。
 騎士として剣を握り戦場でどんなにひどい怪我を負っても、どんなに状況が悪化しても、ナマエ・ド・フォルタンとはいつも冷静で穏やかでいられる人物だ。新人騎士時代からの友人であるアイメリクとエスティニアンはそれをよく知っている。だからこそ目を背けてしまいそうになるのを必死でこらえた。剣を握るだけが戦いではない。そう言って微笑んだ強かな友人の姿はそこにはなく、ただただ大切に想う弟の消えゆく命を前に涙を流す背中はなんと弱々しいことか。支えてやらねば簡単に崩れてしまうだろう。
 アイメリクは肩を震わせるナマエにそっと手を差し伸べようとしたが、その手が触れることはなかった。

「あぁ、そうか。そうだな」

 垂れた髪の間から覗く俯いたナマエの口元に薄く笑みが作られる。そしてまるで眠るように目を閉じているオルシュファンの口元の血を拭い指の背で頬を撫でた後、前のめりだった上体を起こした。頬は涙で濡れていたが悲しい表情はなくどこか穏やかな横顔に隣にいたアイメリクはなぜか腹の底が冷えたような感覚がした。

「大丈夫だオルシュファン。私が君を護るよ」

 その言葉にこれまで幾度となく蛮族による蛮神の召喚を目にしてきたアルフィノにも胸騒ぎが襲う。嫌な予感とは往々にして当たるものだ。徐にナマエが懐から一つのクリスタルを取り出した。瞬間、背筋に汗が伝う。

「クリスタル!? ナマエ殿、まさか……!」

 けれど焦るアルフィノを前に緩く首が振られる。

「心配せずともこの力はあるべき場所へ還すだけだ。大切なものが失われる未来が視えないのなら、この力を持っていても意味はない。私にはもう必要ないのさ」
「未来……っ!? それでは、貴方も……」

 返事をすることも頷くこともなく、ただ人を安心させるような優しい笑みを浮かべるナマエにそれ以上の言葉は続かなかった。もう既に答えは示されていたからだ。それでもアルフィノは旅の中で幾度となく触れた盟友の優しさから導き出された尊い決意を止めるべく思考を巡らせる。だが、正しい答えは見つかりそうもなかった。
 そんな苦悩に表情を歪める少年から視線を外したナマエは唯一自身の秘密を、超える力を持つ者だと知る英雄と呼ばれる冒険者へと目を向けた。

「これからも弟の良き友人であってくれるか」

 冒険者は目を見開いて驚いた様子を見せたが、迷いのない瞳を前に表情を引き締めて深く頷いた。それを受けて安心したようにナマエも頷き返すと、今度は自分の隣にいる男へと顔を向ける。

「アイメリク」

 静かに名を呼ばれアイメリクは困惑の色が浮かぶ瞳で友を見つめ返した。口を挟む暇はなかったがナマエがこれから何をしようとしているのか、察せないほど愚かではない。だから自分が行うべきは友を止めること。なぜだか彼自身がどうなってしまうのかを、怖いくらいに予想できてしまう。今すぐに手を掴んで思い止まらせなければ。そう思うのに、友の覚悟がそれを許してはくれなかった。

「君の推測通り、それが私からの答えだ」

 待て、と声を出すよりも手を伸ばして捕まえるよりも前に、目が眩むほどの強い輝きがクリスタルから放たれた。誰もが目を瞑ることでしか光を凌ぐことはできない。そして次に瞼を開けたのはカランと何かが地に落ちる音を聞いてからだった。
 横たわるオルシュファンの傍らにはもうナマエの姿はなく、残されていたのは光を失い退色したヒビの入ったクリスタルだけ。



 ────そこは暗く静寂に包まれていた。けれど星空のように小さな光が漂っていて不思議と寂しさは感じない。どこを見渡しても同じような景色しか広がっていないがなぜか行くべき方向を知っている気がした。声なき声に誘われるようにして一歩、足を踏み出す。

「オルシュファン」

 すると慈愛に満ちた優しい声音が自分を呼んだ。最期の別れもできなかったその後悔が、心残りが生んだ幻聴だろうか。ここにいるはずのない愛しい人の姿を探すようにして振り返ると、一際光る星──エーテルの輝きがあった。それが紛れもなく自分の兄であるとオルシュファンには判る。

「……兄上」
「よかった。まだ魂はそこにいたのだな」

 姿かたちは違えどナマエが安堵の表情を浮かべていると容易に察することができた。なぜなら兄はいつでも弟である自分を大切にし、誰よりも気にかけてくれたからだ。その想いは星の海へと還って行く魂を追いかけんとするほど。それを知っていた上でオルシュファンは死を受け入れたのだ。とんだ兄不孝者だと思わずにはいられない。

「私は、イイ騎士になれたのでしょうか。兄上に誇れる立派な騎士に」
「ずっと昔から君を誇りに思っているよ。だが己がまだ満足していないのなら君の勇姿をもっと私に見せてくれ」
「それはもう、できないのです。兄上もご理解しているでしょう?」
「……君はこのまま終わることを受け入れるのか。この国の行く末を見届けず、友の歩みを支えず……悲しみを残して本当にそれでいいのか」

 そう問われてしまえばすぐには答えられなかった。友の命を護れたことは誇りに思おう。かの英雄は生きねばならない。希望なのだ。オルシュファンにとって、イシュガルドの民にとって、ドラゴン族にとって、そしてエオルゼアに住む全ての者にとっての希望の光。その灯を消してしまってはいけなかった。友を救うためならば自分の命など惜しくはない。けれどもっとその勇姿を見届けたいと願いたくもある。
 しかし、それはもう叶わぬ願いなのだ。

「我が友は必ずやこのイシュガルドをイイ未来へと導いてくれる。アイメリク総長がいればこの国は変わることができる。そしてフォルタン家には兄上がおられる。何を心配することがありましょうか。皆の活躍をこの目にできないのは残念でなりませんが、私の役目はどうやらここまでのようです」

 兄のように、誰かを安心させるような微笑みを浮かべようとしたがどうやら失敗したらしい。そう気付いてしまったのはエーテルが人の形を成していき、淡い光を纏ったナマエの表情が今にも泣きそうであったからだ。いつだって己を律し、過度に感情に流されることのない尊敬する兄。唯一胸の内を吐露したあの日の夜でさえ、オルシュファンは涙を見ることはなかった。

「解っていないのは君だ! どれだけの人が君の実直な人柄に救われたのか。どれだけの人がこれから君に救われるのか。それは私やアイメリクではできないこと。君にしかできないことだっ。忘れてしまったのかオルシュファン。死んでしまっては、」
「護ることすらできない。忘れるわけがありません。その言葉はいつまでも私の心に刻まれていましょう」

 こんなにも感情を露わにした愛しい人を前にして未練がないなどと言えるわけがない。オルシュファンは無意識のうちにナマエの頬へと触れた。途端、濡れた瞳から涙が零れ落ちる。あぁ、なんということだ。魂が、心が、生に引っ張られ、行くべき場所を見失ってしまう。

「イイ騎士とは大切な人に涙を流させない。私はまだまだ貴方の誇れる騎士とは言えないようだ」

 受け入れたはずの終わりに迷いが生じる。そんな動揺が伝わったのか頬を撫でる手にナマエの手が重なった。もう感じることのない熱を、それでも温もりを感じ得ようとするかのように瞼が閉じられていく。

「そうだとも、オルシュファン。君はまだ死ぬべきではない。生きて君が理想とする、私に誇れる騎士の姿を見せてくれ」

 それは拒むことすら難しい願いだった。ずっと、そのことを目標として生きてきたのだから。できることならば叶えたい。そう答えたいのに正しいことなのかどうかすら分からない。するとナマエが一歩後ろに下がり触れていた頬が離れていく。力なく己の腕を下ろせば、これまでオルシュファンを救い導いてきた優しすぎる手が眼前に差し伸べられた。

「そして、この先の未来を私とともに見届けてはくれないか」

 死してなおも敬愛する兄は自分を救おうとしてくれている。決してその手を掴んではいけないものだと解っていながらも退けることがどうしてできようか。

「怖がらなくていい。ずっと君の傍にいるよ。私の愛しいオルシュファン」

 愛しい人が望んでいる。生きていて欲しいと祈っている。共にあることを求めている。蘇るのは今この時までの道程。思い出すは己の護りたいものが何であるか。
 斯くして選んだ選択は────



 後日。神殿騎士団病院で目を覚ましたオルシュファンは自分の内にもう一つの魂が宿っていることを僅かに感じた。静かで穏やかなそれはそっと寄り添うようにそこにある。

「ずっと一緒です。私の愛しい兄上」

 目尻から零れた涙は音もなく沁み込んでいった。



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