コーヒー事件

「はい。寒いからどうぞ!」
「ありがとう!あったかいや」
木枯らしが頬を撫でる頃から、千石君はデートのときに温かいコーヒーを買ってくれる。カイロ代わりだ。
でもそのコーヒーはミルクと砂糖が入っている。飲めないことはないけど私はブラックが好きだった。
なんとなく甘い飲み物のほうが可愛いと思う。女の子の特権や可愛く見られたい気持ちがあって、ずっと甘いコーヒーを買ってもらっていた。
その後のキスは、いつも大人と子供の境目のようなカフェオレの味だった。




少し疲れた。
何にと言われれば微妙だ。
気候の変化かもしれないし、勉強かもしれない。または人間かもしれない。
とりあえず体がカフェインを欲している。頭を空っぽにしたい。
自販機まで行って120円を入れればすぐに缶は雑な音を立てて落ちてくる。
背の高い花壇に座りプルタブを開けて飲む。家で飲んでいる安いインスタントよりもずっと美味しい。
雲は冬の重さをしていて、夕焼けを包み込んでいる。

誰にも会いたくない。
でも千石君に偶然でもばったり会いたい。
存分に甘やかしてもらいたい。
そう思うけれどこんな虚無になっている姿は見せたくない。
会いたい。会いたくない。
白と黒の気持ちが相反する。
少しダーティなオレンジの曇り空から目をそらし、あたりを見た。視界の端に、晴れ渡った夕方のようなオレンジが目に入った。
ああ、見つかっちゃった。
私が知る限り、世界で一番きれいな眼が大きく開かれている。
それに苦笑いして手を振ると駆け寄ってきた。

「コーヒー、ブラック派だったんだ。びっくりした。大人だね」
「へへっ、バレちゃった」
そう私が言うと千石君は少しぬるくなった缶を奪い取った。ちょっと、と言うも彼のゴクリと喉仏が少し動く。見とれた。
「苦いね」
「そりゃあねぇ」
テニスコートみたいな緑の瞳に、コーヒーみたいな私の瞳が映る。私が目を瞑れば、顔の近くに体温がある。
直後、ちょっと濡れている唇が私の唇に重なる。そうしたら唾液だって混ざる。
それはアンニュイな苦さで、今まで一度も感じたことのない味だった。