がやがやと町人たちの明るい声が飛び交う姿を、茶屋に腰掛けながらぼんやりと眺めていた。ここ天原に着いた当初との違いに、思わず笑ってしまう。数日前まで、みな伏目がちで、目立たないように陰に隠れて生活していたというのに今では見る影もなくなり、明るい雰囲気に埋め尽くされていた。
ふ、と煙管の煙を吐き出すと同時に、自分の隣に誰かが腰掛けたようで、ぎしりと椅子が唸る。顔を見なくても、誰が腰掛けたのかナマエは分かっていた。こんな明るい空間の中で、相変わらず生真面目な雰囲気を出している姿に、クスリと笑みを零す。
暫くの沈黙の後、こちらを見ず、町人たちの姿を見ながら郷四郎は口を開いた。
「天原は、良い町だろう」
真顔で言うような台詞ではないなと思いつつ、言葉には賛同していた。「・・・あぁ、とても」と知らないうちに言葉が零れたのは、心のそこから思っていたからなのだろう。
知らないうちに、私も随分とこの町を好きになったものだと心の中で苦笑いをした。それと、命の危険に晒されないこの瞬間に限りなく安心していた。
隣に居る堅物同心は、今も真っ直ぐと町人たちを見据えていた。こんな時ぐらい肩の力を抜けばいいものを、と思うと同時に、もう少し砕けた雰囲気にさせようと話題を変える。
「しかし、ここまで平和だと主ら奉行の仕事がなくなるのではないか?」
「ふん、戯け。俺たちの働きがあるからこそ、平和なのだ」
「しかしながらな、あまり働きすぎるのも禁物だろう?・・・あぁ、中村さんに・・・」
まだ言葉の途中だというのに、途端に「中村さんは関係ないだろう!」と郷四郎は語気を強めて叫んだ。相変わらずうるさいな、と思いつつ「冗談だ」と言えば苛ただしそうに郷四郎は舌打ちをした。
ハハハ、と悪びれる素振りも見せずナマエは笑っていたが、目の前の町人たちの異変に気づくと神妙な顔つきで前を見据えていた。
目の前からは聞いたことのある声が「どけどけ!」と町人達を押し退かしてこちらに向かっているようで、暫くするとその声の主、保野が現れた。
その姿を見るや否や、郷四郎は何のようだと言わんばかりに苛ただしげに保野を睨んだ。
保野はそんな郷四郎を一瞥しただけで、目線をすぐに此方に向けた。なるほど、狙いは私か、と理解しながら悠々と煙管を吸う。
保野はナマエを見るとまるで勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、大声で「居たな、この性悪辻斬りめ!」と叫びながらナマエを指差した。
「・・・何のことだか、分からないのですが」
「おーおー、しらばっくれるつもりか?証拠はちゃーんと揃ってるんだぞ?」
保野のニヤニヤと浮かべる笑みに、裏があることなどすぐに感じ取った。これははめられたな、と悟ると同時に、保野はその"証拠"とやらを説明しだした。
「被害者にな、2刀の刀で切られたような傷跡が残っていたのだ。それに、お前・・・夜な夜な外出しているそうだな?犯人としての可能性は十分じゃないか」
「私ではありません」
「だー!御託はいい!さっさとお縄につけ!」
そう言い、保野がチラりと後ろに居る同心に目配せをすると後ろの同心は刀を抜いた。
それと同時に、堪忍袋の緒が切れたように郷四郎は立ち上がり声を荒上げた。
「保野さん!幾らなんでも横暴すぎではないですか!」
「あ?何だ武藤。この辻斬りを庇うのか?だったら、」
だったら、の次の言葉に最悪の事態がナマエの脳裏をよぎった。保野が次の言葉を出す前に、「待て!」と咄嗟に叫ぶ。
珍しく声を荒上げるナマエに、みなの視線を集めた。目を瞑り、息を深く吐くとナマエはするりと腰につけていた刀を外した。そして刀を郷四郎に押し付けると、保野の方に足を進めた。
「濡れ衣にも程があるが・・・同行しろというのなら、同行しよう」
「おっ、やっと観念したか!そら、さっさと腕を出せ」
「こうか?」
す、と出した腕を乱暴に掴まれ、捻りながら背中にまわされる。痛さに顔を顰めていると、目の前に居る郷四郎の瞳に怒りが宿るのが分かった。背中で己の手が縛られている間に、控えろ、と郷四郎に小声で囁く。
「何故だ」と苦虫を噛み潰したかのような顔で返答する郷四郎に、ナマエはただ諦めたような笑みを零すだけだった。
すっかり縄も縛り終わり、ナマエは保野達と共に郷四郎に背を向けて歩き出した。己の無力さに、郷四郎は歯を噛み締め、拳を震わせる。しかし、ナマエは振り返ることも無く保野達と共に郷四郎の前から消えた。
*
「どうしてもっと反論しなかったのだ!」
「野次馬が集まっていたあの場でか?もし喧嘩になれば民衆に必ず被害が出るような状況だった。いた仕方ないだろう」
重たい牢屋の中から、座った状態のナマエが郷四郎を見上げながら淡々と言った。相変わらず腕には縄がかけられており、十分に身動きできなくされていた。
牢屋に入れたら縄は解けという御達しさえ無視する保野の行動に、苛立ちがつのる。「腕を出せ。俺が解いてやろう」と促すと、ナマエは「遠慮する。お主に迷惑がかかる」ときっぱり断った。
そんな返答に郷四郎が良い顔をするはずも無く。郷四郎はナマエと同じ目線まで腰を落とすと、格子の間から手を伸ばし、ナマエを掴み引きずり寄せた。
勿論、ナマエはいきなりのことだったので逃げることさえできず驚きの声を上げた。格子側まで引き寄せられ腕が引っ張られている感覚に、縄を解いてくれてるのだと理解する。
案外固く縛られた縄に業を煮やした郷四郎は、「動くなよ」と一声かけると、刀を抜いた。ナマエは「面倒に巻き込まれることになるんだぞ」と忠告したが、郷四郎は構うことなく縄を切った。
自由になった腕を慣らしながら、ナマエは「すまない」と申し訳無さそうに謝った。手首にはきつく縛られたせいか赤い跡が残っており、白い肌と対照的で非常に目立っていた。
郷四郎は赤い跡が残った腕を見ながら、奉行勢力に多く力添えしてくれているというのに、こんな酷い仕打ちをしてしまっていることが嘆かわしくて仕方なかった。
「俺が、必ずここから出してやる」
奥歯を噛み締め、真っ直ぐナマエを見据えて言う姿からは決意の固さが伺えれた。
「郷四郎には迷惑をかけるな」とナマエは仄かに笑みを零すと、格子の間から手をするりと伸ばし郷四郎の襟元を掴む。そしてキュッと引き寄せると、中村さんに情報を話す。後で中村さんと話してくれ、と耳打ちした。
詳しく聞こうとしたが、ドタドタと他の同心の足音が近くなってきていた。己を掴んでいた手が、すっと格子の中に戻っていく。咄嗟に掴もうとしたが、郷四郎の手は虚しく空を切っただけだった。
(20120625)