ぐらぐらと揺れる視界を、まるで他人事のように傍観する。光が行き届いていない天井を眺めながら、あぁ、今は夜更けなのだろうと頭の片隅で感じ取った。しかしながら、何故ここに私がいるのだと回らない頭で考える。
主膳と共に戦に参加し、満身創痍で帰ってきたことまでは覚えている。動かそうとするたびに痛む体が、戦の激しさを思い出させた。
しかしながら、先のことを一向に思い出せそうにない頭に一旦見切りをつけ、視線を横にずらす。明かりが行渡ってない部屋の奥は薄暗かったが、この部屋に見覚えはあった。この質素な部屋は―
ふと、二人分ほどの足音と声が微かに部屋に響いた。暫くしたのち、ふすまが開くと見覚えのある姿が見えた。という事はやはり、ここは信之助の部屋なのだろう。この部屋の主である信之助は侍女に下がるように言うと、ふすまを閉めた。丁度いい、信之助に色々聞こうと思い口を開ける。
「 、」
「信之助」とただ名前を呼んだつもりだった。が、喉まで干上がっているような状態で発した声は、消入りそうな何とも情けない声だった。だが、本人には届いたようで、驚きの表情を零すと共に「…!目が覚めたのか!」とすぐさまこちらに駆け寄った。
私が体を起こそうと動いたのを見て悟ったのか、信之助は「待て」と静止の声を上げると掛布団をどかし、優しく体を起こしてくれた。
まるで介護のようだ、と過保護な対応に眉を寄せる。確かに体は痛むが、これぐらいは自分でできる。そんな私をよそに、信之助は用意していたであろう水を私に差し出した。
「飲ませてやる。口を開けろ」
「……」
さらりと言う信之助に、何を言ってるんだこいつは、という感情を隠しもせず顔に出す。だいたい水くらい自分で飲める、そう思い手を動かそうとした瞬間、痺れるような痛さが腕を伝った。
「…っ!」
「…無理をするな。医者曰く、暫くは絶対安静だ。あと、腕は暫くまともに使えんと思え」
ちらりと視線を私の腕に移しながら、信之助は淡々と述べた。包帯の巻かれていない手の甲には痛々しい鬱血痕が浮かび上がっている。そしてきっと、この鬱血痕は包帯を巻かれている腕中に広がっていることも何となく察した。
今回は無理したな、と人知れず後悔していると、信之助はいつになく低い声で「ナマエ、籠手で刀を受け止めるのは止めろと言っただろう」と怒りを含んだ声で述べた。
「、………」
「一体どういう風に戦えば、これだけの痣が出来るのだ。それに、お主は……いや、よしておこう」
お主が帰ってきた、それが一番大事な事だからな。ぼそりとそう呟くと、信之助は思い出したかのように水を再度私に飲ませようとした。
「……!…、」
「そう嫌がるな。まぁ、嫌なら直ぐに治すことだな…」
武骨な手がたどたどしく私の顎を下げ、飲ませやすい角度に調整する。湯呑を使って水を飲ませてもらうが、元々不器用な男だ。あえて信之助がやりやすい様にされるがままにしてやったというのに、角度がずれ水が顎を伝った。
一通り飲ませ終わると、信之助は湯呑を下げた。些か潤った口を慣らし、「もうちょっと上手く飲ませてくれ」と開口一番にぼやけば信之助は呆れたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「…案外元気そうだな」
「うぬ。腕も頑張れば動かせそうだ」
「やめておけ。…あと、主膳がお主のことを褒めていたぞ。忍びの癖に血まみれで帰ってきたことが、大層気に入ったようだ」
「…それはそれは。身に余る光栄です」
皮肉を込めてそう吐き捨てれば、目の前の信之助は深いため息を吐いた。「戦場に忍びを連れて行くなど、何を考えているのだろうな」と眉を寄せて呟く信之助をよそに、私は布団に体を沈めた。
信之助はああ言っていたが、私には何を考えているのか想像がついた。元々、主膳は戦場で役に立つ人間が欲しいのだ。例えそれが忍びで、いつか寝首をかいてやろうと目論むような人物であっても、役に立てばそれでいい。
厄介な男だとつくづく思う。だが、真に厄介なのは主膳自体が己の立場を理解し、尚且つ鼻が利くことだろう。今、主膳を殺せば天奈は終わる。だから私は、戦場で死ぬ気で主膳を守った。そして主膳は、私が真に自分に忠誠を誓ってない事を知っている。戦が終わり、刀を握るので精一杯の私に「今なら儂の首、とれるやもしれぬぞ」と片頬を上げて言ってきたのは記憶に新しい。「…御冗談を。今の状態では碌に戦えません」と言えば、主膳は「ほう…万全なら、取る、と」と目を細めて言った。
ザワリと全身の血が滾ると同時に、主膳は私の魂胆を察しつつあるのだと理解した。だが同時に、私も主膳がどのような人物なのか察していた。煽り文句に酷く歪んだ笑みで「…さぁ?」と呟けば、主膳は高笑いを零した。
今の私は、腕は信用されているだろうが、中身は信用されてないだろう。まぁ主膳が人を真に信用するなど、無いとは思うが。お互い、役に立つから殺さないだけなのだ。酷く殺伐とした関係だと思わず自嘲の笑いが零れる。
「…お主も、酷く主膳に気に入られたものだな」
「あぁ、だが今だけだ。いつか必ず、必ず…」
「そう、だな」
歯を噛みしめ、譫言の様に呟く私に信之助はまるで子供をあやすかのように、私の頭を撫でた。とはいえ、碌に動けない私にはその手を振り払う事もできない。「屈辱的だ…」と呟けば、信之助は「だったら早く治して、拙者の腕を振り払う事だな」と笑いながら言った。
暗闇の中その顔に、安堵の笑みが含まれていたことに気付くものはいなかった。
(20121201)
どっちが安堵の笑みを浮かべたんでしょうかねぇ