Q.1 パッチはプレゼントを渡せるのか





 エアコンの効いた部屋でソファから足を投げ出すように寝転がりながら、パッチは尻のポケットから箱を取り出した。ブランドの名前が記された紙袋は邪魔だったので途中のコンビニで捨てておいた。
 手の平に収まる程の四角い箱を開けると、ベルベットのクッションの上には18金のゴールドのチェーンに、小粒ながらも煌めきを放つダイヤモンドが納められていた。
 そのまま少しだけ眺めた後、パッチは箱からネックレスを摘まむように持ち上げると照明にかかげた。
 まるで一本の紐のようにみえるが、目を凝らせば細かいチェーンがいくつも繋がっているのだと分かる。軽く指で垂れたチェーンに触れれば、しなやかに指を縁取りまとわりついた。
 そのまま指と視線を下に滑らせると、中心部の埋め込まれたダイヤモンドが目を寄せさせた。ダイヤモンドとネックレスを繋ぐ丸環は、ズレなく丁寧に取り付けられている。
 パッチは体を起こすと、ネックレスの丸環部分を注視した。細かいパーツに安いメッキを使うというのは、コピー品にはよくある手口だからだ。
 慣れた手つきでネックレスを矯めつ眇めつし、隅々まで熱視する。いくら正規の販売店で購入し、鑑定書付きといえど一ミリとも信用できない。この世で信用できるのは己だけだ。
 鑑識眼は勿論、贋物を見分ける際の知識も備えていた。パッチにとってこの手の事柄は得意分野だ。
 見て触るだけでもある程度は判別できるが、より正確に見分けるには器具が欲しいところだが、器具など勿論無いわけで。それに今から渡すというのに、水に沈めたり薬剤をかけたりするわけにはいかない。

 仕方がないと、本腰を据えて鑑識に取り掛かろうとした時だった。丁度12時になったらしく、目の前のテレビから騒がしい昼の定番番組が始まりだした。触発されたように、自身の腹も騒ぎ始めた。今日は朝から何も食べていない。
 急に、パッチは馬鹿らしい気分になった。なんで俺が腹を空かせながら頑張らなければならないんだ?今や日本で、正規ブランドショップで偽物を売るなどほぼあり得ない。十中八九、これは本物だ。ゴールドはちゃんと18金だし、ダイヤモンドもガラス玉ではない。丸環部分も安いメッキではなく、チェーンと同じゴールドだ。
 ため息を一つ溢すと、パッチは心の中で一言付け足した。

どうせ俺がつけるわけじゃないから、どうでもいいけどな。

 箱をソファの背もたれと座面の間の隙間に埋め、ネックレスだけをジーンズの尻ポケットにしまうとパッチは再度寝転がり、テレビへ意識をうつしていった。腹の虫が何か食わせろと暴れだしたので、ごまかすように身をよじる。
 おんぼろなエアコンの騒音と、テレビの笑い声だけが部屋を充たしていた。


 さっさとあいつ帰ってこねぇかな。腹が減った。




明日はパッチとナマエが付き合って4年目の記念日だった。



****

 ナマエのただいまぁと間延びした声で、パッチは目を覚ました。そのまま頭だけ動かし、テレビ横の卓上時計に視線を移す。17時38分。つまり五時間程寝ていたようだ。窓から入る日がすっかり傾いている。

「うわ! パッチいたの?電気ぐらいつけたら……って!またこんなに冷房ガンガンにして!控えてねって言ったでしょ!」
「あーあー。うるせぇなぁ」

 帰って来て早々騒ぎ立てるナマエは、この家の主だ。先月の電気代を見てからというも、節電を口煩く言うようになっていた。まったくいい迷惑だとパッチはひとりごちた。
 耳が痛いと言わんばかりに手を振るパッチに、ナマエは口をへの字に曲げると、エアコンの設定温度をあげていった。唸るほど響いていた音が、急にしおらしくなる。

「……そのままの方がいいと思うけどな」
「だーめ。少し暑いくらいで丁度いいの」

よし、と満足げにリモコンを机の上にナマエが置いた。チラリと横目で見てみれば、28度でいいんですか?と言いたげにリモコンの数字が点滅している。

「パッチどけてどけて。私も座りたい」

 こちらに一瞥もせず、テレビのチャンネルを次々変えながらナマエは言った。勿論パッチはどかなかった。

「飯を持ってきたらな」

ギブアンドテイクだ。そうだろ?
付け足すように言いながら、ウヒャヒャと舌を出して笑うパッチにナマエは露骨に眉を寄せた。

「……なんかムカつくから今日はカップ麺」
「愛がねぇなぁ〜」
「うっさい!」
「いてぇ!」

 怒りの籠ったナマエの手が、パッチの頭を叩いた。
 叩かれた場所を擦りながら、パッチは恨みがましくナマエを見た。当の本人はソファの横でフフンと得意気に笑っていたが、ふと、パッチはナマエの足元へ視線をうつした。

「おい、伝線してるぞ」
「え、うっそ!このストッキングおろしたてなのに」

 ふくらはぎから太ももに、まるで誘うよう様に一線が通っていた。黒いストッキングから垣間見える白い肌は、まるで果物の皮が破け、旨そうな果肉を見せているようだ。
 ふいに、パッチの中で空腹と違うモノが目を覚ました。

「……なぁ、ハニー?」

 ぐっと体をナマエに近付け、甘えたような声色でパッチは言った。ナマエは一瞬目を見開きたじろんだが、パッチはその一瞬を逃さなかった。
 隣に立つナマエを引っ張り押し倒し、すかさず片方の手で足首を掴み持ち上げる。あまりに一瞬だったせいか、ナマエは猫が踏んづけられたような声をあげた。

「い、いやだあー!お風呂入ってないしスーツ皺つくし明日早いから無理!ご飯作ってあげるから!」

 これから起きる事を察したナマエがソファの上で足をばたつかせ暴れた。パッチにとって全てどうでも良いことだった。空腹には耐えれる方だ。
 構わず伝線部分へ指を滑らせ、穴に爪をひっかける。

「おいおい、まだ何にもしてないだろ?そんなに嫌なら、好きなだけ拒めばいいじゃねぇか」

 なぁ?と笑いながら顔をナマエに近付け、わざと音を立てて口付けを落とす。ナマエは最初こそ、顔を反らしたり口を固く結んだりと抵抗したが、パッチに見つめられた時ばかりは、ぐ、とたじろんだ。つまるところ、ナマエはパッチに惚れていた。
 悔しそうに、恥ずかしそうに目をつむり自身を受け入れるナマエに、パッチはおもわずほくそえんだ。一の字の拒絶を示す固い唇も、優しく啄むように幾度もキスをすれば、みるみる軟質へと変わっていく。

 つくづく、ナマエは目の前の欲望にあらがえない人間だとパッチは思った。いつだってダイエットを始めると宣誓しておきながら、しばらくすれば自身で禁止した菓子に手を出す。予定を立てても、二度寝の気持ちよさに負けて結局おじゃんにする。
 いやだいやだと暴れても、スイッチさえ入れてしまえば、必ず俺に溺れる。パッチはよく知っていた。

 パッチはナマエのうなじに手をかけた。指先に、ナマエがよく着けているネックレスのチェーンが鬱陶しく絡み付く。ドクドクと脈打つ首は、べたべたくっついたせいか興奮のせいかは分からないが汗が滲んでいた。

「……クーラー、もっと強くして」

 パッチは鼻で笑った。

「あんたが望んだんだろ。俺は言ったのにな?」

 みかんの皮でも剥くように、パッチの細長い指がピリピリと音をたてながらストッキングを裂いていく。切り裂かれた隙間から手を突っ込めば、ストッキングの圧と相まってえも言えぬ密着感が手の平をみたし、思わず感嘆の溜息が零れた。
 これは……癖になる。パッチは自身の息遣いが熱いものに変わっていくのが分かった。お互いのしっとりと汗ばむ足と手が、ぬるりと滑る。旨い果物を見つけたと貪り食う芋虫のように、パッチは太ももを揉みくだし堪能した。
 よもやナマエは、与えられる快楽にのまれていた。ナマエの熱の籠った瞳と目が合うと、パッチは小さく笑った。ようやく完全にスイッチが入ったようだ。

 次第に、パッチの額にも汗が滲み出していた。邪魔な自身のTシャツを脱ぎ捨てると、ナマエのオフィスシャツに手をかけた。ナマエも流石に今更やめれないらしく、素直に受け入れた。
 抵抗のないまま一つ一つボタンを外していく作業は、征服の悦びを感じ取れる瞬間だった。こいつはスイッチが入ってないと、酷く暴れるからな。
 だが、まだメインは他にある。

「……ハニー、愛してるぜ?」
「っ、うる、さい。 すけべハゲ」
「ほんと……かわいくねぇの」

 まぁいいか。どうせすぐにかわいくなるしな。

 バレないように軽く口角をあげると、パッチはナマエの腰を持ち上げ身を沈めた。そして優しく、首に手を回した。



******


「お待たせしました。査定金額なんですが、一万円です。」

 ぼられてる。パッチはすぐに分かった。有名ブランドで箱付き、違う場所で査定してもらえばもう少しマシな値段がつく。
 チラリと横目でうかがい見れば、小太りな店主が愛想のいい笑いを浮かべながら、手でごまを擦っていた。
 パッチは深い溜め息を吐くと、スツールの椅子からするりと降りた。そしてあえて困ったような顔を作り、ネックレスが入ったトレイを押し出した。

「オーケー。 買い取ってくれ」




 昼の炎天下の中、並木の陰を縫うように歩きながら、パッチは鼻歌混じりに帰っていた。

 念入りに抱き潰したかいあって、ナマエは微塵も気がつく様子はなかった。起きて早々、ろくに髪をとかずに飛び出ていったナマエの姿を思い出し、クツクツと喉の奥から笑が漏れでる。

 まったく。今頃どんな気持ちでアイツを見てるんだろうな……ネックレスをプレゼントしたやつは?

 情事の最中、パッチはナマエの首もとからネックレスを奪っていた。勿論気が付かれないよう細心の注意を払っていたが、今思えばそんな必要はなかっただろう。俺から与えられる快楽に、ナマエは完全に追い付いていなかった。疑問に思う暇もなかったはずだ。

 よもや奪うことは赤子の手を捻るように簡単だった。逆も、同様に。


 ナマエがネックレスを誰から貰ったのかは知らないが、それがどうでもいいと思うくらいパッチは最高に気分が良かった。似たようなデザインではあるが、おそらく……いや、必ずプレゼントしたやつは気がつくだろう。同じようなデザインで、同じブランドではあるが、あれは限定品だった。値段は俺の方が高いけどな!


 なんにせよ、あのネックレスは一万円の価値しかないと言われたんだ。せいぜいありがたく、この金を使ってアイツと旨いもんでも食いに行くとしよう。それならプレゼントしたやつも、諦めがつくってもんだ。

 財布に入れることすらせず、先程受け取った一万円をジーンズのポケットへグシャグシャに入れながら、パッチは携帯を取り出し電話をかけた。




「なぁ、晩飯は旨いものでも食いにいこうぜ。なんたって今日は、俺たちの記念日だろ?」





A,1 YES







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