オレンジな教室


蝉の声が響き渡る中。暑苦しい放課後の教室は、ジッと座って目の前の問題を解く事も億劫になってくるほどで。ジージー喧しいくらい外では蝉が鳴いているけど、わたしと目の前の銀八は何も喋ることはしなかった。
シャーペンを滑らせる音と蝉の声。微妙に生ぬるい風がカーテンを揺らしている。首元を伝う汗が妙に気持ち悪い。

「……先生、暑い」
「奇遇だな、俺も暑い」

我慢ならず吐き出した言葉は、何の意味も成さない言葉で。寧ろ暑さがより増したように感じる。頬まで垂れてくる汗が気持ち悪くて、傍に置いていたハンケチで拭い取った。

「もうやめようよ」
「俺もやめてーよ」
「先生も暑いでしょ」
「めちゃくちゃ暑い」
「帰ろう。帰ってクーラーの風で涼もう」
「そうしたいからプリント終わらせてくれや」

指先で机をトントン叩くと、眉間に皺を寄せながら銀八が言う。銀八の頬を伝う汗が目に入って、なんだかヤケにそれが見ちゃいけないものの様な気がして目を逸らした。
窓から見える空は、夕方にも関わらずまだ真っ青で。時間の感覚がおかしくなりそう。
開いた窓から聞こえる運動部の声に元気だなぁなんて思いながら、最早現実逃避。銀八の溜息が横から聞こえるけど、もうなんかどうでもいい。

「終わったら飲みモン奢ってやっから早く終わらせて頼むから」
「だって難しい」
「ここまで出来てんじゃん。大丈夫だって、お前ならいける!やれば出来る子だろ!」
「何その根拠のない言葉」

「声張り上げたら疲れた……」なんて宣うこの担任に頭は大丈夫かと言葉を贈っておく。そしたら頭を軽く叩かれた。痛い。

「ていうか先生、暑いならその白衣脱いでよ」
「これは俺のトレードマークみてーなモンだから無理」
「意味がわかんない」
「あるだろ、お前にも。アイデンティティ的なものが。ほら、その、いつも着けてるヘアピンとか」

別にこれはアイデンティティとかじゃないんだけど。そう思いながら、「はいはい」と銀八の言葉を流す。外から入ってくる風は、尚も生温くわたしの頬を撫でた。

「先生?」
「今度はなに」
「頑張るからキスして」
「あー、うん。わかったから……、……は?」

呆れたように返事をする銀八の顔を真っ直ぐ見る。普段やる気のない瞳が、驚いたように丸くなった。

「だから、このプリント終わらすから、頑張るからキスして」
「……学校なんだけど」
「誰も居ないよ」
「誰かに見られたらどーすんの」
「誰も居ないって。それに、先生、わかったって言ったよ」
「そりゃお前流れで言っただけで」

珍しく焦ってる銀八に、くすくすと笑ってみせる。最初は冗談のつもりだったんだけど。でも、銀八があんまり焦るものだから、可笑しくなって撤回する気がなくなってしまった。

「ダメ?」
「……、……はぁ……」

ここでしてくれるなら、それはそれで美味しいし、なんて思う自分のげんきんさに笑ってしまう。ちょっとした冗談も今となっては本気になっちゃう。なんでかなぁなんて考えたけど、多分これは銀八が悪い。だって、いつもよりネクタイ緩くなってるし。思春期真っ盛りの女子高生に、そんな姿見せる方が悪いんだよ。
胸中で銀八に責任転嫁して、彼の返事を待つようにジッと見つめた。
瞬間、わたしに近付く銀八に首を傾げる。予想以上に大きな音を立てて、椅子が動いた。

「……今日だけ、な」

右頬に触れる掌が、少しだけ熱を持っている。感じる熱をそのままに、銀八の温かい唇がわたしのそれに軽く触れ合って、名残惜しさだけを感じさせて離れていく。
仄かに赤くなる頬は、夏のせいなのか、それとも――。

彼次第で決まった気分は、どうやら良くなる方向に向かうらしい。緩くなる口元に、銀八が綺麗に笑った。


title:joy


20180722


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