大人になりたい


机の上に無造作に広がった紙の束や銀八の愛用のペン、灰皿に積もったタバコの山に、ついつい溜息を小さく吐いてしまう。ふと、視界に入ったタバコの紙の箱を手にとって、パッケージを食い入るように見た。

大人にとって、なんの変哲もないそのタバコの箱は、まだ成人にも満たない子供のわたしからすれば未知の世界。輝くその箱は、非行への道標――なんてことにはならず。わたしは、ただただその箱を手にとってまじまじと観察するだけに終わった。
紙で出来たその箱は脆く折れそう。わたしがギュッと握りしめれば、中のタバコごと潰れてぐしゃぐしゃになるだろう。……そんなことしないけど。こんな一箱でもそれなりの値段するって、子供のわたしでもわかることだし。

――こんなのにタバコって入ってるんだ。
銀八が吸ってる細長いそれが脳裏を掠める。軽く揺らしてみれば、奥に入り込んでた白いタバコが2、3本かさかさと音を立てた。
喫煙の危険性を訴える警告文を目で追う。こんなもの訴えるなら、最初から売らなきゃいいのに。なんて、そんな風に思ってしまうのは、わたしが子供だからなのだろうか。
銀八がタバコを吸う姿を思い出してみる。受動喫煙なんて知るかと言わんばかりに教室で吸ってたりするけど、本人は飴だと言い張っていた。どう考えてもタバコなのは、明白なのに。
それが美味しいものなのかどうなのかは、大人になってからわかるのだろうか。未知の世界への好奇心というものは、どんな歳でも変わらないとは思う。が、あんな大人にはなりたくないな、とも思うのだ。誰かとは言わないけれど。

ぐるりと引っ繰り返して一周させてみても、パッケージデザインは変わらない。相変わらず警告文もしっかり書いてるみたいだ。正直、これじゃあ裏表すらも、わからない。

側面に文字が書いてあるのに気づいて、目で追った。
バーコードに、商品説明としてのタバコの名前。それから、タールとニコチンの含有量が書かれている。
――えっと、なになに?タールが10mgとニコチンが0.8mg。
じっくり商品説明を読むのと同じようにそれを見やっても、それが多いのかはたまた少ないのかが、わたしにはわからなかった。

「こらこら、何してんのお前」

背後からヌッと伸びてきた手にビクリと肩を跳ねさせる。「わあ」と声まで漏れた。恥ずかしい。
普段通りの気怠い声が後ろからとは言えども耳の近くで聞こえて、あまつさえ後ろからわたしの持っているタバコに触れる手は、心臓に悪かった。
ドキドキ。照れとかそういうのより、今は単純に怒られると思ったからだろうか。

「タバコ吸おうとでもしてた?不良にでもなりたいの、名前チャン」
「銀八」
「先生をつけろっていつも言ってんだろーがバカ」
「……センセー」

軽口叩いてはいるけれど、どうにも声が普段より低い気がする。なんか、だるだるって感じでもない。ええ?これ、もしかしなくても勘違いされてない?やっぱり怒られちゃうんじゃない?
慌てて後ろを振り返って弁解の言葉を脳内に並べ立てる。

「ちっ違うよ。センセーが吸ってるタバコに興味があったの」
「え?それやっぱり吸おうとしてたってこと?じゃあ、ダメ。名前にはまだ早いよ」
「違う、そうじゃなくて!」
「じゃあ何よ」
「センセーがどういうの吸ってるのかなって。タバコを吸いたいわけじゃないんだよ」

大体、わたしはまだ十代だ。成人にも満たない未成熟なわたしが、これを吸いたいとは全く思えなかった。そりゃ、わたしよりも心も身体も成熟しきっていると思いこんでるような子たちはこれを吸ってる人たちもいるだろう。
だが、断じてわたしはそういうつもりはない。断言だって出来る。
でも、興味というものは逸らすことが出来なかった。何度も言うが、わたしからすればタバコというのは未知の世界なのだ。視界に入るものは、なんでも興味津々になってしまうお年頃なのだ。好奇心旺盛なのだ。

「ねぇセンセー?」
「あン?」
「タール10mgってどういうこと?」

純粋な疑問に、銀八は一瞬間をおいて「あー」とか「ええっとなあ」とか要領の得ない言葉を言っては口を開閉させている。
多分、わたしにわかりやすく説明しようとしてくれてるんだろうか。

「ヤニだよ」
「じゃあヤニって何」
「そんなこと知ってどうすんの?」
「今後のおベンキョー」
「なんの勉強だよ。そんなことより国語の点数を上げてくれ」
「それはそれ、これはこれ。今は興味の向いたものを片付けたいの」

自信満々に胸を張ってそう言えば、頭に軽いチョップを喰らった。痛い。

「いったぁい」
「そんな痛かねーだろ。タバコのことなんざ知ったって、お前にはなんの得にもなんねぇよ。国語の点数上げる方が断然得になんぞ」
「もう。点数はあげるから、教えてよ」
「上がってねーから言ってんの!」

はぁ、と呆れたように銀八が溜息を吐く。

「ヤニってのは、身体に悪ィもんだよ」
「? それわかっててセンセーはタバコ吸ってんの?」

身体に悪いものをわかってて吸ってるって、それはバカのやることじゃないの?言外に含んで銀八を見上げれば、眉間に皺を寄せた顔が視界に入る。その表情は、呆れているのか怒っているのか、わたしにはとてもじゃないが、わからなかった。いや、どちらもなのかもしれないな。

「ニコチンっていうのは、依存するやつでしょ。ニコチン中毒とか言うもんね」
「うん、まぁ……そうだな」
「じゃあ、これは身体に悪い成分が10mg入ってるってこと?」
「うん」
「それをセンセーは吸ってるの?」
「そうだよ。……なぁ、それ聞く意味あんの?」

あ、機嫌悪い。もしかして、もしかしなくても、銀八怒ってるのかな。

「ないよ。よくわかんないから聞いてるだけ。ねぇ、センセーは――銀ちゃんは、タバコに依存してるの?」
「じゃないと吸ってませんけどォ」
「依存してなかった吸わないの?」
「だからァ、そういうこと聞いてマジでどうすんの」
「銀ちゃんみたいにならないようにする」

なんだそりゃ。呆れたように言葉を漏らす銀八に軽く笑ってみせた。それが気に食わなかったのか、やっぱりまたチョップを貰う。今度は割と力が入ってたみたいで、本当に痛かった。

「銀ちゃん、今度のはマジで痛いよ」
「先生って言えってお前」
「二人だしいいじゃん」
「そういうことじゃねぇだろうが……」

不満の声を銀八に向けて上げれば、あっけらかんと宣う。体罰だ体罰、なんて漏らせば「お前が悪いの」といつも通り気だるけに返されてしまった。そんなご無体な。

「銀ちゃん、タバコってどんな味?」
「ああ?」

未だ続くタバコへの質問に、ガラの悪い返事が返ってきた。教師のする返事じゃないよそれ、なんて思いつつもお構いなしにもう一度同じ文言を繰り返す。銀八は暫く考え込んだフリをしてみせたあと「知りたい?」と意味深に質問で返してきた。
首を縦に振って、「うん」素直な返事。

すると、わたしの頬に銀八の大きな手が触れた。温かいそれに「え」と間抜けな声をあげて自然と銀八を見上げれば、わたしの唇に何かが合わさる。

「ちょ……っ、と……、んンッ……」

目を見開いて、銀八を見る。メガネの奥から見える臙脂色の瞳を見つめ続けることは、わたしには出来なかった。それと同時に、銀八にキスをされているのだと理解して、咄嗟に目をギュッと瞑る。
無遠慮に唇を割り開いて入ってくる舌が、わたしの歯列をなぞった。そのままその舌は、わたしの舌を絡め取って。鼻腔を擽る銀八の匂い、タバコの匂い。味も、なんだか苦い。

鼻にかかった甘ったるい声がわたしの口から漏れるのも、全部飲み込むように絡められる舌と口づけ。次第に、目尻に涙がジワジワとたまるのがわかった。
咄嗟に息を止めたせいで、段々と苦しくなってきたわたしは、銀八の胸を軽く叩く。

「ッ……ぷは、」

リップ音を立てて、名残惜しさすらも感じさせながら離れた口唇。パクパクと口を開閉させて、涙の浮かぶ目で銀八を睨みつければ、彼は余裕のあるいやらしい笑みを浮かべる。

「顔真っ赤じゃん」
「あ、あああああたりまえ!淫行教師!!」
「慣れねーなァ」

からからと笑う銀八の胸を軽く叩いて、未だ熱の残る頬を隠すように両手で顔を覆った。

「で?タバコの味はどうでした?」
「わ、わかんないよそんなん!!」
「あぁン?じゃあもっかいすっか?」
「するわけない!」
「あら残念」
「誰かに見られたらどうするわけ!?」
「誰も来ねェよ、こんなとこ」

――来るとしたら、お前みたいな物好きだけだよ。
普段よりも優しい声音で言われて、不意を突かれた。さっきのキスのことも相まって、心臓が早鐘のようにドクドクと鳴る。うるさい。
今すぐにでも心臓を止めたくなるくらい、こんなことでトキめいてしまっている自分が、どれだけ子供なのか嫌でもわかった。

「……わたし、早く大人になりたい」
「え、何いきなり」
「センセーのこと見返せるくらいの大人に!早く!なりたい!!」
「あぁ……キスぐらいは普通にできるくらい?」
「うるさい!」

にんまりやらしい笑み。それ教師がしちゃダメだよ、なんていつも通りの調子で返すことも出来やしない。まだまだ未熟なのだ、わたしは。
銀八のキスじゃあタバコの味なんてまともにわからなかった。でも、わたしもいつかは大人になれるのかな。



2020.12.23


main top