揺り籠の中の涙
※銀八が女子高生に手を出す酷い男
大きな声では絶対に言えないけれど、今日も女生徒に手を出した。いや、出したっていうか出されたから俺はそれに答えただけなんだけど。流れに身を任せただけなんだけど。
しかしまぁ、それでも女子高生っていうのは喜ぶもんで。こんなオッサン教師とセックスして、お前になんの得になるっていうのかねぇ。
ジェネレーションギャップというやつだろうか、俺にはそれがわからない。
全く、あれじゃあ盛りのついた雌猫だぞ。あの子の将来お先真っ暗。身体でどうにかなると思ってらぁ。それは、もっと――大人の世界だけだよ。
なあんて、そんな雌猫……じゃなかった、女子生徒を喰った俺も俺だけど。
正直な話をするなら、今回の子は本当に残念賞。
あんまり可哀想なもんだから、残念賞のポケットティッシュをやるぐらい。きゃー、銀八先生ヤサシー。なんつって。
「結構色んな人とヤったんだよ?」なんて上目遣いで言ってきて。お得意の口上でヤリマン宣言。はい、自称自称。
ンなもんで俺が満足出来ると思ってんのかって話。
端的に言って、気持ち良くなかった。断言しよう。
つーか、俺は上に乗られるよりも後ろから攻めたい派なの。満足気に腰振りして見せてるけど、それお前の自己満足じゃねぇか。
本人に言うことのない黒い靄。
そのまま大人になって後悔でもしな、なんて。煙草の煙を燻らせながら、目に沁みるほどの橙色を廊下の窓から眺めていた。
(アイツは、もういいや。いらね)
止めていた足を前に進めて、教室に残る生徒が居ないか確認する。あ、と声を上げた。
どうやらまだお一人いるようだ。
開きっぱなしの教室の扉に顔を覗かせれば、そこにいたのは一人の女子生徒。この教室は、俺が受け持つ3年Z組の教室だった。
夕焼けの染まる教室に、絵に描いたような可憐さを以て一人机に向かっている。
せっせと走らせるシャーペンを見ながら、彼女に聞こえないような小さな音で溜息を吐いた。大方、沖田にでも日直日誌を押し付けられたのだろう。
彼女は人が好いから、すぐにこういうことは自らやろうとしてしまうのだ。
コンコン。人差し指の関節で教室の扉を軽く叩けば、俺が思っていたよりも大きな音を立てて鳴り響く。
きょとん、と円らな瞳を丸くしながら、日誌から顔を上げた彼女に「ご苦労さん」と声をかけた。
途端、彼女の目が気まずそうに泳ぐのがわかる。うっすらと染まる頬は、夕焼けの赤色か。はたまた――。
青臭ェ。言葉には出さずとも、俺の胸中を占める。
コイツはあの女子生徒と打って変わって青臭い。まさにザ・青春みたいな。可愛らしい生徒だ。
――俺に、惚れている点を除けば。
最初は自惚れか何かかと思っていた。連日「好き」と煽ってくる女子生徒を見れば、まぁそんな勘違いしても仕方ないかぐらいの気持ちで。
コイツぐらいの年代であれば、俺みたいな年齢の、さらに言えば身近な人に惚れるのはよくある話だ。しかも教師。まぁ、ある意味オプションはデカイと自負してる。
だけど、コイツの一挙一動といい仕草といい――この、火照った頬といい。
それが自惚れではないことはすぐにわかって。なんつーか、わかりやすいんだ。コイツは。
それなら、彼女も他の女生徒と同じように「抱いて」と言ってくるのだろうか。と、一度だけ考えたこともなくはなかった。
ただ、それは俺の妄想の域を過ぎないのだけれど。
荒んだ奴らに揉みくちゃにされた結果の思考だろう。俺のコイツへの印象は「今時、珍しいくらいのウブな女子生徒」。
ただ、それだけ。
珍しいのは――……可笑しいのは、俺の方なのにな。
扉を閉め、彼女の座る席まで歩く。
ぺったらぺったらチープな音が安物のサンダルから聞こえた。
彼女の前の席にガタッと大きな音を立てて腰掛けると、首を傾げる。疑問の色を携えるその瞳に、何も答えないまま気にせず煙草を一本取り出すと、慣れた手つきで口に咥えて火を点けた。
肺に吸い込んだ煙を細長く吐き出せば、チラリと横目で見た彼女と目が合う。すぐに逸らされたその瞳に、わけもなくイタズラ心がムクムクと湧き上がって。
俺の仕草だけで色付けてしまうその頬に、愛らしさすら覚えた。
思い出したようにまたペンを日誌に走らせる。華奢なその体を見ながら、抱いたら壊れてしまいそうだなんて青臭いことすら思ってしまった。
躾ければ、それなりのインラン女になるタイプ。若しくは、最初からインラン女なタイプ。それと、自分だけが気持ちいいと善がるタイプ。
俺が抱いてきた女は、この3つのどれかだった。
1つ目はそこそこ、俺が楽しい。
2つ目はまあまあ。恥ずかしがればそれなり。
3つ目は、タチが悪い。俺があんまり好きじゃないタイプ。
それのどれかに当てはめるとすれば、彼女はきっと1つ目か。まぁ、可能性として2つ目もあるだろう。
……見た目だけの話だが。
3つ目は、……いいや。考えたくねぇなあ。
「……なぁ」
「はい、?」
「お前さぁ。先生の事好きっしょ」
仄かに色付いていた頬が、今度は顔中に広がった。赤面症か?なんて思いながら、リンゴのように熟れる頬を優しく撫でてみせる。
内心でせせら嗤いながら、今度は彼女の頭を優しく撫でた。
丸くした目を泳がせると、彼女は下を向く。握ったペンがカタカタと小さく震えるのが見えて「図星です」と訴えるその様は、ひどく滑稽だった。
加虐心が煽られる。
「……好き?俺のこと」
「せ、……んせ、」
あらまぁ、コイツは純粋だこと。
潤う瞳に心が冷えるのがわかって、髪を撫でる手をピタリと止めた。
中途半端に吸いきった煙草を懐に仕舞っていた携帯灰皿に仕舞い込んで、机にそっと置く。
中断されまくってる日誌を見やれば、書かれていた文字は所々が歪んでいる。
書き終えた為に用無しとなったペンは、無造作に転がっていた。
今度は彼女を見る。未だ下を向いたままの顔は上にあがることはない。
なるほど、全く可愛いものだ。これぞ学生、眩しいねぇ。
「ま。聞いてみただけなんだけどな」
「っ、……なんで……」
「どうせなら、一回抱いてやろうか?先生と思い出作りでもする?」
冗談交じりにそう言いながら、彼女の顎を優しく掴み、指で上にあげる。涙を湛えたその瞳がキラリと光った。
「この娘は処女かなア」なんて下衆な勘繰りを頭の中でしながら薄く笑えば、キッと目尻をあげて俺を睨め付ける。
まぁ、処女だろうと非処女だろうとなんだっていいさ。コイツの反応ってのが大事だろ?
少しだけ、顔を近付ける。揶揄うようにキスを促してみれば、束の間の空白を空けて嫌がるような仕草で抵抗をした。
こういうのは、嫌ですか。
恋に恋する年頃ってのはよくわからない。俺にはそんなのなかったもんだから。
腹の底が冷えてくるのがわかって、ああ、興醒めした。めんどくせェ。
顎から手を離すとガタッといきなり彼女は立ち上がって、訝しげに見る俺をこれでもかと言わんばかりの恨みがましい瞳で睨みつけてきた。
ただ、その瞳は涙で濡れそぼっていて。威力は半減しているのだけれど。
面倒くさいと態度で示せば、俺の頬を力強く引っ叩いた。
「さぃ……ってー!この淫行教師!」
焦燥感と呆れと、お門違いな怒りが胸中で綯い交ぜになってぐちゃくちゃだ。頬の痛みとともに、なんだか頭痛までしてきた。
今時の女子高生ってのは、ヤることしか頭にないと思っていたのに。今時こんなのがいるのか。
……いや、待てよ。俺って碌なガクセーに会ってない?
「先生のアホ!バカ!」
「……」
鞄を引っ掴んで走って出て行く後ろ姿は、ひどく小さく見えた。彼女の出て行った後の扉をボーッと眺めながら、日誌を手にとる。
それと一緒に、忘れて行った絶妙に可愛くないキャラクターのペンを手に取れば沸々と湧き上がる感情に言いようのない焦りを感じた。それを白衣のポケットに仕舞い込んで、書き途中で放棄された日誌を見る。
可愛い字と相反して描かれた、可愛いとはあんまりにも言い難いブサイクなキャラクターは、全部彼女の筆跡で。
――青臭いのは、どっちだよ。
胸中を占めるモヤモヤに、行ってやれたらどんなに楽かと溜息を吐く。
行ったところで、彼女の中で張られた俺へのレッテルは、変えることなんて出来やしないんだ。ったく、だから面倒なんだ。
きっと明日、彼女は俺を見て泣きそうな顔で見つめてくるのだろう。授業中も、ホームルームも。
そして今日この日の一時の出来事をずっとその未成熟な胸に抱えて、学生時代を過ごすのか。
……やっちまったなあ。
今更、後悔したところでもう遅い。呟いたところで何も変わらない。
腰掛けていた椅子から立ち上がり、教室の窓に足を向ける。鍵を確認するついでに――いいや、本当はこっちが本当の目的だったんだがーー外をとぼとぼと歩いていく小さな彼女の背中を眺めた。顔をひたすら擦っているところを見ると、泣いているんだろう。
小さくなっていく頼りない背中が見えなくなるまで。
俺は煙草すらも吸わずに、ただ引っ叩かれた頬の熱さに手をやって。
教室の鍵を閉めた時には、もう辺りは暗くなっていて。
空は、夕焼けを蝕んでいくように、濃紺色が染めていた。
title:joy
加筆修正前2008
加筆修正後20180724