祈路





見渡す限りの青い海。

その水平線上に少しずつ緑が見えてきて、次第にそれが大きくなっていく。

甲板から双眼鏡を覗けば、次の島をはっきりと確認できた。

暖かく穏やかな風が吹いていることから春島か夏島。

次のどんな島だろうとわくわくしながら双眼鏡で島の周りを見回してみる。



「え…?あれは…」



港から少し外れた辺り。

そこに着岸している一隻の船。

黄色の船体に大きく描かれたジョリーロジャーとDEATHの文字。

潜水艦としても有名なそれは、一般的な海賊船とは多少違う形をしている。

その船に乗っているのは今やこの新世界で知らない者はいないだろう海賊団。

最悪の世代の一人、5億の首。

死の外科医と呼ばれるトラファルガー・ロー率いるハートの海賊団の船がそこにはあった。

うちの船長だってそこそこの賞金首だが、最悪の世代と比べれば多少劣る。

私は急いで報告に走った。







そして今、私は酒場にいる。

ハートがいるからといって今更進路は変えられない。

何かあった時はその時だというある意味お気楽な船長の指示の元、私達はログが溜まるまでの三日間をこの島で過ごすことになったのだ。

宴と称して盛り上がるどんちゃん騒ぎを抜け出して、一人静かなバーのカウンターでカクテルを満喫する。

海賊というとどうしても男所帯だから、こうして一人になれる時間も欲しいところ。

だから私が宴の後半いないのも最早いつものことで。

そこはきちんと理解してくれている辺り良い船長についたなとも思う。

カランと来客を告げる音が店内に響く。

足音は徐々に近付いてきて、私と椅子一つ分空けた席が動いたのが分かった。

ちらりとそちらを伺ってぎょっとする。

見えた手の甲と指には特徴的なタトゥー。

もう少し視線を動かせば、トンと私との間に大きな刀が立て掛けられた。

間違いない。

顔を見なくても分かる。

そこに座っているのはトラファルガー・ローだ。

嫌な汗が背中を伝った。

何も起きなければそれでいい。

寧ろ何か起きたら大変だ。

私じゃ到底この男には敵わない。

トラファルガーのクルーはみんなつなぎだと聞く。

幸いにもその姿が見えないということは一人なんだろうか。

私が海賊だと気付かれなければきっと大丈夫。

ここは穏便に。

さっさとお金を払ってお暇しよう。

考えがまとまり、まだ淡いブルーの液体が半分以上入っているグラスに口をつけた。



「おい」



隣から声が聞こえ、一瞬肩が揺れる。

注文でも頼むのだろうか。



「聞こえてんのか?てめェだよ」

「…?」



明らかに違和感のある言葉に恐る恐る隣を見やる。



「!?」



瞬間、バチリと目が合い息を飲んだ。

間違いなくトラファルガーは私を見ている。

ということは話しかけられているのも、私?



「わ、私に話しかけてます?」

「てめェ以外に誰がいるんだよ」

「……」



これはどうしたものか。

目が泳ぐ。



「お前、エレノアだろ」

「そ、そんなこと「自分の賞金額を知らないとは珍しいな?」



ニヤリと口角を上げて言うこの男に私の言葉は遮られた。

こうなっては仕方がない。

穏便に。

穏便に。



「…何か用?」

「つれねェな?別に取ってかかろうってワケじゃねェよ。たまたま入った店にたまたま海賊がいた。ただ、それだけだ」

「は?」



何を言い出すかと思えば予想外のことを言われ、強ばらせていた体の力が抜けてしまった。

残忍として有名な男だけど、その口調は聞き間違えじゃないかって程穏やかだ。

それに敵意は今のところ感じられない。



「たまたまおれも一人だ。付き合えよ」



もう少しで空になろうとしていたグラスが再びカラフルな液体が注がれたものに変わる。

隣からはおれの奢りだと聞こえてきた。









「酷いと思わない?私だって戦えるのに」

「ククク、そうだな。だが、そういう時だってある」



あれから何時間経ったのか。

もうそろそろ日付が変わる時間。

結局、お酒を注ぎ足し注ぎ足しされていくうちに話は弾み、いつのまにかお互いの今までの航海の話や主に私の日頃の愚痴を言い合うようになっていた。



「もう、あなたまでそういうこと言うのね」

「船長はクルーのことを考えて指示を出す。お前の力が発揮出来る時くらいちゃんと把握してるだろうよ」

「……そ、そんなことわかってるわよ」



諭すように言われ何だかむず痒い。

この男も一船の船長なのだと嫌でも思い知らされた。

気を紛らわすようにもう一杯。

目の前に置かれたグラスに手をつけようとした所で、横から伸びてきた手にそれを取られる。



「いい加減、飲み過ぎた」

「まだ、だいじょうぶ」

「大丈夫じゃねェだろ。そろそろ帰るぞ」



私から奪ったものを一気に飲み干す。

そういえば私以上にお酒が進んでいたようだけど、ちっとも酔っているように見えない。

空になったグラスを置き、すくっと立ち上がったトラファルガーを見て思わず私もそれに習う。

ふらつく足元を支えてくれたのは、男にしては華奢そうに見えて逞しい腕だった。



「ほらみろ」



その腕に頼りながら店を出る。

火照った体にはちょうどいいくらいの涼しい風が吹いていて、ふわふわしていた頭が少しだけ冷静さを取り戻した。



「お前らの船はどこだ?送っていく」

「いいわそんなの…自分で歩ける」

「そうか?」



トラファルガーはまた口角を上げて、支えていた腕をするりと離した。

強がりを言ってはみたものの、私は自分が思う以上に酔っていたみたいで。

支えを失いふらりと一気に視界が動く。



「…っ!?」

「だから言わんこっちゃねェ」



地面への衝撃はなく、再び回る腕。

今度はがっちり腰にまで回っている。



「あ、ありがとう」



何故だか心臓の鼓動まで速くなった気がする。

支えられたままトラファルガーを伺う。

そこには何を考えているかわからない表情があった。

ぎゅっと腰に回された腕に力が込められる。

私はそれに応えるようにそっと腕に触れれば、私を支えながらトラファルガーが歩き出した。

もしかしたら、顔には出ていないだけでこの男もそれなりに酔っていたのかもしれない。

着いた先は私の船でもトラファルガーの船でもない。

ただ目に入ったであろうホテル。

手早くチェックインを済ませ、ルームキーを貰い、部屋のドアを閉めるなり壁に背中を押し当てられる。

彼が帽子を脱ぎ捨てたのと同時にカタンと大太刀が床に落ちる音がした。



「んっ」



くいっと顎を上に向かされたかと思った時には唇は重なっていた。

噛みつくようなキス。

いきなりだったせいで酸素もすぐなくなり、小さく口を開ければ直ぐ様するりと舌が入ってくる。



「…んんぅ…」

「…はっ」



お酒のせいかどうかは分からない。

けれど抵抗する気なんてこれっぽっちも起きなかった。

それどころか空いていた両腕をトラファルガーの首に回してもっととせがむように力を込める。



「積極的じゃねェか…嫌いじゃない」

「あら、そういうあなただって」



既に私の足の間には割って入るように彼の右足があった。



「言いやがる」

「あっ…」



体を這うように滑ったトラファルガーの右腕は私の服の中へ。

思わず声を上げると頭上からは機嫌が良さそうな笑い声が聞こえてくる。

その手が胸に到達するとやんわりと掴まれた。



「やっ…」

「今更嫌だと言ってもやめねェぞ」

「ふふっ…ここでは嫌だと言ったら?」



挑発的に言う。

するとその鋭い瞳が一瞬だけ丸くなった。

あっという間に抱き上げられ、下ろされた先はふかふかのベッドの上。

私が声を上げる間も無く上から覆い被さってくる。



「んっ…んんっ…ぁ…」



深く長いキスが続く。

その間にも少しずつ服は剥ぎ取られて。

流石に苦しくなってトンと肩を押せば、名残惜しそうに唇が離れていく 。



「はぁ…」



胸が上下するのがわかるくらい息を吸い込む。

相変わらず私の上に股がっているトラファルガーが上着を脱ぎ捨てた。

胸、腕、至るところに入ったトライバルタトゥーに目を奪われる。

頬にそっと手が伸ばされたかと思えばまたもや感じる重み。

私の体はベッドに沈んでいった。









光を感じ目をそっと開ける。

窓からは朝日が差し込んでいた。

隣には寝ている時ですら整った顔。

私はゆっくり体を起こした。



「…っ」



思わぬ腰の痛みに顔を歪める。

同時にドロッとしたものが足を伝う。

シャワー浴びないと…。

見ればそこらじゅうに着ていた服が散乱していた。

昨日の出来事を思いだしカッと顔が熱くなる。

その時、するりと腰に腕が回ってきた。



「もう、行くのか…?」



寝起きなせいか少し掠れた声。



「シャワー…浴びたいの…。ねぇ、いつここを立つ予定?」

「今日だ。昼にはログが溜まる」

「…そう」



別々の海賊なんだから当たり前のこと。

でも何故だか酷く悲しくなった。

相手は敵船の船長なのに。

言葉を交わしたのは昨日が初めてなのに。



「おれの船に来るか?エレノア。歓迎する」



ぎゅっと抱き寄せられ、腰にちゅっと痕を残す。



「寝ぼけてるの?私はそう簡単に船長を裏切ったりしないわ」

「はっ!ますます気に入った」

「ちょ、ちょっと…!」



尚も抱き込まれそうになり、慌ててその腕から抜け出す。

思わぬ言葉に心臓を鷲掴みにされたしまった。

それでも一緒には行けない。

行けるわけがない。

私には大切な仲間がいる。

だから散らばっている服から小さな紙切れを取り出して。

今だに気だるそうに横になっている彼の手に乗せる。



「ビブルカード、か」

「えぇ。受け取って」



もう一度ベッドに上がる。

そして触れるだけ。

唇を重ねた。









シャワーを浴びて、バスルームから出た時にはベッドはもぬけの殻になっていた。

もちろん部屋には誰もいない。

ご丁寧に私の服は綺麗に畳まれてベッドに置いてあった。

昨日もそうだったけど、乱暴そうに見えて意外に優しい。

"死の外科医"なんて呼ばれてるくせに。



「これ…」



重ねられた服の一番上。

先程と同じくらいの小さい紙が乗っていた。

そこには"LAW"の文字。



「…っ」



ぎゅっとそれを握りしめる。

広い広いこの新世界。

どこにいるかもわからない彼への道しるべ。

次はいつ会えるだろうか。

これはきっと私達だけの秘密の証。