深い眠りから体を起こして真っ先に自分を抱きしめていた男の腕からすり抜ける。自分の体に残っているあの男の体温が汚れているように感じて酷く気持ち悪かったからだ。男は熟睡しているのか起きる気配がない。そんな男を寝室に残し、リビングで乱雑に脱ぎ捨てられた服を拾いながら身に着けていく。気持ち悪い感覚はまだ残っているが、今は我慢しよう。
 あの男の浴室を使うぐらいなら家まで我慢したほうがずっとマシだからだ。

 忘れ物はないかもう一度確認し、それから男の部屋を後にする。玄関に置かれていた鍵を手に取って施錠し、それからエレベーターを降りて郵便入れの箱に入れた。

 昨日、酔っ払っていたからまともな判断ができなくて、あの男…七瀬さんに一泡ふかせようというつもりで家に行ってしまったことに今更後悔が出てくる。俺が悪い、バカだな、そう思いながらやり場のない怒りを抑え、それから彼のマンションを出た。


 時刻は朝の7時半。通勤ラッシュの時間の電車に揺られながら途中の大きい駅で乗り換えをする。その間もずっと頭の中はぐちゃぐちゃになっていておまけにアルコールもまだ抜けてないのか気持ち悪い。さすがに吐くほどではないが、途中の人気の少ない駅で電車から降り、近くの椅子に腰を落として頭を抱えた。傍から見れば変な人に見えるかもしれないが本気で今はそんなことよりもこの気持ち悪さをどうにかしたい。

 どれぐらい経ったのだろう、30分ぐらい過ぎたところでようやくその波が少しずつ去っていくのが分かる。今なら電車にまた乗れるかな、あと5駅ほどだし。
 こうなると分かっていたらタクシーを最初から使えばよかったのに、と自分を恨めしく思いながらも次の電車が来るまで大人しく待つことにした。


 「美津?」
 次の電車が来る2分前。呼ばれた名前に反射的に顔を上げるとそこには藤谷がいて、彼は俺の顔色の悪さに気づいたのか「どうしたんだよ、平気か?」と隣に座りながら不安そうな顔で見つめてくる。何でお前がいんの、と聞きたくなったが今は口を開く余裕すらない。
 そうこうしていたら次の電車がやってくるアナウンスが流れ、俺は立ち上がろうとしたが藤谷はフラつく俺の身体を支える。

 「この電車で帰るんだな?」

 その言葉に頷き、それから藤谷は俺を支えたまま人の少ない電車に乗り込んだ。
 当然、気持ち悪そうな相手を支えながら入ってきたら中の人は驚くだろうがそれでも藤谷は気にすることなく俺を3人掛け用の席に座らせ自分は目の前に立つことにした。

 いや、空いてるんだから座ればいいのに、とは思ったが彼は度々俯く俺の頭をそっと撫でるだけでそれ以上は触れてこようとしない。恐らくさらに気持ち悪くさせてしまうと思ったからだろう。


 電車に揺られること15分。ついに自分の家の最寄駅に着き、同時に気持ち悪さも少しずつなくなっていくのが分かる。もう自分でも立てるし歩けるけど、それを不安そうに見つめながら肩を抱いてくれる藤谷の体温が少し心地よかった。

 「…悪かったな。どこかへ行くところだったんだろ。」

 近くの自販機で藤谷は飲み水を買ってくれて、それから自分用のコーヒーも購入しながら俺の言葉に「ああ」とだけ返した。が、言葉に続きがあったようで彼はコーヒーを飲みながら次の電車を確かめるもいつものようによく分からない笑みだけを浮かべる。

 「まあいいよ。大した用事じゃなかったし。むしろ予定潰れたからさ、家まで送るよ。」

 「は…いや、悪いって。もう一人でも平気だし。」
 「そう思うならまず二日酔いになるまで飲むのやめような。お前酒に弱いんだからさ。」

 返す言葉もない。黙り込む俺に彼はクスクスと笑い、それから思いついたかのように「じゃあ今度ご飯食いに行こうぜ。それで許してあげるからさ。」と言葉を続けた。それに頷きだけを返し、それから藤谷と共になんてない会話をしながら改札をくぐり抜け、歩いて10分のところにある自分のマンションへ到着したのだ。


 「もうここまででいいよ。あとは平気。」
 「そうか?じゃあこのまま帰るとするかー。またメールでいつ行くか決めようぜ。」

 携帯を取り出しながら手を振る藤谷に少し笑い、コイツは変わらないんだなと改めて知らされた気になる。俺はそれに手を振って返し、それから自分の部屋へと向かうことにした。

 藤谷、本当は誰と会う予定だったのかは分からない。いつもの彼の香水に加え、ほんのり混ざった女物の香水は恐らく彼女のものだろう。
 もしあの後、彼女と会う予定だったのに俺の体調を優先してくれたとしたら、なんて浮かれてしまいそうなほどこの頭は好都合に解釈してくれた。本当ならそんな訳ないし、ましてやあれほど彼女溺愛している男に限ってないだろう。まあ、そんな溺愛している男と自分は身体の関係があるから断定はできない。

 (…藤谷、お前って奴は本当、憎たらしい。)

 こんなにもお前のことを好きな気持ちを隠そうとしているのに、どうしてくれるんだ。
 ますます好きになってしまうじゃないか。

夢中で走って、立ち止まって、
(いっそのこと突き放してくれた方が楽だったのに)


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毒入り苺。