これは私の、いつかの話。
どんな夢を持って、どんな生き方をしていくか。
何もなかった私を、変えた人の話。


no title


昨晩補導されたことで、進級早々、呼び出しを食らった。
24時という時間的にアウトになってしまっただけで、他に悪いことは何もしていない。
ゲーセンでたむろしていたわけでもないし、コンビニで煙草を吸っていたわけでもない。
ただ、放課後から気が済むまで走り続けた原付のガソリンを、入れていただけだ。
制服でセルフのガススタにいた所、
「どこの学校?今何時かわかる?」
と話し掛けてきた警官二人に対して、舌打ちをしてしまったのが運の尽き。
「いつもこの時間出歩いてる?」
「一応学校に連絡入れておくね」
あれよあれよと私は悪い子にされてしまった。
ガミガミと怒鳴る生徒指導の言葉は右耳から入り、左耳から抜けていった。
生徒指導室を出ると、その瞬間廊下に響き渡るほど大きな溜息を吐いた。
『お前は何がしたいんだ』
『もう二年になったんだぞ、いい加減落ち着いたらどうなんだ』
生徒指導の先公に怒鳴られた言葉が頭の中で反芻する。
「っせーんだよクソ、」
ブリーチで傷んだ髪を、くしゃくしゃと掻きながら零す。
だって、全部が、くだらない。
だって、全部全部、つまらない。
苛々したまま三階から一階までの階段を駆け下りる。
『やりたいこととか夢とか、ないのかお前は』
知らねぇよ、何したらいいかもわかんない。
毎日毎日、つまらないんだよ、とにかく。


玄関で靴を履き替え、駐輪場に向かう。
鞄から原付の鍵を引っ張り出し、エンジンをかける。
シート下からヘルメットを取り出して被ったところで、声を掛けられた。
「よう」
聞き慣れた声に顔を上げると、何台か自転車を挟んだ向こう側で、バイクに跨る男子がいた。
「すっげぇ顔」
眉間に皺を寄せ、吊り上がっているだろう目を見てそう言ってるんだろうか。
同中出身でデザイン科の三ツ谷が、怪訝そうに私を見ていた。
「呼び出しくらって反省文だよ、クソ」
「お?また何か悪いことでもした?」
私の言葉に、一瞬で表情を変え、ニヤついている。
「族のアンタよりマシだよ」
「冗談言うなよ?オレはもうカタギだし、特待生だし」
「ちっ」
思わず舌打ちをしてしまう。
またつまんないことが、起きてしまった。
中学時代に無免ノーヘルでバイクのコールを鳴らし、夜に集会する暴走族の幹部だった男。
当時手芸部の部長をしていたことや、コンクールで入賞したことで、中学を卒業した今じゃ、デザイン科の特待生だ。
そんな彼が、私は羨ましくもあり、憎たらしくもあった。
関わっていると自分の情緒に不安を感じるため、さっさと帰ろうと、原付に跨る。
「なあ」
返事をするのが嫌で、視線だけ送ると、
「原チャ、置いて帰らねぇ?」
なんてわけのわからないことを訊いてくる。
「後ろ、乗っていかね?」
つい今の今まで憎たらしいと思っていたのに、意外な言葉に惹かれてしまった。
実は中学時代から、かっこいいバイクに乗ってるなと思ってたし、コールめちゃくちゃ上手いなと思ってたし、誰かのバイクの後ろに乗せてもらうことに憧れていたし。
「え、乗せてくれんの…?」
「暇だし」
そんな理由かよ、とは敢えて言わず、私は原付から降りて、エンジンを切った。
彼は駐輪場からバイクを出す。
「メット、それでいいよな」
半キャップを被ったまま、ハンドルを握る三ツ谷の後ろに跨る。
「ちゃんと捕まっとけよ」
そう言われて、どこを掴めばいいのかわからずにいると、右腕を取られ、彼のお腹の方に回された。
細く見えるくせに、しっかりと筋肉が付いているのが、彼が着ているカーディガンの上からでもわかった。
一瞬心臓がドクン、と強く脈打って、胃の更に奥の方から何かが込み上げてくるような感覚に陥った。
そんな私の様子など微塵も気が付かない三ツ谷は、キーを回し、愛機のエンジンをかける。
中学時代、私たちはほとんど関わりがなかった。
一度も同じクラスにならなかったし、ただ悪目立ちしていただけの私とは違い、三ツ谷は暴走族でありながら部活にも力を入れていた。
そのせいか、大して教師に目をつけられることもなかったんじゃないかと思う。
高校に入ってから、同中出身で顔見知りなこともあり、顔を合わせれば挨拶したり、ちょっとした会話をする程度にはなっていた。
バイク通学の三ツ谷とは、特にこの駐輪場で顔を合わせることが多かった。
ただ、友達と言えるほどの仲ではないと、思っている。
多分、彼も同じだ。
走り出したバイクが、どこまで行くつもりなのかは敢えて訊かなかった。
三ツ谷の髪が風に靡いて、時々私のおでこをくすぐった。


「海、」
辿り着いた先は、見渡す限り海。
落ち始めている夕日が海面を照らし、オレンジ色にキラキラと光る水平線。
バイクに乗った時、腰に回した腕にあんなに緊張したのに、しばらく走っていると、落ちないか不安になって、結局しっかりとしがみついてしまっていた。
うっかり海に見惚れて、いつまでも腕を離さない私に痺れを切らしたのか、三ツ谷は私の腕を掴み、バイクから降りるよう促した。
「あ、ごめん」
「ん」
私が降りると、三ツ谷もエンジンを切ってから続いて降りた。
「海見てるとさ、自分がちっぽけだなって感じて、悩んでるの馬鹿らしくなるんだよな」
水平線の向こうを眺めて、彼はそう話す。
別に悩んでいるわけじゃないけれど、今の自分の心の内が、自然と言葉になって出てきた。
「…夜ガススタにいたら補導された」
「へぇ」
「学校終わってからさ、時々気が済むまで原チャで走んの」
どこまでも原付を走らせるのは、つまらない自分の悶々とした気持ちを、スッキリさせるためだった。
「いいじゃん」
普通ならくだらないと思われそうなことに、三ツ谷は目を細めて笑ってくれた。
「オマエさ、夢とかあんの?」
こちらを向いた彼の瞳に、夕日がキラキラと映り込んでいた。
「…んなもんあったら、こんな苦しんでないよ」
生徒指導の先公にも同じようなことを言われたのを思い出し、少し苛立ちが込み上げてくる。
夢を持っていることがそんなに偉いんだろうか。
何もない私には、やっぱり何の価値も、ないんだろうか。
「オレはさ、服とか作る仕事してぇなって思ってて」
デザイン科の特待生なんだから、そんなの当たり前だろ、と思いながらも、彼の夢語りに付き合うことにした。
「暴走族なんてやってたけど、その頃から夢は変わってなくてさ。だからデザイン科に入るための努力はしたよ」
確かにそうなんだろう。
暴走族に所属しながらも、部活を一生懸命やっていたのは、手芸部の子たちを見ていればわかった。
普通にしてたら交わらないような、おとなしそうな子達の真ん中に、三ツ谷はいつもいた。
同じクラスだった手芸部の安田さんがよく部長、部長と慕ってたな。
コンクールで賞を取るのだって、並大抵の努力じゃなかったはずだ。
これが、中学時代の私と三ツ谷に関わりがなかった所以なんだろう。
自分が夢中になれるものを、沢山持っている。
そう思うと、やっぱりこいつが、羨ましい。
「…私、何やってんだろ」
溜息混じりにそう零すと、三ツ谷は目を細めた。
「別にいいんじゃん。これから絶対何か、見つかると思うよ」
彼の長い睫毛がキラキラ光って、私は咄嗟に目を逸らした。
「とりあえず、危ねぇし遅い時間に出歩くのはやめとけ」
「……うん」
沈んでいく夕日を見ながら、泣きそうになる。
こんな私でも、何か見つけることは出来るんだろうか。


帰り道、既に薄暗くなった道路を飛ばすバイクの後ろに跨り、ずっと考えていた。
興味のあるもの、好きなこと。
今すぐに何か思いつくわけじゃなかったけれど、自分が夢中になれるものを探してみたい。
そう思わせてくれたのは、間違いなく三ツ谷だ。
家の前に着くと、彼の後ろから降りた。
「ありがとう」
「ん」
「もしかして励ましてくれたのかなって、思ったんだけど」
「別に、そんなんじゃねぇけどな。さっきよりずっといい顔してる」
また目を細めて笑う三ツ谷を見ると、私はやっぱり目を逸らしてしまう。
「気をつけて帰んなよ」
「おう」
インパルスに乗って走り去る三ツ谷の後ろ姿を、見えなくなるまでずっと、見ていた。
とりあえず、夜出歩くのは、暫く控えようと思った。


back
top