学校に着いて校舎の時計を見ると、丁度昼休みが始まる時間だった。
駐輪場に原付を置いて、玄関で靴を履き替えると、教室まで走った。
「芽衣ー!!!!!」
「ちょっと芽衣!アンタ電話くらい出なよ!」
教室に着くと、美結と優が一目散に私の所へ飛んできて、両腕に絡みついてくる。
「心配掛けてごめん」
いつもなら適当に流してしまいそうなところを、素直に謝った。
「何があった?」
「まさか何かされたの!?」
問い詰めてくる二人に、嘘は吐かない。
迷惑は掛けないから、真実だけはしっかり伝えないといけないと思った。
「原チャに落書きされた」
私の言葉に、二人はぽかんと口を開けている。
「車用品店行ったらバイク屋の人がいて、その人のバイク屋行って、消してもらってた」
「何その大事件!!!!!」
「てか何でアンタ笑ってんの?」
朝の時点で、怒りに震える行為だった、落書き。
悲しいとか悔しいとか、それで涙を流すとかじゃなくて、ただただ絶望させられた。
それなのに私は今、笑っているらしい。
「すげぇんだよ!魔法みたいに綺麗に消えたんだよ」
恐らく、紙切れ女と落書き女は同一で、三ツ谷に近しいデザイン科の女だと思う。
多分、二人もその見解に至っているはずだ。
二人が憤慨して、デザイン科に乗り込むとか、言い出しそうだったから、落書きされた内容までは言いたくなかった。
「落書きはめちゃくちゃ腹立つけど、何故か芽衣の目がキラキラしてるから複雑だわ」
「もう何も怖くねぇ」
私の言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあスーパーポジティブになった芽衣ちゃんに、このあんぱんをあげよう!」
「うっわマジか!腹減ってた!」
「お食べ」
差し出されたあんぱんを咥えて、三人でバカみたいに笑った。
心配掛けてしまったけど、それでも二人は受け入れてくれた。
「おい吉野!」
賑やかな昼休みの教室が、一瞬で静まり返った。
声のする方を見ると、生徒指導が教室の入口にいた。
久しぶりに会ったけど、いつ見ても憎たらしい。
「放課後生徒指導室!以上!」
宿敵の生徒指導がそう言い放ち、即座に去っていった。
「でしょうね」
眉間に皺が寄る。
「午前中サボってたことかな?」
「いやそれ芽衣悪くないだろ!」
「いやでもサボったの事実だし…」
仕方ないと思った私と、正反対な意見の二人。
「「落書き女を指導しろや!」」
「それは間違いねーわ」
放課後、久しぶりに大嫌いなルートを走る。
生徒指導室までの階段を駆け上がった。
ノックをしてから扉を開くと、憎き生徒指導と目が合った。
「吉野、お前午前中何してた」
一言目がそれかよ、と思ったことは口に出さずに、室内に入って、扉を閉めた。
「最近大人しくしてると思ったらこれか」
一歩前に進むと、見覚えのある後ろ頭が見えた。
入口からでは、物陰に隠れていて気付かなかった。
振り返ったそいつは、無表情だった。
「なぁ三ツ谷、お前吉野と友達なんだろ?どうなってるんだ」
生徒指導が三ツ谷に文句を言って、急に頭に血が上った。
「こいつ関係ねぇじゃん!」
そう言い放つと、三ツ谷と目が合った。
「朝は来てたけどな。玄関で会ったし。急いで出ていった」
三ツ谷は事実を述べると、表情を変えずに私の目を見た。
「何があった?」
そんなことを訊かれても、答える気はさらさらなかった。
私と落書き女の問題だ。
いくら三ツ谷絡みとはいえ、本人に言うのは違う気がした。
「別に、ムカつくことあったからサボっただけ」
昼から来たんだからまだいいだろ、と思いながら、私は窓の外の遠くの方を見た。
「気に入らないことがあったら学校サボるのか?許されると思ってるのか!?」
耳にタコができるほど、聞き慣れた生徒指導の怒鳴り声。
「まぁまぁ、先生。昼から来たんだし、いいんじゃねぇっすか」
バチバチに睨み合う生徒指導と私の間に三ツ谷が割って入ると、生徒指導は小さく溜息を吐いた。
「今回は三ツ谷に免じて許すが、今後は無断でサボるな」
無断じゃなきゃいいのかよ、と思いながら、機械のように返事をした。
「はいわかりました」
私の返事に呆れたのか、生徒指導は大きな溜息を吐いた。
「今日はもういい」
生徒指導は気が済んだのか、私たちに帰るよう促した。
生徒指導室を出ると、三ツ谷も続いて退室した。
彼と目も合わせず、そのまま階段へ向かう。
「おい、待てよ」
返事をせずに歩みを進めると、後ろから大きな溜息が聞こえる。
「困ったことあったら言えよって言ったの、忘れたのか?」
三ツ谷がくれた言葉を、ひとつだって忘れるはずがない。
ただ、今回に関しては言いたくない。
それだけだ。
「別に困ってねぇから」
振り返らずにそう答えると、近付いてきた三ツ谷に後ろ頭を小突かれた。
「いてぇな!」
思わず振り返ると、三ツ谷のその目に、悲しみの色が見えた。
初めて見るその表情に、心臓を抜かれたかのように何も考えられなくなった。
「何で言わねぇんだよ」
「言う必要、ねぇだろ……」
「………そうか」
絶対に言わないと食い下がる私に、三ツ谷は諦めたように、階段を下りていった。
その後ろ姿を見て、困惑した。
だって言ったら、三ツ谷に迷惑が掛かる。
だから言わないと決めたのに、呆れられてしまった気がして、何だか悲しくなってくる。
暫くその場に立ち尽くして、動けなかった。
「夏休みだー!!!!!」
一週間が経った。
終業式が終わり、夏休みに入る。
生徒指導室に呼ばれたあの日から、三ツ谷とは何となく気まずい。
駐輪場で会わないように、極端に早く来たり、遅く来たりして調整しながら、顔を合わせないようにしていた。
帰りは二人と教室でくだらない話をして時間を潰し、とにかく三ツ谷に会わないように徹底した。
そのせいか、落書き女からの追撃は、今のところない。
「海行く計画立てようね」
「いっぱい遊ぼー!!!!!」
三人で玄関に向かいながら、話題は夏休みのことばかりだ。
はしゃぐ二人を見て、この夏何かしたいと考えていたことを思い出した。
何、と言われても自分には何もなかったことも同時に思い出して、溜息を吐いた。
「夏休み入ったら、銀髪お洒落くんにもなかなか会えなくなるんじゃない?」
美結の問いかけに、苦笑いを返す。
「実は今気まずいんだよね」
「何でよ!」
「喧嘩でもした?」
「喧嘩っていうか……落書きのことアイツには言ってないんだけどさ」
「そりゃ言えないわな」
「それで怒らせたみたいで」
「「は?」」
声を揃えて、二人は眉を顰めた。
「いや何で?言えるわけないじゃん!」
プリプリ怒っている美結とは真逆に冷静な様子でで、優は言った。
「あー、よく考えたらそれさ、頼ってもらえなくて寂しいんじゃないの?」
「あぁ、そっち!あるな!」
頼ってもらえなくて?
アイツ私に頼ってほしいのか?
「ほら、気に掛けてるんだからさ、困ってたら力になりたいとか、そんな感じのやつ」
確かに、困ったことがあったら言えとは言っていたけど。
「どこまで面倒見良いんだよクソ三ツ谷…」
「ほっとけないんだろうね!」
二人の見解を聞くと、何だかそれが正しい気がしてきた。
今までだって、無条件に私を気に掛けてくれていたアイツのことだから、申し訳なさが一瞬頭を過ぎった、けど。
「でも、言えなくね?」
「言えねーわ!」
「今回ばかりは言わんでもいいんじゃん?」
「だよなぁ」
玄関を出ると、空は晴れ渡っている。
「じゃ、夏休みいっぱい遊ぼーね」
「連絡するねー!」
「はいよ」
駐輪場で二人と別れ、原付の前まで行くと、また頭の中がぐちゃぐちゃになった。
どうしたって言えないことだってある。
「何ボーッとしてんだ?」
少し離れたところから声がする。
声の主が三ツ谷であることに気付きながら、すぐに返事はできなかった。
まさかここにいるとは思わず、心拍数が上がっていくのがわかる。
「おい、また無視か?その遊びつまんねぇからやめねぇ?」
少し笑ったような彼の声色に、ほんのちょっとだけ、ホッとしてしまった。
「遊びじゃねぇよクソ」
「口悪ぃな」
笑っている三ツ谷のほうに視線をやらずに答えながら、シート下から取り出した半キャップを被った。
「明日、何してんの」
「何も」
せいぜい原付でその辺走っているくらいだ。
「迎え行くわ」
「は?」
唐突な言葉に、思わず三ツ谷の方を見た。
「やっとこっち見た」
バイクに跨り、無表情でこちらを見ていた。
「ちゃんと家にいろよ」
そう言うと、三ツ谷はバイクのエンジンを掛け、走り出した。
突然の誘いに、また頭が混乱した。
「怒ってんじゃなかったのかよ…」
独り言を言いながら、生徒指導室を出た後のやり取りを思い出す。
暫く動けなかった私を置いて階段を下りていった後ろ姿は、確実に呆れていたか怒っていたはずだ。
それとも私の考えすぎだったのか、結局、私は三ツ谷のことが何もわからなかった。
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