夏休み初日、外から聞こえるバイクの排気音で目が覚める。
枕元の時計に目をやると、9時半。
初日からだらしないスタートを切ってしまったと思いつつ、断続的にエンジンをふかす大きな音に、耳を塞ぎたくなった。
そのやかましい音を立てている主が誰かなんてすぐにわかったし、近所迷惑だから今すぐやめて欲しい。
「うっせぇんだよボケェ!」
窓を開け、外に向かってそう怒鳴ると、すぐにその大きな音は止み、下にいた三ツ谷がこちらを見上げた。
「あー、わり、寝てると思ってよー」
ニヤニヤしながら、クソつまらないことを述べている。
もうカタギだとか言ってたくせに、バイクのエンジンふかす音で人を起こすバカが、どこにいるんだよ。
「エンジン切って待っとけや、クソ」
バタバタと階段を下り、顔を洗い、着替えて外に出るまで約10分。
「何ですっぴんで外出なきゃいけねぇんだよ」
「そんな変わんねぇだろ…バッチリ化粧してなきゃ行けねぇとこじゃねぇから安心しろ」
文句を言いながら三ツ谷の前まで来ると、彼は笑った。
「吉野、何処までも行きたいって言ってたの、覚えてるか?」
あの海で、私が持った小さな夢だ。
忘れるはずがない。
「そのヒントになるかもしれねぇとこに行くぞ。乗れ」
車庫からヘルメットを出してきて被ると、タンデムシートに跨った。
三ツ谷の腰に腕を回すと、バイクは走り出す。
一体何をしているのか、自分でもわからなくなってくる。
ただ、こんなふうに突然どこかに出掛けたり、喧嘩したりして、私たちは本当に、友達になったんだなと思った。
それならそれで、いいと思った。


しばらく走った街中で、バイクが停る。
右腕をトントン、と叩かれ、私はバイクを降りた。
「え、」
地に足を着けると、目に入ったガラス張りの店の前で、私は目を丸くした。
バイクのエンジンを切って、私に続いて降りた三ツ谷は、ヘルメットを外しながら話す。
「オレの仲間の店」
三ツ谷は慣れた様子で、店内に入っていく。
慌ててついて行くと、店の奥の方から出てきたのは、あのつなぎを着たドラケンだった。
「よぉ、三ツ谷、待ってたぜ!久しぶりじゃねぇか?」
「あぁ、頼んでたメンテ頼むわ、ドラケン」
何が何だかわからず、親しげに話す二人をぼーっと見ていると、ドラケンがこちらに気付いて、目を丸くした。
「芽衣ちゃんじゃん!三ツ谷の嫁だったのかよ!」
「あ?」
まだ頭の中の処理が追いつかなくて、何も答えずにいると、三ツ谷は振り返ってこちらを見た。
「何だよ芽衣ちゃんって。オマエら知り合い?」
「知り合い以上だよなぁ、芽衣ちゃん」
確かに、知り合い以上、間違いなく彼らは恩人だ。
にっこりと笑うドラケンに、つられて笑う。
「あ、うん。この前はありがとう」
ドラケンに先日のお礼を言うと、三ツ谷は唇を尖らせ、眉間に皺を寄せた。
「何か気に入らねぇな」
「あ?何だよ三ツ谷、やんのか?」
ドラケンがニヤニヤしながらそう言うと、三ツ谷が笑った。
「バカヤロウ、オマエと喧嘩なんてするわけねぇだろ」
「だよなぁ」
二人のやり取りを見ていると、本当に仲が良さそうで、微笑ましかった。
「で?バイクのメンテついでに嫁の紹介に来たってわけ?」
ちらりとこちらを見たドラケンと目が合い、私は慌てて目を逸らした。
「バーカ、嫁じゃねぇよ」
頭を掻きながらそう言う三ツ谷の背中を見て、友達なんだと、ハッキリ言われた気がした。
それも、何故か悔しくない。
三ツ谷が話した事実に、傷つくはずもなかった。
「まぁ、ゆっくりしてけや。芽衣ちゃんも、適当にバイクとか見てていいから」
「ありがと」
ドラケンが店先に出ると、三ツ谷はソファーに座り、ローテーブルに置いてある雑誌に手を伸ばした。
隣に座るのも気が引けて、店内に並ぶバイクを眺めることにした。
暫く、並ぶバイクを一台ずつじっくりと見ていると、店の奥からイヌピーがやって来た。
「あれ?芽衣?」
「この間ぶり」
「来てたのかよ。何か困り事か?」
「ううん、」
イヌピーの問い掛けを否定して、ちらりと三ツ谷の方を見ると、無表情の彼と目が合った。
私の視線につられるように、イヌピーもそちらを見た。
「もしかして三ツ谷と来た?」
少し驚いた様子のイヌピーに、返事をする。
「うん。友達」
「そうか。また何か困ってんのかと思ったけど、大丈夫そうだな」
目を細めるイヌピーの、長い睫毛が揺れる。
「単車、興味持った?」
「族車じゃなきゃ、乗ってみたい気がする」
「一応言っておくけど、あの日はたまたま昔のバイク乗ってただけでもうほとんど族車乗ってねぇからな」
「へぇ」
笑いながら話すイヌピーに短く返事をして、目の前のバイクの値段を見ると、目が飛び出しそうになった。
「高っ」
正直な声が漏れてしまい、その値段が何桁なのか指で数えていると、イヌピーは笑った。
「そのバイクはプレミアだから」
「マジか…」
「こっちなんかは、女性ライダーも多い」
イヌピーが指したバイクは、めちゃくちゃかっこよかった。
プレミアのついたバイクよりは、まだ現実的な値段だった。
こうして見ていると、何だか少しづつ、興味を持ってしまうから不思議だ。
並ぶバイクを再びじっくり見始めると、イヌピーは三ツ谷の座るソファーの方へ移動し、その隣に腰掛け、何やら楽しそうに話し始めた。
三ツ谷と二人がどんな関係なのかはわからないけど、良い仲間なんだろうな、というのはわかった。


「おーい、三ツ谷、終わったぞー」
ドラケンが店の扉を開けると、三ツ谷とイヌピーが立ち上がり、外へ出た。
店内にあるバイクを夢中になって見ているうちに、メンテナンスが終わったらしい。
「芽衣、帰んぞ」
三ツ谷にそう呼ばれて、私は驚いて声のする店の入口を見た。
「何だよ、変な顔して」
なに名前で呼んでんだよ、と言おうとして、やめた。
サラッと呼ばれたことが、驚き以上に、嬉しかった。
何となく一歩、前に進んだ気がして。
店の外に出ると、イヌピーとドラケンが三ツ谷のバイクの横に並んで立っていた。
「芽衣ちゃん、あれから嫌がらせされてねぇか?」
ドラケンにそう訊かれて、心臓が浮き上がるような感覚に一瞬陥った。
心配そうな表情をしてくれているドラケンには申し訳ないけど、三ツ谷には知られたくない。
「あ、あぁ」
問い詰められたらまた喧嘩になるかもしれない、と思い、上手く返答出来ずにいると、イヌピーが知ってか知らずか、話を逸らしてくれた。
「またいつでも遊びに来な。今度はバイク、ふかさしてやるよ」
「あ、うん、ありがとう」
店内に並べられたバイクを、もう一度ガラス越しに見ると、何故か胸がドキドキと強く脈打った。
「三ツ谷、学校頑張れよ」
「おー、まぁ夏休みなんだけどな」
ドラケンの言葉に返事をしながらバイクに跨った三ツ谷の顔は、いつもと変わらない楽しそうな笑顔だった。
その表情に安心して、半キャップを被ってから三ツ谷の後ろに乗った。
「二人ともまた来いよー」
ドラケンの一言を合図に、インパルスは走り出した。


近くのコンビニに入り停車すると、三ツ谷に右腕を叩かれる。
コンビニに何の用があるのかわからなかったけど、ひとまずバイクから降りた。
私に続いて降りた三ツ谷は、ヘルメットを外しながらコンビニの入口へ向かった。
「腹減ったし何か買ってこうぜ」
ポケットに入れっぱなしだった携帯の時計を見ると、お昼を過ぎていた。
昼飯でも買って帰るんだろうか。
私はというと、バイク屋の居心地が良くて、朝食すら摂っていなかったのに、お腹が空くのもすっかり忘れてしまっていた。
店内に入って、適当なおにぎりとあんぱんとお茶を買って、コンビニの外に出ると、大きく伸びをした三ツ谷が言った。
「なぁ、海行かね?」
「海?」
「そ」
特に予定もないし、帰ってからしなきゃならないことも何もない。
「まぁ、いいけど…」
「海でおにぎり食うとか、なんか良くね?」
悪くはないんだけど、唐突過ぎる。
急に名前で呼んだり、海に行くって言ったり。
やっぱり三ツ谷の考えてることはわからない。
半キャップを被りバイクに跨った三ツ谷に続いて、私も再びその後ろに乗ると、小さく溜息を吐いた。


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