「海だ」
「海だな」
バイクを停めて降りると、どちらからともなく防波堤に並んで腰掛けた。
見下ろす砂浜は、多くの海水浴客で溢れかえっている。
「あちぃな」
「そりゃね」
日焼け止めくらい塗ってくればよかったと少し後悔した。
強い日差しの下、買ってきたおにぎりを袋から出した。
「とりあえず腹ごしらえだな」
「ん」
とりあえず、という言葉に若干引っかかる。
腹ごしらえの後に待っているのは説教か尋問かだろうなと、ぼんやり考えていた。
暫く無言で、お互いおにぎりを齧る。
食べ終えたおにぎりの包みをビニール袋に放り込むと、次はあんぱんの袋を開ける。
それを口にすると、三ツ谷がこちらをちらりと見た。
「あのコンビニのあんぱん食ったことねぇんだよな」
もぐもぐとおにぎりを咀嚼しながら、三ツ谷があんぱんを見ている。
「食ってみる?」
何の気なしにあんぱんを差し出してから、いやいや食べないだろ、と思い、その手を引っ込めようとすると、三ツ谷は躊躇なくあんぱんに齧りついた。
「ん、うめぇ」
目を細めた三ツ谷と目が合って、一気に頬の熱が上がった。
何てことをしてしまったんだと恥ずかしくなる私の気持ちなんて少しも気付かない様子で、三ツ谷はまた自分のおにぎりを齧りだした。
三ツ谷の齧ったあんぱんとしばらく睨めっこする。
彼が何も考えてなさそうなのを幸運と思い、何事もなかったかのようにそれを齧ればいいだけなのに、煩悩が邪魔をして、だんだん混乱してくる。
「もしかして腹いっぱい?」
そう問い掛けられて、咄嗟にあんぱんを口にした。
「んなわけない」
平静を装って、返事をする。
耳がまだ熱い。
気付かれないといいな、と思いながら、あんぱんを一気に口内に放り込んだ。
何とかそれを胃袋に収めて、ペットボトルのお茶を飲むと、隣から視線を感じた。
「…何?」
「オレに言いたいこと、ねぇか?」
やっぱり、尋問が始まった。
さっきのドラケンの言葉が、三ツ谷にはしっかり聞こえていたのかもしれない。
言うか言うまいか考えていると、三ツ谷は小さく溜息を吐いた。
「何か知らねぇけどドラケンとイヌピーと仲良くなってるし」
「それは、」
言いかけて、また考える。
二人と知り合ったきっかけは、落書きだ。
少し考えている間、三ツ谷は無表情のまま、私の言葉を待っている様子だった。
「…原チャに、落書きされたんだよ」
「は?」
誰がやったかなんて、まだわかっちゃいない。
予想でしかなくて、確証がない。
それなら事実だけを伝えればいい。
「いつ?誰に?オマエ、何でそんな大事なこと言わねぇの」
三ツ谷は眉を顰めて、突然、ペットボトルを持つ私の腕を掴んだ。
「いや別に…迷惑掛けたくねぇし…誰にやられたかもわかんねぇから」
目を逸らしてボソボソ話すと、彼は溜息を吐いた。
「オマエさぁ、そんなん迷惑なわけねぇだろ?」
「いやだって、三ツ谷面倒見よすぎるから、一緒に消してやるとか言ってきそうだし」
「それでドラケンとこ行ったってわけ?」
「消すための道具買いに行ったら、たまたまイヌピーと会って、消してくれるって言うから」
「へぇ」
三ツ谷は、掴んでいた私の腕を離すと、つまらなそうに頭を掻きながら返事した。
「…オレよりあの二人頼ったってこと?」
いつもよりワントーン低い声でそう言われて、怒っているのを感じ取った。
「だってプロに任せるのが一番早いじゃん」
私もつまらない言い方をしてしまったと思う。
三ツ谷は返事をせず、顔を顰めたままそっぽを向いた。
やっぱり、問い詰められたら絶対喧嘩になると思ってた。
だから言いたくなかったのに。
そもそも、何で三ツ谷が怒るのかがわからない。
迷惑掛けたくなかっただけだし、原因がアンタかもしれないから言いたくなかっただけなのに。
何だか悔しくなってきて、泣きたくなる。
涙が溢れてくるのを見られたくなくて俯いた。


「あぁー、違ぇ!!!」
暫く俯いていると、突然大きな声が放たれて、体がビクッと反応してしまう。
その直後に、正反対な優しい声がした。
「違ぇな。オマエは間違ってねぇよ。オレが勝手に悔しかっただけだワ」
「……何それ」
涙を堪えて顔を上げ、三ツ谷の方を見ると、彼は眉を下げていた。
「傍にいるオレより、他のヤツ頼られたことが、勝手に悔しかっただけ」
その言葉に驚いて目を見開くと、堪えていた涙が落ちた。
「力になれなかったのが、悔しかっただけだ」
そう言った三ツ谷の腕が伸びてきて、頭を撫でられる。
「……わり、また泣かせちまったな」
「泣いてねぇし」
強がりを言って瞼を擦ると、三ツ谷は笑った。
笑ったかと思えば、またすぐに優しく目を細める。
「海に来れば、オマエの本心聞けるんじゃねぇかなって思っちまった」
確かに、いつだって私が三ツ谷に本心を話せるのは、海だからかもしれない。


「落書きの犯人、心当たりあんの?」
「んー…」
考えるふりをする。
だいたい見当はついているけど、勿論それを言うつもりは微塵もなかった。
「昔の仲間とかは?」
「いやだって、学…」
学校で、と言うのを途中でやめた。
昔関わったヤツには、恨みを買っていても仕方ないかもしれない。
ただ、今回に関しては学校内で、三ツ谷に近しい人間であることは確かだ。
「わかんねぇ。こんなんだし、いろんなとこから恨み買ってるかもね」
「全然わかんねぇのか。犯人捕まえんなら協力するけど」
頼もしいことを言ってくれる三ツ谷には申し訳ないけど、その必要はない。
「あれから何もしてこねぇから、もういいや」
「え、」
「無駄な争いとか、もうしたくないし」
私がそう言うと、三ツ谷は目を細めて微笑んだ。
「最近オマエ、だいぶ角が取れたよな」
「は?」
「優しくなった」
「、どこがだよ」
少なくとも、三ツ谷に対してはイライラしてしまったり、無視してみたり、優しくした記憶はない。
「芽衣、」
さっき、バイク屋で呼ばれたっきりだった名前。
再び聞くと、何だか擽ったい。
やっぱり訊いた方がいいんだろうか。
何で急に名前で呼び始めたんだって。


「好きだよ」
全然違うことを考えていた私の耳に響いたその言葉に、驚愕する。
もしかしたら、聞き間違いかもしれない。
頭が混乱して、開いた口が塞がらない。
自分がどんな可笑しな顔をしているか、想像するのが容易いくらい。
暫く三ツ谷の目を見たまま固まり、頭の中でごちゃごちゃ考えていると、
「ふっ、……冗談だよ」
三ツ谷は、吹き出してそう言った。
「………え?は?」
「いや、オマエそんな有り得ねぇみたいな顔すんなよ。ひでぇヤツ」
言っていい冗談と、悪い冗談がある。
これは明らかに後者だ。
頬から熱が引いて、眉間に皺が寄っていくのが、自分でもよくわかる。
「てめぇ…ひでぇのはどっちだよ」
一瞬、その優しい声のトーンに、本気で考えてしまった自分がバカバカしくて、恥ずかしい。
「じゃあ何?冗談じゃなかったらどうすんだ?」
ニヤニヤしながら、そう訊いてくる三ツ谷は、やっぱり最高にクソヤロウだった。
「冗談じゃねぇわけねーし。友達なんだろ?」
冗談じゃなかったら、なんて考える余裕はなかった。
だって、私たちは友達なんだって、納得したばかりだった。
「だよな、そう言うと思った」
意地悪な笑顔を見せる三ツ谷を見たら、ぶっ飛ばしたくなった。
冗談以外に、有り得ない。
私が三ツ谷を好きになる理由は、今まで山ほどあったけど、彼が私を好きになる要素なんて、ひとつもない。
そう思うとやっぱり、私には何にもないんだなあと、つくづく思った。
負の考えに支配されないように、海の向こうを眺めながら話題を逸らす。
「一年の頃、別に仲良くなかったじゃん?こんなふうに冗談言ったり出掛けたりって、想像もつかなかったわ」
「あぁ、まぁな。挨拶程度だったもんな」
「私の中で三ツ谷の存在こんなんだったし」
親指と人差し指で、少し、のジェスチャーをすると、三ツ谷は笑った。
「オレはそんなことなかったけどな」
「は?」
「言ったじゃん。気に掛けてたって」
「あぁ、そっか」
「一年の春に、オマエひでぇ顔面で学校来たことあっただろ?」
「あー…懐かしいな」
当時、新宿を仕切っていたレディースのメンバーと、タイマンでボロ負けした翌日の話だ。
「あれから、同中のよしみで気に掛けてたんだよ」
「へぇ」
「その時が最初だな、生徒指導に呼ばれたの」
「マジかよ…」
そんなに前から生徒指導に呼ばれていたのは知らなかったし、今思えば、ただただ迷惑を掛けてしまっただけで、申し訳なさが込み上げてくる。
「まぁ、中学の時は全然交流なかったから、オレは何も知らねぇって話して、終わった」
確かあの時は、玄関で会った三ツ谷に、喧嘩?って訊かれて肯定したくらいだったな。
「その後暫くは、特に呼ばれなかったんだよなぁ」
「そこまで目立つことはしなかったし」
たまに呼び出されても、せいぜいサボるなとか授業中寝るなとか、その程度。
逆に、何故その程度でいちいち呼び出されるのかその時はわからなかったけど、多分入学早々の傷だらけの顔面でレッテルを貼られたからだと思う。
「で、二回目はオマエが補導された時」
生徒指導の犬だと疑った一件だ。
「話を聞いてやってくれ、他に頼めるヤツがいないんだって言われたな」
確かに、いつもつるんでる美結と優じゃ、私の良いようにするに決まってるから、頼めなかったんだろう。
「オマエには避けられるし、引き受けなきゃ良かったと思ったけど。まぁ、あれはいいきっかけでもあったかな」
「きっかけ?」
「オレらが挨拶程度の間柄から、ちゃんと友達になれたいいきっかけだろ」
「まぁ…確かにね」
仲良くなったきっかけが生徒指導ってのが気に入らねぇけど。
結果オーライなのかもしれない。
三ツ谷と仲良くならなかったら、私は今この海にはいないし、今では大切で仕方ない美結と優に対しても、世話を焼いてくれるクラスの友達、くらいに思い続けていたかもしれない。
三ツ谷が、私の生活を、少しずつ変えてくれたんだ、と気付いてしまった。
「……三ツ谷はすげぇな」
「は?何が?」
「全部が」
「意味わかんねぇ」
三ツ谷はそう言いながら、目を細めて大きな口を開けて笑った。
その笑った顔が、私を前向きにさせてるんだよ。
知らないでしょ?


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