妙に気になる女子がいた。
恋愛とかそっちじゃなくて、どんなヤツなのかなって、気になる女子。
一度も同じクラスになったことはないけど、彼女はとても目立つ存在だった。
入学当初から染めた髪、時々、顔に絆創膏を貼って来ていて、彼女は基本的にはいつも一人でいた。
中三のある冬の日、部活に行くために家庭科室に向かっていると、その女子とすれ違った。
左目に眼帯、口の端に絆創膏を貼っていた。
顔には他にも無数の傷があった。
オレも喧嘩は腐るほどしてきたが、女子の顔面が傷だらけなのは見慣れていない。


「なぁ、安田さん」
「何ですか?部長」
家庭科室に行くと、ミシンで卒業制作を進めている安田さんの所へ、真っ先に行った。
「吉野芽衣と同じクラスだったよな」
「そうですけど、吉野さんがどうかしたんですか?」
「何か傷だらけだったけど」
「あぁ、他校の子と喧嘩したらしいですよ。朝から先生に説教されてました」
「へぇ」
レディースの暴走族もそう珍しくはない。
だけどうちの中学にも、あそこまでケガする程の喧嘩をするような女子がいたとは。
「暴走族かなんか入ってんのかな」
「さぁ…彼女いつも一人でいるんで、話しかけにくくて…」
「へぇ」
部活が終わり、家庭科室の鍵を職員室に返しに行く途中、もう誰もいないはずの教室に、明かりがついていた。
中を覗いてみると、吉野さんが、窓側の席に座っていた。
「吉野さん、帰んねぇの?」
そう声を掛けると、驚いた様子で彼女は席から立ち上がった。
「帰るよ」
吉野さんは鞄を背負うと、オレとは目も合わさず、教室を出ようとした。
「その傷、喧嘩?」
咄嗟に訊いてしまってから、訊かれたくないこともあんだろ、と思い直して、後悔した。
「……別に」
それだけ告げて、彼女は去った。
多分、訊かれたくないことだったんだろうし、関わったこともないヤツになんて、話すわけないよな、と思いながら、同時に別のことも考えていた。
「………もったいねぇ」
綺麗な顔をしているのに、あんなに傷だらけになって。




「なぁ三ツ谷、最近新宿のレディースがめちゃくちゃ勢力伸ばしてるらしくてよー」
東卍の集会の後、ドラケンに話し掛けられ、オレはふと、彼女のことを思い出した。
「そこら中から集めてきてデカくしてるって話だぜ」
「へぇ」
「捕まえてきたやつを総長がノシて、スカウトするらしい」
「マジ?随分手荒だな」
「有無も言わせねぇ感じだよなぁ」
同じ不良でも、関わることは今までなかったし、レディースの暴走族のことは、正直あんまり知らなかった。
「オレらと同じで、譲れねぇモンのために闘ったりすんだろうな」
あの子にも、譲れねぇモンとかあったりすんのかな、なんて呑気に考えていた。




二月、オレは天竺戦前の集会に向かう途中で奇襲を掛けられ、一週間程入院した。
オレは不在だったけど、マイキー率いる東卍は天竺に無事勝利した。
それからのオレの気掛かりは、手芸部の卒業制作のことだった。
手芸コンクールに出した作品が入賞したことで、デザイン科のある高校から、特待生として入学しないかと声を掛けてもらった。
ウチが大変なこともあって、高校には行かずに独学でデザインの勉強をしようと思っていたが、母ちゃんが背中を押してくれて、オレは高校に進学することを決めた。
オレが手芸部でやってきたことの集大成である卒業制作は、入る高校の偉い人たちにも見られる予定だし、とにかく大事だった。
退院してすぐ学校に行って、卒業制作の仕上げに取り掛かった。
「三ツ谷部長、大丈夫なんですか?」
「おー、これ仕上げねぇと卒業できねぇからな」
オレの体調を気遣ってくれる部員たちに申し訳なさが溢れ、感謝の思いを伝えた。
「オレがいない間、頑張ってくれてありがとな」
「勿論です!私たち今まで散々部長にお世話になりましたから!」
安田さんを中心に、チームワークを発揮して、無事に期限までに卒業制作を完成させた。




三月八日、マイキーの決断で東卍は解散。
名残惜しさも寂しさもあったけど、それぞれの新たな道へのスタートでもあった。
数日後、卒業式の会場である体育館に、オレたち手芸部の卒業制作が飾られた。
卒業式の後、家庭科室に足を運ぶと、そこには部員のみんながいた。
「三ツ谷部長!卒業おめでとうございます!」
「ホントに卒業しちゃうんですね…」
「またいつでも遊びに来てください!」
そんな在校生の言葉を聞くと、あぁ、この手芸部もホントに今日が最後なんだなって、寂しくなっちまった。
「私は高校行っても手芸部続けるんだ」
「私たち三ツ谷部長のおかげで、手芸の楽しさ知ったもんね」
「三ツ谷部長は凄いよね、デザイン科に行くんだから」
そう言われ、返事をしようとすると、何故かオレについてきていたぺーやんが発した。
「いやぁ、ラッキーだっただけだよ、三ツ谷は!」
「うるせぇヤツ」
オレが笑うと、安田さんがぺーやんの背中を叩いた。
「いてぇな!!!」
「何で最後まで林くんがいるのよ!」
「え、あ、あぁ、ごめん」
安田さんの大きな声に怯んだペーやんが、めちゃくちゃ可笑しかった。
笑っているオレに、安田さんが言った。
「そういえば、三ツ谷部長が前に気にしてた吉野さん、部長と同じ高校らしいですよ」
「え?」
「卒業だし、最後に勇気出して声掛けてみたんです。進路聞いたら三ツ谷部長と同じ高校だったんで、びっくりしました」
そう言いながら、安田さんは卒業アルバムの寄せ書きのページを見せてきた。
「話したことなかったのに、こんなに素敵なこと書いてくれるんですよ!もっと早く声掛けたらよかった」
「……そうだな」
"一年の頃から、いつも一生懸命部活のことを考えている安田さんのこと、かっこいいなと思ってました"
そのたった一行で、彼女がどんな人間なのか、少しわかった気がして、高校に行ったら、絶対に話し掛けようと思った。




四月、高校の入学式の帰り、玄関で靴を履き替えていると、吉野さんを見掛けた。
絶対話し掛けるって決めてたから、何の躊躇もなく近くに行って声を掛けた。
「吉野さん、オレ同中の、」
「三ツ谷でしょ?」
言い切る前に、彼女の口からオレの名前が出てきた。
オレのことをちゃんと認識してくれていたことに、正直驚いた。
「一回話したことあったから」
「あぁ、そうだっけ」
訊かれたくないことを訊いてしまったあの時のことには触れない方がいいと思って、敢えて忘れたフリをした。
「あと、"さん付け"やめて、気持ち悪いから」
「え、あぁ…」
気持ち悪い、という言葉に少しダメージを食らった。
それを悟られないように表情を変えないよう努めた直後、彼女は何か察したように、直ぐに言葉を付け足した。
「アンタが気持ち悪いって意味じゃなくて。慣れないから」
「あぁ、そっち…」
「私も三ツ谷って呼ぶし」
「おう」
「学科違うからあんま関わりないかもしんないけど」
「だな」
「じゃあ、また」
「おー」
初めてここまで会話をした吉野の印象は、芯が強くてキツそうに見えるけど、意外と人に気を遣えるヤツかもってとこだったかな。




それから暫く、偶然でも学校で顔を合わせることはなかった。
入学して数週間後の放課後、生徒指導室に突然呼び出された時には驚いた。
「三ツ谷、普通科の吉野芽衣と同じ中学だよな?」
「そうっすけど」
「特待生で、しかも学科が違うお前に訊くのも悪いが、あいつ何があったんだ?」
「え?」
偶然でも会ってなかったし、何も知らなかったオレは、生徒指導の言葉を聞いて、玄関まで走った。
吉野の下駄箱を見ると、まだ靴があった。
何処にいるのかはわからない。
玄関の外の階段に座り込み、ただひたすら彼女が来るのを待った。
「芽衣ちゃん、ホントに大丈夫なの!?」
「大丈夫だって、慣れっこだから」
「気をつけて帰んなよね」
「おー」
「また明日ー!」
そんな会話が聞こえた直後、バタバタと走り去る足音が聞こえて、会話の相手は去っていったようだった。
中学時代、いつも一人でいた彼女の傍には、今はちゃんと誰かがいるみたいで、何故かホッとした。
『吉野、今日傷だらけで来たんだよ。何か知らないか?』
生徒指導の言葉を思い出していると、玄関から出てきた彼女がオレの視界に入った。
「おー、吉野」
いかにも偶然を装い、その後ろ姿に声を掛けた。
「あぁ、三ツ谷」
振り返った彼女を見て、あの日のことを思い出した。
左目に眼帯、口の端に絆創膏。
あの日と同じようなケガの仕方だった。
「喧嘩?」
「あー、………うん」
あの日と同じ。
訊かれたくないことかもしれない。
それでも、オレと目を合わせて返事をしてくれたことで、訊きたくなってしまった。
「大丈夫か?」
「……うん」
あの日、関わって欲しくなさそうな目をしていた彼女は、今日はきまり悪そうに笑った。
オレはもうカタギだし、何かなければ喧嘩することなんて、多分ない。
それでも、だ。
「何か困ったらいつでも言えよ」
傷だらけな吉野の、力になれることがもしもあるなら、なりたいと思った。
「あぁ、ありがと」
そう返事をして帰っていく吉野の後ろ姿を、見えなくなるまで、ずっと眺めていた。
後に、彼女が原チャリの免許を取って、駐輪場でそれまで以上に顔を合わせることになる。
この時はまだ、オレたちがお互いいろんな顔を見せ合うことになるなんて、想像もしてなかったな。


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