今から約二年前。
中二の冬だった。
同小出身で、別の中学に通うサトミと深夜徘徊していた私は、レディースの暴走族に入らないかと誘われた。
声を掛けてきたのは、特服を着た派手な三人組だった。
群れることが苦手で、そもそも暴走族に全く興味のなかった私は、その場で適当に断った。
サトミの方は、小学生の頃から男子を喧嘩で負かすほどヤンチャで、その暴走族に二つ返事で入った。
うちの中学にも、暴走族に入っている男子が三人いたことを、その時思い出していた。
そのうちの二人、林田春樹と林良平は、昔からつるんでいて、不良で有名だったのは知っていた。
もう一人、変わったヤツがいた。
原宿界隈で有名な不良だった、三ツ谷隆。
暴走族でありながら、手芸部の部長をやっている、まさに異質なヤツだった。


同じクラスで手芸部の安田さんが、一年の春に部員募集のチラシを配っているのをもらったことがあった。
趣味も夢もない私は、部員を集めようと必死になっている安田さんを見て、すごいな、と単純に思っていた。
その後、数日間で入部希望が20件まで増えたと、嬉しそうに話していたのを教室で聞いた。
その入部希望を伸ばしたのが、林田と林、それから三ツ谷だったらしい。
どういう経緯かは知らなかったけど。
安田さんは、それから毎日、楽しそうに部活に行っていた。
夢中になれることがあるのって、あんなに人を輝かせるんだって、羨ましかった。
その後直ぐに、三ツ谷が一年にして手芸部の部長となり、何がどうなったら不良が手芸部に入って、しかも部長になるのか不思議だった。
その年の文化祭で手芸部の作品を見て、驚いた。
お遊びじゃない。
作り込まれた作品が並び、彼が手芸部の部長をやっていることに合点承知がいった。
不良やりながら部活までやるなんて、恐らく多才で器用であることはもちろん、やっぱり異質なヤツだと思った。


暴走族に入ることを断った中二の冬から、一緒に深夜徘徊する仲間がいなくなった。
別にひとりでも良かった。
夜出歩くことに、理由なんてなかったから。
毎日つまんねぇよな、とか、ちょっと愚痴を零す相手がいなくなっただけ。
そんな日々を過ごして一年程経った中三の冬、暴走族に入っていたサトミが、私に助けを求めてきた。
高校に入る前に暴走族を抜けたいと言ったら、総長にボコボコにされて、辞めるなら代わりを連れてこいと言われたらしい。
サトミは不良だったけど、勉強はできる方だった。
きっと何か夢があって、ここで区切りをつけようと考えていたんだと思う。
顔中傷だらけで、指の骨まで折られたサトミは、泣きながら助けてほしいと言ってきた。
今までも、深夜徘徊中に絡んできた女と喧嘩したことが何度かあった。
小学生の頃に空手をやっていたこともあり、それまで喧嘩で負けたことはなかった。
いざ、サトミのためにレディースの集会に行くと、その暴走族の連中に、サトミと二人で総長の前に引き摺り出された。
この暴走族は、新宿で勢力を伸ばしていたそうで、300人近くのメンバーがいた。
「オマエらさぁ、これがどういうことか分かってんの?」
総長の女に胸ぐらを掴まれ、凄まれても、サトミのために怯むわけにはいかなかった。
「わかんねー」
そう言いながら、脇腹に蹴りをかました。
それを引き金に、総長とのタイマンが始まった。
「あたしはこの暴走族をデカくすんだよ!日本一のレディース総長になるんだよ!」
そんなこと、全く関係のない私に言われても、どうでもいい、としか言えない。
「んなのどうでもいいんだよ!サトミを抜けさせろ!」
私はただ、サトミを守りたかっただけだ。
これから夢に向かって進むであろうサトミを、彼女の夢を、壊すわけにはいかなかった。
髪を引き合い、頭突きをかまされ、よろけた直後に拳が左目にモロに入った。
その瞬間、倒れてしまい、見事に負かされた。
それでも、私は同じことしか言えなかった。
「サトミを辞めさせてろっつってんだよ…」
「んだよこいつ!」
仰向けで倒れる私の前髪を掴んだそいつに、最後の力を振り絞ってかました頭突きが、人中に入った。
総長が仰向けに倒れ、他のメンバーたちが駆け寄ってきた。
そのうちの一人が総長の頬を叩き、彼女は少しの間失っていた意識を取り戻した様子で、目を覚ました。
「…てめぇにノされたのは気に入らねぇけどもういい」
力尽きて横たわっていた私を、サトミが抱き起こした。
「…サトミ、てめぇ良いダチ持ったな」
総長は、サトミにそう言うと、背中を向けた。
「とっとと消えな!」
サトミは、その背中に向かって、泣きながら頭を下げた。
「お世話になりました」
そして、彼女は私の肩を抱えて歩き出した。


「いって、」
「染みた?もう少し我慢して」
公園のベンチに腰掛けると、途中寄ったドラッグストアで買ってきた物で、サトミは傷の手当てをしてくれた。
折られた指に巻かれた包帯が痛々しい。
「芽衣、ごめん」
手当が終わると、彼女は私に頭を下げた。
「私のせいで…」
「もういいって。良かったじゃん、抜けられて」
「…芽衣は私の恩人だ」
彼女は、涙を流しながら、笑った。
これから高校入試を控えていた私も、彼女みたいに追いかけることのできる何かを見つけられるかな、とその時少し希望を持った。


次の日、少し遅刻して学校に行くと、担任に真っ先に怒鳴られた。
「吉野!お前そのケガどうしたんだ!」
「別に」
それまでも、喧嘩して傷を付けて学校に来る度、担任は私を怒鳴っていた。
耳にタコができるほど聞き飽きていた言葉は、右から左だ。
「誰にやられたんだ」
「別に…他校のヤツと喧嘩しただけです」
「何考えてるんだお前は!」
「何も考えてないですよ」
思ったことをそのまま口に出すと、担任は溜息を吐いた。
「受験生なんだぞ、せめて受験が終わるまで落ち着け」


何でこんなにつまらない私に向かって、説教というエネルギーを使えるんだろう。
放課後、誰もいなくなった教室で、そんなことをぼんやりと考えていた。
「吉野さん、帰んねぇの?」
聞き慣れない声がして、教室の入口の方を見た。
そこにいたのは、不良であり、手芸部の三ツ谷隆だった。
突然話し掛けられたことに驚いて、立ち上がり、鞄を持ち上げた。
一年の頃から彼を認識していたけど、話したことはなかった。
向こうが私を認識しているなんて、到底思っていなかったから、苗字を呼ばれたことに、驚きを隠せなかった。
「帰るよ」
そのうえ、クソつまらない返事をしてしまった。
有名な暴走族の一員で、手芸部では部員に慕われ囲まれている部長。
自分の輝ける場所をたくさん持っている彼に、なぜだか無性に苛立った。
目を合わせないように教室を出ようとすると、これまたクソつまらないことを訊かれた。
「その傷、喧嘩?」
アンタには関係ない、というのは初めて話す相手に対しては、さすがに言えなかった。
「……別に」
そう一言返事をして、足早に教室を出た。
こんなのただの八つ当たりだってわかってはいたけど、コイツと自分を一瞬比べてしまったことで、苛立ちは最高潮まで募っていた。


あの日から、サトミと会うことはなかった。
夜外を歩いていても、偶然でも会うことはなかったし、特に連絡も来なかった。
真っ当に夢に向かって進んでいるんだろうと思った。
それだけで、よかった。
彼女のためにタイマンを張ったこと、私は今でも後悔していない。
例え周りに引かれようが、不良だとレッテルを貼られようが、友達が出来なかろうが、どうでもよかった。


それから少し経った中学の卒業式の後、クラスメイトの安田さんに、初めて話し掛けられた。
「吉野さん、ずっと話してみたかったんだけど、なかなか勇気が出なくて」
そう言われて、私は思わず笑った。
「別に、いつでも話し掛けてくれてよかったのに」
そう言ってから、私と話すことで周りから何かを言われたら可哀想だよな、と思った。
話し掛けてくれなくて、正解だったんだよ、って。
今になって思えば、そんなことを思ってしまった私とは、きっと彼女は正反対のことを考えてくれていたんだと思う。
「あの、これ書いてくれる?」
そう言って手渡された彼女の卒業アルバム。
開かれた寄せ書きのページに、渡されたサインペンで思ったことを書き始めると、彼女は、ゆっくりと話した。
「吉野さんのこと、実はかっこいいなって思ってたんだ」
「え、」
アルバムに落としていた視線を、安田さんに向けると、彼女は私の目を見て、真っ直ぐに話した。
「いつも背筋がピンと伸びてて、芯が強そうで。不良は嫌いだけど、吉野さんのことは素敵だなって、思ってた」
初めて話した、三年間同じクラスだった女の子。
そんなことを思ってくれていたんだと思うと、少し気恥ずかしくなった。
私は、何か誇れるものを持っているわけじゃないし、つまらない人間だと、自分でもわかっている。
周りからも当然、そう思われているんだって思っていたから。
「…そんなことないよ。安田さんの方がずっとかっこいい」
そう言いながら書き終えたアルバムを手渡すと、彼女は照れたように微笑んだ。
そんな彼女を見て、高校に行ったら、何か見つけよう、と漠然と考えていた。
安田さんが思ってくれたような人に、なってみたかった。




「吉野さん、めっちゃ強そう!」
高校に入学してすぐの頃、やたら目を輝かせて話しかけてきたクラスメイトは、少し変なヤツだった。
「別に」
一人でいることに慣れてしまっていた私は、どう返事をしたらいいかわからず、彼女から目を逸らした。
陰のオーラを纏っているであろう私に、まさに陽のオーラ全開な子が話し掛けてくるとは、思ってもみなかった。
「ウチ、吉野さんと友達になりたい!」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
中学時代は、近寄ってくる女子はいなかった。
ひとりでもいいと、ずっと思っていた。
「ほら美結、吉野さん困ってんじゃん」
陽の彼女を制止した、落ち着いた雰囲気のこの子も、勿論陽のオーラを放っていた。
「もしも嫌じゃなかったら、仲良くしてね」
ニコッと微笑んだその子に言われて、私は上手く返事ができず、ただ頷いた。
それから、私の世界は少し変化した。
休み時間に移動教室、はたまた放課後まで、彼女たちは私に絡みついてきた。
初めは戸惑っていたものの、慣れとは恐ろしいもので、ほんの数日で、この二人といることに居心地の良さを感じていた。
特に縛るわけでもなく、私が適当にやっていても、程よい距離感で、笑ってくれた。
だからこそ、私の中の、何も持っていない、という気持ちが溢れて出てきた。
楽しくないわけじゃないけど、やっぱり、毎日つまらなかった。


そんなある日のこと、放課後の教室で二人のくだらない遊びに付き合っていると、サトミから着信があった。
久しぶりに表示されたその名前に、胸騒ぎがした。
「サトミ?どうした?」
『今日8時、あの日の公園に来て欲しい』
何があったのかわからなかったけど、理由は訊かずに、わかった、と一言返事をした。
夜8時、最後にサトミと会った公園に行くと、彼女はブランコに座っていた。
金色だった髪は黒くなっていて、何だか別の人みたいだった。
私に気付いた彼女が顔を上げると、その顔は酷いもんだった。
「どうした?」
傷だらけのサトミの顔を見て、フツフツと込み上げてくる。
「リョウくん、覚えてる?」
リョウは、私とサトミと、小学生の頃、同じ空手道場に通っていたひとつ上の男の子。
私は中学に入る前に引っ越して、二人と別の中学に行き、彼とは疎遠になっていた。
「リョウくんの彼女、私が抜けた新宿のレディースのメンバーで」
新宿のレディースといえば、去年と変わらず勢力を拡大し続けているあの暴走族だった。
「別れることになったらしいんだけど、その原因が私と芽衣だって因縁つけられて」
「は?」
意味がわからなかった。
サトミの方はわからないけど、私は今、リョウと一切関わりがない。
「サトミ、リョウと関わりあんの?」
「実は、この前偶然会って。あの頃は良かったよなって話した」
確かにあの頃は良かった。
ただ、二人と空手に通うのが楽しくて、何も考えてなかった。
「ファミレスで昔話に花咲かせてたとこ、その彼女に見られてたらしくて」
数日後、引き摺り出されてボコボコにされた、と力なく彼女は言った。
「私と会った後すぐに、リョウくんから別れを切り出して、その時に、ずっと芽衣のことが好きだったんだって言ってたって」
サトミの口から告げられる言葉全てが初めて聞くことで、戸惑いを隠せなかった。
「彼女のことは好きだったけど、初恋だった芽衣のことが、ずっと彼の中で引っかかってたんだって。中学は違うとこに行ったし」
小学生の頃、ひとつ上で、いつものように一緒にいたリョウに対して、私も淡い恋心のようなものを抱いていたこともあった。
中学に行ってからは、一度も会うことはなかったし、思い出すことも時々しかなかった。
余計なことを言ったリョウにも腹が立ったし、ガキの頃の昔話に嫉妬するその女も、どうかと思った。


「ごめん」
突然謝罪の言葉を告げた彼女は、ブランコから立ち上がり、私に向かって頭を下げた。
「何が?」
彼女に謝られるようなことは何もないのに。
そう思った瞬間、数台のバイクのコールが聞こえてきた。
「私、夢を叶えたくて、今高校で頑張ってる」
知ってるよ、だから連絡してこなかったんだってことも。
「芽衣を巻き込みたくなかったけど、ボコられた時、マジで殺されると思った」
数台のバイクが公園の横に停り、特服を着た三人がこちらに向かってきた。
なるほど、サトミを脅して、私を誘き寄せたことがわかった。
「おい吉野芽衣!」
真ん中にいた女が突然走り出してこちらに向かってくると、私の胸ぐらを掴んだ。
「テメェ、あたしとタイマン張れや!」
物凄い形相でそう言われ、心底面倒臭い、と思った。
返事をする前に頭突きをかまされて、そのままよろけて尻もちをついた。
「んだよテメェ、クソ弱ぇな!!!ウチの総長ノしたってあれ、デマだったんじゃねぇの!?」
その言葉に、イラッとして、すぐさま立ち上がり、肩を一発殴った。
よろけた相手の胸ぐらを、瞬時に掴んだ。
「やってやるよ」
そう言って、売られた喧嘩を買ってしまったものの、喧嘩をする大義名分が正当防衛しかなかった私は、好きな男のためにタイマンを張りに来た女に、コテンパンにやられた。


「つまんねぇヤツ。テメェらもあの男も、もういいわ」
そう吐き捨て、再びバイクのコールを鳴らしてから三人組は去っていった。
完全に力尽きて起き上がれなかった私を、サトミが抱き起こした。
家までの道を、歩きながら肩を貸してくれた。
家の前まで着くと、サトミはまた、私に向かって頭を下げた。
「いつも迷惑ばっか掛けて、ホントごめん」
「別にいいよ、どうでも」
あの女の言う通り、私はつまらないヤツだ。
喧嘩に負けたことより、その言葉の方がずっと、突き刺さっていた。
「サトミが生きてりゃそれでいいよ」
私の言葉に、ゆっくりと顔を上げたサトミが言った。
「芽衣、ウチらもう、会うのやめよ」
「え、」
いくら暫く連絡をとってなかったとはいえ、彼女は私の数少ない友達だった。
幼い頃の思い出のほとんどを、共有してきた。
「芽衣がいると、私きっとまた迷惑掛ける。これでもう、最後にしたい」
考えるまでもなかった。
目に涙を貯めてそう言ったサトミの頭を撫でると、
「元気でね」
最後にそう告げて、玄関の扉を開けた。
幼い頃からの悪友との縁は、ここで切れてしまった。
だけど、彼女が夢を叶えることを、きっと心のどこかで私は応援し続けるんだと思う。


次の日、傷だらけの私を見て、朝からやかましい美結と優は、一日中ベッタリとくっついて離れなかった。
何で知り合ったばかりの私の心配なんてするんだろうって、そんなつまらないことを考えていた。
「芽衣ちゃん、ホントに大丈夫なの!?」
「大丈夫だって、慣れっこだから」
「気をつけて帰んなよね」
「おー」
「また明日ー!」
一日中、私を心配し続けた美結と優に玄関まで見送られ、靴を履き替えた。
どんだけだよ。
「おー、吉野」
玄関を出た直後、呼び止められた。
声のするほうを振り返ると、三ツ谷が階段に座り込んでいた。
「あぁ、三ツ谷」
「喧嘩?」
「あー、………うん」
ふと、中学の時に訊かれた時と同じような状況だな、と思った。
あの日とは違って、何故かちゃんと目を合わせて返事ができた。
入学式の後、少し話をしたのがクッション材になっていたのかもしれない。
「大丈夫か?」
「……うん」
三ツ谷の心配そうな目を見ると、何でか、苦笑いしてしまった。
私を心配してくれた二人を無下にすることが出来なかったのと同じ。
突っぱねたら、悪いかなって、そんな感じ。
全く知らないわけじゃないし、かといってちゃんと知ってるわけでもないからこそ、多少の愛想は必要だと思った。
「何か困ったらいつでも言えよ」
他人にそんなことを言われたのは初めてで、少し照れ臭かった。
「あぁ、ありがと」
一言返事をして、帰路に着いた。


高一の春、何でこんな私を皆心配してくれたんだろう。
中学時代、一人でいることに慣れてしまったからか、人の気持ちを良い方に考えるのが苦手だった。
今でも私はつまらない人間だし、何も持ってない。
自分に苛立ち、自分を壊したかった。
それでも、夢中になれるものを見つけたい。
信念を持って、何かを追いかける人間に、いつかなれたらって、今ではそう思える。
三ツ谷のことも、美結と優のことも、最初の頃よりずっとずっと大切に思っている。
最近、つまらないだけだ、と思うことが少しづつ減っていた。
三人がいたから、私は今ここにいて、なりたい自分に近づこうと藻掻けている。
いつか遠く離れても、きっと一生忘れない。
自分にはこんなに大事に思える人たちがいたんだ、ってこと。


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