一ヶ月半の夏休みはあっという間だった。
その間、ほとんどD&D MORTERSに入り浸り、夕方家に帰って、課題をやっつけた。
時々美結と優から連絡が来て、カフェでお茶したり、ファミレスでパフェを食べたり、買い物に付き合ったり。
夜には、昼間の充実感があって、出歩くこともなく、まさに健全な夏休みが終わろうとしていた。
夏休み最終日の朝、バイク屋に行こうと車庫から原付を引っ張り出していると、携帯が鳴り響いた。
美結か優だろうと思い、相手の名前も見ずに通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『よう』
「は?」
『今日何してんの?』
その声に驚き、耳に当てた携帯を離してディスプレイを見ると、三ツ谷の名前と番号が表示されていた。
『おい、聞いてんのか?』
電話越しに聞こえる声に、咄嗟にまた携帯を耳に当てた。
「は?全然聞いてないけど何?」
『聞いてねぇのかよ!』
電話越しに聞こえる笑い声に、頭の中がぐるぐると散らかり始める。
『今日、妹たちと花火するんだけど、来ねぇ?』
「は?」
兄妹水入らずの場に、何故私なんか呼び寄せるんだ、と疑問に思いながら、返答に困っていると、電話越しに可愛らしい声が聞こえた。
『芽衣ちゃん、おいでー』
多分、三ツ谷の妹だ。
この前、駅のホームで偶然会った時、怖がらせてしまったと思っていたから、その明るい声に少し戸惑う。
『この前駅で会っただろ?オマエのこと気になるみたいで』
「え?」
幼いとはいえ、妹たちの品定めなんじゃないだろうか、なんて邪な気持ちを一瞬持ってしまう。
『まぁ、来れたらでいいから』
「ん」
短く返事をして電話を切ると、原付に乗って、走り出した。


いつものように、バイク屋の店先に原付を停めて、店の中に入る。
「よぉ、来たな」
店の中で、ドラケンがバイクを磨いていた。
「何かすることある?」
いつものように尋ねると、ドラケンが笑った。
「すっかり店の一員になってんな」
流石に毎日のように来ているのは、図々しかったかもしれないなぁ、と今更ながら少し恥ずかしくなる。
「芽衣ちゃんは、進路とか決まってんの?」
ドラケンの急な問い掛けに、返答できなかった。
先のことなんて全然見えていないし、考えることすらできていない。
「…ドラケンは何でバイク屋やってんの」
「あぁ?そんなんバイクが好きだからに決まってんだろ」
最もな返答に、つい笑ってしまう。
「好きなこと仕事にするって、すげぇよな」
私自身、自分のことがわかっていなくて、やりたいことなんて、なおのことわかっていない。
好きなことを仕事にしているドラケンはすごい、とただ単純に思った。
「やろうと思えば、何だって出来るんだぜ?」
「…やろうと思えば、」
そんなやり取りをしていると、店の奥からイヌピーが出てきた。
「芽衣、今日も元気そうだな」
「ん」
「そういえば、この間芽衣が昼に帰った後、三ツ谷来たよ」
「え?」
昼前に美結に呼び出されて、スイーツの食べ歩きに付き合わされた日だ。
ほとんど毎日入り浸っていたのに、ここで会うことは一度もなかった。
「芽衣が入り浸ってるって教えたら、驚いてた」
「へぇ」
「アイツ、課題が忙しいって言ってたけど」
「そうなんだ」
結局、夏休み初日以来、偶然駅で鉢合わせた以外は会っていなかったし、三ツ谷の夏休みは課題で忙しいんだろうという、想像でしかなかった。
こうして人伝に聞かされると、何となくつまらなかった。
「三ツ谷と二人はどんな仲間なの?」
ソファに腰掛けて、もう何度も読んだバイク雑誌を手に取った。
「東京卍會って知ってるか?」
「うん」
「その仲間だよ。オレは副総長で、アイツは弐番隊の隊長だった」
「へぇ」
「イヌピーは元々違う暴走族にいて、後に合流した」
「あー、なるほどね」
「オマエらは?高校同じってのは知ってるけど」
「ただの同中出身でアイツは荒れてる私の見張り役みてぇなもん」
「何だそれ」
ドラケンは笑いながら、磨き終えたバイクをディスプレイした。
「じゃあパーとペーも同中だな」
「あぁ」
林田と林も、三ツ谷と同じでほとんど関わったことがなかった。
林に関しては、同時に生徒指導に呼ばれたことがあった程度だった。
「…みんな東卍の大事な仲間だ」
「最強だったんでしょ?」
「当時はな。芽衣ちゃんは暴走族とか入ってなかった?」
「興味なかった」
ふと昔のことを思い出す。
大切な仲間だったヤツのことを思い出して、小さく溜息を吐いた。
「芽衣、喧嘩慣れしてそう」
イヌピーが笑いながらそう言うと、苦笑いが零れる。
「全然。最後に喧嘩した去年の春なんて、ボコボコにされたし」
「マジかよ」
私の隣に腰掛けながら、ドラケンが笑った。
「女の嫉妬は何よりも怖いよ」
「そういえば昔、レディースは新宿が一番デカかったな」
「一度だけノされた総長をやったのは一匹狼だったって聞いたけど」
一瞬、当時私がノシたレディース総長のことを思い出した。
「まさか芽衣ちゃんだったりして」
「仲間助けるためにタイマン張ったことはある」
そう答えると、ドラケンが目を丸くした。
「マジかよ」
「もうその仲間とは縁切れたけど」
もう、いつかどこかで会うなんてこともきっとない。
彼女は彼女の道を進んでいる。
「縁か…まぁ、お互い生きてりゃそれでいいってこともあるかもな」
当時のことを思い出して、少しだけ心の中に黒いモヤモヤしたものが顔を出しそうだったけど、目を細めて優しいトーンで話すドラケンの声に安心した。
「できればさ、もう喧嘩とかしたくないし、周りの誰かに迷惑掛けたり心配させるようなことしたくないんだよね」
「お、何かきっかけとかあんの?」
「大事にしなきゃいけない人をちゃんと大事だと思えるようになったこと、かな?」
フィクションみたいなちょっと恥ずかしい台詞をこんなふうに言えてしまうことも、私の中では大きな進歩だ。
「へぇ、いいじゃん」
ドラケンが微笑んで、私もつられて笑った。


夕方、家に帰って携帯を開くと、三ツ谷の番号を表示した。
せっかく誘ってくれたんだから、行った方がいいよなあと思いながら、通話ボタンを押す。
携帯を耳にあてると、ワンコールですぐに電話が繋がった。
『おー』
「あー、…どこ行けばいい?」
『来れんの?』
「まぁ…課題も終わってるし」
『やるじゃん。迎えいくから待ってろ』
「え、いいよ、私が行くよ」
『いいから待っとけ』
「…ん」
電話を切ってから、着ている服を見た。
久し振りに会うというのに、色気のない無地のTシャツにクロップドパンツ。
かといって変に着飾るのも違う気がして、私はそのまま玄関先に腰掛けていた。
暫くすると、バイクの排気音が近づいてきた。
その音が家の前で止まり、顔を上げる。
「よう」
バイクに跨る三ツ谷は、なんだか少し疲れた様子だ。
「よかったのに、わざわざ迎えなんて」
「オレが勝手にそうしたいだけ」
無表情のまま、そんなことをさらっと言ってしまう三ツ谷は狡い。
手に持った半キャップを被ると、彼の後ろに乗った。
腰に腕を回すと、バイクはゆっくり走り出す。
三ツ谷の心の中が知りたくて、彼の背中に耳を押し当てた。
規則正しく聴こえる心拍は、私の心を落ち着かせてくれた。


バイクで10分程で着いたアパートの前に、女の子が二人立っていた。
バイクから降りると、その子たちが駆け寄ってきて、両腕に絡みついてきた。
「芽衣ちゃんこんにちは!」
「こんにちは!」
「あ、はい。こんにちは」
「ほら、ルナマナ、お姉さんを困らせんなよ」
「わかってるー!」
このくらいの歳の子と関わることはなくて、若干戸惑いを感じながら、二人に腕を引かれて歩いた。
近くの公園に着くと、三ツ谷が持っていた花火を広げた。
「ルナこれー!」
「マナこれー!芽衣ちゃんはこれね!」
手渡された花火を持ち、三ツ谷が立てた蝋燭で、火をつけた。
まだ日の落ちたばかりの薄暗い空が、辺りを覆う。
はしゃぐ二人を見守る三ツ谷の目が優しくて、新たな一面を知った気がした。
「大事なんだね、妹」
「ウチ、オフクロしかいねぇから、オレが飯作ったり遊んだりしてる」
意外な言葉に少し戸惑いながら、話す三ツ谷の横顔を見ていた。
以前、弁当を作る時間がなかった、と言っていたことを思い出した。
「大変だね」
「別に大変じゃねぇよ。オレにとっちゃこれが日常」
日常、とは言いながらも苦労してきたんだと知って、何だか自分に嫌気が差した。
何不自由なく生活できてるくせに、不満ばかりの自分に。
「やっぱすげぇな、三ツ谷は」
「どこがだよ」
そう答える三ツ谷の笑顔に、胸の奥がきゅうっと締まる。
家族を大事にして、夢を追い掛けて、おまけに私のことも気に掛けてくれる。
器用で優しくて、こんなの好きにならないわけがない。
ずっと素直になれなかったのに、今日は何故か、素直に好きだなあ、と思えてしまった。
「あー!お兄ちゃんばっかり芽衣ちゃんと話しててズルい!」
駆け寄ってきた二人が、しゃがみ込む私と三ツ谷の間に割って入った。
「芽衣ちゃんは、お兄ちゃんのカノジョなの?」
「な、」
ませた言葉に戸惑いながら、三ツ谷の方を見ると、彼は表情を変えずに答えた。
「バーカ。こんな素敵なお姉さんが兄ちゃんの彼女なわけねぇだろ」
「えー、つまんない!ルナ、芽衣ちゃんにお姉ちゃんになってもらう」
「マナもー!」
仲睦まじいやりとりを見ながら、頭の中で三ツ谷の言葉を反芻した。
素敵、って言った?
嘘だろ?
こんなクソヤンキー崩れの私が?


妹たちをアパートに送り届けて、再び三ツ谷のバイクの後ろに乗った。
大して遊んであげたわけでもないのに、何故か妹たちにも気に入られたようで、困惑だらけの時間だった。
バイクの後ろで揺られている間、また暫く三ツ谷の背中に耳をあてていた。
先程の言葉の意味をずっと考えていた。
妹たちを宥めるための言葉だったとしても、嬉しくてふわふわするこの気持ちになれたから、絶対忘れたくないなぁ、なんてぼんやり考えていた。


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