体育祭の午前の日程が全て終わり、昼休憩になった。
「暑いしお昼教室で食べよー」
「賛成!!!」
「だな」
九月とはいえまだまだ暑い。
美結と優と玄関で靴を履き替えていると、三ツ谷にご褒美を用意しておけと言われたことをふと思い出した。
「ごめん、先行ってて」
「はいよー」
自販機でコーラでも買っていけばいいかと思い、玄関内にある自販機の前に立った。
「吉野さんだよねー?」
後ろから声を掛けられ、振り返ると、可愛らしい女の子が立っていた。
濃すぎないメイクに、緩く巻かれたツインテール。
普通科にはいなさそうな子。
何か見たことある気がすんな、と思いながら返事をした。
「そうだけど」
「少し話したいなーと思って」
「?」
「ちょっと一緒に来て欲しいな」
そう言う彼女の後について行きながら考えていた。
ファミレスの前でうちらの存在をガン無視した落書き女候補。
その時は髪を下ろしていたから少し雰囲気が違うけど、間違いない、あの子だ。
話したいってのは、多分宣戦布告なんだろうなと思っていると、デザイン科棟の階段を上がった先の部屋の前で、彼女は足を止めた。
「吉野さんてさ、まさか三ツ谷くんと付き合ってないよね?」
にこりと微笑む可愛い顔は、目が笑っていない。
「付き合ってないけど」
「じゃあ何で近付くの?警告したよね?」
今までどんな不良にだって怯まなかったのに、不良でも何でもない可愛らしい女の子の作られた笑顔に、一瞬ゾッとした。
「…やっぱあの落書きアンタ?」
「当たり前じゃん?」
彼女は笑顔を崩さず、言葉を続けた。
「私ね、三ツ谷くんといい感じだってクラスで言われてるんだよね」
その言葉に、ファミレスの駐輪場での三ツ谷と彼女のやり取りを思い出した。
危ないからバイクに乗せたくない三ツ谷と、彼の腕を掴む彼女。
去っていく彼女の後ろ姿を見ていた三ツ谷の目は、どうだった?
それを見て、私はどう思ったんだった?
「さっきの借り物競争といい、騎馬戦といい、マジで邪魔だからさ、暫くここにいてね」
彼女はそう言い放つと、私の肩を両手で思いっきり押した。
よろけてそのまま尻もちを着くと、扉がピシャリと閉められ、ガチャガチャと鍵を掛けるような音がした。
「いつか出られるといいねー」
そう言い残して去っていく彼女の足音が遠くなっていった。
「……やられた」
座り込んだまま動けず、ただ茫然としていた。
締め切った部屋は蒸し暑くて、何もしなくても汗が流れ出てくる。
試しに小さな窓を開けてみるけど、風はなくて、ただ暑い。
締め切っているより少しマシなだけだ。
脱水になるかも、と思いながらポケットに入れたままの携帯を取り出し、優に電話を掛けた。
『ちょっと芽衣何してんの?お昼休み終わるよ?』
「ごめん、何か閉じ込められた」
『は?』
「デザイン科棟の二階の物置みたいなとこ」
『どこだよ!』
「いやマジ暑くて死ぬ」
『ちょ、すぐ行く!』


しばらくして、バタバタと聞こえるふたつの足音に、助かった、と思った。
「芽衣いる!?」
「おー」
扉に寄り掛かり座り込んだまま返事をする。
暑さのせいで、少し頭がぼんやりしていた。
外からガチャガチャと鍵を開ける音がして、扉が開いた。
「芽衣無事!?」
「大丈夫!?」
「おー」
ふたりの声に、一気に安心する。
廊下を通る風が、ひんやりして気持ちいい。
優に手渡されたペットボトルの水を一気に飲み干すと、額の汗を拭った。
「歩けそ?」
「うん」
返事をすると、二人は私の手を取り、歩き出した。
「鍵、どっから持ってきたん」
「美術の先生に借りてきた」
「物置って美術準備室のイメージだったから!」
当てずっぽうで来た二人に、思わず笑った。
「ハズレてたらどうするつもりだったんだよ」
「テレパシーあるから大丈夫!」
「何だよそれ」
こんなに自分のことを思って行動してくれる人間は、そういない。
そんなことを思いながら、二人に告げた。
「……ファミレスの時のアイツ、やっぱ落書き女だった」
「まさかそいつに?」
「うん」
「シメないと気が済まないんだけど!」
フツフツと怒りを露わにする二人に、また笑った。
「もうどうでもいいわ」
「何でよ!?」
「ウチらは気ぃ済まないよ」
「アンタらに被害がなきゃそれでいいんだって」
大切な人が傷つかなければ、それでいい。
ここまで自分のために動いてくれて、ここまで思ってくれて、頭が上がらない。
「…迷惑掛けてごめん」
小さな声で謝ると、二人は足を止めた。
「芽衣ほんとアホだよねー」
「迷惑なわけないじゃん!」
「ウチら大事なんだよ、アンタのこと」
今にも泣きそうな二人を見ると、不甲斐ない気持ちでいっぱいになる。
「ウチら芽衣のためなら何されても大丈夫だよ」
「ね」
「とにかく無事でよかった」
そんな会話をしながら教室に向かう途中、バッタリ先程の落書き女と鉢合わせてしまった。
「あれ?吉野さん出られたんだ?」
「テメェ、よくも芽衣を閉じ込めてくれたな?」
「ぶっ飛ばす!!!」
今にもキレ散らかしそうな両隣の二人を制止して、その女の胸ぐらを掴んだのは私。
どうでもいいと言っておきながら、流石に腹は立っていた。
胸ぐらを掴んだままメンチを切ると、辺りがざわつき始めた。
「こわーい!さすがクソヤンキー」
全く悪びれる様子もなく、ビビる様子もない。
殴らないとでも思ったか?
「テメェ、」
右腕を振り上げた瞬間、その腕を掴まれてしまった。
振り返ると、その腕を掴んでいたのは三ツ谷だった。
「オマエ、何してんの?」
私を見下ろす表情のない顔に、舌打ちをした。
掴んでいた胸ぐらを離すと、彼女は直ぐに三ツ谷の後ろに回り込んだ。
「殴られるかと思ったあ」
その甘ったるい声に吐き気すら覚え、三ツ谷に掴まれた右腕を振り解いた。
「芽衣、これどういう状況?」
「アンタには関係ない」
「オマエなぁ、」
三ツ谷は溜息を吐いておでこを押さえた。
「少なくともオマエはオレのダチだしコイツはオレのクラスメイトなんだよ。関係ねぇわけねぇだろ」
また出た。
友達だとハッキリ、しかもこの子の前で言ってくれやがった。
「やっぱりただの友達なんだあ」
三ツ谷の後ろから顔を覗かせる彼女の、作られた笑顔に、また吐き気がしてくる。
「……美結、優、悪いけど、ちょっと休んでから戻る」
私の後方にいる二人の方を見れずに、足を進めた。
「おい、芽衣、」
呼び止める三ツ谷の声は聞こえないふりをして、保健室に向かった。


「あら、吉野さんサボり?」
保健室の扉を開けると、養護教諭が弁当を食べていた。
「いやまだ休憩時間じゃねぇすか」
「顔色悪いけど」
「なんかぼーっとするから休ませて」
一年の頃から、たまに授業をサボりに来ていた保健室。
他の教師とは違って、養護教諭とは少しだけ話しやすかった。
「ご飯ちゃんと食べた?」
「あー、忘れてた」
「水分は?脱水じゃないの?」
保健室に常備されている経口補水液のペットボトルを渡された。
蓋を開けて一気に飲み干すと、養護教諭が笑った。
「よっぽど水分足りてなかったのね」
「かもね」
「休憩終わったらグラウンドに戻るけど、少し休んでて」
「あざす」
カーテンを引いてベッドに横たわると、目を閉じて先程のことを思い浮かべる。
明らかにあの子を庇っていた三ツ谷。
彼女を殴ろうとした私を、何の表情もなく制止した。
いつか生徒指導室から出た時のことを思い出した。
呆れたような、怒ったような背中。
きっとまた、呆れたに違いない。
自分のクラスメイトで、喧嘩なんてした事ないであろう可愛らしい女子に手をあげようとしたんだから。
情けないな、と思う。
他人にここまで感情を掻き乱されることになるなんて。
その原因が、自分の好きな男だという、クソつまらないことだなんて。
もういっそのこと、三ツ谷が私の事なんて嫌いになってくれたら楽なのに。
そしたら、三ツ谷と一緒にいたいなんていう勝手な思いも全部、捨てることができるのに。


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