次の日、学校に原付を置きっぱなしの私は、いつもより少し早く家を出て、電車に乗り込んだ。
普段は見ることのない、たくさんの学生、サラリーマン、OL。
みんな、自分のやりたいことをしているんだろうか。
夢を持って学校に行っているんだろうか。
三ツ谷の夢の話をもっと聞いたら、私ももっと変わるかな。
そんなことを、考えていた。
学校に着くと、まず始めに駐輪場へ原付の様子を見に行った。
昨日と変わらず置いてあるのを確認してホッとすると、ごついバイクの排気音が聴こえてきた。
三ツ谷だろうな、と思いながら、私は少し原付の横に留まる。
少しすると、駐輪場にバイクを押しながら入ってくる三ツ谷と目が合った。
「よう、吉野」
「おはよ」
私の原付の隣にバイクを置くと、三ツ谷はヘルメットを外した。
長い髪を整えながら、ヘルメットを鞄に引っ掛ける三ツ谷をぼんやり見ていると、また目が合った。
「何してんの」
「あ、いや別に…置いて帰ったから様子見ようと思って」
少し焦りながらそう答えると、三ツ谷は目を細めて笑った。
「大事なんだな、原チャ」
「ああ、……うん」
高一の時、免許を取ってすぐ親が買ってくれた。
彼のバイクに比べたら、お粗末なものかもしれないけれど、今の私にとっては、どこまでも連れて行ってくれる一番大切な存在だった。
別に家庭環境が悪いわけじゃない。
中学時代から、目標も夢もない私が勝手に荒れているだけだ。
ずっとそうだ。
自分にイラついて、自分を壊したいだけだ。
また、込み上げてくる。
何がしたいのか分からない自分に対する、どうしようもない焦燥感。
「三ツ谷さ、私なんて構うのやめなよ」
別に深く考えて言ったわけじゃない。
デザイン科の特待生に迷惑を掛けたら、それこそ私はもっと自分を責める。
三ツ谷は、表情を変えずに私の肩を抱いた。
「んなこと言うなよ、友達じゃん」
「……友達だったんだ、私たち」
自分にはなかった関係性の認識を、彼は抱いていた。
それが少しだけ、嬉しかった。
「冷てぇな、唯一の同中だろ」
抱かれた左肩が、燃え上がるように熱い。
「三ツ谷ー、おはよー」
「一限美術室だぞー」
駐輪場の向こうから、三ツ谷を呼ぶ数人の声が聞こえた。
「何かあったらいつでも言えよ」
優しく目を細めた三ツ谷は、私の肩を解放すると、声のする方へ、走っていった。
やっぱり、彼が羨ましくて堪らなかった。
離されてもなお、熱いままの肩を、右手で摩りながら、そう思った。


放課後、昨晩必死に書き上げた反省文を二枚握りしめ、生徒指導室へ向かう。
三ツ谷と海で話したことで、私のささくれ立った心は幾分か穏やかになった。
その落ち着いた気持ちで書いた反省文だ。
夜出歩くのを控えることと、自分のやりたいことを探してみるといった趣旨の内容で、一発で通るだろうと、少し自信があった。
三階までの階段を上がりきる手前で、上から階段を下りてくる三ツ谷に会った。
「よう」
「あれ、珍しいね」
目が合うと、階段を駆け上がったせいもあるけれど、心臓が脈打つのがより速くなる。
「ああ、ちょっとな」
表情のない彼が、私の手元を見た。
「反省文、出しに来た」
「ああ、お疲れ」
この階段を上がりきったところにあるのは、憎き生徒指導室。
その廊下の先にあるのは普通科三年の教室だけだ。
デザイン科は正反対の棟にある。
まさか生徒指導室に呼び出されるなんてことはないはずだし、特待生の三ツ谷がここにいること自体が、珍しかった。
「急いでんじゃねぇの?」
そう言われて、我に返る。
「そうだ、じゃね」
「おー」
階段を上がり切ると、私は生徒指導室の扉を叩いた。
扉を開けると、私は無言で、握りしめて少し皺になった反省文を、差し出した。
「思ったより早かったな」
うるせぇな、と思っていると、生徒指導はそれを受け取った。
入学してから、何度も来た部屋だ。
憎たらしくて仕方ない。
OKが出たら、直ぐに消えてやる。
「吉野、良い友達持ったな」
生徒指導が反省文を読みながら、話した。
反省文には、友達のことなんて一言も書いていない。
「三ツ谷、頼りになるな」
何でこいつの口から、三ツ谷の名前が出てくるのかわからなかった。
「同じ中学の三ツ谷なら、何とかしてくれるんじゃないかと思ってな」
……どういうことなんだろう。
話の筋が見えなくて、困惑した。
「入学当初から素行不良なお前に、手を焼いてるのは分かってるな?今回補導までされたんだ。お前がこれ以上荒れないように俺が頼んだんだ」
「三ツ谷に…?何を…?」
心臓がドクン、と大きく脈打つ。
「話でも聞いてやってくれって」
喉の奥の方で何かがつっかえたような感覚に陥る。
……そっか、そうだよね。
三ツ谷が自分から進んで、私の話を聞いてくれたわけじゃなかったんだ。
「いいこと書いてあるじゃないか。今回は反省文で許す。素行改めろよ」
「…はい」
小さく返事をして、踵を返す。
生徒指導室を出ると、階段を一気に駆け下りた。
教室に寄り、鞄を持ち上げる。
「芽衣、帰んの?」
「反省文出してきた」
「お疲れ、停学免れてよかったね」
「まあね」
「また明日ねー!」
放課後の教室で楽しそうに遊んでいるクラスメイトの声に返事をして、駐輪場まで走った。
ヘルメットを取り出し、それを被ると、隣に停っている三ツ谷のバイクが、一瞬目に入る。
しっかりと手入れされているように見えるそれを見て、溜息も出なかった。
悲しいとか辛いとかそんな言葉じゃなくて、何か、もっとこう、刺さるような、痛い感じ。
駐輪場から勢い良く原付を引っ張り出して跨る。
キーを回してエンジンを掛けると、前から見慣れた姿が歩いてくる。
「吉野、帰んの?」
長い髪を風に靡かせ、こちらに向かってくる三ツ谷から目を逸らし、私は返事もせずに、スロットルを回した。
生徒指導と繋がっていたということも、私のためじゃなくて、教師のために話を聞いてくれたんだってわかったことも、全部、全部、悔しかった。
今思えば、変だった。
急にバイクの後ろに乗せてくれるなんて。
夢を語るなんて、元気付けてくれるなんて。
同中出身で同じ高校に入って一年、本当に顔見知り程度の挨拶と当たり障りのない会話しか、してこなかったのに。
校門を出て、リミッター解除した原付を走らせる。
このまま家に帰ったら、また私は腐っていく。
気持ちを切り替えるために、ひたすら原付を走らせた。


バイクより距離を走れない原付で辿り着いたのは、海の見える公園だ。
昨日見たのとは違い、水平線の向こうには街が見える。
海の向こう側が、見えている。
何もない私の限界が、見えてしまっている。
私はここまでしか来れないんだよ。
どこまでも行くことは出来ない。
エンジンを切った原付に跨ったまま、落ちていく夕日をずっと、眺めていた。
涙が溢れて、止まらなかった。
きっと友達だって言ったのも、その方が都合がいいからで。
キラキラ光る瞳も、長い睫毛も、風に靡く髪も、全部。
夢を語る優しい声も、目を細めて笑う顔も、励ましてくれたことも全部、全部、全部だ。
私が勝手に思ったことだ。
いいなって、思ってしまったことが悪かった。
沈みきった夕日を見届けると、再びエンジンを掛け、走り出す。
私はどこに向かっているんだろう。
自分の夢もないのに、他人の夢を聞きたいだなんて思ってしまったのが、そもそもおかしいんだ。
このまま何となく生きていくことしか、私にはできないのかもしれない。
もっと器用だったら良かった。
何でもできて、自分の気持ちを素直に言えて、夢中になれるものがあって。
これは、憎たらしいという感情ではなくて、渇望だ。
羨ましくて、憧れていたんだ。
中学の頃から、いつだってキラキラして見える、三ツ谷に。
自宅に着くと、ガス欠寸前の原付を車庫に入れた。
暫く、こいつには乗らない。
限界を、見てしまったから。
私には、何もない。




翌朝、満員電車に揺られて学校へ向かう。
もう考えなかった。
この人たちが何をしているか、夢を持っているのか、なんて。
ヘッドフォンを着けて、自分だけの世界に入る。
周りを見ても仕方ないと、思った。
自分のことでさえ、どうにもできていないんだから。
何となく肩を落としながら駅の改札を通ると、後ろからその肩を叩かれた。
ヘッドフォンを外しながら振り返ると、クラスメイトの美結がいた。
「おはよ!珍しいじゃん、電車」
「原チャ、ガス欠で」
「ウケる、ガススタ行けよ」
「ね」
適当に返事を返し、溜息を吐いた。
どこまでも連れて行ってくれた大切な原付は、きっともう一生ガス欠だ。
それでも良かった。
原付でどこまでも行けると思っていたこと自体が、間違いだった。
限界しかなかったのにね。


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