ハッと目が覚めて、勢いよく上体を起こした。
眠ってしまっていた。
水分を摂って少し休んだことで、ぼーっとしていた頭がだいぶクリアになっていた。
二人のところに戻らないと、と思いながら、ベッドから下りて仕切りのカーテンを開けると、窓際の椅子に三ツ谷が座っていた。
そのことに驚いて固まっていると、窓からグラウンドの方を眺めていた三ツ谷が振り返った。
「お、目覚めた?」
先程あんなことがあったのに、何事もなかったかのように声を掛けてくる。
「昼飯食ってねぇんだろ」
そう言って、こちらに向かって何か投げてきた。
反射的にそれを両手で掴むと、ゼリー飲料だった。
「脱水っぽかったって聞いたけど」
さっきのことは何も問い詰めずに私の方へ向かって来る彼から、目を逸らして俯いた。
三ツ谷は私の前まで来ると、下から顔を覗き込んでくる。
「まだダメそうか?」
優しい声のトーンに、どうしたらいいかわからなくなる。
あんなところを見られて、平然を装えるわけないし、何も知らない三ツ谷を困らせていると思ったら、涙が溢れてきた。
涙が零れないように唇を噛み締めると、三ツ谷の腕が背中に回った。
そっと抱き寄せられ、頭を撫でられると、堪えていた涙がぼろぼろと落ちてきた。
そうしたまま、三ツ谷は何も訊かない。
「……何で、なんも訊かねぇんだよ」
訊いて欲しいわけじゃないけど、訊いてこないのも変だと思った。
「…オマエが理由もなく誰かに手上げるようなヤツじゃねぇって、わかってっから」
その言葉を聞いて、力が抜けた。
呆れられてると思っていたし、こんなことを言われると思ってなかった。
「大丈夫だ、芽衣はそのままで」
何だか自分の全部をわかってもらえた気になってしまう。
三ツ谷の胸から聞こえる心音に、酷く安心した。
友達だと言われて、それを認めて、予防線を張ったはずなのに、こうして抱き締められると、やっぱり欲張りになる。
私と同じ気持ちであって欲しいと、強く願ってしまう。


結局、泣き止むまで暫く三ツ谷に抱きしめられたまま、何も言えなかった。
「…落ち着いたか?」
「ん」
「最後リレー出るから行くけど、こっから見てろよ」
歯を見せて笑いながらそう言うと、三ツ谷はグラウンドに戻って行った。
窓際の椅子に腰掛けて、ゼリー飲料を口に咥えたまま、グラウンドをぼんやり眺めた。
リレーが始まって、すぐに見つけ出してしまう、長い襟足をひとつに結んだ銀髪。
三ツ谷といることで楽しくて笑ったり、悔しくて泣いたり、感情が掻き乱されていることも、彼の周りの人間とまで良くも悪くも関わりが生まれてしまっていることも、何だか疲れてきていた。
誰かと一緒にいたいと願うことは、その分誰かを傷つける。
夢や願望を持つことは、何かを失わなければならないのかもしれない。
かつて私の目の前から消えた彼女もまた、きっと選ばなければならなかった。
アンカーの三ツ谷がぶっちぎりでゴールテープを切った瞬間を見届けると、立ち上がり、再び仕切りのカーテンをゆっくりと開け、ベッドに横たわった。


「芽衣無事かー!?」
勢いよく開く扉の音と、大きな声にハッとした。
また眠ってしまっていたらしい。
ゆっくりとカーテンが開き、そこから美結と優が顔を出した。
「マジでごめん、寝てた」
「いいんだよ!ちゃんと水分摂った?」
「ん」
「あれ、アンタ泣いた?」
優の問い掛けに、目を擦った。
「三ツ谷がクソヤローで」
「…誰がクソヤローだって?」
私の憎まれ口にすかさず口を挟んできた声の主が、二人の後ろから顔を出した。
「ちょっと三ツ谷くん、芽衣のこと泣かせたの?」
「ゼリー渡してきてってお願いしただけなのに!」
「ばっ、ちげーよ!」
二人に問い詰められる三ツ谷の焦る顔を見たら、笑えてきた。
「私が勝手に泣いただけ」
私の言葉に二人は顔を見合わせ、少しほっとしたような顔をした。
「アンタといると、泣いたり笑ったり、疲れる」
「んなことオレに言われても」
三ツ谷は困ったように頭を搔く。
「色んな人間が関わってきて、しんどい」
そう言うと、何を言っているのかさっぱり分からないといった様子で、三ツ谷は目を丸くした。
「だからお願い、もうほっといて」
真っ直ぐに彼の目を見て告げる。
もういい加減、終わりにしたい。
誰かに心配を掛けること。
いつか自分の周りの誰かが迷惑被るかもしれないこと。
感情が掻き乱されるのはきっと自分だけじゃなくて、他の誰かも同じかもしれないこと。


「それはオレが無理」
私の言葉に目を丸くしていた三ツ谷は、少し考えるように眉を下げて溜息を吐いた。
「芽衣がいないと、オレがダメ」
ずっと真っ直ぐ、目が合ったまま。
「え、何?これ告白?」
美結の声にハッとすると、三ツ谷が笑った。
「別にそんなんじゃねぇけど、オレがオマエのこと大事だと思ってんのは絶対忘れんじゃねぇぞ」
美結と優が三ツ谷の方を振り返ってから、顔を見合せた。
「じゃ、行くワ。ゆっくり休めよ」
三ツ谷が去ると、二人の視線が突き刺さる。
「何あれ告白じゃん!!!」
「どうなるかと思った!!!」
勝手に盛り上がる二人をぼんやり眺めながら、腑に落ちないことを思い出した。
「何でアイツ、何も訊いてこなかったんだろ」
「ああ、言っといたよ。芽衣が閉じ込められたの」
「え、」
「落書きとか余計ことは言ってないよ、閉じ込められたって事実だけ言っといた」
「…落書き女は?」
「さぁ?彼女がいなくなってから三ツ谷くんに話したから、その後説教でもされたんじゃない?」
事実を知ったから、何も訊いてこなかったと考えると納得できなくもない。
「落書き女、どうやって懲らしめる!?」
「こっちも落書きし返すとか」
二人の会話を聞いていて、溜息が漏れた。
「もう、やめようぜ」
「え?」
「何でよ?」
「くだらないしめんどくさい」
「あー、まあね」
「あの子自体が面倒くさそうだもんね」
「それな」
どんなに嫌がらせされたところで、怯むことはない。
逆上して周りを巻き込んでくれなければ、それでいい。
「それより三ツ谷くん、やっぱり芽衣のこと好きだよね」
「告白だよねあれは」
「さぁ?」
「さぁってなんだよ!」
「だってわかんねぇじゃん。人の気持ちなんて」
「そりゃそうだけど」
優しくされるのも気に掛けてくれるのも嬉しいけど、やっぱり心の中が知りたいんだよ。
三ツ谷が本当に考えてることを、知りたい。


家に帰ってから、三ツ谷の言葉を思い出して考えていた。
私がいないとダメ、の意味。
彼との関わりに疲れて、突き放したいと思ってしまったのに。
困った様に話す三ツ谷の目が真っ直ぐ私を捕らえていた。
やっぱり、もしかして、同じ気持ちなんじゃないかと期待してしまう。
三ツ谷が気に掛けてくれるのは私だけがいい。
三ツ谷が触れるのも、色んな顔を見せるのも、私だけがいい。
ハッキリ言葉にしたら、きっと百かゼロだ。
そう分かっていながら、もう自分の気持ちを止められないことも、ただの友達ではいられないこともちゃんと理解してた。
結局行きついた考えは、付かず離れずでいるのが一番いいのかもしれないってことだった。


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