企業見学の後、班の自由行動で観光地を巡り、美味しいものを食べて、一日歩いた脚はパンパンだった。
「今日は早く寝る」
夕食の後部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
「え?バカなの?三ツ谷くんと約束してるんだよ?」
「だめ、眠い」
「うそだろ、起きろ!」
美結に胸ぐらを掴まれ、頭を振られると、嫌でも目が覚める。
「やーめーろー」
そんなくだらないやり取りをしていると、携帯が鳴った。
「ほら芽衣ー、三ツ谷くんから電話」
テーブルの上に置いた携帯を、優がこちらに向かって下手で投げた。
それを受け取ると、開いて通話ボタンを押した。
「はい」
『おー、何してる?』
「遊んでる」
『ホント仲良いなオマエら』
電話越しの声が優しくて、むずむずする。
『後で会える?』
「ん」
短く返事をすると、三ツ谷が電話越しにクスッと笑うのが聞こえた。
『教員の巡回終わったらエレベーターで最上階まで上がってきて』
「巡回なんていつ終わるかわかんねぇよ」
『0時に終わるって聞いた』
さすが特待生、その情報は信用できそうだ。
「バレたら停学食らいそー」
『そこは上手いことやんだよ』
三ツ谷は器用だから、ちょっとの悪さも上手く切り抜けそうだな、なんてぼんやり考えていると、
『不安?』
なんて、また優しい声で問い掛けられる。
「いや別に、このくらいどうってことねぇけど」
強がりを言いながら、さすがに停学は嫌だな、と思う。
それでも修学旅行中に、会える時間ができるのは何だか浮かれてしまって、これもまたいい思い出になるなら、と考えてしまった。
「じゃあ0時過ぎたら行く」
『ウッス、待ってるワ』
電話を切ると、目の前で私の胸ぐらを掴んだままの美結が、キラキラと目を輝かせていた。
「ねえ、胸きゅんなんですけど!?」
「はあ?」
「待ってるワ、だってー!!!」
「やばー!!!!」
美結の煽りに優まで私の横に来て羽交い締めにしてくる。
「やーめーろ」
「ついに二人は付き合うのかー!?」
「…知らねぇよ」
もしかしたら三ツ谷も同じ気持ちかもしれない、なんて時々考えてしまうけど、ハッキリと言葉にしてこないし、やっぱり妹と同じ感覚なのかもしれないし。
私ばかりが気持ちを掻き乱されてて、期待させられて悔しいし、いつかドン底に突き落とされるかもしれないと怖くなることもある。
百かゼロなら、50でいい。
付かず離れずの、50のままで、いいよ。
私の中から三ツ谷がゼロになるのだけは、やっぱり無理だ。


またくだらなくて尽きない話をしていると、あっという間に0時を過ぎた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
鞄から小さな紙袋を取り出して、ポケットに突っ込んだ。
「オートロックだから鍵忘れんなよ」
「おー」
「お土産話に期待」
「寝てていいから」
「二人が密会してるのに眠れないよ!!!」
「朝まで戻ってこないパターン…」
「それはねぇよ」
真夜中だというのに二人のテンションは変わらず、楽しそうに見送られると、何だか照れ臭くなってしまった。
音を立てないように部屋から出ると、エレベーターまで早足で向かった。
ボタンを連打して、エレベーターを待つ。
会って何話すんだよ、と思いながら、止まったエレベーターに乗り込んで、最上階のボタンを押した。
途中で止まることなく、最上階に着いて、安堵の溜息を吐いた。
扉が開くと、目の前の窓際に三ツ谷がしゃがみ込んでいた。
「よう」
「よう」
声のボリュームを最小限に抑えて返事をすると、三ツ谷が笑った。
「この階、バーしかねぇらしいから多分大丈夫」
「アンタ何でそんなに詳しいの」
「担任から聞き出した」
やっぱり上手いことやるなあ、と思う。
私は今まで悪さなんてしようものなら、必ず見つかり説教を食らってきたタイプだ。
バレないようにやる、なんてことができない不器用さ。
三ツ谷は今までも器用に上手く生きてきたんだろうな、と思うと、やっぱり私たちは全然かけ離れていると思ってしまう。
「で?何の話?」
「話っつーか、これ」
三ツ谷がポケットから取り出したものを手渡された。
「昨日稲荷大社行っただろ?達成のかぎ」
「達成のかぎ?」
「目標とか願いが実現するお守り。オマエにピッタリだなと思って」
目を細めて微笑む三ツ谷。
この修学旅行中に、私のことなんか考えてくれる時間があったんだと思うと、胸がきゅうっと苦しくなる。
夢を持ちたいつまらない私のことを、考えてくれたんだと思うと、何とも言えない歯痒い気持ちになる。
「何て顔してんだよ」
「いや…」
そんなことを言われても、自分がどんな顔をしているのか、全く想像もつかない。
もしかしたら、アンタのことが好きでたまらないって
、顔に書いてあるかもしれない。
バレてしまっているかもしれない。
それでも絶対、言葉にはしてやらない。
ゼロにだけは、したくない。
貰ったお守りをぼんやり眺めていると、隣の三ツ谷の顔が覗き込むようにして近付いてきた。
「へ…」
キスされる、と思って咄嗟にギュッと目を瞑った。
その直後、ペチン、という音とともに、おでこに軽い痛みが走った。
「った、」
目を開けると、歯を見せてニヤリと笑う三ツ谷の右手が、私のおでこに置かれている。
「な、にすんの、」
起こること全てに動揺して、恥ずかしさが込み上げてくる。
私、今、何考えた?
三ツ谷がキス?
そんなわけないのに、何を期待した?
服の袖で咄嗟に口元を隠すと、三ツ谷は私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「…犬じゃねぇんだぞ、クソ」
「はは」
心臓がドクドクと異常な程速く脈打って、顔だけ別の生き物みたいに熱が上がっている。
隣で笑う彼の目が見れない。
「ん」
また気持ちを掻き乱されたことが悔しくて俯いていると、三ツ谷が左手を差し出した。
その意図が汲めず、実は私も三ツ谷に渡したかった物をスウェットのポケットから取り出して、その掌に乗せた。
三ツ谷はその小さな紙袋から中身を取り出した。
「交通安全のお守り?」
「そ、今日金閣寺行ったから」
「へぇ」
「バイク乗るしいいかなって」
そのお守りをじっと見つめると、彼は目を細めて笑った。
「ありがと、嬉しいわ」
三ツ谷は、ギュッとお守りを握りしめてからポケットに仕舞い、またその手を差し出した。
「ん」
「は?もう何もねぇよ」
そう言った瞬間、右の手を掴まれ、するりと指を絡めて掌を合わせてきた。
「うわ、オマエ手ちっさ」
突然のことに頭が混乱して、少し落ち着いた心臓が、また暴れ出す。
付き合ってもいないのに何で手なんか繋いでくるんだよ、なんて悪態もつけないほど、頭の中が、とっ散らかってしまった。
絡めた指で手の甲を優しく握られると、もう思考回路はパンク寸前だった。
自分の心臓の音が煩くて、頬が熱くて、もう耐えられない。
空いている左手で顔を覆うと、三ツ谷が笑った。
「そろそろ戻っか」
立ち上がった彼にそのまま手を引かれ、立たされる。
三ツ谷はエレベーターのボタンを押すと、小さく溜息を吐いた。
それが何の溜息なのか考える余裕もない。
繋がれたままの手を振りほどく力もなく、到着したエレベーターに乗り込んだ。
お互い無言のまま、ずっと手は繋がれている。
この状況を飲み込めなくて、ずっと俯いていた。
私の部屋の階に止まり、エレベーターを出ると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
「やべ、」
曲がり角から廊下の様子を覗いた三ツ谷は、一瞬焦った様子で立ち止まる。
教員の巡回がまた始まったのかもしれない、と焦る私の手をギュッと握って、三ツ谷は足を進めた。
「おい、お前ら何してんだ?」
部屋まであと一歩のところで、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、デザイン科の教員がいた。
終わった、と思う私の手を解放すると、三ツ谷はその教員に向かって笑顔を向けた。
「あー、センセ、こいつ夢遊病?何か寝惚けて歩いてたから部屋まで連れてきてやったんすよ」
三ツ谷の機転を利かせた嘘に、私も便乗した。
「あ……すみません、寝惚けてたみたいで」
「おー、そうか。で?お前は何してた?」
「あー、オレ、コーラ飲まないと眠れなくて。昼間買うの忘れちまって自販機探してたんすよ」
「自販機ならお前らの泊まる階にあるだろう」
「え、マジすか!やべぇ、見逃したかな」
「ちなみにこの階全体教員と女子の部屋だから、あんまりウロウロすんなよ」
「そうなんすか、さーせん」
歯を見せて笑う三ツ谷に、教員もつられて笑っている。
ピンチの切り抜け方がすごすぎる。
こんなんで許されんの?
「芽衣、部屋ここで合ってる?じゃあな」
「あー、うん」
三ツ谷の問い掛けに返事をして、部屋のチャイムを押し、鍵を持っていないふりをした。
内側から扉が開いて、美結と優が中から顔を出した。
「もう、急にいなくなるから心配したよ!」
「芽衣、早く寝ようねー」
咄嗟の嘘に、何故か二人が合わせてくれている。
「ちゃんとチェーン掛けとけよ」
教員の言葉に、二人がニコニコと返答した。
「はーい!気をつけます!」
「先生ありがとうございましたー!おやすみなさーい!」
バタン、と閉まった扉の向こうから、三ツ谷と教員の笑い声が聞こえて、安堵の溜息を吐いた。
「いやマジで焦った」
げんなり話す優の声に安心して、緊張が解けた。
「見回りまた始まったっぽいねって、扉の前で聞き耳立ててたら三ツ谷くんの声が聞こえたから、めっちゃ焦った」
道理で、嘘に合わせられたわけだ。
「合わせてくれて助かった」
寝てていいとか言っておきながら、起きていてくれた二人に心底感謝した。
「で?何でそんなにずっと顔が赤いのか教えてくれるかな?」
二人はニヤニヤしながら、迫ってくる。
「は?知らねぇよ!」
「あ!何か隠してるな!」
「吐け!」
「何もねぇって!疲れて死にそうだからもう寝る!」
「疲れるようなことがあったんだな?」
「きゃーーーー」
「もういいって!」
お互い言葉にはしていない。
それでも、手を繋いできたというのは、やっぱりそういう事なんだろうか。
それとも何の気もなかったんだろうか。
妹と手を繋ぐ感覚?
仲間と肩を組む感覚?
またごちゃごちゃ考えてしまいそうになるけど、右手にまだ三ツ谷の手の感触が残っていて、今はただそれに浸っていたかった。


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