朝目が覚めて、若干の体の痛みを感じた。
見慣れない天井は、真っ白で無機質だ。
昨日事故ったことがふと頭の中を過って、生きてて良かったと、心底思った。
それと同時に、病院に駆けつけてきた三ツ谷のことも思い出す。
あれは夢じゃなかったんだろうか。
もしかしたら、事故って頭の中がおかしくなってて、都合のいい夢を見ていたんじゃないかと思う。
ベッドから下りて大きく伸びをすると、病室の扉が開いた。
「あ、吉野さん、無理に体動かさないでね」
朝食を運んできた看護師に注意されて、大人しくベッドへ戻った。
味の薄い食事を終えて、暫くテレビを見ながらぼんやりしていると、病室の扉が勢い良く開いた。
「よう」
そちらに目をやると、三ツ谷が肩で息をしていた。
「は?」
走ったのか、近付いてくる彼の額に汗が光っている。
「何してんの、こんな朝早くから」
「は?会いに来たに決まってんだろ」
「…は?」
当たり前のように言葉を吐き出す彼は、目を細めて笑った。
「夢じゃねぇよなって、確認」
昨日のことが夢のように感じていたのが、私だけじゃなかったと知って、思わず笑みが零れた。
「…は?何だよその顔」
「…何、って何だよ」
「可愛い」
「…は?」
「病衣、似合ってねぇな」
会話の内容に波を感じて、ジェットコースターに乗せられている気分だ。
「…こんなもん似合っててもしょうがねぇだろ」
「だよな」
簡単に可愛いなんて言葉を口にして、その余韻もなくディスをカマしてくるあたり、やっぱりコイツはクソ三ツ谷だ。
「なぁ」
「何」
「夢じゃねぇよな?」
訊きたいことはわかってる。
それでも、さっきの仕返しにちょっと意地悪をしたくなった。
「何のこと?」
しらばっくれてそっぽを向けば、頬を掴まれた。
「付き合ってんだよな?オレたち」
ハッキリ言葉にされると急に恥ずかしくなって、頬の熱が上がっていく。
「何赤くなってんだよ」
「知らねぇよ」
「好きって、言ってみ?」
意地悪をするつもりが、意地悪されている。
ムカつく。
けど、そんな所も結局、全部、私の好きな三ツ谷だ。
「……好きだよ」
流石に目を見て言うのは無理で、視線を逸らしてそう言うと、頬が開放された。
三ツ谷に視線を送ると、先程まで私の頬を捉えていた手で、顔を覆っている。
「…何だよ」
「…破壊力やべぇな」
「は?」
指と指の間から、こちらに視線を移した三ツ谷と目が合った。
「…オレじゃねぇみてぇ」
「うん」
少しだけわかる。
いつも飄々としていて、本当の気持ちなんて全然見えない。
三ツ谷が昨日、泣きながら気持ちを伝えてくれるまで、私のことをそこまで想っていてくれたなんて、思いもしなかったし。
むしろ、別の彼女がいると思っていたし。
「オレ、女の子と付き合うの初めてなんだよ」
「…は?」
さすがにそれは嘘だろ、と思っていると、また三ツ谷の手が伸びてきた。
その手が触れて、親指ですりすりと頬を撫でられると、胸の奥がきゅうっと締まった。
「いつも野郎とばっかつるんでたからな」
「…手芸部だったじゃん」
いつも部員に囲まれていた三ツ谷を知っている。
別に過去にやきもちとかそんなんじゃなくて、いくらでも女の子と付き合う機会はあっただろって話。
「部員がたまたま女子しかいなかっただけで恋愛対象に見た事ねぇよ」
「…そ」
「そういうことで、オレ恋愛初心者だから。お手柔らかに頼むワ」
私だって初めての彼氏がアンタなんだってことは、言わない方がいいんだろうか。
「…オマエは?元カレとか、どんなヤツ?」
ベッド脇の丸椅子に腰掛けながら、三ツ谷は無表情で尋ねた。
「歳上とか?」
「…イメージだけで訊いてんの?」
「…まぁ。中学ん時から他の女子よりちょっと大人びて見えてたから」
ただ尖ってただけで、落ち着いてたわけじゃない。
なんなら喧嘩や深夜徘徊に明け暮れていたあの頃は、自制の効かない子供でしかなかった。
「…さぁね。アンタには教えない」
「…別にいいけど」
少しつまらなそうに唇を尖らせる三ツ谷を見たら、何だかまた笑えてきた。
「な、何笑ってんだよ」
「いや別に…アンタそんなに私のこと好きなの?」
意地悪しようとして返された意地悪に、また仕返しがしたい気持ちと、私ばかりが好きだと言葉にした悔しさとで、こんなことを訊いてしまっている。
なかなか返ってこない返事に、馬鹿みたいに思えてくる。
小さく溜息を吐くと、三ツ谷の顔が近付いてくる。
「な、何…」
「好きだよ。すげぇ好き。多分お前が思ってるより何倍も」
今にも鼻先が触れそうで、三ツ谷の潤んだ瞳が綺麗すぎて、思わずギュッと目を閉じた。
その直後、頭の上に手を置かれて、髪をわしゃわしゃと撫でられた。
瞼を開けば、今まで見ていたよりずっと優しい眼差しと目が合った。
「よし、確認できたし行くわ。ちゃんと安静にしてろよ?」
そう言いながら立ち上がると、彼は手をひらひらと振りながら病室を後にした。
「…何なんだよ……!」
付き合ったとて、私がアイツに感情を掻き乱されるのは、変わらないことみたいだ。




「芽衣、ホントに学校行くの?」
「医者がいいって言った」
検査のための入院は何事もなく無事に終わり、週末は自宅で安静にした。
夜になると三ツ谷が電話をくれて、ほんの少しだけくだらない話をした。
大量に届いていた美結と優からのメールは、入院中から時々返信をしていた。
退院してから二人に報告の電話をすると、二人とも泣いていた。
早く二人に会いたくて、学校に行ったらまず何から話そうかベッドの上で考えてた。
「バイク乗るのしばらくやめときなさいよ」
事故った原付は、奇跡的に全損まではいかなかった。
三ツ谷がバイク屋に連絡して持って行ってもらったと聞いた。
「まだ修理中だし」
電車で行くよ、と付け加えて、鞄を持って玄関の扉を開けた。
「よう」
「…は?」
扉の先には、バイクに跨る三ツ谷がいた。
「何してんの?」
「迎えに来た」
目を細め、歯を見せて笑う三ツ谷は、半キャップを差し出している。
「あ、」
何か思い出したように、彼はバイクのエンジンを止めてそこから降りた。
私の元まで歩いてくると、唐突に玄関の扉を開けた。
「おはようございまーす」
少し大きめの声で中に向かって挨拶している。
「な、何してんの」
「ん?挨拶」
リビングの方から母が出てくると、三ツ谷は頭を下げた。
「あら、三ツ谷くん」
「おはようございます」
「おはよう、どうしたの?」
「芽衣さん、オレのバイクに乗せてってもいいですか」
「えっ」
多分、事故直後で心配してくれているんだと思う。
お母さんは少しの間考えるような顔をしてた。
「ダメだったら、一緒に電車で行くんで、バイク置かせて貰ってもいいですか」
三ツ谷は目を細めて私の母に笑いかけている。
「…気をつけてね。安全運転で」
母の言葉に、三ツ谷は頭を下げた。
「勿論です、行ってきます!」
三ツ谷は静かに扉を閉めると、私の頭に半キャップを被せた。
「一応許可もらっとかないとな」
何だか恥ずかしくなってきて、三ツ谷の背中に拳をぶつけた。
「痛えよ」
「バカ」
「あ?」
「…好きだよ」
そう呟くと、三ツ谷は私の手を取り、停めてあるバイクに向かった。


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