次の朝、原付を押しながら駐輪場に入っていくと、既にエンジンを切ったバイクに跨る三ツ谷に会った。
「おはよ」
無表情で挨拶してくる三ツ谷を見たら、昨日の紙切れを思い出して、何だかイライラしてきた。
返事をせずに原付を置くと、近付いてきた三ツ谷にヘルメットをコツン、と軽く叩かれた。
「無視すんじゃねぇよ」
唇を尖らせてつまらなそうにしている彼に、文句を言ってやりたい気持ちが生まれかけた。
だけど、三ツ谷は何も悪くないし、何も知らない。
面倒臭いのは御免だ。
「…別に無視してねぇよ」
「してんじゃねぇか」
「おはよ」
これでいいだろ、と一言加え、私はヘルメットを外してシート下に入れた。
「今日帰り、後ろ乗ってかね?」
唐突な言葉に、固まってしまう。
何も知らないって怖い。
紙切れの女に見られたら、また反感を買ってしまうかもしれない。
と思ったのと同時に、無視を決め込むことにしていたのを思い出す。
「…海でも見たくなった?」
三ツ谷のバイクで行くのは海、というのが私の中で定番になっていた。
まだたった二回だけど、私の行けないところまで乗せていってくれる頼もしいバイクだ。
「いや、今日は違うとこ」
違う所と聞くと、何だか気になってしまう。
「…わかった」
私が肯定の言葉を口にすると、三ツ谷は目を細めた。
「よし、授業終わったらここで待ってろよ」
「ん」
短く返事を返すと、三ツ谷は鞄を背負って玄関に向かって走り出した。
鞄に引っ掛けたヘルメットが左右に揺れている。
その後ろ姿にさえ目を奪われてしまっている私は、素直になれないし、可愛くないし、一体何がしたいのかわからない。


「おい、ブスってことあるかコラ!」
「よっぽど自信あるんだろね」
昨日のクソみたいな紙切れのことを、二人に話すかどうかは、だいぶ悩んだところではあった。
ただ、その見えざる敵と直接対決が起きる可能性も無きにしも非ずで、一応その理由が二人には明白になるようにしておこうと思い、昼休みになってようやく、決心が着いた。
言わないでいて何かが起きた時に、心配させるのは嫌だった。
「きっと自分に自信あったら自分以外はみんなブスに見えるんだよ!間違いなくクソ女だな!」
紙切れ女が、どんな美女なのか知らない。
それでも二人は私の肩を持ってくれた。
「てかヤンキーに喧嘩売るとかウケるわ」
「わかる!芽衣、一発でやっちまえ!」
「喧嘩とかめんどくせーわ」
笑いながら返事すると、二人も笑った。
「てか紙切れで宣戦布告とか小学生かよ!!!」
「ぎゃふんと言わせたいなー」
話したことで、深刻な雰囲気にならなくてよかったと思う。
やっぱり二人は、私に光を差してくれる存在だと改めて感じる。
三ツ谷が、仲間を大切にしろって言ってくれた意味が、少しわかった気がした。
私はこの二人に迷惑を掛けたくないし、いつもこんな風に笑ってて欲しい。
「こうなったら放課後ファミレスで作戦会議しよぜ」
「パフェ食べる!」
何だか盛り上がってしまった二人に申し訳なかったけれど、小さな声で返事をする。
「あー…ごめん、今日はパス」
放課後は教室でだべって、電車通学の二人と玄関で別れることが多い。
これまでも時々、二人の思い付きで学校帰りに何処かに行くことはあった。
もちろん、ファミレスとかカフェとか、暗くなる前にちゃんと解散する感じで、健全に。
「いつもなんだかんだ付き合ってくれるのにつれないなー」
「先約ある」
そう言った私を、突如キラキラ輝く瞳で見つめてくる二人の訊きたいことは、何となくわかる。
「……三ツ谷」
「芽衣の"三ツ谷"頂きましたー」
「ごちそうさまでーす!」
「ねぇ、ほんとからかうのやめて」
頬が熱くなってくるのを感じて、本当に恥ずかしくなってきた。
「照れてるー!?」
「かわいいかわいい」
「ちゃかすな」
ここ数日、私の中の、自分を壊したい気持ちが落ち着いている。
それはこの二人が笑っていてくれることが、前よりも大切に思えるからで。
そう思えるのは、三ツ谷が大切にしろって言ってくれたからで。
小さくても夢を持てるようになったからで。
三ツ谷に対する気持ちに、素直にはなれていないけれど、ちゃんと気付いているからで。
こんなに胸の中が温かい気持ちで溢れることは、自分を十分すぎるほど、満たしてくれた。


放課後、駐輪場に向かうと、私の原付を塞ぐように、自分のバイクに跨る三ツ谷がいた。
「ちゃんと来たな」
「原チャあんだから、どっちにしろ駐輪場には来るんだよ」
「そりゃそうだ」
可愛げなく答える私に、三ツ谷は大きな口を開けて笑った。
「で?乗ってくだろ?」
自分の原付のシート下から半キャップを取り出して被ると、返事もせずに三ツ谷の後ろに乗った。
「オマエのそういうとこ、いいよな」
三ツ谷はキーを回してから、私の右腕を取った。
「そろそろ覚えろ、ちゃんと掴まるの」
「わかってるよアホ」
私の憎まれ口を合図に、バイクは走り出す。


高層ビルに人混み、車が行き交う街が流れていく。
その街の真ん中のバイク駐輪場で停車。
走り出してから、そんなに長い時間は掛からなかった。
右腕をトントン、と叩かれる。
"降りて"の合図だった。
ゆっくりと地に足を着ける。
「…原宿?」
平日の夕方でも、この街には人が溢れかえる。
半キャップを外して、背負っているカバンに引っ掛ける。
私に続いて降りた三ツ谷も同じように、自分の鞄に半キャップを引っ掛けた。
「何すんの?」
「クレープだろ」
「は?」
三ツ谷はスタスタと先に進んでいく。
クレープが食べたかったんか?
朝から?
全く意味がわからず、三ツ谷の後ろをついて行った。
クレープ屋の前まで来ると、列に並ぶ。
「甘いの、好き?」
「ん」
突然の質問に、まだ混乱したままの私は短く返した。
「そんな尖ってんのに?」
「それ関係なくね」
「まぁな」
私の言葉に、三ツ谷は笑った。
三ツ谷のクレープを食べたい欲に、何故か付き合わされる形になった。
注文したクレープを受け取ると、その甘い匂いにお腹が減ってくるから、正直な食欲は現金なもんだ。
「んま、」
久しぶりに食べたクレープに、食べ進めるのが止められない。
「すげぇいい食いっぷり」
隣の三ツ谷に目をやると、目が合って不意に胸がキュッと締まる。


クレープを食べ終えると、フラフラと人混みの中を歩く。
隣に並ぶのは何となく気が引けて、後ろからついて行くように歩いた。
「迷子になんなよ?」
時々振り返る彼は、笑っている。
今日はやけに笑顔が多いな、と思いながら、その後ろ姿を見失わないように進む。
何をする訳でもなくブラブラした後、バイク駐輪場に戻った。
日が長くなったとはいえ、あたりは既に薄暗くなり始めていた。
「付き合ってくれてありがとな」
歯を見せて笑う三ツ谷に、率直に問い掛けてみる。
「そんなにクレープ食いたかった?」
「まぁね」
そんなに甘いものが好きだったのか。
今思えば、気持ちが膨れ上がるばかりで、私は三ツ谷のことを全然知らない。
そんなことを考えていると、彼は思いがけない言葉を発した。


「オレ、今日誕生日なんだよね」


その一言に、混乱した。
「え?」
「17歳」
「マジ?」
「マジ」
大事な誕生日に、何で私なんかとクレープ食べてんだ、このアホは。
「そんなん、早く言ってくれたらクレープくらいご馳走したのに」
ははっ、と笑いながら、三ツ谷は頭を掻く。
「プレゼントとか何もねぇよ」
知ってたらもう少しちゃんと、祝ってあげられたかもしれないのに。
「じゃあさ、携帯、教えといて」
ポケットから自分の携帯を取り出し、それを私の方に差し出している。
「これでいいよ、プレゼント」
ニヤニヤしながら、そんなことを言う。
何て答えたらいいのかわからなくて、無言で三ツ谷の携帯を受け取り、自分の番号を押して、発信した。
自分の携帯で着信を確認して、彼に携帯を返した。
「こんなんでいいのかよ」
「いいんだよ」
三ツ谷はそう言うと、ヘルメットを被った。
「ほら、帰んぞ」
「ん」
家まではそう遠くない。
頭の中の整理をつけることが出来ないまま、タンデムシート上で揺られていた。


家に着き、バイクを降りる。
まだ頭の中で疑問符がたくさん浮かんでいる。
今、自分がどんな顔をしているのかわからない。
「じゃ、また明日」
優しい笑みでそう言う三ツ谷に、言い忘れそうになった言葉を告げる。
「誕生日、おめでと」
彼は一瞬目を見開いてから、また目を細めた。
「ありがとな」
「また明日」
ペダルを踏み込み、アクセルを回すと、バイクはまた走り出した。
その背中に、ぶつけたい想いがどんどん増えていって、何だか涙が零れそうになってしまった。


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