「海だ!海だ!海だー!」
6限が終わり、教室に響く美結の大きな声。
聞こえないはずはないけれど、それを無視して鞄を持ち上げた。
「芽衣ー!!!!!!!」
聞こえない、聞こえない。
「夏といったら海!」
窓際の私の席まで小走りで飛んできて、顔を寄せてくる。
「…バカ、聞こえてるよ」
「返事しないから!」
「あーはいはい」
彼女はどうやら、海に行きたいらしい。
三ツ谷の誕生日にクレープを食べてから、ひと月が過ぎ、季節はすっかり夏になっていた。
「夏休み!海行こ!」
キラキラした目で、懇願されると、頷いてあげなきゃいけなくなる。
私はこの子のキラキラした瞳に弱かった。
「今度水着買い行こー」
後ろから聞こえる優の声に、私は固まった。
「何顔赤くしてんの」
「べっつにー」
「もしかして露出無理!とか思ってんの?」
「そりゃそうだろ!夏の海とかキラキラし過ぎててきついわ」
「夜が似合う女」
「そういうことじゃねぇだろ」
私と優のやり取りを聞いていた美結は、私の腕を引いた。
「今日行く!」
「は?」
「お、いいね」
二人の思い付きの行動は珍しくないけど、なんせ心の準備ができていない。
「大丈夫、海なんてみんな露出してんだから!」


海水浴として海なんてもう何年も行ってないし、気乗りしないなと思いながらも、靴を履き替え、玄関を出る。
「芽衣、原チャどうする?」
「あー、置いてくわ」
駐輪場の横を通り、三人で校門へ向かうと、その前にバイクを押している三ツ谷がいた。
「あ!銀髪お洒落くんだ!」
その後ろ姿に気が付いた美結が大きな声を上げると、彼が振り返った。
「おー、あれ、オマエ原チャは?」
「置いてく」
「これから水着買いに行くの!」
「海でも行くのか?」
「夏休みにね!いいでしょー」
楽しそうに話す美結に、すっかり慣れた様子の三ツ谷。
友達同士が仲良くしてくれているのは、何となく嬉しかった。
ほかほかした気持ちでその様子を眺めていると、優がさらりと言い放つ。
「海でナンパされちゃうかもー」
何考えてるのかだいたい分かるけど、優が三ツ谷を横目で見ると、彼は笑いながら返した。
「夏の海は危ないお兄さんも多いから、気を付けろよ」
「アホ、そんなんぶっ飛ばしてやるよ」
「あー、オマエ空手やってたもんな。君たちの安全は吉野に託されたな」
私の言葉に、三ツ谷は笑った。
そういえば、携帯教えてくれなんて言っておいて、三ツ谷から一度も連絡は来ていない。
この一ヶ月、時々駐輪場で会うと、挨拶を交わすくらいだった。
気まぐれだったのか何なのか。
だけど、こんな所でそんなことを聞くつもりはなかった。
連絡を待ってるみたいで、何だかちょっとだけ、悔しくなった。


それから二時間近く、二人に連れ回された。
試着しながら、ああだこうだ楽しそうで、文句のひとつも言えなかった。
気乗りしないとか思ってたのに、楽しそうな二人を見てたら、何だかんだ自分も楽しんでしまった。
買い物を終えて、甘いものが食べたいとはしゃぐ二人に連れられ、ファミレスに入った。
「チョコレートパフェ!」
「私もー、芽衣は?」
「同じの」
いつものように、三人でチョコレートパフェを頼んで、ドリンクバー片手に、くだらない話をする。
「芽衣、ほんとに三角ビキニじゃなくて良かったの?」
勢いよく食べるもんだからチョコレートソースが付いてしまっている美結の口元を紙ナプキンで拭いながら、返答する。
「バカか」
「まぁ、似合うの買えたからよかったじゃん」
何故か露出多めの際どい物ばかり勧めてくる美結と、ちゃんと私に合いそうなものを選んでくる優は、ある意味すごくバランスが取れている。
優のおかげで露出控えめな物にできたし、ラッシュガードも購入したから、辛うじて海に行っても良さそうな気がしてきた。
「海のイケメンに出会いたいー!!!」
「来年は忙しくなりそうだし、今年のうちに彼氏作っておきたいわ」
夏休みに向けてはしゃぐ二人を見ていると、何だか自分まで少しワクワクしてくる。
私もこの夏、何かしたい。
そんな希望を少し、持ってしまった。


「あれ、吉野?」
ドリンクバーで散々くだらない話をしてファミレスを出ると、声を掛けられた。
声のする駐輪場の方に目をやると、、バイクに跨る三ツ谷がいた。
「銀髪お洒落くん!さっきぶり!何でこんな所に!」
「おー、クラスの奴らと飯食ってた」
デザイン科の光り輝く眩しい連中が近くにいると思うと、無意識に背筋が伸びる。
「「デザイン科!」」
すぐさま反応し、キョロキョロ辺りを見回す美結と優を見て、三ツ谷が笑った。
「アイツらならもう駅行った」
「アンタだけバイク?」
「そ。オマエらこそ買い物じゃねぇの?」
「いい買い物してきたよー」
ニヤニヤして私の方を見ながら話す優を軽く小突くと、少し離れたところから大きな声がした。
「三ツ谷くーん!」
「あ?」
遠目から見てもわかるほど可愛らしい女の子が、こちらに向かって走ってきた。
「おー、オマエ帰ったんじゃねぇの?」
「ボーっとしてたらみんなに置いてかれちゃって」
三ツ谷の前まで来たその子は、私たちの方には目もくれず、彼を見上げていた。
「電車だろ?」
「三ツ谷くん、バイク乗せてってよ」
そのやり取りを見ていて、何だか胸がチクチクする。
会話の流れから、さっきまで一緒にいたクラスメイトだということはわかる。
「危ねぇからやめとけ。ほら、遅くなる前に駅行けよ?」
「三ツ谷くんのケチー」
その子は、ハンドルを握る三ツ谷の腕を掴みながら、ちらりとこちらを見た。
一瞬目が合って、何か嫌な感じがした。
なんというか、敵意みたいなものが、鋭く向けられた気がして。
「危ないなら、仕方ないか!じゃあ、また明日ね」
「おー」
彼女は明らかに私たちの存在を認識しながら、一言もなしに、また来た道を戻って行った。
「あー、わり、クラスのヤツ」
三ツ谷は表情を変えずに、私たちの方に視線を戻した。
「へー」
「はーん」
両隣の二人が、何故かイライラした様子で返事をした。
「彼女とか?」
しれっと優が出した言葉に、一瞬心臓が浮き上がる感覚がした。
変なこと訊いてんじゃねぇ、と言いそうになるのを堪える。
「そんなんじゃねぇよ」
否定している三ツ谷の視線は、小さくなっていく彼女の後ろ姿に移った。
あの子がバイクに乗せて欲しいと言ったことに対して三ツ谷は、危ないから、という理由で断っていた。
危険を回避するのは、悪いことじゃない。
だけど、私に対してそんなことを言ったことはなくて、変な言い方をすれば、あの子は危険から守りたいけど、私は大丈夫って、そういうこと?
何となく、この感じを知っている。
私は、何の意味もない感情を、胸の内に抱いてしまっているのかもしれない。
私の知らない三ツ谷を知ってしまった気がして、さっき食べたチョコレートパフェが上がってきてしまいそうな、そんな気持ちになった。


「オマエら電車だろ?気をつけて帰れよ」
「ん」
「じゃねー」
「またねー!」
三ツ谷と別れて、駅に向かう。
三人で電車に乗り込むと、心地良く揺られて、何だかウトウトしそうになった。
「何か疲れてんじゃん、芽衣」
「あー、ごめん」
微睡みの隙間で、三ツ谷とデザイン科女子のやり取りが頭から離れず、ぼんやりしてしまう。
「てかさー、これ完全にウチの勘だけど」
「なになに?」
「さっきのデザイン科の子、紙切れ女の可能性ー!」
唐突に話し出す美結の言葉に、否定のしようがなかった。
だって、向けられちゃったし、敵意みたいな嫌な感じ。
「だって彼と話してたウチらのこと気付いてて、何も言ってこないっておかしくね?」
「確かにねー、何かバチバチだったよね」
「これ見よがしに銀髪お洒落くんの腕掴んでたし」
「また何かされたら言いなよね」
「ウチらじゃ頼りないかもだけど、ぶっ潰す!」
二人は深刻そうに話していた。
頼りないなんて思ったことはないけど、二人に心配も迷惑も掛けたくない。
だったら、闘わなきゃいいだけの話。
恋愛絡みで争うのは泥沼化確定なわけで。
そんな面倒なことになるくらいなら、私は何もいらない。
「怠いね、さすがに」
一言返すと、ちょうど最寄り駅に着いて、二人と別れて電車を降りた。
これはまた、何か仕掛けてくるかもしれないなと思い、溜息を吐く。
面倒なのはもう、真っ平御免だ。
何より、三ツ谷を原因にそんな怠いことは絶対にしたくない。
また暫くアイツを回避した方がいいんだろうかと考えながら、家路に着いた。
次の日、怒りに震えることになるなんて、この時は思いもしなかった。


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