「よう」
「よう!」
「さっきの、誰」
遅れてごめん、より先に出てしまう問い掛け。
三十路も近い大の大人がすることではないかもしれない。
「あー、…見てた?職場の先輩だよ。隆くん待ってたら偶然会って」
「ふーん」
普段は待ち合わせに遅れることは絶対にない。
たまたま道中が悪路だった。
電車は遅延するし、通った横断歩道は全部赤信号で足を止められた。
駅の駐輪場でチャリのドミノ倒ししちまってる小学生が泣いていて、倒れたチャリンコ全部起こしてきた。
そのせいで汗だくだし、久しぶりのなまえとのデートにこうして少し遅れてしまう始末だ。
だけど、彼女がどんな顔してオレのこと待ってんのかなーって考えたら、待たせる側の楽しみもあったりすんのかななんて浮かれちまった。
待ち合わせ場所に向かうと、彼女は見たことねぇ男と何か親しげに話してた。
長身で爽やかな雰囲気のそいつは、ナンパには到底見えなくて、多分知り合いなんだろうなって思った。
そしたら男の手が彼女の髪に一瞬触れて、腹の底からぐわあって熱が沸き上がってきた。
だけど、待ち合わせに遅れたオレが悪いんだし、一旦深呼吸して気持ちを落ち着けてから彼女に声を掛けた。
…にも関わらず、待たせてごめんと謝るより先に、腹の底の醜い嫉妬が口から飛び出した。
久しぶりのデートで、時間通りに待ち合わせ場所に着くと隆くんの姿がなかった。
いつも時間前に待っていてくれる彼に何かあったのかなと少し不安になってスマホを見た。
少し遅れるかも、ってメッセージが一件入っていた。
急がなくていいから気を付けて来てね、って返した。
まだかなぁってスマホを握りしめて、待受にしてる隆くんの横顔を時々見てた。
早く会いたいな、たまには待つのもいいな、なんて思いながらニヤニヤしてると、
「あれ?こんなとこで何してんの?」
なんて声を掛けられて、顔を上げたら会社の先輩がいた。
「あー、お疲れ様でーす」
「例の彼氏とデート?」
「まあ」
会社の近しい人間には、以前から彼氏の存在を伝えていた。
「今度会わせろよ、イケメンなんだろ?」
「この一瞬じゃ到底語れない、イケメンスパダリ彼氏でーす」
「どっか行くの?」
「彼が予約してくれた高級ホテルのレストランでご飯でーす」
先輩と話してると、ニヤついてしまう。
別に先輩の鼻毛が出てて可笑しいとか、そんなんじゃない。
ただこうして今ここにいない大好きな隆くんのことで、頭がいっぱいなだけだ。
「デート楽しんで」
そう言って笑った先輩は、ハッとして私の髪に触れた。
「ゴミついてた、彼氏と会うならちゃんと鏡見とけよ」
「うるさいでーす」
「じゃ、また惚気聞かせろよ」
「嫌でーす」
私の返答に笑いながら去っていく先輩を見届けて、再びスマホの待受を見た。
またニヤニヤしてしまった。
「よう」
声を掛けられて顔を上げると、隆くんがいた。
「よう!」
嬉しくて、ニヤニヤは継続している。
今日も今日とてかっこいい。
待受の横顔も大好きだけど、こうして私と実際目が合う本物の隆くんが、やっぱり一番だ。
遅れるなんて珍しいね、って言おうとしたら、
「さっきの、誰?」
って、先輩が去っていった方向を顎で指した。
「あー、…見てた?職場の先輩だよ。隆くん待ってたら偶然会って」
先輩に彼氏とデートする自慢をしている浮かれた私を、隆くんに見られたのが少し恥ずかしいな、と思って俯いた。
「ふーん」
そんな私の照れてる様子なんて少しも気づかない様子で、隆くんはつまらなそうに返事をした。
ここに来る前に何か機嫌を損ねることがあったのかな、って思った。
そもそも待ち合わせに遅れることが珍しいし、よく見たら、何か汗かいてるし。
「汗、拭いて」
鞄からハンカチを取り出して差し出すと、隆くんはそれを受け取って無言で額の汗を拭った。
「洗って返す」
「え、いいよ」
「いや汚ぇし」
「…は?」
どうして好きな人の汗が汚いことがあろうか。
何なら汗だくのあなたの首筋に何度も唇を寄せたことがある。
汗ばむ背中を何度も抱き締めた。
普段はこんなこと言わないのに、やっぱり様子がおかしい。
あー、オレ大人気ねぇことしてんなーとは思った。
まず待ち合わせに遅れたことを謝って、彼女と手を繋いで、予約した店に向かうつもりだったのに。
たったあれだけの一瞬の出来事が、オレの腹の中で嫉妬という感情を沸かしている。
もしかしたら、普段ならもう少し余裕があったのかもしれねぇけど、何せここに来るまでの不運の連続に、若干参っていたのは事実。
待ち合わせ場所に近付いて、やっと会えるって嬉しくなった所で、あんなの見ちまうし。
先輩だという男の事を訊けば、耳を赤くして俯いたりなんかして。
そのくせハンカチを差し出してくれた彼女の笑った顔はいつもと何も変わらなくて、あー、何もわかんねぇんだな、今のオレの気持ちなんて、って思っちまった。
ハンカチを洗って返す、なんて普段なら多分言わないし、ちゃんとお礼も言ったはずだ。
何してんだろ、って思いつつも口から出てしまった言葉はもう戻ってこないし、丸い目を大きく見開いて若干眉間に皺を寄せた彼女を見て、あー、もうダメだって思った。
「何でそうなるの?何かあった?」
そう尋ねると隆くんは眉間に皺を寄せた。
「やっぱり帰ろ。喧嘩したくねぇ」
「え、何でそうなるの?」
「いや、オレがマジでダメなんだよ」
「ごめん、」
「は?何で謝んの」
「だって来た時から怒ってた」
「怒ってねぇよ」
「怒ってるよ!」
少し声を荒らげてから、しまった、と思った。
そしたら声を荒らげた私に応戦するかのような言葉が飛んできた。
「オマエさ、オレなんかよりもっといいヤツいるんじゃね」
「なにそれ」
「さっきのヤツとか」
思いがけない言葉にさすがに腹が立って、隆くんの肩を思いっ切り殴ろうと腕を振り上げた。
彼なら反射的に避けられるはずの拳は、そのまま彼の肩にドン、とぶつかった。
「ムカつく」
そう暴言を吐いてから、踵を返して足早に歩き出した。
ホントにムカつく。
大好きな人にそんなこと言われて、私ばっかりが好きなんだな、って思わされちゃうし。
何日も前から今日のデートを楽しみにしていたのに、もう気分は最悪だ。
「待って」
呼び止めるんだ、帰ろって言ったくせに。
「待てって、」
手首を掴まれて、それを振り払おうとすると、更にぎゅっと強く掴まれてしまった。
「離してよ」
目に涙が溜まってきて、それを零すまいと唇を噛み締めた。
掴んだ手首を引き寄せて彼女の体を抱きとめた。
「ごめん、」
涙目になっているなまえを見たら、何だかふと我に返った。
「ごめんじゃ済まない」
「悪かった」
「好きって言って」
「は?」
「言わなきゃ許さない」
大きな瞳から零れ落ちそうな涙と、眉間に寄った皺。
完全に怒っている。
こうなった時の彼女は折れることを知らないし、何よりオレは彼女に許されたい。
「…好きだよ、愛してる」
「ウソだ」
「嘘じゃねぇよ」
「じゃあ何で話してくれないの?何かあったんでしょ」
「あー、」
だってダサすぎね?
オレよりスラッと爽やかイケメンっぽいヤツと親しげに話してて嫉妬した、とか。
道中不運続きで八つ当たりしました、とか。
「話す気ないならもういいから」
再び手を振り払われそうになって、必死で掴んで離さなかった。
「あー、もうわかったよ」
目にいっぱい涙を溜めてオレを睨み上げる彼女に、根負けした。
「さっきのヤツ、」
「え、先輩のこと?」
「何か爽やかで?身長高いし?楽しそうにしてたじゃん」
「え」
「え?」
「隆くんの話してたけど?」
「…は?」
「イケメンスパダリ彼氏とデートですって、自慢」
「…髪触ってなかった?」
「ゴミついてたの取ってくれただけ。彼氏と会うならちゃんと鏡見とけって言われた」
「は?」
「は?…やきもち?」
「…う」
「なにそれ、そんなの今までなかったじゃん」
餓鬼だなって呆れられたんじゃねぇかと不安になる気持ちは一瞬で掻き消された。
「隆くんにそんな一面があるの知れて嬉しい」
「え?」
彼女は目を細めて歯を見せて笑った。
その反動で、瞳に溜まった涙がポロポロ零れ落ちた。
「ダサくねぇ?この歳でやきもちとか」
落ちた涙を指ですくうと、なまえは嬉しそうに笑う。
「私のことそんなに好きなんだなってちょっと嬉しかった」
少し頬を赤く染めた彼女の笑顔に、ギュッと心臓を掴まれたような感覚。
「隆くんイケメンスパダリに加えて可愛いとこあんの最高じゃん…」
「な、」
「大好き」
「…なまえにはやっぱ勝てねぇな」
つまらない嫉妬も吹き飛ばすように、まくし立てるようにオレを褒めて好きだと言ってくれる彼女には、完敗だ。
「勝ち負けなの?私も隆くん大好きなんだからおあいこでしょ」
唐突に鞄からスマホを取り出して、待受画面を隆くんに見せる。
「げ、ホントに待受にしてんのかよ」
この待受は先月のデートで好きだなあ、と思いながら不意打ちで撮った写真だ。
「だって!見て!このスーッと通った鼻筋にツンとした鼻先、タレ目と長い睫毛が最高にえっちだし唇もぷるるんで!」
「ベタ褒めすんのやめてくんね…」
恥ずかしくなったのか、隆くんは両手で顔を覆った。
「あ、隠さないでよ!照れてる顔も最高に可愛くて好きなの!」
「さっきからその、可愛いってのもやめてくんねぇか」
「可愛いもん」
はぁ、と小さく溜息を吐いた隆くんは、私の手を握ると、足早に歩き出した。
「ねぇ、ホントに帰るの?」
「帰るわけねぇだろ」
掴まれた手を、指を絡めて握り直す。
隆くんのゴツゴツした手の甲と、細くて長い綺麗な指も大好きだ。
「やった」
「ホテルの部屋、飯の前ににチェックインする」
「えっ、ご飯は?」
「あんま可愛いことばっか言ってっから、先に抱きたくなった」
急な言葉に、困惑しながらも、この後のことを一瞬想像してしまって頬が熱くなる。
「…隆くんのえっち」
「オレとすんの好きなくせに」
「う、」
「今度は、オレがなまえの可愛い顔見る番」
振り返った隆くんは、意地悪な笑みを見せて、更に私の手を強く握った。
20230826
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