鷲掴みにされたせいでぐっちゃぐちゃの髪の毛、頬に引っかき傷。
引っ張られまくったワイシャツの袖ボタンは、取れかけている。
放課後の教室で、こんな状態。
席に座って、泣きそうになっていた。
くっそ、何でこんなことに。
遡ること一時間前。
授業が終わると同時に、隣のクラスのギャル2人が、私の元へやって来た。
「ねえ、みょうじサン、ちょっと顔貸してくんない」
呼び出されるようなことは、勿論何もしていない。
強そうなギャル2人の後ろに、大人しそうな女子がついてきていた。
連れてこられた体育館の裏で、いきなり彼女達の怒声が響いた。
「あんたさあ、なに人の男に手出してんの!?」
「・・・は?」
全く身に覚えのない言いがかりを付けられ、さすがに混乱した。
「うちらのクラスの高橋!この子の彼氏なんだよ!」
よく見ると、ギャル2人の後ろで、大人しそうな女子が泣いている。
そもそも、高橋って誰かすらわからない。
「いや、ちょっと意味がわからないんだけど」
「はあ!?昨日、高橋に色目使ったんだろ!?」
色目なんて使うはずがない。
何故なら私は、全くと言っていいほど男子に興味がなかった。
「高橋がクラスの奴らとふざけてて、お前にぶつかったんだろ!その時だよ!」
そう言われてみると、確かに。
昨日、廊下で男子とぶつかったのは覚えている。
何故、それが色目を使ったことになってしまうのかは分からなかったが。
「高橋がこの子に言ったんだよ!お前のことが気になるから別れたいって!」
「誤解だよ、何もしてないし、ぶつかられたのこっちなんだから」
「何言ってんだよ!このクソビッチ!」
そう言われた瞬間、二人がかりで制服の袖と髪を掴んできた。
「やめてよ!」
抵抗すればるほど、髪が引かれて頭皮が痛い。
彼女たちが離すまで、罵声と髪引きに耐えるしかなかった。
何分くらい耐えたのかわからなかったけれど、気が済んだのか、彼女たちは私を力いっぱい突き放した。
その瞬間、頬に爪が当たって、引っかき傷まで作られてしまった。
たぶん、髪の毛も中々な本数持っていかれたに違いない。
とにかく頭皮が痛い。
尻もちをつくと、
「二度と高橋に近寄んなよ!」
と、捨て台詞を吐いて、彼女たちは去っていった。
後ろにいた大人しそうな女子は、泣きながらも、やってやった、みたいな顔してた。
めちゃくちゃ腹が立った。
そもそも、ぶつかってきた高橋って奴が悪いのに、何で私が悪いことになってんの。
しかもクソビッチって。
とんでもなく疲弊して、私はフラフラと教室に戻った。
既に教室は空になっていて、私は一度、席に座った。
こんな言いがかりをつけられたのは初めてだった。
小学校高学年くらいから始まった、友達の好きな人の話、所謂恋バナを聞いても、全然わからなかった。
女子特有の、私の好きな人好きにならないでね、みたいなやり取りにも、巻き込まれたことがなかった。
中三になって、周りが異性と付き合い始めることも増えてきて、いつか男子に興味を持つ日が来るのかなと思ってた。
でも全くそんな日は来ない。
だって、男子なんて馬鹿だし、餓鬼だし、自分勝手だし。
さっきの話の高橋って奴も然りだ。
何で彼女がいるのに、ぶつかっただけの初対面の奴が気になるなんて言えるんだよ。
おかしいだろ。
だんだん腹が立ってきて、立ち上がると、座っていた椅子を思いっきり蹴り上げた。
椅子が宙を舞って、ガタン、といい音を立てて床に叩きつけられた。
でも全然スッキリしない。
イライラしながら鞄を持ち、肩に担ぐと、教室の入口に誰か立っていることに気がついた。
「なかなかいい蹴りしてんじゃん」
同じクラスの三ツ谷だった。
「何してんの、みょうじさん」
三ツ谷は不良だ。
暴走族らしい。
「別に、帰る」
話をしたこともないし、自分から近寄ろうとも思わない存在だった。
入口の前に立つ三ツ谷の横を通り過ぎようとすると、腕を掴まれた。
「ボタン、取れかかってんぞ」
驚いて見上げると、三ツ谷は唇を尖らせていた。
「直してやるよ」
掴んだ腕を引いて、私の席まで誘導。
「別にいいよ、ほっといて」
「無理。取れかかってるボタン見て、ほっとけねえ」
ほっとけねえのはボタンかよ、と思っていると、三ツ谷は机を挟んで一つ前の椅子に腰を下ろした。
「いいから座れよ」
どうにでもなれ、と思い、倒れっぱなしだった椅子を起こして、そこに座った。
三ツ谷はポケットから小さなソーイングセットを取り出すと、手際良く、袖口のボタンをつけ直してくれた。
「すごいね」
「オレ、手芸部の部長だから」
聞いたことはあった。
不良なのに勉強と部活をしっかりやっている、という噂。
「妹が二人いてさ、うち貧乏だからおもちゃとか買ってやれなくて」
突然始まる自分語りに、興味を持ったのは初めてだった。
「ぬいぐるみとか、女の子は好きじゃん?妹達のために作ってるうちにハマっちゃって」
優しい目をして話す三ツ谷を、じっと見つめる。
「苦労してんだね」
「悪いな、自分語りとか」
苦笑いする彼を真っ直ぐに見る。
「もっと聞きたい」
「は?物好きだな」
三ツ谷は、目を細めて笑った。
「同じクラスなのに、ちゃんと話すの初めてだな」
俄然、彼に興味が湧いた。
何で不良してるんだろうとか、どうやって勉強してるんだろうとか、部活では何を作ってるのかな、とか。
「そういや、喧嘩?髪の毛すげえ事になってるけど」
・・・そうだった。
慌てて手ぐしで髪を梳かすと、引っかかるところがあって痛い。
「最悪」
「櫛ねえの?」
そう言われてカバンの中を漁り、櫛を取り出した。
「貸してみ」
三ツ谷は櫛を取り上げると、私の髪を梳かし始めた。
引っかかるところは、優しく解いてくれた。
「手馴れてるね」
「妹の髪の毛、結ったりするからな」
「妹、可愛いんだろうね」
「まあね」
妹のことを話す声が優しくて、初めて話したはずなのに、三ツ谷といるととても居心地が良かった。
「言いがかりつけられてさ、隣のクラスの子に」
「へえ」
「彼氏に色目使ったとか言われて、そんなことしてないのに」
「一発くらい殴り返した?」
何だか楽しそうに、彼は口角を上げた。
「全然髪の毛離してくんないからさ、耐えただけ」
私がそう答えると、頭をポン、と優しく撫でた。
「カッケーじゃん」
一発もやり返せていないのに、こんな言葉が返ってくると思わなかった。
「みょうじさんがいつも付けてるピアス、いいよね」
早く大人になりたくて、お小遣いを貯めて買ったシャネルのコスチュームジュエリーだ。
「ずっと気になってたけど、なかなか話す機会なかったし。今日話せて、嬉しかったわ」
そう言いながらにっこり笑う三ツ谷を見たら、急に胸の鼓動が速くなった。
口から心臓が飛び出るんじゃないかってくらい。
「じゃ、部活戻るわ」
立ち上がった三ツ谷に行って欲しくなくて、もっと知りたいって思ってしまって、その袖口を咄嗟に掴んだ。
「・・・好きになりそう」
思わず零れてしまった本音。
一気に頬から耳から熱くなってしまって、三ツ谷から目を逸らして俯いた。
何てことを言ってしまったんだろう。
今日初めて話したばかりなのに。
男子になんて、興味なかったはずなのに。
「じゃあ、好きになってもらえるように頑張るワ」
俯く私の頭をひとつ撫でてから、彼は教室から出ていった。
三ツ谷の言葉が、頭の中をぐるぐる巡る。
意味なんて分からないけれど、好きになってもいい、と捉えていいんだろうか。
あの日から、ずっと三ツ谷のことが気になって、毎日目で追うようになった。
会えば挨拶してくれて、それ以上何かを話すことはなかったけど、ただ、それだけで嬉しかった。
「なまえちゃーん」
昼休みが始まってすぐ、教室の入口付近に座るクラスメイトから、声が掛かった。
入口の方を見ると、他クラスであろう男子が数名、廊下から教室の中を覗いている。
「高橋くんが呼んでるよー」
まさか。
先日の元凶ではないだろうか。
この元凶に一言文句を言ってやりたい気持ちと、あの女子たちにもう近寄るなと言われたのを思い出したのとで、葛藤が生まれ、それはそれは苛立ちが募った。
だけどやっぱり一言言ってやろう。
そう思い、席を立ち入口の方へ向かうと、三ツ谷が同じ方へ向かっていた。
教室を出ていくだけかと思いきや、
「高橋ってどいつ」
なんて聞いている。
三ツ谷の中で、先日私が話したことがリンクしてしまったのではないだろうか。
いや、正解ではあるんだけれど。
「待って三ツ谷、」
文句は自分で言わなくちゃ意味がない、と思い、彼の後ろまで来たところで、不良の三ツ谷に絡まれた数名の男子は、素直に高橋を三ツ谷の前に差し出した。
その瞬間、三ツ谷は差し出された彼の胸ぐらを掴んだ。
「オレの好きな子に手ェ出すなよ」
周りにいたクラスメイトと廊下にいた数名が、一瞬で静かになり、目を丸くしている。
勿論私も、開いた口が塞がらなかった。
掴んでいた胸倉を離すと、三ツ谷は振り返った。
「そういうことだから」
唇を尖らせてそう言った直後、目を細めて笑った。
「ほら、散れよ」
入口を塞いでいた数人を追い払い、彼は教室を出て行った。
「ちょっとなまえちゃんどういうこと!?」
三ツ谷が出て行ってすぐ、クラスの女子たちに囲まれた。
「めっちゃお似合いなんだけど!?」
「三ツ谷くんやるじゃーん!」
やいのやいのと囃し立てられ、一気に恥ずかしくなった。
頬も耳も、身体中が、熱を帯びていくのがわかった。
それから、いてもたってもいられなくなる。
「ごめん、行ってくる」
教室を飛び出し、彼を探す。
長く続く廊下の先に、毎日目で追っている銀髪を一瞬で見つけて、私は駆け出す。
昼休みの人混みを掻き分けて、ようやく追いついた。
「三ツ谷待って、」
「おー」
振り返った彼は、皆の前であんなことを言っておきながら、余裕そうな表情だ。
「どう?ちょっとは心動いた?」
にっこり笑う三ツ谷に、私は勝てないなあと思った。
「私も、好きだよ」
そう伝えると、彼は、さっきまでの余裕そうな表情を崩し、目を丸くして、頬を真っ赤に染めた。
「え、なに、」
「え?」
「照れてる?」
「は?」
急に焦り出す彼に、心底驚いた。
「え、こんな顔もすんの?」
「ば、うるせぇな!見んな!」
カーディガンの袖で咄嗟に顔を隠す彼が、何だか可愛い。
「もっと三ツ谷の、色んな顔見たい」
「・・・やっぱ、みょうじさんには勝てねえワ」
彼は小さく溜息を吐きながら、目を細めた。
「おい三ツ谷ァ、何やってんだ?テメェは」
独特の声がして振り返ると、三ツ谷と同じく不良の林がいた。
他にも周りの視線を感じ、やってしまった、と思っていると、三ツ谷は私の腕を掴んで、走り出した。
「とりあえず、逃げよ」
階段を駆け上がり、屋上の扉を勢いよく開けた。
息が上がって、膝に両手をつく。
「こんな走ったの、久しぶり」
「オレも、」
彼も疲れた様子で、座り込んだ。
その隣に腰を下ろす。
「さっきの、話の、続き」
「うん」
「オレのこと、好きになった?」
顔を覗き込まれて、改めて聞かれると、やっぱり恥ずかしくて、目を逸らす。
彼は、私の耳朶に触れ、ピアスの形をなぞった。
「初めて見た時から好きだったよ、オレは」
「・・・ピアス?」
「バカか」
三ツ谷は笑いながら、私の頭をポン、と撫でた。
「オマエに決まってんだろ」
真っ直ぐにそう言われると、とんでもなくくすぐったい。
一瞬で世界が鮮やかに変わる。
人を好きになるのはこういうことなんだと、初めて知った。
私を呼び出した隣のクラスの女子たちに、物凄い勢いで謝られたのは、それから数日後の話。
20211012
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