「ううう〜」
三十路も近い独身女の、可愛くもなんともない泣き声が溢れ出る。
昨日別れた彼氏の愚痴を零す。
居酒屋のカウンターに突っ伏して、ビールジョッキの取っ手を握ったまま。
夕方から飲み始めて、午前様になる頃には、完全に出来上がっていた。
「あのクソヤロウ、私の他に二人も女いたんだよ?」
「ほーん」
「むしろ私は遊びだったって言われたんだよ」
「へーえ」
単調な相槌を打つのはもう20年以上の付き合いになる、幼馴染の三ツ谷だ。
「こんなアラサー女によくそんな酷いことできるよね」
「まあなー」
「ほんっとクソ過ぎ」
突っ伏していた顔を上げて、流れ出る涙と鼻水をティッシュで拭うと、三ツ谷に顎を掴まれた。
「オマエさ、前の男もそんな感じの奴じゃなかった?」
「前の男は借金まみれのスロカスヒモ男だよ、五股男はその前!」
「オマエさぁ、そろそろ懲りてオレにしとけば?」
「はあ?」
「オレはヒモになんてならねぇし、五股も三股もしねぇけど」
歯を見せて笑う三ツ谷に一瞬心が揺らいだのは事実だけど、コイツは確か今、彼女がいたはず。
何だかイライラして、顎を掴む彼の手を振り払った。
「…二股じゃん、クソヤロぉ…」
「あ?」
「アンタと付き合うことなんて絶対ないもん…」
いつもお洒落で可愛らしい女の子を連れて歩くコイツに、私なんかと付き合えるはずがない。
再びカウンターに突っ伏すと、何だか泣き疲れて眠くなってきた。
「いつになったらオレの方見てくれんだよ、ボケ」
微睡みの中で聞こえる溜息混じりの言葉は、多分幻聴なんだろうなって酔っぱらいの頭で考えたら、やっぱり悲しくなって、そのまま眠りに落ちてしまった。


朝目が覚めた時には、自分のベッドの上でちゃんと布団を掛けて眠っていた。
飲みすぎた翌日特有の怠さを堪えて体を起こす。
視界に入ったテーブルの上には、ペットボトルの水とカップ味噌汁、それから"あんま飲みすぎんなよ。飲みてぇ時はオレを呼べ"なんて書き置きがあった。
彼女いるくせに何なんだよ。
私を担いでここまで運んでくれたのかよ。
味噌汁と水まで置いて?
何て男なんだ、コイツ。
昨日のあの一言が本当だったら良かったのに、なんて思ってしまう私も私だけどね。
お礼の連絡でも入れておこうとカバンからスマホを取り出すと、三ツ谷からメッセージが来ていた。
"よく寝れたか?一応グレープフルーツジュースも冷蔵庫ん中入れといた"
「マジか、ほんと面倒見よすぎ…」
独り言を言いながら、冷蔵庫に向かって行き、500mlのグレープフルーツジュースを取り出した。
それを一気に飲み干した直後、開いたままの三ツ谷とのやり取りの画面に新着のメッセージが入る。
"あと、オレ今彼女いねぇから。二股とかねぇわ"
「…は?」




あの日から二週間。
仕事を終えて会社を出ると、見慣れた姿がそこにあった。
相変わらず、立ち姿だけでお洒落な男だ。
ツートンカラーの髪にライトグレーのセットアップが悔しい程似合っている。
立ち尽くす私に気が付くと、三ツ谷は口を開いた。
「何て顔してんだよ」
「え」
そんなに変な顔をしていただろうか。
いや多分、二週間前のコイツのせいだ。
「飲み行こうぜ」
そんな変な顔をしているであろう私をよそに、三ツ谷はすぐにいつもみたいに目を細めて笑った。
その表情を見たら、私もいつものように接するしかなくなる。
「…いつから待ってたの?連絡入れてよ」
「いいじゃん、何か予定でもあんの?」
「…ないけど!」
独身アラサー女は、週末の予定だって皆無だ。
でも連絡くらいほしい。
服装はギリギリオフィスカジュアルとはいえ、メイク直しだってしてないし、もう家に帰って缶ビール飲む気満々だったんだから。
それに今の私は三ツ谷のことを、何となく意識してしまっている。
幼馴染であり初恋の相手である彼は、面倒見が良くて誰にでも優しくて、こんなに近くにいるのにいつも遠く感じてた。
中学時代は暴走族の幹部でありながら、手芸部の部長を務め、卒業後は独学でファッションの勉強をしていた。
最近、働いていたアパレル関係の会社から独立して、何だかんだデザイナーとして忙しくやってるみたいだ。
それでも月に2、3回はこうして、一緒に酒を飲み交わす。
それはどんなに忙しくなっても、お互いに彼氏彼女がいても、いなくても、だ。


「最近どうよ」
「たった二週間でどうにもならないけど?」
ビールジョッキをコツンと合わせて、乾杯しながらそんな会話をする。
「ふーん」
三ツ谷お得意の単調な相槌は、聞いているのかいないのかいつもよく分からない。
「もうすぐ仲間が結婚すんだよね」
「不良時代の?」
「そ、タケみっち、覚えてる?」
「あー」
中学時代に三ツ谷が特攻服を仕立てるとか何とかで、学校に顔を出していた子だ。
その後も何度か三ツ谷といる時に顔を合わせたことがあった。
「中学の頃からずっと付き合ってた子と結婚すんだよ」
「へぇー、純愛だね」
「だろ?今そいつのタキシード作ってんの」
「え、すごいじゃん」
「何か楽しくてさ、あの頃思い出したりして」
ビールをグイッと飲み干す喉元をぼんやり眺めていると、何だか変な気持ちになってくる。
いや、まさか、ないない。
昔から整った顔してるなとは思っていたし、だけどコイツは幼馴染で、ずっと近くて遠い存在だった。
「二人が結ばれるおめでたい時、オレが作った衣装着てくれるんだぜ?やり甲斐あるよな」
「結婚ねぇ…」
もうそんなことを考える歳になってしまったんだと少し落ち込む。
だからこそ、二週間前に別れた男が憎たらしくて仕方なかった。
「…次に付き合う人が最後になるのかな」
「お、結婚に前向きな感じ?」
真面目に話す私を茶化すように、三ツ谷は笑った。
「ヒモでもなくて、五股も三股もしない男」
「それ結構いると思うけどな」
その結構いる男に出会えないのは、やっぱり私の男運がないからだ。
二週間前に飲んだ時は、私が完全に飲みすぎで寝てしまうという失態を犯してしまった。
今日は三ツ谷の方がペース良くグラスを空けていた気がする。
どちらかと言えば、いつも私より三ツ谷の方が飲むし、顔を赤くしてヘラヘラと機嫌が良くなるのは、彼の方だ。
前回は私が飲みすぎていたからセーブしてくれていたんだろうか。
今は頬を薄ら赤く染めて、楽しそうに仕事の話をしている。


午前様になった帰り道、いつものように頬を赤く染めて、ふわふわ笑いながら隣を歩く三ツ谷は、街灯も少ない住宅街で、突然私の腕を引いて抱き寄せた。
「ちょっと、何すんの、」
いつも近くにいたのに、抱きしめられたのなんて、幼稚園の頃以来で、三ツ谷はそんな昔のこと覚えてないんだろうけど、急に心拍数が上がった。
だけど彼は酔っぱらいだ。
きっとふざけてるだけだと思いながら、その肩を押した。
二週間前のあの言葉は夢だったと思っているし、ずっと昔から近くにいながら、私たちは別々の道を歩いていた。
「何って、なんだよ」
眉間に皺を寄せて、唇を尖らせる三ツ谷の表情に混乱する。
「は?」
「触りたくなった」
「何言ってんの、うちらただの幼馴染じゃん」
酒入ってたら、たかが幼馴染でも触りたくなる?
今までそんなこと一切なかったのに。
「うん、幼馴染だね」
はぐらかすようにふわふわ笑う三ツ谷の頬を抓ると、彼は笑った。
「そろそろいいかなって思う」
「何が?」
「オレのモンになってよ」


今までお互い別々の人と恋をしてきた。
私は所謂ダメンズばかりに引っ掛かる男運のない残念なアラサーで、一方、三ツ谷はいつもお洒落で可愛らしい女の子と付き合っていた。
高校生の頃も、社会人になってからも、いつだって彼の傍には誰かがいた。
今はお互いフリーだ。
ここ10年くらいで稀にないことだった。
「何言ってんの?」
混乱して頭の中がぐちゃぐちゃで、三ツ谷から目を逸らした。
「やっとオマエがフリーになったのにこれを狙わねー手がねぇ」
その言葉に再び三ツ谷の目を見た。
彼の表情は、変わらない。
タレた瞼を細めて、笑っている。
「いつも彼女いたじゃん」
「オマエに彼氏がいたからだろ。オレなりに気を紛らわせようと努力してたんだろ」
「何なの」
「え?オマエがずっと気付かねぇんじゃん。オレの初恋はオマエだよ?」
「な、にそれ」
「ずっと好き、今も昔も」
「何で、いまさら」
「今だからじゃねぇの?」
「え、」
「どんなに他の男と付き合っても、お前が幸せならいいと思ってたけど」
ダメンズばかりと付き合ってきた私を、コイツはどんな風に見ていたんだろう。
「結局オマエのこと幸せにすんのって、オレなんじゃねぇかなーって思ってたよ、ずっと」
その言葉に胸がきゅうっと締まって、上がりっぱなしの心拍数は落ち着かない。
三ツ谷は突然真面目な表情をして、私の左手を取った。
その薬指をすりすりと撫でる。
「この指、オレにくんねぇか?」
「は?どういうこと?」
もしかしてって気持ちとなんなの?って気持ちで少し強めに聞き返すと、彼は目を細めて笑った。
「オレと結婚して欲しい」
昔から好きで好きでたまらない笑顔の三ツ谷に、結局私が好きなのは、昔からこの男なんだと思い知らされる。
私の左手の薬指を捕らえて離さない三ツ谷の手に自分の右手を重ねた。
ひとつ深呼吸してから、よろしくお願いします、なんて他人行儀な返事をするまであと数秒。




20221017
最後の人


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