!attention

この話には一部性的行為を連想させる表現が入っています。
苦手な方、嫌悪感のある方は読まずにお戻りください。











彼氏があまりにも出来杉くんで、年々我儘になっていってる自覚があった。
毎日美味しいご飯を作ってくれる。
毎晩眠りに就くまで髪を撫でてくれる。
デザイナーとして独立したばかりで忙しくて疲れているはずなのに、毎日、毎日、甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれている。
ある朝突然、そんな彼は消えた。




毎朝目が覚めると珈琲の匂いがしていた。
今日はその匂いがなくて、彼が朝食を作っているはずのキッチンからは、物音もない。
どんなに朝が早くても、必ず珈琲を淹れて朝食を作っておいてくれた。
いつもならテーブルには仕事に行ってくる旨のメモが置かれている。
今日はその気配が一切感じられない。
恐る恐る寝室を出て、誰もいないがらんどうのキッチンを見て呆然とする。
勿論、リビングのテーブルの上にも何も置いていない。
急に涙が込み上げてきた。
家事はほとんどタカちゃんがしてくれていた。
同棲を始めたばかりの頃は、私もしおらしくキッチンに立つことがあった。
今では何でも進んでしてくれるタカちゃんに、完全に甘えて我儘になっていた。
後悔の念が押し寄せて、溢れる涙が止まらない。
重たくなってくる瞼を擦りながら、今日が休みで本当に良かったと思った。
タカちゃんが豆を挽いて落としてくれる最高に美味しい珈琲の再現は出来ないから、余っていた粉末状のカフェオレとお湯をカップにぶち込んだ。
一般的には甘くて美味しいそれは、タカちゃんの淹れてくれる珈琲には到底叶わない。
啜り泣きながらスマホを手繰り寄せる。
連絡は来ていない。
きっと私のことが嫌になっちゃったんだ。
飽きれて出て行っちゃったんだ。
心の底から反省するから、神様、タカちゃんを返して、
そんなことを思いながら、テーブルに突っ伏して目を閉じた。




「ホントに反省してんのかよ」
眉間に皺を寄せて私を見下ろすタカちゃんは、めちゃくちゃに怒っているように見えた。
「だったら誠意見せろよ。お姫様ごっこはもううんざりなんだよ」
そう言い放って私の前から去っていく。
辺りが闇に飲まれて真っ暗になって、私はしゃがみこんで泣いている。




ふと、珈琲の匂いが鼻腔を刺激した。
重たい瞼を開くとキッチンの方からカタカタと物音がして、突っ伏していたテーブルから顔を上げる。
ぼんやりしたまま何も考えずに音のする方へ向かうとガスコンロの前にタカちゃんの姿があった。
何か作っているであろう彼の背中を少しの間その場で見つめた。
もしかして夢の続きなんじゃないか、ってその背中に静かに近付いて、彼のシャツを握った。
美味しそうな珈琲の匂いと混ざって甘い匂いが漂っている。
「おー、なまえ、起きた?おはよ」
とうにお昼は過ぎてるだろうし、おはようなんて時間じゃないはずだ。
「帰ってきたらテーブルに突っ伏して寝てっし、二度寝するならちゃんと布団でしろー?体痛くなんぞ」
振り向くタカちゃんが目を細めて笑うから、緩んでいた涙腺からまたぼたぼたと涙が落ちてくる。
「は?何で泣いてんの」
慌てたようにコンロの火を止めて体ごとこちらを向いたタカちゃんが、ゆっくり私を抱き締めた。
「夢、」
「何?嫌な夢でも見た?寝惚けてんのか?」
いつもの優しい声のトーンに、止まらない涙が彼のシャツに滲んでいく。
「タカちゃん、私の事嫌になったんでしょ」
「は?何の話?」
「朝起きたらいなかった」
「わり、今日は休みにするつもりだったんだけど急に締切早まった案件が、」
「やだ」
ちゃんと理由を話そうとしてくれるタカちゃんの言葉を遮った。
「なんだよ」
「私もうタカちゃんにお世話焼かれるのやめる」
「へぇ」
「今までみんなしてもらってたの反省する」
一方的な言葉をぶつけて、彼の背中に腕を回す。
「だからいなくならないで」
蚊の鳴くような声を絞り出すと、優しく頭を撫でてくれるから、ぶっ壊れた涙腺から涙が止まらない。
「オレがいなくなると思ってんの?」
そう問いかけられて頷くと、タカちゃんは笑った。
「バカじゃねぇの」
「バカだもん」
「オレが勝手にやりたくてやってんだよ。反省も後悔もいらなくね?」
「でもタカちゃんばっかり頑張ってるの、疲れるでしょ」
「好きなことしてっから、別に疲れるとかねぇけどな」
「やだ」
「おいおい、今日はいつもに増して我儘だな?」
「タカちゃんいなくなるの、ホントにやだ」
「だから、いなくならねぇって。どうしたら信じてくれんの?」
「わかんない」
「…ったく、勝手だな」
タカちゃんは少し呆れたように抱きしめていた腕を解くと、両手で頬を捕らえた。
真っ直ぐに私の目を見るタカちゃんは、いつもと変わらない優しい目をしている。
「なまえが何にもしなくても、我儘で勝手でも、オレが好きなんだからしょうがねぇだろ」
「やだ」
「あーもう、黙ってろ」
そう言って唇を塞がれると、柔らかい感触がして、あー、これ夢じゃないんだって実感する。
触れるだけだった口付けが深くなっていって、唇の隙間から入り込んでくる舌の感触に脳内は痺れるし、気持ち良くてふわふわしてくる。
「あー、ごめん、抱かせて」
唇を離して少し困ったように笑いながら、タカちゃんは私の体を抱き上げて、返事も聞かずに寝室に運んだ。
まだ外は明るいというのに。
彼は我儘ばかりの私の体を、丁寧に丁寧に愛してくれた。
薄い膜一枚隔てて繋がっている最中もずっと指を絡めて手を握りしめてくれて、汗ばむ額が愛おしかった。
何度も私の名前を呼んで、「好きだ」と繰り返すタカちゃんのことを信じないわけがなくて。
ドロッドロに甘やかされた私はタカちゃんのお姫様でいていいんじゃないかって思えてくる。




「オレのこと信じた人ー」
布団の中で腕枕をしながら私の髪の毛を優しく撫でて、ニヤニヤしながらそんなことを訊いてくる。
無言で小さく手を上げると、タカちゃんは嬉しそうに笑って、「ずっと一緒にいような」って言った。
私は頷く他なかった。
「オマエ昼まで寝てっかなーと思ってバタバタ出掛けちまったけど、急いで片付けて帰ってきてよかったワ」
「…ごめんなさい」
小さな声で謝ると、彼は笑った。
「オレの愛を信じさせるためなら作ってる途中のパンケーキも投げ出しちゃうよな」
「え」
タカちゃんお手製のパンケーキは私の大好物だ。
「なまえちゃんの大好物だよな?珈琲も落としたけど」
タカちゃんの淹れてくれる美味しい珈琲を想像した。
つい数時間前に私の胃の中に流し込まれたお湯で溶いた粉末状のカフェオレの味を、もう忘れてしまっている。
「せっかくの休みなんだからオレに愛されて好きなもん食って幸せそうに笑ってくれればそれでいいんだよ」
私の手をぎゅっと握りしめて、その手に愛おしそうに唇を落とす。
「なまえの笑ってる顔見るだけで、オレは幸せなの」
砂糖みたいに甘い台詞を吐くその優しい表情が本当に好きで、やっぱりまた涙がぼろぼろ零れ落ちた。
「夢の中でお姫様ごっこはうんざりだって言った」
「は?ごっこじゃねぇだろ」
タカちゃんはそう言って私のおでこに優しいキスを落とした。
目を細めて、腫れ上がった私の瞼をすりすりと親指で撫でる。
「お姫様じゃん」
「…っふ」
「何笑ってんだよ」
「キザ」
「うるせぇよ、抱き潰すぞコラ」
少し乱暴に組み敷かれると、もう空腹が限界を迎えた私のお腹が鳴っちゃったもんだから、この続きは甘いパンケーキと美味しい珈琲を摂取してから、ってことで。




20230604
生焼けパンケーキ


back
top