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この話には一部性的行為を連想させる表現がやんわりと入っています。
苦手な方、嫌悪感のある方は読まずにお戻りください。
「みょうじは何で彼氏ができないのか」
「先輩、もうその議題飽きました」
大学卒業後、アットホームな職場に憧れて地元の小さな会社に入社した。
事務、雑用、何でもやらされた。
今年度の新入社員は私を含め三人、先輩も上司も可愛がってくれるし、仕事も板についてきた。
最近は先輩にやたらと合コンに連れ出されるようになっていた。
今日は華の金曜日、合コン後の反省会で何故わたしに彼氏ができないのかいつも通り議論されていた。
「みょうじは積極性が足りない!」
「う、」
「若いんだから、もっとガツガツいかないと」
「ガツガツって・・・」
わたしが口を噤むと、先輩は溜息を吐く。
「初恋の男のこといつまで引きずってんのよ」
「だって」
「だってじゃないわよ、もう別れて5年も経ってるんでしょう」
「そ、そうですけど」
わたしは初恋の男を引きずっていまだに恋愛をしていない、ということになっている。
大好きなバスケットをしてほしいことを理由にわたしから別れを告げた、あの彼だ。
「何だっけ?バスケ馬鹿であんたのことなんて蔑ろだったんだっけ?」
「な、蔑ろってことは、なかったと、思いますけど」
そう言いながらもイマイチ自信はない。
あの頃から時間が経ち過ぎている。
記憶はわたしのいいように、いい思い出に書き換えられているような気もしていた。
こうして時々三井のことを思い出す。
卒業式の日の彼の言葉を信じているわけじゃない。
だけど、三井からもらった思い出は、いつだってわたしのかばんの中に眠っている。
もう5年も経ったんだ、そろそろ踏ん切りをつけないといけないと思いつつも、なかなかいいと思える人に出会えない。
「で?その男からは音沙汰ないんでしょ?」
「ええ、まあ」
「もう向こうも別の人がいるんじゃないの」
それは大いにあり得ると思った。
バスケットをする三井はいつだってキラキラしてて、それを放っておかない子は絶対にいるはずだ。
あの言葉を信じているわけじゃないのに、どうして彼の傍にいる別の誰かの存在を考えなかったんだろう。
わたしは溜息を吐いて、先輩に告げた。
「でもわたしも、ちゃんと前は向いてるんですよ」
帰り道、少しほろ酔い気分でコンビニに寄り、雑誌のコーナーで週刊バスケットを手に取る。
いままで一度だって開いたことのない雑誌だ。
三井の話をしたら、何だかふと読みたくなってしまった。
パラパラとページを捲っていると、ある写真が目に止まり、わたしは驚愕した。
「三井だ、」
実業団の新人選手の特集ページがあり、そこにユニフォーム姿の三井が写っていた。
(バスケット続けてるんだ!)
わたしは嬉しくなって、雑誌を閉じて棚に戻した。
何も買わずにコンビニを出ると、思わず頬が緩む。
よかった、わたしあの時彼を突き放して。
わたしを見て、なんて縋らなくて本当によかった。
いつか日本代表に選ばれたりして。
なんて妄想をちょっとだけして、かばんから思い出を取り出すと、それをぎゅっと握り締める。
(そうだ、今日は実家に帰ろう)
そう思いながら、わたしは浮かれ足で実家に向かった。
次の日の夕方、ソファに寄り掛かり晩御飯のことを考えていた時だった。
「なまえー、電話」
「は?」
実家の固定電話にわざわざ電話してくるなんて何事だ、と少し不審に思いつつ母親から受話器を受け取る。
携帯電話の普及率が上がって、実家でも固定電話の使用は格段に減っていた。
「はい、かわりました」
『あ、オレだけど』
「どちら様ですか」
名前を名乗れ、と思いながら少し威圧的に尋ねると、電話口の向こうで小さな笑い声が聞こえた。
その声に、懐かしい記憶が一気に脳内に流れ出す。
「・・・三井?」
『おう、久しぶり』
昨日の今日で、あんまりにタイムリーだったから、わたしも何だか笑いがこみ上げてきた。
「ふ、」
『何笑ってやがる』
「だって、すごく久しぶり」
一気に感情が溢れ出して、脳に血液が集中した気がする。
たちまち涙が目に溜まってきて、わたしは目を閉じて思い出の中の三井の表情を瞼の裏に浮かべた。
『今日、会えねーか』
「今日、」
あまりに急だった。
昨晩思いつきで帰った実家でゆっくり過ごす予定だったから、いい服も何もかも一人暮らしの部屋にあるのに。
「夜、なら」
『7時に湘北の最寄駅で待ってる』
「わかった」
『じゃ、また後で』
「うん」
わたしは受話器を置くと、急いでアパートに帰る準備をした。
「お母さん、出掛けてくるから」
「あらあら、夕飯は」
「いらない、帰り遅くなるかも」
バタバタと実家を飛び出した。
あの頃とは違って大人になった。
両親に朝帰りがバレないように布団に潜り込んだあの頃とは。
アパートに戻ると、急いでメイクをして着替える。
部屋を出る前に全身鏡で自分を映して気がついた。
三井に別の誰かがいる仮説はどうなった。
メイクも服も気合いを入れたってただの空回りかもしれない。
すごく恥ずかしくて惨めな思いをするかもしれない。
だけどもう時間がない。
わたしはピンヒールを履いて、部屋を出た。
空回りしたっていいや。
わたし大人になったでしょ、って胸を張れたら、それで。
7時少し前に駅に着くと、背の高い三井はすぐに見つかった。
「みーついっ」
「よう」
声を掛けたら振り返った三井は、何だか少し大人になっていた。
「背伸びた?」
「少しな」
「筋肉ついた」
「まあ、あの頃よりは」
あの頃わりと感情を出しやすかった三井は話し方も何だか落ち着いている。
違う人と会っているような気がして、少しだけ寂しくなった。
わたしの知らない四年間があるんだよね。
「行くか」
「うん」
大人になった三井の隣に並んで歩くのは、少し気恥ずかしかった。
初恋の相手と再会して、わたしは何を期待しているんだろう。
三井について入ったお店は、とても落ち着いた雰囲気で、いつも合コンする騒がしい飲み屋とは違う。
「今日飲める?」
「うん」
まさか一緒にお酒を飲む日がくるなんて、思わなかった。
ワインで乾杯すると、このお店なら気合いを入れた服は場違いにならなくてよかった、なんてふと思った。
「三井、バスケ続けてるんだね」
「お、何で知ってんだよ」
しまった、と思った。
もう5年も経つのに、忘れていなかったと思われてしまう。
実際、忘れられていないんだけど。
「週バス」
そう答えてまたもやしまった、と思った。
三井が気になって毎週週刊バスケットを読んでる、と思われただろうか。
「ああ週バスな、今週だったかな載ったの」
わたしの思いとは裏腹に、彼は落ち着いている。
それに、会った時から全然目を合わせてくれなくて、わたしは確信した。
三井には一切その気はなくて、もしかして今日は贖罪のつもりで会いにきたんじゃないだろうか。
卒業式の日に自分があんなことを言ったもんだから、わたしが信じていたら可哀想だと思って。
「すごいよね、ほんとバスケ馬鹿だね」
「ああ、本当にな」
だけど嬉しかったんだよ、実業団でバスケができるってことは、きっとずっと頑張っていた証拠だと思うから。
頑張ってよかったねって、言いたいけど言えない。
わたしが言っちゃいけない気がした。
当たり障りのないくだらない話をしながらお腹も満たされてきた頃、やっと三井としっかり目が合った。
「今付き合ってるやつとかいるのか」
やっぱり訊かれるよなあ、と思いながら溜息を吐いた。
「いない」
「そうか」
三井はどうなの、って訊こうと思ったけれど訊けなかった。
わたしにはそれを訊く必要も権利もなかった。
曖昧な約束なんてしないって言ったのはわたしなのに。
勝手にしろ、って突っぱねたのは、わたしだ。
それなのにどうしてこんなに寂しい気持ちになるんだろう。
会った瞬間、電話で声を聞いた瞬間、すべての思い出が溢れてきた。
目もまともに合わせてくれない三井を見ればわかるはずなのに。
全部思い出なんだ、って。
「ごちそうさま、おいしかった」
「おう」
食事を終えて外に出ると、歩き出す三井の少し後ろを着いていく。
今日呼んだのは、ただご飯を食べるためだけじゃないよね、わたしに言いたいことあったんじゃないの?
そう思っていてもわたしは何も言えなかった。
暫く進んだところで、急に彼が立ち止まる。
「どしたの」
わたしが尋ねると、彼は振り返り、わたしの手を取った。
「今日、帰したくねえ」
そう告げる彼は、眉間に皺を寄せて唇を尖らせていた。
少し子供みたいなその表情が懐かしくて、わたしはただ頷いた。
それからわたしたちはほとんど言葉を交わすことなく、近くのホテルに入った。
ロビーのソファに腰掛けて、フロントで手続きする三井の後ろ姿を眺めていた。
全然目も合わせてくれないし、落ち着き払っていたのに、どうして?
少しお酒が入っているせいだろうか。
エレベーターに乗り込み、階はどんどんあがっていく。
突き当たりの部屋に入ると、大きな窓一面に夜景が広がっている。
「部屋空いててよかったね」
「おう」
「土曜日なのにね」
「まさかだよな」
わたしが笑うと、三井も目を細めて笑う。
そういえば、今日はずっとこの笑顔を見ていなかった。
大人になった、とはいえやっぱりこの笑顔にはあどけなさが残っていてわたしは少しホッとした。
「シャワー浴びてくる」
「うん」
三井がシャワールームに消えていくと、わたしは窓の外を眺めた。
いまだまともに恋愛できていないわたしへの罪滅ぼしなのかな。
まさかわたしを忘れなかったわけじゃないだろうし、この5年で三井にもいろいろあったはずだ。
ぼんやりとして頭の中が整理できていないうちに、バスローブを着てシャワールームから戻った三井が窓ガラス越しに映った。
「わたしも行ってくるね」
「おう」
濡れた髪から落ちる雫がわたしをドキドキさせて、彼の顔を見ることができなかった。
シャワーを浴びながら、まだ考えている。
何で、どうしてばっかり。
でも、だけど。
素直になりたくてメイクを落とし、鏡に映った素顔の自分を見て思い返す。
あの頃のわたしは三井にバスケットをしてもらうことが一番だったけど、今のわたしは少し違う。
バスケットをする三井が好きなのは多分変わらなくて、それを隣で見ていたいのかもしれない。
もしかしたら、あの頃より我儘で欲張りかもしれない。
シャワールームを出て髪を乾かしてから部屋に戻ると、三井が窓の外を眺めていた。
「いい景色だよね」
「おう」
わたしが声を掛けると、三井は視線を移すことなくそう答えた。
「ねえ」
「なんだよ」
どうして、って訊くのが一番早いと思った。
それなのに呼びかけに続く言葉を思いつけないでいる。
「なあ」
「なに」
答えないでいたわたしに、今度は三井が呼び掛ける。
こちらを振り返り、手招きされる。
素直に三井の前まで来ると、頬に彼の手が触れた。
「化粧落としたのか?」
「うん」
「あの頃と変わらねえな」
「そうかな」
三井の親指がわたしのまつげをくすぐる。
「会った時、お前が大人になった気がして何となく照れちまった」
「なにそれ」
「目も合わせらんねーし」
見上げると、照れたように笑う三井と目が合った。
何だ、そんな理由で目も合わせてくれなかったんだ。
「三井だって、落ち着き払って大人になっちゃったよ」
「んなことねーよ、ちょっと緊張しただけだ」
不貞腐れたように唇を尖らせた顔を見て、頬が緩む。
勘違いかな、思い違いかな、でも、だけど。
「三井、わたしのこと忘れなかった?」
言葉の代わりに抱擁が返ってくる。
彼の胸に耳を当てると、心臓が少し速く脈打っている。
「あれからお前以外のことなんて好きになってねーよ」
「バスケは?」
わたしが意地悪で尋ねると、三井は抱擁を解き、わたしの目を見た。
「うるせー」
そう吐き捨てて、噛み付くようにキスされる。
そのままダブルのベッドに倒れ込み、わたしたちはお互いを求め合った。
「なまえ、」
名前を呼ぶ彼の首筋に汗が一筋流れて、わたしはそれを指ですくった。
わたしを抱く彼の切なげな表情は、あの時と同じだ。
「なあ、」
「うん」
「お前なにオレに抱かれてんの」
「なんで」
「だってよ、」
何か言いかける三井の背中に回した腕に力を込めて引き寄せる。
三井の胸は汗が滲んで少し冷んやりした。
彼の耳元で告げる、脳内に直接届け、って。
「好きだから」
わたしは彼が好きだった、最初からずっと。
「お前それ、反則だって言っただろ」
三井は溜息を吐いてからわたしの目を見ると、困ったように優しく笑った。
目が覚めて窓の外を横目に見ると、まだ暗い。
隣で眠る彼の顔を見るとあの頃とおんなじ寝顔で、少しだけ寂しい気持ちになった。
これで終わりなのか、これが始まりなのか。
もしかしたらどちらでもないのかもしれない。
窓の外を眺めたくてボーッとしたままシーツの隙間から抜け出すと、急に腕を取られてシーツの中に引き戻された。
「わ、」
身体は彼の腕の中にしっかり収まってしまう。
「起きてたの」
そう尋ねると、瞼を閉じたまま彼が答える。
「いや、起きた」
「寝てていいのに」
「バカ野郎、二回も逃してたまるか」
「大丈夫、逃げないよ」
うっすら目を開けた三井の口角が上がる。
「もう一回しようぜ」
「なにそれ」
「全然足りねー」
バカだなあ、と思いながら三井の頬に触れると、その手をそっと握られる。
「結婚しようぜ」
「は」
「もうお前を離したくねえよ」
少女漫画のような台詞を吐いて、三井はまた目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえてきて、わたしは思わず笑う。
ずっとわたしのこと迎えに来ようと思ってたんだ、って自惚れてもいいのかな。
わたしも目を閉じて、彼の規則正しい呼吸音に自分の呼吸を絡ませる。
するとすぐに微睡んでしまって、わたしも眠りの世界に落ちていく。
「おい」
小さな声と、髪に触れる感触で目が覚めた。
すっかり明るくなった部屋の中、隣の三井はわたしの前髪に触れている。
「お前の寝顔、初めて見た」
まだ覚めない思考回路の中で、寝顔を見られていたという恥ずかしさに、彼から目を逸らす。
「すげーかわいい」
そう言って目を細めた三井の胸に擦り寄った。
熱くなってしまった顔を隠したかったし、今なら甘えてもいいんじゃないかと思った。
三井は何も言わずにわたしを抱きしめて、背中をトントン、と規則正しく優しく叩く。
「みつい、」
「ん?」
「すげー好き」
「オレも」
「一緒にいて」
背中を叩いていた三井の手が止まり、彼はわたしの顔を覗き込んだ。
「それ、本気かよ」
まさか、本当に今日だけのつもりだったのかな。
さっきの言葉は、寝惚けていたからだろうか。
そんな不安が頭を過ぎり、わたしは表情を見られないように三井の首元に顔を隠した。
少し素直になれそうだったのに、やっぱりだめだ。
「なあ、」
彼はわたしの背中に置いた手を首元に移し、唇にそっとキスをした。
その口づけがとても愛おしくて柔らかくて、不安なんて消えてしまいそうだ。
唇が離れると目が合って、何だか泣きたくなった。
目に涙が溜まってくると、三井がわたしの髪を撫でる。
「もう離してやんねー」
そう言ってくれた三井に、わたしはまだまだ我儘を言いたい。
だって5年も待ってたんだよ、わたし、勝手にだけど。
「ちゃんと言って」
涙が溢れて零れると、三井は目を細めてもう一度短いキスをくれる。
「すげー好き」
「うん」
「傍にいてくれ」
「いるよ」
「死ぬまでだぞ」
わたしは涙を拭ってから、三井の背中に腕を回した。
「バスケも頑張れる?」
「お前がいた方がもっと頑張れそう」
その言葉を聞いて、わたしは大きく呼吸する。
わたしたちは大人になった。
今度はちゃんと支えてあげられる気がするし、傍にいたい。
たった一ヶ月だけの思い出に縋りながら勝手に待っていたわたしと、勝手に迎えに来た彼の新しい朝が、来た。
20180213
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