降りしきる雨の中、傘も差さずにキスをした。



六月、今年も例年に劣らず梅雨前線が日本列島を支配しているらしい。
「雨かよ、くそー」
授業の合間に窓際に座る三井が呟いた。
「なに、三井雨嫌い?」
隣の席から尋ねると、三井は眉間に皺を寄せて唇を尖らせた。
「ジメジメするじゃねーか」
湿気で滑るしよー、とブツブツ言いながら彼はまた視線を窓の外にやった。
「バスケ部は体育館だからいいじゃん」
野球部なんて外で練習できないんだよ、とわたしが零すと、三井はつまらなそうな顔をした。
「お前は部活してねえからわかんねーだろ」
「まあ、それは、そうだけど」
そう返答しながら考える。
わたしはいつもこの男を見ていたいんだよ、だからバスケ部のマネージャーが羨ましいんだよ!
窓の外を眺める三井の顎のラインにうっかり見惚れて急に恥ずかしくなった。
「エラないね」
「あ?」
三井はわたしの言葉に目線をこちらへやる。
「ヨコガオガトテモカッコイイデス」
「棒読みだバカ野郎」
信じていないあんたがバカ野郎だよ。
「わたしは雨、好きだなあ」
三井から目を逸らしてどんより暗い空を眺めた。
雨が好きな理由は、この男がきっかけだ。




「うわ、すごい雨」
入学して数日。
帰りに酷い雨が降っていた。
朝家を出るときは快晴だったはずなのに。
にわか雨だろう、すぐ止むだろうと思い、放課後の教室で時間を潰した。
部活をしている生徒も下校しなければならない時間を迎えて、わたしは盛大に溜息を吐く。
大粒の雨が窓にあたり、静かな教室にけたたましい音が響いている。
こんなことなら早く帰ったほうが幾分かマシだった。
玄関で靴を履き替えると、ぼんやりと空を眺めている男子生徒が立っていた。
残念、いつまでもこの雨は止まないよ。
二時間見ていたわたしが言うんだから間違いないです。
心の中で"可哀想だな"と思いながら、わたしは雨の中へ一歩飛び出そうとした。
「は!?」
「え?」
一歩踏み出す直前で大きな声につられて振り返る。
「ちょっと待て、すげー雨だぞ」
だから何?と言おうとしてやめた。
なんだこの子、可愛い顔してる。
「傘ないから」
「いやオレもねーけど!」
部活やってたのかな?
大きなスポーツバッグを抱えた彼は、唇を尖らせている。
「でもたぶん、ずっと止まないよ」
「マジかよー」
彼は溜息をついて、その直後鋭い目をして空を見た。
「それなら一緒に走ろーぜ」
「え」
急に腕を取られて、彼と雨の中へ飛び出した。
顔に当たる大粒の雨が痛い。
何も話すことなく少し走ると、なんだか疲れてきた。
さすが運動部だな、とわたしの腕を引く彼の横顔を見た。
「疲れたか?」
「え、」
駅までの道、途中のバス停は屋根がある。
そこに吸い込まれるように入ると、急に苦しくなった。
膝に手をつき浅く速い呼吸を繰り返すわたしを、彼は笑った。
「走るの苦手か?」
「うん、」
余裕そうな声を聞いて、彼を見上げた。
濡れた髪や顎のラインから、雫が次から次へと滴り落ちる。
きれいな横顔だなあ、と思いながら呼吸を整えた。
「お前どこまで行くの?」
「駅」
「じゃあ一緒だな、もう一息だ」
そう言ってまたわたしの腕を引いて駆け出した。
駅に着く頃にはわたしの脚はガクガクと震えて、酸素が足りなくなりそうだった。
「深呼吸しろ」
わたしは言われた通りに大きく息を吸い込んだ。
息を整えながらハンドタオルで顔を拭く。
自分の制服を見て電車に乗っていいものかと少し考え込む。
「なんだよ」
「こんな濡れてて乗ってもいいのかな」
「大丈夫だろ、周り見てみろよ」
駅構内には傘を持たずにやってきた人が多かったようで、みんな雨に濡れているのを見て少しホッとした。
彼はスポーツバッグからジャージとタオルを引っ張り出し、わたしに差し出した。
「これ着ていけ」
「え、いいの?」
「貸してやるよ、部活のジャージだからちゃんと返せよ」
わたしはジャージを受け取った。
「じゃあな」
そう言って彼は改札を抜けて行く。
自分は濡れたままなのに。




「ちぇ、朝は晴れてたのによ」
窓の外を眺めた三井はまだ文句を言っている。
「傘ないの?」
「逆におめーはあんのかよ」
「あるよ」
あの日から晴れた日にもなるべく折りたたみ傘を持ち歩いている。
いつか、また雨の中を三井と歩くことがあるかもしれない。
その時は彼が濡れないように傘を差してあげたいと思ったから。
「なあ」
「今日オレのこと待っててくれよ」
「は?」
「傘あるんだろ」
そう言った三井は窓の外からこちらへ視線を移し、眉間に皺を寄せたまま口角を上げた。
「それともまた一緒に走って帰るか?」
「それはもう、ご勘弁」
わたしは笑いながら、三井の顎のラインを眺める。
あの頃にはなかった傷が目に入り、わたしはため息混じりに答えた。
「一緒に帰ろう」




放課後の教室で宿題をやって時間を潰した。
ふと時計を見ると、そろそろ部活の終わる時間だ。
わたしは荷物をまとめて玄関へ向かう。
靴を履き替えると、空を見上げる三井が既に玄関の外、屋根の下に立っていた。
「あれ、早くない?」
「さっさと着替えてきたんだよ、待たせてると思ってよ」
唇を尖らせる三井を横目に、わたしは折りたたみ傘を開いた。
「貸せよ」
「え」
「オレが持たなきゃ入れねーだろ」
「ああ、そっか」
わたしが持ったままでは三井は駅まで中腰で歩くことになる。
わたしは三井に傘を渡し、一歩踏み出した。
「お前、雨好きだって言ってたな」
「うん」
「何でだよ」
三井がきっかけで好きになった、なんて言えずにわたしは話を逸らした。
「バスケ部どう?」
「ああ、何とか食らいついてってる」
「喧嘩ばっかしてバスケしてなかったもんね」
「うるせー」
「バスケ部戻れてよかったじゃん」
「まあなー」
そっぽを向いた三井の顎の傷を眺めると、胸がきゅうっと苦しくなった。
「三井彼女いるの」
「いねーよ馬鹿野郎」
「馬鹿じゃないもん」
「馬鹿だろ」
簡単にあしらわれてしまい、わたしは溜息を吐いた。
三井がわたしに興味を持つことはこれっぽっちもないのかもしれない。
そう思うと悔しくなって、徐に立ち止まる。
「なんだよ」
振り返る三井の傘を差す腕を掴んでから背中を抱き締める。
その反動か、三井は差していた傘から手を離し、傘が数センチ転がる。
わたし何やってるんだろう。
そうは思っても、わたしに衝動を与える雨が悪い。
三井のせいで好きになった、雨が。
「何してんのお前」
その声が、雨の温度を下回る気がしてわたしは咄嗟に三井から離れた。
「ごめん、冗談、」
そう言った瞬間、今度は三井から抱き締められる。
「冗談とか言うんじゃねーよ」
心臓が跳ね上がって我に返る。
「だから、ごめん、って」
「ちげーよ、冗談にするなって言ったんだよ」
降りしきる雨、三井の髪から滴り落ちる雫に目を奪われているうちに、唇にそっとキスが落ちてくる。
一瞬で頬の熱が上昇して、わたしは目を閉じて彼のなすがまま。
キスの雨が止まない。
「ずっと好きだった」
まっすぐに目を見てそう言われて、瞼に涙が溜まる。
零れた涙が雨と混じって溶けていく。
「わたしも」
制服はすっかりびしょ濡れで、転がる折りたたみ傘にはもはや何の意味もなくなった。
「オレも雨が好きになるかもなー」
わたしを抱き締める三井が笑って止むことのない雨の空を見上げた。




20180323
雨が好きになる


back
top