しんと静まりかえる部屋。
白い天井をぼんやり眺めながら、大きく溜息を吐いた。
朝からなんとなく体が怠い気はしていたけれど、まさか熱を出すなんて。
真夏だというのに寒気が酷く、養護教諭に厚い布団を掛けられた。
おでこに冷えピタを貼り付けられ、先生はしばらく保健室を離れるからと、おとなしく寝ているよう言われた。
受験勉強に熱を入れすぎたせいで出た知恵熱じゃないだろうか。
身体の熱を放出できずに、布団の中でぼーっとした。
眠りに落ちそうで落ちないふわふわとした意識が一瞬ではっきりとしたのはそのすぐあとの事だった。


「せんせー!」
大きな声とともに保健室の扉がガラリ、と勢いよく開く音がした。
直後にピシャン、とこれまた勢いよく扉が閉まる。
「せんせー!いねーのか?」
この声は聞いたことがある。
いや、聞いたことあるどころの騒ぎではない。
同じクラスのバスケ部、三井の声だ。
今わたしたちのクラスは体育の授業をしているはずだ。
どうして彼がここに来たのか考えるけど、熱のせいで頭が回らない。
わたしは彼に気づかれないよう息を潜めた。
どくん、どくん、と心臓が煩く鳴っている。
「ちぇっ、なんだよ」
独り言を言いながら、三井は何かを物色している様子だった。
カシャン、と音がして、わたしはビクッとする。
熱に浮かされているせいか、耳に膜が張ったかのように全ての音が遠く聞こえるのに、三井の声、三井が立てる音だけは鮮明に響く。
「あーくそっ、いってーな!」
どこか怪我でもしたんだろうか。
インターハイ出場が決まっているバスケ部のレギュラーが、怪我なんてしていたら大変だ。
けれどわたしにできることは何もないし、気づかれたらとても困る。
とにかく早く去ってくれることを祈りながら、わたしはぎゅっと目を閉じた。
「おい、みょうじそこにいるか?」
「へ?」
何故!なぜ所在がバレているんだ!
「なあ」
先程よりも速く脈打つ心臓の音で三井の声が遠くなった気がした。
もう何も聞こえなければいいのに、と思い、声のする方に背を向け頭から布団を被る。
その直後、シャッと勢いよくカーテンが開けられ、わたしは息を飲んだ。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫」
なに普通に会話してしまっているんだろう。
「保健室行ったって聞いたからよ」
誰に聞いたのかはこの際どうでもいい。
何故こんなに近くに来るんだ。
「ごめん、こっち来ないで」
涙が溢れてきて、零れそうになる。
大会が近いのに風邪がうつったら困る、というのは建前で、わたしが彼を避けるのには理由があった。


昨日。
「みょうじ、頼む!古文教えてくれ!」
赤点が4つ以上あるとインターハイに出られないという学校の規則があり、三井はそれに当てはまってしまったらしい。
何故か古文を教えてくれと頼まれ、放課後の教室で二人になった。
「赤木くんに教えてもらえばいいのに」
「あいつは理系だからよ」
「でもたぶん何でも出来ると思うよ?」
「いや、古文はおめーに教えてもらった方がよさそう」
何を根拠にそう言ったのかは分からなかったけど、わたしは少し嬉しかった。
なぜなら、彼のことが気になっていたから。
バスケ部に復帰して、必死で食らいついていく姿に、心を奪われていた。
「バスケ部はすごいね。インターハイだもんね」
「まあなー」
でもオレなんてよ・・・、と話す三井は、バスケ部を休んでいた時間を後悔しているようだった。
「三井なら大丈夫だよ」
わたしも何の根拠もないままにそう言うと、三井はわたしの目をじっと見た。
「好きな奴とかいるのか?」
なんでそんなことを聞くんだろう、と思いながら、気づかれないようにはぐらかそうと思ったのに三井はわたしのペンを握る手を掴んだ。
「お前、オレのこと好きだったりしねえ?」
わたしは掴まれた手を咄嗟に払い除け、
「やめて」
と心にもないことを言ってしまった。
耳も頬も熱を持っていた、真っ赤だったに違いない。
「わりぃ」
彼はそう言うと、再びノートに視線を落とした。
次の日である今日は、それはそれは気まずくて教室で会っても目も合わせられなかった。
どんな気持ちであんなことを聞いたのかわからなかったし、もしかしたらもうわたしの気持ちに気付いていて、からかっているのかもしれない。


だから今ここまで近寄られると困る、というのが本音。
「昨日、悪かったな」
こっちに来ないで、と言ったのにも関わらず、三井が少しずつ近づいてくる気配がした。
被った布団をそっと捲られると、熱を持った頬が冷房の効いた空気に触れて、少しひんやりした。
「お前がオレのこと好きだったらいいのにって思って、つい」
「な、何それ・・・」
思いもよらなかった言葉に、瞼が開く。
三井の方に背を向けて横になっている状態でよかった。
どんな顔をしているかもわからないのに、見られたくなかった。
「なあ」
呼び掛けに答えられず、瞼に溜まった涙がポロポロと零れ出した。
この涙は三井のせいじゃない。
熱のせいなんだ、全部。
「こっち向いてくれ」
「やだ」
「頼む」
涙を手で拭いながら、わたしは首を横に振った。
すると、三井はそろりとベッドの足側の方から回ってこちらへやって来てしまった。
こんな顔は見られたくないのに、もうこれ以上動けない。
やっぱり熱のせいだ。
三井がしゃがんでわたしの視界に入ってくると、真っ直ぐにこちらを見た。
その視線から逃れようと涙を拭っていた手で顔を隠す。
「みょうじ、好きだ」
こちらに伸びてきた手を避けることができず顔を隠した手を掴まれてしまい、またしっかりと目が合ってしまった。
「おめーはどうなんだよ」
そう問われると、今度は逃げられないと思った。
その真っ直ぐな目は反則だ。
「三井が、好き」
正直に気持ちを言うと、掴まれた手は解放され、冷えピタ越しにおでこにキスが落ちてきた。
「嫌われたかと思った」
小さく溜息を吐いてから、三井は笑った。
わたしはまた熱が上がってしまった気がして、彼から目を逸らした。
唇で触れられたおでこが集中的に熱を持ち、冷えピタは何の意味もなさない。
どうしていいかわからなくなって咄嗟に尋ねた。
「そういえば怪我でもしたの?」
「いや膝擦りむいただけ」
「さっき痛がってたけど」
「消毒が染みた」
そっとわたしの髪を撫でてから、三井は目を細める。
「こんなのただの口実で、お前の様子見に来ただけだからな」
ああ、やっぱり心臓が煩い。
好きな人に触られるだけでこんなに速く動くなんて、寿命が縮まってしまいそうだ。
「オレも今日の追試頑張るから、早く風邪治してインターハイ見に来いよ」
三井は立ち上がるとわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、足早に保健室を出て行ってしまった。
わたしは再び目を閉じると、小さく笑った。
嵐のように去っていった三井の嬉しそうな表情が瞼の裏に焼き付いている。
明日の終業式が終わったら夏休み。
三井の勇姿を焼き付けるために、一日も早く風邪を治さねば。
もしかしたらこれは風邪じゃなくて、昨日から三井のことを考えすぎたせいかもしれないけど。




20200927
知恵熱


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