こわい、となんとなく感じて振り返るけれど視界に映るのはわたしが歩いてきた街灯の少ない細い道だけだ。
散々な日だった。
教科書を持って帰るのが面倒だから、そんな理由で明日提出の課題を片付けてから帰ろうと思っていたら偶然担任に捕まり、資料室の片付けを手伝わされてしまった。
頼まれると断れない性格は、いつだって損をしているような気がする。
それをわかっていながら、物心ついた頃から、人に頼み事をされると断れない。
断ってやる!と意気込んだ時も、結局いつだって断れずに手を貸してしまう。
これはわたしの長所であり短所だ。
散らかり放題の資料室を片付け終わったのがついさっき。
課題に手をつけることすらできなかったし、冬のこの時間はもう既に真っ暗だ。
部活をやっていないからこんな時間に帰ることは滅多になくて、寒いし暗いし泣きたくなってくる。
少し足早に駅に向かう。
たった15分の道が遠く感じた。
「おい」
後ろから突然声を掛けられて、わたしはハッとする。
変質者だ、どうしよう、捕まってしまったら人生終わるかもしれない。
そう思い走り出す。
「あ、ちょっと待てよ!」
振り返っちゃダメだ、逃げなくちゃ!
と思ったのもほんの数秒、わたしは声の主に腕を掴まれてしまった。
振り解けずに、もう終わりだ、と思った瞬間、掴まれた腕を離される。
「なに怯えてんだよ、大丈夫か?」
優しい声が聞こえて恐る恐る声のする方を見上げると、背の高い男が立っている。
暗がりで顔が全然見えない。
「オレだよ、3組の三井」
「・・・三井?」
わたしはその名前に再び怯える。
だって3組の三井は、わたしたちの学年で一番の不良だった男じゃないか。
「おい、」
わたしは泣きそうになって、思い切り目を閉じて下を向いた。
「な、なんですか」
「なに女がこんな時間に一人で帰ってんだよ、あぶねーだろーが」
意外な言葉に顔を上げると、暗がりに目が慣れたのか、三井の顔が見えた。
「4組のみょうじだろ?部活もしてねーのになんでこんな時間に」
先程から聞こえてくる声は、なんだかどれもとても優しく聞こえる。
「資料室の、片付けを、手伝わされてて」
わたしが恐る恐るそう告げると、彼は目を細めて笑った。
「お前らしいな」
「え、」
「いつも何か頼みごとされてねえ?」
「な、何で」
何で知っているんだろう、話したこともないのに。
「み、三井こそこんな時間まで何してたの」
「バスケ」
そういえば彼は春頃バスケ部に復帰して、卒業するまで部活に居座ると言っていたという話を聞いたことがある。
「駅まで行くんだろ?」
「うん」
「オレも駅だから」
そう言って、歩き出す。
「おい、早くしろよ」
立ち尽くしたままのわたしを促し、並んで歩く。
3組とは体育の授業が同じで、それ以外に関わることはほとんどない。
「資料室の片付けって、お前んとこの担任?」
「うん」
「あの人、職員室の机の上もすげーよな、散らかってて」
「そうなの、片付け苦手なんだろね」
自分に害を与えない人間だとわかると、先ほどと打って変わって落ち着いて話ができた。
それに、優しい声がとても心地よかった。
本当にこの人は不良だったんだろうかと疑いたくなるくらいに。
駅が近づいて、もう話すこともないかもしれないと思い、尋ねてみる。
「どうしてわたしの名前、知ってたの?」
なにも深いことは考えていなかった。
ただの疑問だったのに、三井はずるい。
目を丸くしたと思ったら、頬から耳まで真っ赤に染めて、眉間に皺を寄せた。
「ど、どーでもいいだろ」
「そうだよね」
何だか触れてはいけないことに触れた気がして、わたしはあっさりと引く。
怒らせてしまったら大変だ。
それでも、心臓を鷲掴みにされたようでその表情は反則だ、と思った。
駅の改札を通ると、わたしは三井に手を振った。
「じゃ、バスケ頑張ってね」
「おう」
そう言っていつものホームへ向かおうとすると、突然腕を掴まれた。
「なに?」
「・・・もう少し、時間をくれ」
一度通った改札を出て、駅前のコンビニでホットココアを買った。
三井はこんなに寒いのに何故かアイスを買っている。
コンビニの前で並んで縁石に腰掛ける。
寒いな、用があるなら早く話してよ、と思いながらホットココアのボトルで冷たくなった鼻先を温める。
「あのよ、」
「うん」
「オレの頼みも聞いてくれるか?」
出た、わたしが断れない性格だと認知した人の頼み方だ。
「内容による」
そう言ってそっぽを向いたわたしの顔の前で彼は手をひらひらと振る。
再び三井の顔を見るとちゃんと目が合って、眉間に寄った皺が先ほどより深くなっている気がする。
「オレの彼女になってくれねーか」
「は?」
聞き取れなかったわけではなくて、言葉の意味がわからなかった。
冬空の下、寒くて寒くて堪らないのにアイスを食べ終えた三井は鼻をすすった。
「オレの、彼女になってください」
ふざけているようには見えず、どうやら本気で言っているようだ。
「だって話したこともないのに」
「だから!今日話したじゃねーか」
「でもわたしなにも知らない、三井のこと」
「オレは知ってんだよ、って、詳しくは知らねーけどよ」
これは告白なんだろうか?
わたしが頭を抱えていると、三井はぽつりと話し出す。
「体育一緒だろ、それで、よく見てて、って変な意味じゃなくて、みょうじが目に入ってくるんだよ」
「なにそれ」
「バレーとか人が足りねーとこに頼まれて入ってたり体育教師から片付け頼まれて素直に聞いてたり」
どれも図星なんだけど、それがどうしたというのだろう。
わたしにしてみればそれはいつものことで、何気ない一日のうちの一瞬だ。
「なんつーか、なんで断らねーんだよ、とか、優しいのか?とかいつもそんなん考えてたら段々気になってきてよ」
「褒めてるの?貶してるの?」
「褒めてんだろーが」
「そうなの?」
「お前が好きだっつってんだよ」
あ、これは告白だ。
そう思ったら急に頬が熱くなって、ホットココアのボトルを鼻先から離した。
「いいよ」
ぽろりと口から溢れたのは肯定の言葉だ。
否定的な言葉を口に出すのは苦手だし、何かを頼まれれば"いいよ"と言ってしまう癖のようなものだ。
「断れなくて"いいよ"って言ってんならやめろよ」
眉間に皺を寄せて唇を尖らせる三井にそう言われて少し考えてみる。
断れなくて返した返事ではない気がした。
「違う、こういうのは嫌だったらちゃんと断る」
「そうか?」
「そこまでバカじゃない」
わたしの中で出した結論は、"断れないから"ではなく、"三井だから"だ。
「三井の声が優しくて、いいなって思った」
わたしは思ったことを並べてみることにした。
「それから、さっきの顔に、心臓掴まれた」
「なんだよそれ」
三井は目を細めて笑う。
「あ、笑った顔も好きかも」
「な、なんだよお前」
「好きになっちゃうかも」
わたしがそう言うと三井は嬉しそうに笑った。
「でも、やっぱり彼女になるのはもう少し待って」
わたしの言葉に三井は頷く。
「ちゃんと好きになったら、言うね」
食べ終えたアイスの棒を咥えたまま、三井は目を細めて空を見上げた。
鼻先を温めていたホットココアは、わたしの手の中でもうすっかり冷めてしまっていた。
20171220
温度差backtop