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この話には一部性的行為を連想させる表現がやんわりと入っています。
苦手な方、嫌悪感のある方は読まずにお戻りください。
窓の外をぼんやり眺めている。
明け方の空はあいにくの曇り空で薄暗い。
窓の外から視線を移し隣で眠る愛しい人の寝顔を眺めると、胸がきゅうっと苦しくなる。
「みつい、」
熟睡しているのだろう、わたしの小さな声は届いていないみたいだ。
いつも眉間に寄せた皺は見えなくて、おんなじ高校生だと感じさせるあどけない寝顔に少し安心する。
わたしは身体を起こすと乱雑に掛かったタオルケットの隙間からするりと抜け出す。
袖を通して頭から被ったTシャツは、ほんの少しだけ冷んやりとしていた。
身支度を整えると、最後にもう一度だけ彼の寝顔を覗き込む。
規則正しい呼吸音は、彼が此処に生きている証拠だ。
「さよなら、おやすみ」
良く眠る彼を起こさないように、物音を立てないように、静かに此処からいなくなる。
部屋の扉を開けて音がしないように閉めると、階段を駆け下りる。
玄関の扉を開けたら、外の世界へ。
真夏とはいえ明け方は少し肌寒い。
先ほど窓から眺めた曇り空の隙間から、日が差し込み始める。
朝が来た。
わたしは足早に家へと向かう。
夏休みとはいえ、初めての門限破り。
親が目を覚ます前に部屋のベッドに潜り込んでしまえばいくらでも言い訳できる、と思った。
それなのに、足は寄り道したがる。
湘北高校のグラウンドの横を通って、体育館に向かう。
三井は毎朝ここで自主練をしている。
インターハイが終わってから毎日だ。
体育館の非常口の外、二、三段ある段差に腰を下ろしていろんなことを思い出した。
三井とは三年になって初めて同じクラスになった。
二年の頃から不良であることは知っていたし、彼は学校にもあまり来てなかったから特に気にも留めていなかった。
三年になってから少しすると、髪をバッサリ切ってバスケ部に復帰した三井が授業を受けるようになった。
放課後は遅くまで部活に励んでいると噂で聞いた。
逆恨みして襲撃したバスケ部に、意地もプライドも捨てて戻った三井。
ただ、興味があった。
この人を動かすものがなんなのか知りたかった。
わたしはそれから興味本位で時々バスケ部の練習や試合を見に行くようになり、彼の本当に好きなものともう一度ちゃんと向き合おうとする姿が、ただすごいなあと思うようになった。
それをきっかけに三井とは教室でも話すようになって、すごいなあと思っていた気持ちは、恋に変わっていった。
インターハイの県予選が終わり、定期テストで赤点だらけだった三井に頼まれて、追試の前に勉強を教えることになった。
「なあ、」
「ん?」
問題を解く手が急に止まり、三井がわたしの目をじっと見た。
「オレと付き合わねえ?」
「は?」
好きな人からの突然の言葉にわたしは狼狽えて、一瞬でいろんなことを考えた。
三井のことは好きだし、付き合ったら最高、とか思っていたけれど、実際バスケばっかりの三井に恋愛している暇があるのだろうか。
「あ、わりぃ、大事な言葉抜けてたな」
そう言って三井はわたしの心臓に触れるように言葉を紡ぐ。
「お前のこと好きだわ」
頬が熱くなるのを感じて、素直に頷いた。
「わたしも、三井のこと好きだよ」
「っしゃー!」
思った以上に喜んだ三井の笑顔は一生忘れないと思う。
インターハイに向けてバスケ漬けの三井とはなかなか会うこともできず、わたしが一方的にバスケ部に顔を出していた。
毎日のように部活が終わったら駅まで一緒に帰っていた。
バスケをしている三井はいつだってキラキラしていた。
バスケが好きで仕方なくて、全てをバスケに注いでいる姿は、本当にかっこよくて、寂しかった。
時々、自分が三井の彼女であるという自信をなくして、バスケットにやきもちを妬いた。
三井には絶対言わなかったけど。
それに、結局わたしはバスケを愛する三井が好きだ。
インターハイが終わると少しは会える時間ができるのかな、なんて考えていたこともあったけれど、彼は冬の選抜大会の予選に向けて毎朝早くから体育館でシュート練習を始めた。
わたしは時々それに付き合っていた。
それが三井に会える貴重な時間だった。
「夏休みなのにオレの練習に付き合うなんて物好きだよな」
「仕方ないじゃん、三井に会いたいし」
唇を尖らせてそう言うと、三井はわたしの髪を撫でてくれた。
「オレもお前に会えて嬉しいけどよ」
言葉ではそう言ってくれていても、わたしの不安は拭えなかった。
三井はいつだってわたしよりバスケットなのだ。
夏休みも終わりに近づいて、わたしはいつものように三井の部活が終わるのを待っていた。
「三井、お腹空いた」
「飯食ってくか」
学校の近くのファミレスでご飯を食べて、いつもみたいにくだらない話をした。
もちろん、バスケットの話も散々聞いた。
ルールもよくわからないけど、本当に好きなんだなあ、って。
それから、ご飯を頬張る三井を見ているのが楽しかった。
毎日この顔が見たいなあ、一緒にいたいなあ、なんて欲張りな気持ちが日に日にわたしの心の中を支配していた。
お腹も満たされてファミレスを出て帰路に着く。
「三井、明日部活は?」
「午後から」
「朝の自主練は?」
「部活午後からだし、明日は早く行かねーでゆっくり行く」
その言葉を聞いて、わたしの我儘な気持ちが発動してしまう。
少し前を歩く三井を後ろから抱き締めて、進む足を止めた。
「今日、帰りたくない」
言ってしまった後で後悔した。
脈打つ心臓がいつもより速くなって、逆に気持ちは急に寂しくなった。
もっと一緒にいたいと思っているのは、ずっとわたしだけなのに。
三井はわたしの腕を解いて振り返る。
きっと我儘なわたしに呆れたのかもしれない。
そう思ったら咄嗟に俯いてしまった。
「うち、」
三井の小さな声にふと顔を上げると、彼は眉間に皺を寄せて唇を尖らせている。
「うち、今日誰もいねーけど」
「え、」
「あ、変な意味じゃねーよ」
三井は慌てたように頭を掻いた。
「・・・変な意味で、いいよ」
自分の口から零れた言葉に、自分で驚いた。
だけど既成事実が欲しかった。
ちゃんと三井の彼女であるという、自信が欲しかった。
それからわたしたちはほとんど言葉を交わすことなく、三井の家へ向かった。
静かに玄関の鍵を開けて扉を開く仕草は手慣れた様子で、誰もいないと聞いていたのに、すこし悪いことをしている気分になった。
彼はわたしの手を引き、静まり返った暗い廊下を進み、階段を上がった先の部屋の扉を開く。
わたしを先に部屋に入れて三井が続いて入ると、扉の閉まる音がした。
その瞬間に後ろから抱き締められる。
耳元で聞こえる三井の溜息が愛おしい。
顎を持ち上げられて触れた唇は、少しだけかさついていた。
「本当にいいのかよ」
「いいよ」
「なんでだよ」
「三井のこと、好きだから」
彼はわたしの手を引いて身体をベッドに放った。
三井はわたしに跨ると盛大に溜息を吐いた。
「お前、それ反則だろ」
「なんで」
「オレだって好きだよ」
そう言ってまた唇が落ちてきて、わたしは彼の腕の中に溺れていった。
「なまえ」
「うん」
「すげー好き」
「うん」
「おめーはどうなんだよ」
尋ねる三井の額からわたしの頬に汗が一滴落ちる。
少しくすぐったくて、焦れったかった。
「すげー好きだよ」
わたしの上で苦しそうにしている三井の表情は、今までで一番好きだ。
きっと今だけはバスケットのことなんて忘れて、わたしの中でわたしのことしか考えられない。
汗の滲む腕も、背中も、今はわたしだけのものだ。
今だけは、三井の一番はわたしだ。
そう考えると涙が零れてしまう。
三井は目を細めてその涙をすくった。
「何泣いてやがる」
「痛いんだよバカ」
「そ、そーだよな!」
誤魔化すように悪態を吐くわたしを信じて、三井はわたしの髪を撫でた。
困ったように笑う優しい顔を、一生忘れないように。
初めての夜を、最後の夜にした。
たった一ヶ月の短くて濃い時間。
わたしが彼に溺れて、彼のバスケットに嫉妬した時間。
三井が好きだけど、好きだから、彼の一番をバスケットにしてあげなきゃ嘘だ。
白んできた空を窓から眺めて、そんなことを思った。
最後に彼の寝顔と呼吸を確認してから、小さな声で呟いた。
20180206
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