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じとりと重い瞼を縁取る長い睫毛。黒い髪は長く重くなったせいか、跳ね気味だったものが落ち着いていて。背を丸めながら所在無げに手を遊ばせる様はいじらしくも見える。確かに、そこかしこに面影はあった。
「……え…ほんとに一松くん…?」
「……ん」
―――ねぇちょっと、美女薬ってマジでノーベル賞ものじゃない?
どこか気まずそうに頷く彼女、いや、彼?は私の前に現れて松野一松を自称したのだった。まだ半信半疑だけれど、失礼な話一松くんを騙って何か得になるとも思わないし、本人なんだろうか。
「ど…ど、どうして?あんなに飲まないって言ってたのに」
「……十四松に、騙されて」
グッジョブ五男。今度お礼にバッセン奢ろう。心の中で親指を立てている私を、一松くん(仮)は訝しげに睨む。あ、この冷めた感じは確かに一松くんだ。睨む、と言ってもいつもより瞳が大きくて、何というか。
「…んん、可愛い……すっごく、可愛いよ」
「んんって何…ガチトーンやめてくんない?身の危険を感じる…」
「だ、だってほんとに可愛いもん…!」
ああもう滅茶苦茶可愛い。語彙が極端に少なくなるぐらい美少女だった。思わず握った手も滑らかで柔らかい。女の子!女の子だ!目がぎらついているだろう私にドン引きの一松くんはさっと手を引っ込めて視線を逸らした。
「えっと、一松くん…って呼んで大丈夫なのかな」
「寧ろ変な呼び方しないで欲しい」
「じゃあ一松くんで…その薬ってどれぐらいで切れるの?」
いつまでそのままで居てくれるの?とは流石に言えないが、実際どのぐらいで元に戻るかは重要だと思う。町中で急に戻っちゃったりしたら大変だ。
「…わかんね。前のは一時間だったらしいけど…作ったデカパンが改良…あー、この場合は改悪だけど、したみたいで。今三時間ぐらい経ってるし」
「いつ戻るかわかんないって事?」
「……下手したら一生このままかも」
「えっ、ほんと!?」
「ちょっと、嬉しがらないでくれる」
「はぁい…」
私はそのままで居てくれても全然構わないが、一松くんからしたら死活問題なんだろう。いきなり性転換って確かに戸惑うだろうし。
「と、とりあえず、どこか落ち着ける所で話そうよ。誰か知り合いに見られたら説明がたいへ、」
「あ、名前ちゃんじゃなーい!」
「!?」
―――ああっ!言ってる傍から…!
親の声より聞いたプリティーボイスに振り返ると、やはりトト子ちゃんだった。咄嗟に一松くんを自分の後ろに隠す。
「ト、トト子ちゃん…こんにちは…奇遇だね」
「えー?もっと喜んでよ。折角トト子が話し掛けてるのにー!」
「いやほんと、運命感じちゃうよね!こんな所で会えるなんて!」
「……名前ちゃん、何かぎこちなくない?」
目を泳がせる私に不服そうなトト子ちゃん。違う、違うんだよ!笑顔で話し掛けてくれるの滅茶苦茶嬉しいんだよ!ただ今はタイミングが悪過ぎる!
「……あれ?その子誰?」
「あー!えっと、その、」
それ程体格差がある訳も無く(と言うか女の子になっても私より若干背が高い)、隠し切れていなかった一松くん(美少女)にトト子ちゃんは目敏く気付いた。
「名前ちゃん、トト子以外の女の子にも色目使ってるの?」
「えっ、違…!い、色目!?」
「じゃあ何で隠すのよ?」
「これにはマリアナ海溝より深い事情が…」
一松くんがお薬で美少女になりました、なんて言ってそう簡単に信じて貰えるものか。…いや、案外信じて貰えそうだけど、何か拗れる予感がする。
答えあぐねている私を見かねてか、後ろの一松くんは溜息を吐いてトト子ちゃんに対峙した。
「…トト子ちゃん、僕だから」
「……だからどちら様?」
「松野一松」
「…………はぁ?」
予想通りトト子ちゃんの顔が歪んだ。そりゃそうだ。
「ちょっと、名前ちゃん?この女よりによってあのクソ童貞クズニート騙ってるけどどういう事?」
酷い言い草だけれど、全部事実だから何も言い返せない。トト子ちゃんは一松くんを自称した彼をジロジロと見定めるように眺める。
赫々云々で、とざっくり説明をする一松くん。それでいいのかと思ったが、トト子ちゃんは一応の経緯を飲み込んだ様だった。そういえば私より二人の付き合いの方が長い事を思い出す。幼馴染、なんだなぁ。
「ふーん?事情は分かったけど…怪しすぎない?ほんとに一松くんなの?」
「別に無理に信じろなんて言わないけど」
「本当だとしてもあざとすぎるのよ。女体化するの嫌とか言っておきながら、いざしたら名前ちゃんに見せに来るなんて」
「……それは…殆どヤケで…」
トト子ちゃんの鋭い言葉。そうか、嫌がってたのに態々見せに来てくれたんだ。私は嬉しいけど、一松くんは後ろめたい所がある様でたじろぐ。それを見てトト子ちゃんはさっと私の手を取った。
「とにかく、名前ちゃんはそんな怪しい現象に関わらない方がいいわ。暇してるならトト子とカフェでも行きましょ」
「え、でも…」
「私はあなたが心配なの!六つ子と関わるとろくな事無いわよ?」
トト子ちゃんの目は真剣だった。彼女は何でも自分中心に考えている様で、何だかんだ現実を見ているし、私を気に掛けてくれる。トト子ちゃんの好きな所の一つだ。
「………待って」
大いに揺れる私の心を引き戻したのは、トト子ちゃんに取られたのと逆の腕に絡まる一松くんだった。
「い、一松くん…?」
「……一人にする気?」
ぎゅ、と腕にしがみついて見上げてくる一松くん。
ああっ、そういう事しちゃうんだ!?今自分が美少女だって分かっててやってるんだ!?ずるい!ずるいってそれ!普段そんな積極的にならない癖に!可愛過ぎない!?駄目でしょそれは!
「ちょっと、名前ちゃんに引っ付いてんじゃないわよ泥棒猫!」
「…トト子ちゃんこそ、一応名前ちゃんは僕の彼女なんだから少しは遠慮してよ」
わぁ、何だろうこの状況。ご褒美?今まで頑張ってきたのを神様は見ててくれたのかな?
でもよく分からない修羅場オプションは要らなかった。両腕をそれぞれ美少女に取り合われ、いい匂いはするし柔らかいし最高だけれど、二人の表情は穏やかではなくて。喧嘩して欲しい訳じゃないし、どうしたものか。
「ほら、トト子ちゃん。名前ちゃん困ってるから」
「はぁ?困る筈無いじゃない。トト子と来るよね?」
「えっ、…えーっと………、あ」
ハーレムものの主人公気分を味わってる場合じゃない。ある事に気付いた私の頭は急速に冷えていった。
「……ごめん、トト子ちゃん…心配してくれるのはほんと嬉しい…今度何でも奢る、埋め合わせは絶対するから…」
「えっ…ちょ、名前ちゃん!?」
「…ちょっと、一松くんにお説教しないといけないの…」
トト子ちゃんに向かい、両手を合わせて頭を下げる。これは一大事だ。可及的速やかに対応しなきゃいけない。
平謝りする私にトト子ちゃんは腑に落ちない表情をしながらも深く溜息を吐いた。
「…もう、しょうがないわね。何かあったらすぐに私に連絡するのよ?同性って事を笠に着て何かされそうになったら大声出して。あと今度のお休みはトト子に付き合って貰うから」
「ほんとにごめんね、ありがとー…トト子ちゃん天使だよ…」
一松くんだからそんな不穏な事にはならないだろうけど、気遣いは有り難い。ほんと、彼女の器の大きさに平伏するばかりだ。トト子ちゃんは最後に一松くんを一睨みしてから歩いて行った。
さてお説教タイムに入ろう、と一松くんに向き直る。
「……あのね、一松くん。下着付けてる?あー、下着って言っても上ね」
「は?付ける訳無いでしょ。男だし」
腕に押し付けられていた彼(彼女)の胸がダイレクトに柔らかかったのが非常に気になったのである。聞いてみればしらっとした顔で首を振った。
「やっぱり!駄目だからそれ!買いに行くよ!上下揃いで!」
「はぁ!?いやいやいや、やだよ!それは流石に男として!」
「今は女の子だから!ノーブラで松野家に帰す訳にはいかないから!目で犯されるよいいの!?揉まれるよいいの!?実の兄弟にセクハラされるよいいの!?」
「怖いよ!そんな発想無かったわ!」
彼が日頃言っている様に松野兄弟が女の子に飢えているとしたら、みすみすそんな空間に放り込む訳にはいかない。実の兄弟が女体化とか格好の餌にしかならないだろう。触りたくるに違いない。それは絶対に駄目だ。
「いいから行くの!私がお金出してあげるから!」
「嫌だぁ!その一線は超えたくない!って言うか力強くない!?」
彼の細くなった腕をグイグイ引っ張って下着売り場のあるモールに連れ込もうとする私に必死に抵抗しようとするが、慣れない身体だからかあまり意味を為していなかった。
「何ならお揃いにでもしようよ。貴重な体験になるんじゃない?」
「…………あ、それはちょっといいかも」
「……よし、行こうね」
愛らしき確信犯
title by 3秒後に死ぬ