狗巻くんの口付けは大抵新鮮な血の味がする。
ファーストキスが超絶重症喀血上等状態のこの人だったので、わたしにとってキスの味とは生ぬるく微かに塩っぱい鉄の味だった。世の中はファーストキスはレモン味と主張してやまないので、わたしはおそらくこれからマイノリティな生き方を邁進する羽目になるのだろうなとCMを見て人知れず涙した。そのとき普通に呪術高専にいたので、涙するまでもなくそもそも既にわたしの生き方はマイノリティだった。

わたしは咳き込む黒服の背中を撫でる。ここにいるから大丈夫だよと伝えるためにやさしくやさしく撫で下ろす。狗巻くんが咳き込む度に、わたしの身体には彼の血液がビシャビシャ降り掛かった。わたしは今日こうなることは分かってたので雨合羽を着用している。レインコートなんてかわいいものではない。てるてる坊主のコスプレと揶揄されたことすらある、オシャレのおの字もない真っ白ビニールのポンチョタイプ。これが百均なのでこれ幸いとヘビロテしている。丸めてポイ出来るので便利なのだ。

「高゛菜゛」

公然とチューしている我々であるが、ロマンティックな雰囲気は皆無と言っていい。原因は主に、狗巻くんの発言にある。だからといって、甘い言葉でも吐かれようなら真の意味でわたしは狗巻くんに支配されてしまうので、まぁ、この行為についてはこれでよい。非常事態のときはちゃんとわたしを呪えと伝えてあるし。
呪霊を祓い、帳が晴れてしばらくしても狗巻くんはわたしにくっ付いたままだった。彼の薄い唇も、わたしのメンソレータムを塗っただけの手入れのなってないリップにくっ付いたままだ。たまに顔を離して彼は咳をする。そろそろ血は出なくなったようだ。
気恥しさは、無い。これは仕事であり別に気持ちよさもないので。補助監督さんはこんなん慣れっこなので、朗らかに『お疲れさまですー!』とやってきた。

「狗巻くん、ある程度戻った?」

「し゛ゃ゛け゛」

「声はまだ全然だけどまぁ歩けるでしょ」

狗巻くんはわたしから離れてこくりと頷いた。わたしの凄惨な血まみれを見て、補助監督さんはヒェッと肩を竦める。これはまぁ、半分くらいはわたしの血だがあと半分は狗巻くんの血だ。ポンチョ内を汚すのがわたしのもので、外から掛かっているのが狗巻くんのもの。わたしの怪我は術式の関係上すぐ治るので、今はピンピンしている。

どうせ怪我するならポンチョ着る意味あるのかという感じはするが、わたしがポンチョを着るのは狗巻くんと組まされたときだけの話だ。狗巻くんはわたしの術式に入り込んでしまっているから、彼と一緒だとわたしの術式は他の人と組んだときとはまた違う効果が現れる。まぁ、簡単なことなのだけど。
瀕死の狗巻くんが呪言を使ってわたしに『呪術を分けて』と言ってからこのルーティンははじまった。わたしが死ぬのが嫌なら言えと、狗巻くんを脅したのは他ならぬこのわたしだからなんの文句もない。これらが上に知られてからは割とペアにされることが増えた。だからわたしは雨合羽を着がち。それだけのこと。

「つかれた?」

「……おかか」

「あ、だいぶ良くなったね」

「しゃけ」

狗巻くんは心なしかドヤ顔で小さい小瓶を見せてくる。喉の調子が良くなるお薬だ。本来飲むものでは無いはずなのに彼はこれをぐびっといく。それで本人がいいならいいんじゃないって感じ。
わたしと狗巻くんは連れ立って高専に帰る。寮の前でそれぞれの方向に別れた。次会うのはきっと学校の授業だろう。

「こんぶ」

「おやすみ」

「明太子」

ヒラヒラと手が振られるのでわたしも返す。狗巻くんが寮に入ってしまうまで見送る。彼は途中一度振り返り、ちょっと大きめに腕を振った。わたしはなにやらくすぐったくなって目をそらす。
うーん、ここまで気にしてない気にしてないと自分に言い聞かせてきたけどこれはもう限界だ。だいぶ遅れて羞恥がきた。散々触れ合った唇に、今更わたしは注意をむける。

「キャーーーーーーー」

「うっさい寝ろ!」

隣の部屋の真希ちゃんの手により羞恥強制終了される。
突如電気を消されて真っ暗になった部屋でわたしはスンと真顔に戻った。キスする理由は実に合理的なのであれこれ追及しようもない。自分で言っていた通り仕事の一環であり、重なる唇からはわたしの快感を刺激しようという意志など一切感じない。ただただ血なまぐさいだけ。そう、それで終わろう。ビジネスキスというやつだ。狗巻くんに言わせるとまさに『すじこ』である。ごめん適当言った。