べらぼうに人数が少ないので、噂は秒で広まった。

「おー燐!お前棘を振ったんだってな!」

「語弊」

「朝からシケた顔してんなよ燐!振ったお前が落ち込んでどうすんだ」

「違う」

「おはよー燐!聞いたよ〜、脈はゼロじゃないのかなと思って応援してたのに酷いことするね!棘のどこがダメだった?やっぱコミュ力?」

「勘違いです」

五条さんまで朝からわざわざわたしを呼び出してこの要件である。勘弁してほしい。
脱力して顔を覆ったわたしに対し、五条さんは上機嫌に言葉を畳み掛ける。学生の本分は勉強だろと言ってやりたいが、今まで散々依頼終わりにチュッチュしてきてたのは我々だったのでわたしは何も言わずに心を無にした。

「燐が棘のこと恋愛対象としてなんとも思ってないのは分かってたんだけどねぇ、ほら、あの子頑固だからさー。ワンチャンあるかと思って見守ってたんだよねぇ。それが昨日のアレでしょ〜、もう僕棘と目が合った瞬間呪われると思ったからね」

「呪われるのも乙ですよ」

「乙なわけないだろ」

全く燐ちゃんってば〜と笑って済まされた。わたしもHAHAHAと乾いた笑いを返してから席を立った。早く帰りたいという主張だったのだが、察したのか五条さんはわたしの後をついて歩く。五条さんの口はまだまだ動く。
わたしの知らないところでわたしの話題が出されていたことが気に食わない。五条さんの言い方だと、狗巻くんがわたしのことまるで好きかのようだ。そんなはずはない、根も葉もない物言いをしないでほしい。ある程度は流せるわたしでもこのタイミングでのちゃらんぽらんにはうんざりだ。

「だいたい、五条さんの言う通りだったとして理由は何もないじゃないですか。大勢の中の1人ですよ」

「……人を好きになるのに理由って要る?」

「理由は無かったとしても、原因とか、きっかけはあるでしょ。そのへんがなんもないのに、脈がどうのとか恋愛脳かよ。ちゃおでも読んでてください」

「厳し過ぎない?さすがに先生ショック。泣いちゃいそうなんだけど」

「言っとくけどいじめじゃないですからね」

「燐、子どものころ絶対女の子の友達いなかったでしょ」

「…………いました!」

「いなかったでしょーーーー!!」

鬼の首を取ったようにいじられる。そう思うならそれでええわと対応を諦めたら、教室近くまでついてきていた五条さんは声音をちょっとシリアスに変えた。

「いやほんと、燐、原因にもきっかけにも思い当たることない?棘があんだけ悩んでるの見てるから、燐が忘れてるなんて知ったら棘泣くよ」

わたしは教室の戸に手をかけたまま固まった。原因となりえそうな事件、きっかけになりそうな出来事。ハチャメチャに思い当たる節がある。でもそれはわたし側だけの話だと思っていた。わたしは狗巻くんはわたしとは違う人種だと思い込もうとしていたのだ。狗巻家の跡取りだから。家にとって、いてもいなくてもいいわたしとは違うから。
五条さんは『考えてみて欲しい』と告げてどこかへいなくなってしまった。わたしは教室の扉を開ける気にならなくて、今まで無遅刻無欠席だったから今日くらいは許してくださいと五条さんに念を送った。返事は当然ながら来なかったけど焚き付けてきたのは五条さんなので、許可をもらえたものとしてわたしは踵を返す。


「狗巻くん、まだ生きてる?」

わたしの術式は便利だ。細胞のコントロールなので、呪力がある限りある程度自分の肉体を好きなようにカスタマイズできる。ドブシャと全身から血を吹き出して倒れた狗巻くんを背負って、呪霊から離れたところまで走るなんて朝飯前である。呪力がある限り。
狗巻くんはわたしの背で唸り声を上げた。生きてはいるな、とわたしは安心する。ここから帳の端まではまだまだ距離がある。わたしの炎ではあいつを足止めすることくらいしかできなかった。狗巻くんがこうなってしまっては逃げるしかない。

「……う、」

わたしは目眩を起こしてふらついた。紙一重で継続できていた呪術が切れて、狗巻くんもろとも地面に倒れ伏す。呪力が虫の息だ。このままじゃ共倒れだ。身体は元気なのでなんとかわたしだけなら逃げられるかもしれない。けど、狗巻くんはまだ生きている。
わたしは祈った。狗巻くんに呪力が残っていますようにと。身体を起こして、うつ伏せに倒れる狗巻くんの頬を軽く叩く。口元の血をわたしの制服の袖で拭ってやる。

「聞いて、狗巻くん。呪力が残ってるなら、わたしを呪って」

「……!」

彼は嫌だと言うように口を開いた。予想できた反応だったので、わたしは慌てず言葉を重ねる。

「じゃないとわたしも死ぬ。二人で死ぬか二人で助かるかどっちか」

「…… 逃 げ」

「それじゃなくて」

言い終わる前に手のひらで彼の口元を塞いだ。わたしは言う。『呪術を分けたいから』正直、出来るかは分からなかった。けれどこれしか二人で助かる方法が思い付かなかった。呪言が効いてくれたらいいと願うばかりだ。上手くいかなかったらまた考えればいい、もう少しくらいなら手を考える時間がある。
何考えてんのか分からない目で狗巻くんはわたしを見遣る。狗巻くんに死んで欲しくなかった。それは仲間だからとか、クラスメイトだからとか、一緒に学んだ友達だからとか、狗巻の呪言師の跡取りだからとか、そういう思いだったはずだ。

「わたしが死ぬのが嫌なら、呪って」

「…………ぁ、」

「早く」

「…………」

「早く!」

「…… 呪 術 を 分 け て 」

わたしは急に分け与える方法を思いついた。こうするしかないと信じて疑わなかった。ゆっくりと狗巻くんの身体を仰向けに起こして、手のひらに付いた狗巻くんの血液を舌で摂取し、術式を発動させる。なけなしの呪力で起こしたわたしの細胞は、先程舐めた狗巻くんの血液に含まれる細胞と混ざり合ってわたしの体液に溶け込んだ。わたしは狗巻くんの頬に手のひらを添える。そしてそのままわたしは彼と唇をくっ付けた。
狗巻くんが驚いて目を丸くしたのが分かった。まぁあれだけ満身創痍だった身体が治っていくのだから驚くのは当然のように思えた。なんだか収まりが悪くて口付けの角度を変える。狗巻くんがげほりと血を吐き、わたしの口は血まみれになる。もののけ姫ばりに口元を拭い、口内に入った分はこれ幸いと飲み込んだ。もっと早く狗巻くんを治せると思えば恥ずかしさは全く無かった。味は美味しくはなかったけど。血の味。生あたたかく微かに塩分を含んだ鉄の味。



「あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

痴女だーーーーーー!!!
わたしは寮の自分の部屋に帰っていた。センチメンタルにどこかの公園とかに行こうかとも思ったが、普通に敷地外に出るのが面倒臭かった。
実はあまり詳細を思い出さないようにしていたのだ、黒歴史的なやつだから。呪われたからって突然唇奪われて血液まで飲まれた狗巻くんの気持ちを考えると申し訳なさに涙が出る。もしかしたら狗巻家は初めて口付けした相手と結婚しなければならないみたいな異世界ハーレムばりの掟があるのかもしれない。知らんけど。
この流れで狗巻くんが将来を悲観しこそすれわたしに惚れることはないように思えた。わたしが言うのもなんだが性癖が特殊すぎる。が、五条さんが言うにはこの事件のせいで彼はわたし関連で思い悩むようになったらしい。なんて可哀想なのだろうと思った。狗巻くんのポテンシャルならいくらでも可愛い子と付き合えるだろう。わたし以外にも女なんて星の数ほどいるのにな。

「断らないとかな……」

告白もされていないのに断ることを考えるなんてなかなかのクズである。でも、わたしはきっと面と向かって好きだと言われたら断れない。呪言的な意味でもだし、普通に、その、狗巻くんのことが嫌いではないから。それどころか好きに寄っている。当たり前だろう、嫌いなやつと仕事だとしてもキスなんかできない。そのままこんがり上手に焼いてしまう。
わたしはベッドに転がり枕を抱き込んだ。狗巻くんを童貞と見なしていたが、わたしだっていわゆる処女だ。生まれてこの方彼氏がいたことなどない。五条さんに指摘されてムカついたが、まあ言われた通り女の子の友達もいなかった。なのでこんな色恋沙汰で悩むなんて初めての経験であり、つまりはどうしたらいいのか分からないのであった。
相談しようにも、この辺りに免疫がありそうなのはわたしの周りには五条さんしかいない。五条さんに相談するのはムカつくので、やはりわたしは自分で解決させるしかないのだ。

「……付き合っちゃいたいのはやまやまなんだけどなぁー」

とどのつまり、好きだ。彼が。きっと自覚なくずっと前から好きだった。無意識的に大切に大事に扱わないといけないと思っていた、それは彼が狗巻の人間だからだと。そして一緒に戦う仲間だからと。けど、もちろんそれもあるのだろうけど、わたしは多分、彼の外側ばかりを見る振りをして内側に惹かれる自分を無視していたのだ。わたしが死ぬのが嫌ならなんて言葉で彼の気持ちを測って、それでひとりで自己完結してしまっていた。
わたしは彼に嫌われてさえいなければ十分だと思っていた。あの日の続きはわたしには必要なかった。穏やかでみんながそこにいて、普段と変わらぬ日常をわたしは求めた。そのためには狗巻くんとどうこうなる可能性は捨てなければいけないとばかり。
コンコン、と扉がノックされる。ここは女子寮なのできっと真希ちゃんだろうと軽い気持ちで『どうぞ』と声をかける。顔を出したのは五条さんだった。お前ふざけんなよ。

「マジなんなんですか!ここ女子寮!」

「授業サボった不良娘に怒られる筋合いありませーん!」

「……あー、補習かなんかですか?ちゃんと行くので今はさすがに」

「は、ず、れ〜!もしかすると今の燐には補習よりしんどいかも」

わたしは嫌な予感がした。帰りますと言おうとしたが、ここはわたしの部屋だ、もう帰っている。五条さんの口元がニヤニヤニヤニヤとわたしを追い詰める。

「心は決まった?」

「…………」

「明日は教室来れるかな?寂しがってたよ」

「……狗巻くんが?」

「パンダが」

「パンダ〜〜〜〜〜でもありがとう、君は高専の良心」

わたしがサボったことを寂しがってくれたらしいパンダに感謝を告げた。パンダのためにもキッチリさせなければという気持ちになれた。確かに、明日だろうが明後日だろうが教室に行けば狗巻くんがいるのだしいつまでもモダモダしているわけにもいかない。それにいつ依頼でペアを組むことになるかも分からない。そのときにまた前みたいに1人で腰を抜かすわけにはいかないのである。なにより情けないだろう。
そう!女は!度胸!狗巻くんに殺されるわけでもないしどんと行け。

「おっ、行く気になった?」

ゆらりと立ち上がると五条さんがパァァと表情を明るくさせた。五条さんの思う通りに動く羽目になっているのが悔しいが、おそらく五条さんもわたしたちのことを心配してくれてるんだろう。無理矢理自分を納得させて五条さんの横を通り過ぎる。
もしかしたらと思って問いかけた。

「五条さん、もしかして狗巻くんのいる場所知ってます?」

「うんそれを伝えに来たし」

「学生で遊んでますよね」

「まさか!明日から僕出張だから今日までにスッキリさせとかないと寝覚めが悪いじゃん」

「五条さんの寝覚めとかこちとらどーでもいいんですけど」