ささやかな入学式、純和風の校舎、まさかの4つしかない机。教室に着いた狗巻棘は人知れずため息を吐いた。人が少ないとは聞いていたが、これほどまで少ないともうクラスという域ではないのではなかろうか。塾だ。いや、塾より少ない。もはや一般家庭の子供部屋だ。4人兄妹の。
それぞれクラスメイトが席に着いている。謎のパンダとメガネの女子、そして薄い紫の髪色の女子。自分も全く人のことを言えないが、狗巻棘はキャラが濃すぎるなぁと思った。このメンツで4年間呪術を学ぶのか、と感慨深くなる。自分用に宛てがわれた席に座ると、近くのパンダがフレンドリーに声を掛けてきた。

「よお!同じクラスだな!俺はパンダ、オマエは?」

「…………」

狗巻棘は迷った。自分はとある事情で気軽に話すことが出来ない。流暢に言葉を操るパンダには個人的にかなり問い質したいものだが、どうしても家庭の事情でそれは実行できない。
結果押し黙ることになってしまい、狗巻棘の胸はちくりと痛んだ。好意的に接してきてくれている相手に対してまともな返答ができないことが辛かった。隣の黒髪メガネの女子が見かねたのか会話に入ってくる。

「もしかして喋れねぇとかそういう感じ?だったらあれだ、筆談とかケータイとか」

「あ、そっかごめんな!俺気が利かなくて!呪術師なんていろいろいるから、なんかそういうのあっても俺らには遠慮する必要全くないからな!」

「オマエなんてパンダだもんな」

「そう俺なんてパンダだから」

パンダが豪快に笑う。いや、パンダなのはいいがこれはそのまま事実として受け止めるしかないのだろうか。……狗巻棘は内心それなりにお茶目であり、本人自体が代々続く呪言師の末裔で非科学的な事態には慣れていたので、不条理に対して無闇に心乱されたりなどはしなかった。パンダはパンダでも心優しいパンダのようだから、彼(俺と言うからにはおそらくオスなのだろう)をそういうものとして納得することに違和感はなかった。
狗巻棘はケータイを取り出し、『狗巻棘』と入力した。それをパンダとメガネの女子に見せる。二人は少々息を呑んだ。

「狗巻……呪言師か」

「なるほどそりゃ……そうか、言葉制限してるってことなんだな」

狗巻の名は二人も知っていたらしい。深く説明せずに納得してくれて助かった。なにしろ、言葉で説明できないのでちまちまケータイに入力していくしかなくなる。
会話に不参加だった薄い紫の髪の女子が狗巻棘を振り返った。髪色から勝手にヤンキーに近い人物だと思っていたが、彼女は手に小さなノートを持っていた。第一印象からのミスマッチさに驚く。何が記入されているのか、表紙の文字列は確認し損ねた。

「狗巻!」

紫の髪の女子が目を丸くして狗巻棘を視界に収めた。呪言師が珍しいようで、心做しか目がキラキラ輝いているように見える。メガネの女子がため息を吐いて、『燐』とおそらく紫の髪の女子の名を呼んだ。女子同士既にある程度仲良くなっているのだろうか。

「名乗ってもねぇのにさすがに呼び捨ては駄目だろ」

「……確かに。ごめん、わたしは上蓬莱燐」

「ちなみに私は禪院真希、苗字から何か察すかもしれねぇが気にすんな」

「わたしの方も苗字から何か察すことがあっても気にしないで。いやまぁ、気になるなら別に答えるけども」

「まぁ苗字が何だろうが声がどうだろうが姿がアレだろうがこれから俺らは仲間だからな、わだかまりなく無礼講でいこうぜ」

「それな、パンダいいこと言う」

「……しゃけ」

ぽつりと狗巻棘がおにぎりの具を呟く。聞き逃さなかった燐が目をぱちりとさせて、『今、わかるって言った?』と追及してきた。狗巻棘は少し悩んで(同意を表したかっただけで、『わかる』と言ったわけではない)、ニュアンスは同じと判断してコクコク頷く。
真希と燐は顔を見合わせた。そして二人して狗巻棘に向き直る。

「なんだ、全然大丈夫じゃん」

「しゃけ?いいじゃねぇかそれで。慣れたら雰囲気で言いてぇこと伝わるだろ」

「わたしパンダにももう慣れちゃったし狗巻くんの言葉にもすぐ慣れそう」

「慣れてもらえてパンダさんうれしー!くっ……目から汗が出てくるぜ」

「明太子!」

「めんどくせぇ!おい、棘も一緒に泣いたりすんなよ」

狗巻棘はこれから4年間共に学ぶ仲間が彼らで良かったと心から思った。


棘の初めての任務は、真希とペアになって複数の低級呪霊を祓うことだった。以降、ペアで挑む任務や訓は遠距離型の棘と燐がそれぞれ近距離型の真希とパンダと組むというスタイルで定着していった。足止め担当と攻撃担当とのバランスが上手く取れていたので、これまでの任務は危なげなくこなすことが出来ていた。
2級呪術師である棘は単独で任務をこなすこともあった。今回もそのような形だったのだが、車に乗って出掛けようとする棘を五条悟が呼び止める。

「あ、そうだ棘。今回は燐と行ってよ」

「?」

「術式の違う使い方を試したいから、次の任務に同行させてってお願いされててさ」

なるほど、棘はこくりと頷いた。了承を得た五条はケータイで燐に電話を入れる。少しだけ会話をして、『すぐに来るって』と棘に伝えながらケータイを切った。
燐は宣言通りすぐに来た。走ってやってきた。手には入学式の日に持っていたノートを握っていた。術式に関係するメモか何かかと棘は予想した。走ってきた燐は息を切らしながら恨めしげに五条を睨みあげる。五条は口笛でも吹くかのような他人面をしている。

「こういう、前々から分かってることは、前々から教えてください!」

「いや〜ごめんごめん、さっきふとお願いされてたこと思い出して」

「頼れねー!メモって机に貼ってくださいよもう!」

「机なんて戻らないもーん」

「じゃあ腕にでもマジックで書いて!」

ひとしきりぎゃいぎゃい言い合った後で、棘と補助監督に気付いた燐は慌てて『ごめんなさい』と頭を下げた。棘は自分に謝罪される意味が分からず首を傾げる。わたしのせいで出発が遅れたからと説明されたが、それは燐のせいではなく連絡が遅かった五条のせいだ。補助監督もそう思ったようで、燐の頭を上げさせる。
出発してからも燐は車の中でしきりに『ごめんね』と繰り返した。気にしないで欲しかったので声をかける。

「おかか」

「……気にすんなって?でもさ、わたしがそもそも行きたいって頼んでなかったらこんなザマにはなってないと思うんだよね」

「こんぶ」

「まぁ確かにわたしが100悪いわけじゃないか」

「しゃけしゃけ」

「ありがとう狗巻くん!でね、今日は新しい術式の使い方を試してみたくて」

いざとなると切り替えが早い。おそらく早く試したくてうずうずしていたのだろう。
自らの力をつけて強くなろうと切磋琢磨する様子は棘の目に好ましく映った。棘は生まれたときから付き纏う自分の呪術にいい加減うんざりしていた時期もあったから、それらに正面から向き合ってより良く技を磨いていこうという彼女の姿勢は新鮮でもあり、キラキラして見えた。
燐はぱらりと手元のノートを捲った。やはり術式関連のノートだった。性別を感じさせない整った字が並んでいる。

「わたしの術式、細胞を操作出来るんだけど」

「こんぶ」

「上手く強化できたら近接も行けるようになるかもしれなくて」

「すじこ!」

「そう!そしたら出来ることが増えるじゃん?こんなん試すしかない。一応真希ちゃん相手に練習はしたけど、実戦で使えるかはやってみないと分からないし」

「しゃけ」

「うん、だから今日は一緒に頑張ろうね。わたしがまるで駄目でも狗巻くんにフォローしてもらえるし心強いよ」

よろしくね、と燐が棘に微笑みかける。棘はなんだか直視できなくて、すっと目線を落とした。
自らが戦力を担おうと頑張る姿が輝いて見えたのは嘘ではないが、棘は燐に自分を頼って欲しかった。それはクラス内で唯一の2級呪術師であるプライドであったり、女の子の身体に傷を付けたくない気持ちであったり、いろいろと混ざった感情だったので棘は少し困惑した。棘の覚えている限り、このような相対する気持ちを抱いたのは初めてなのではないかという気がする。
程なくして現場に到着し、帳が降りる。燐の鍛錬を無視してさっさと呪霊を祓ってしまおうかとすら思えた。が、燐が悲しんだり怒ったりするのも嫌な感じがして、結局棘は燐のすぐ近くに控えて彼女を見守ることになる。
集中状態に入った燐はまず握り拳を作った。それを大きく振りかぶり呪霊に向かって駆け出す。普段の燐の数倍足が速い。なるほど、足と腕を強化しているのだと察せた。
とはいえ相手は2級呪霊。敵も高速で向かってくる燐に気付いたようだったので、狗巻棘はヒヤリとしてついつい口を出してしまう。

「 止 ま れ 」

「狗巻くんんん!!まだわたし何も出来てないから!」

棘の呪言とピタリと動きを止めた呪霊に燐が憤りをあらわにした。素知らぬ顔で咳をひとつして、棘は続きをどうぞと燐に譲る。不満げに眉を寄せた燐だったが、無理言ってついてきている立場だったことを思い出したようで改めて呪霊と向かい合った。
彼女は振りかぶっていたグーを再度天に掲げる。こんしんのいちげき!

「…………」

「……だめっぽい」

「しゃけ」

「ひぇ〜こわこわ」

手痛い反撃を真希仕込みの軽やかな動作で躱し、燐はそそくさと棘の後ろまで逃げてきた。
棘は考える。確かに威力はあるかもしれないが、致命的に戦闘センスがなかった。呪霊にハイパワーゲンコツをかます術師なんて聞いたことがない。燐の場合はこんなにすぐ実戦ではなくて、まずボクシングだとか空手だとか、殴るという行為そのものの練習からした方がいいのではと感じた。棘もその辺は得意ではないが(呪言師なので腕っ節に自信は要らない)、少なくとも燐よりは上手くパンチを繰り出せると思う。

「ツナマヨ」

「え?なんだって?」

「こんぶ!こんぶ!」

「わかった、自分の身は自分で守れるから大丈夫」

危なっかしくて見てられないので大人しくしててくれと懇願すると、燐は両手を軽く上げてもう何もしないと態度で示した。元々棘一人なら苦戦する相手でもないため、彼は咳払いをしてから呪言を発動させる。声は枯れたがうまく祓うことができた。
あっさり終わったので棘は拍子抜けする。彼が喉薬を飲もうか迷っていると、横から鋭く注意喚起がなされた。

「危ない!」

驚いて動きを止めた瞬間、ぼわりと棘の顔の横を炎の塊が通り過ぎる。火傷必至の熱量が向かった先には3級あたりの呪霊がいた。不意打ちをしようと隠れていたのか、ついさっきちょうどやってきたのか。そいつは程なくして炎に包まれ、断末魔の悲鳴が場に響いた。

「これでおあいこ!!」

ドーン、と燐が言い放った。少しでも位置がズレていたら火達磨になるのは棘だったかもしれなかった。呪霊が危なかったわけではなくて、燐の攻撃が危なかったのだろう。良かれと思って火を吹いたら棘に当たりそうになって焦った的な。
別に言ってくれれば3級呪霊くらいなら、まぁ喉薬で声は戻さなければいけないが棘にもなんとか対処することができただろう。燐の火吹き術は使う度に全身が焼ける痛みを伴うらしいので、あまり積極的に使って欲しくない気持ちもある。だが、それは自分についても言えることだと棘は視線を落とした。術師を目指して高専にいる以上、時には自らを犠牲にしなければいけないと覚悟している。真面目で努力家の燐のことだから気持ちは棘と同じだろう。
燐が嬉しそうにしているので、棘は彼女の言う通りおあいこということにしようと思った。頷いた棘に燐は屈託ない笑みを見せる。楽しかったなどと場違いな感想をききながら、棘は誰にも気付かれないようネックウォーマーの中で小さく息を吐いた。



高専に帰ると真希が仁王立ちしていた。棘は思わず身を竦めるが、真希のお目当ては棘ではなく燐だった。帰ってそうそう睨みつけられた燐は、この後の怒髪天が予想できるのか表情を強ばらせる。真希は吼えた。

「燐ー!!まだそれ使うのはやめとけって言っただろ!!」

「で、でも真希ちゃん評価厳しいから案外大丈夫かなって」

「アホか!!!大丈夫ならちゃんと大丈夫って言うわ!!!」

「真希ちゃんごめん〜、狗巻くんとならなんとかなるかと思ったんだよお」

「パンダに護られるの卒業したいっつってたのはオマエだろ!!棘にまで護られやがって」

「後衛の気持ちなんて真希ちゃんに分かるわけない!」

「お?言ったな燐、じゃあその気持ちをバネに今からぶつかり稽古でもするか?」

「しないよ!!何時だと思ってるの!!」

女子同士が言い合いながら女子寮へと帰っていく。真希は燐が心配だったのだろうなと思う。面倒見の良い真希のことだ、燐が同じ遠距離型である棘と一緒に依頼に行ったと知って大変慌てたことだろう。なんのつもりだと五条に詰め寄ったかもしれない。
ぽつんと残された棘も男子寮に帰る。パンダに『おかえり』と迎えられ、棘はひらりと手を振った。