狗巻棘には恋愛が分からない。いや、分かりはするが、自分にその機会が訪れたことがなかったので、彼にとって恋愛とはドラマとか映画とかの世界の話でしかなかった。だから憂太と里香の関係の深い部分は分からずにいたし、五条悟の大人ぶった恋愛論も右から左に聞き流していたし、高専で付き合うならだ〜れだ?ゲームも適当にフィーリングで指さしていた。好みのタイプなら棘とて男なので一丁前に存在する。ただ、それを満たしている相手が現れたとしてもその子と付き合いたいかと聞かれたら首を傾げてしまっていた。

「死んだと思ったよね」

「しゃけ」

クリスマスは今年もやってきて、しかも百鬼夜行までくっ付いてきたのでもう大変だった。燐がやばかったと語る通り、被害の規模が大きく高専はしっちゃかめっちゃかにされた。今は燐も棘も全回復してピンピンしているが、当時は夏油にやられて揃って瀕死だった。憂太に反転術式を使ってもらわなければふたりともお陀仏だっただろう。
そんな一大事を乗り越えた先のクリスマス。家庭の事情で大抵の人が仏教か神道であるため、特にサンタさんがどうという展開にはならなかった。百鬼夜行で犠牲者も出たのでさすがにそんな気分にはならなかったというのが正しいだろう。とはいえ、高専一年生はまだまだはしゃぎ盛りの子供である。多少なりともクリスマスらしい雰囲気味わいたいよね、と寮でケーキを食べたところだった。少し離れたところでは真希と憂太とパンダが話をしている。そちらを一瞥して燐は口を開いた。

「死ぬんだなぁって思ったよ。なんだろ、他人事だった」

「…………」

「術師って呪力切れたら何にもできないんだねー。気を付けなきゃ。次があることに感謝しないと」

「……しゃけ」

あの戦いの最中、開幕早々腹を盛大にぶち抜かれ臓物を撒き散らした燐はもともと発動していた術式で即時回復した。普段の治癒とは怪我の度合いがケタ違いだったので、それだけで呪力を使い果たしてあとはボッコボコだった。今考えると、夏油は燐の術式を知っていて呪力切れさせるために派手に燐を殺しにかかったのだろうと思う。
燐は身体を小さくさせた。恐怖を思い出しているのだろうか。いや、寒いからかもしれない。棘はどうにか燐を励ましたかった。まともに話せない自分が何を思い上がっているのだろうとも考えたが。

「もう誰も死にかけて欲しくない」

顔を伏せた燐は絞り出すように言葉にした。棘はそれを聞いていることしかできなかった。

「誰も死んで欲しくない」

「…………」

「おかしいかな。術師として。わたしは、自分はまともにイカれてると思ってたけど」

「こんぶ」

「絶望できるくらいにはまだ人間だったんだなぁ」

悲しんでいるようでもなく、嘆いているようでもなく、むしろどこか喜んでいるかのような声音だった。上蓬莱の呪術は最終的に、術師を不老もどきのバケモノにすることを目標としている。燐はそれに反発して家を出たとかつて語っていた。『わたしは人間として死にたい』と話していた。
棘は燐に伝えたかった。燐はちゃんと人間であると。周りの人が燐をバケモノだとか怪獣だとか、どういう呼び方をしようが君は俺にとってはただの頑張り屋の人間の女の子であると。棘だけでなく、パンダも真希も憂太も、悟も同意してくれるだろう。
やけっぱちにならないで欲しかった。自分を大事にして欲しかった。呪術師なら負の感情は確かに大切ではあるけども、その暗い気持ちに飲み込まれて欲しくなかった。
棘はそっと、燐の頭に手のひらを乗せた。ツナマヨだの明太子だの言うよりよっぽど伝わってくれるだろうと考えたのだ。ぽん、ぽん、と一定のリズムで軽くたたく。あやすような感覚。

「子どもじゃないやい」

燐は憮然と言いながらも手を退けようとはしなかった。さらりと伝わる髪の手触りに、棘は胸が狭くなる感覚を覚える。燐の臓物が飛び散ったとき、棘は本当に頭が真っ白になった。死んだと思った。息をするのも忘れてしまっていた。燐に死んで欲しくなかった。仲間だからとか、友達だからとか、そういう綺麗事で片付けるには衝撃があまりにも大きかった。
いま、命の通っている燐の頭に触れながら棘は確信した。これがおそらく恋というものなんだろう。この人の周りがいつかの白い髪に反射した電灯のように、キラキラしたもので溢れていて欲しいと願うこの感情こそが好きだという気持ちなのだろう。
しばらくそうしているとこちらを伺うパンダと目が合った。あ、と思うと同時に真希が振り返り、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「ケッ、見せつけてんじゃねぇよ」

「違うよ真希ちゃん、狗巻くんは不甲斐ないわたしを慰めてくれたんだよ」

「生きててよかったねってか?」

「そんな感じ。みんなでクリスマス出来て良かった」

「ケーキしか食ってねぇけどな」

「ケーキ食べれて嬉しいじゃん!」

「まぁ、なぁ」

真希もパンダも百鬼夜行で死にかかったのだ。生きてて良かったと思わないはずがない。

「僕も、みんなとまた一緒にいられて嬉しいよ」

「もう憂太さまさまだな」

「ありがとう命の恩人」

「命の恩人感謝永遠に」

「やめてよ擽ったいなぁ」

憂太が微笑み、真希もパンダも燐も笑う。棘も自然と口元が緩んだ。
棘は自覚した恋心をどうしようという気もなかった。燐が生きてさえいてくれればそれでいいと思えた。名残惜しいが燐の頭に乗せていた手をおろす。ただでさえ語彙を限定している棘だから、本当にどうこうなりたいなんて気持ちは持てなかった。燐が棘を見て笑う。付き合いたいかと聞かれたら、ううん、でも棘は呪言師であるからして。


などと気持ちを抑えつけまくった狗巻棘は、この2ヶ月後に死にかかり燐に唇を奪われ更に吐いた血まで飲まれ、冷静と情熱のあいだで盛大に思い悩む羽目になる。