10も歳下の思春期ボーイとデートをする羽目になっている。『かわいい服を着てきてくださいね』などと言われてしまったがそもそもそんなの持ってない。若い子の言うかわいい服の基準がもう分からない。仕方がなかったので渋谷に出向いてかわいいのであろう服を買った。私やばいなとは思ったが、なんというか、息子まではさすがに行かないが甥くらいの歳の子と並んで歩くなら自分もちゃんとしなければと妙な使命感を覚えてしまった。
「すいませんなまえさん、待ちましたか」
「ううん、私も今来たばかりだし」
「しょーもない嘘つかないでくださいよ、コーヒー飲み終わってんじゃん」
「ほんとかわいくねぇガキ」
「なまえさんの服かわいいですね」
表情変えずにワンピースを褒められただけでこっちも軽率に喜んでしまうのでもうどうしようもなかった。
普段は仕事着である真っ黒いスーツしか着ていないので、露出させた足がスカスカで落ち着かない。踵の高い靴を履いたのも法事以来で、自然と歩くのも遅くなる。
行こうと言っていた映画館に向かう最中、いつもの半分くらいの速度でしか歩けない情けない私に、伏黒は珍しく何も言ってこなかった。むしろ飲み終わったコーヒーの容器を捨てに行ってくれたりして、対伏黒用の憎まれ口を用意していた私としてはたじたじだ。
チンタラしながら映画館に入り、私は観たい映画のチケットを買おうとした。が、伏黒が『予約してあるんで』などと言い出して端にあるハイテクな機械でチケットを発券する。謎の機械の存在に目を丸くする私を伏黒が笑う。
「何驚いた顔してんですか」
「今の技術の進歩はすごいなぁと思って」
「まだ20代でしょ。50のババアみたいなこと言わないでくださいよ」
「一言多いんだよなぁ」
「気のせいですよ」
軽く流されてチケットを一枚手渡される。そうだお金と思い出して慌てて財布を取り出したが、気付いた伏黒は私を無視して奥に進んでしまった。
年齢差があるのでさすがに伏黒に奢らせる訳にはいかないと戦慄し、私は伏黒の後をついていく。
「なまえさん何か食べます?」
フードコーナーの列に並んだ伏黒は目線をこちらに向けずに聞いてきた。隣に並んで伏黒の見ている方に視線を向ける。
「チュリトス食べたい、シナモンの」
「じゃあチュリトスとコーヒー2つっすね」
「伏黒、チケット代返すよ」
「あー、じゃあこれの支払いお願いします」
「全然足りんわ、コーヒー5杯飲め」
「要らねぇって。気になるなら次払ってください」
「次」
伏黒と次のデートがあることに素でびっくりして、自分たちの番が来ていることに気付かなかった。そんな私をスルーして伏黒はスマートに注文をこなす。私は再度慌てた。
「ごめん金出すから」
「おー」
「伏黒もコーヒーブラックでいいの?」
「はい」
「若いのに珍しいね」
「……俺そんなに若いですか」
声音が突然低くなったので、財布から金を出しつつ私は固まる。固まってても仕方ないとすぐに思い直して支払いをして、出されたコーヒーを1つ伏黒に渡す。
「若いよそりゃ……10代じゃん。若いよ」
「そんなに年齢気になりますか」
「気にならない方がどうかしてるでしょ」
「じゃあ俺はどうかしてるんですね」
「き、気にならないんだね伏黒は。それはそれで、うん、伏黒らしいと思うよ」
「なにを適当に」
コーヒーを受け取り、伏黒はそのままカップに口を付けた。喉が渇いていたのだろうか。チュリトスを受け取って私は更に奥に向かう。何やかんやでいい時間になった。機嫌をお損ねになっている伏黒が今度は私の後ろについてくる。
不意にチュリトスを持っている手を伏黒に握りこまれた。ビクッとして伏黒を振り返ると、彼はいつもの無愛想な顔で私を見つめている。
「……は、え?伏黒?」
「チケット、出せないでしょ。持っててあげますよ」
「確かに」
そう言えば私は両手が塞がっている。そんなことすらも忘れてしまうほど私は動揺していたのだろうか。
チュリトスを伏黒に渡してチケットを出す。伏黒が私を呼んだ。
「なまえさん、俺上着のポケットにチケット入れてるんで」
「……うん、え?」
「取ってください」
「え!?」
『早く』と伏黒が急かしてくる。係員の迷惑になるだろ早くしろと表情で私を責め立てる。
私は目を閉じて伏黒のポケットに手を伸ばした。『どこ触ってんすかパーカーのですよ』と言われて謎の罪悪感に駆られる。これではいつまで経っても無理だと直感して、私は薄目を開けた。身体の向き的に数歩伏黒に近付かないと届かず、断腸の思いで伏黒ににじり寄る。
やっとの思いでチケットを引っ張り出す。伏黒を見上げると、彼は笑っていた。
「伏黒ォ!」
「はいはい。すみません時間掛かりまして」
「私が荷物持てば良かったじゃん!」
「女の子に物持たせらんないでしょ」
「よく言うわオバサン相手に」
「俺なまえさんのことオバサンなんて思ったことないんですけど」
「よく言うわPart2」
ぶつくさ喋りながら劇場に入る。結構話題になっている映画なので一際広い部屋が宛てがわれていた。
チケットを見ながら席を探す。程なく見つけて後ろ寄りの真ん中の席に二人並んで腰掛けた。
「いい席」
「でしょ」
どことなく伏黒は得意げだ。チュリトスを受け取り椅子の横のホルダーにコーヒーを置く。盛大に感動しようと思って持参したハンカチをバッグから取り出した。
スマホをポチポチしていた伏黒が目ざとく口を出してくる。
「ハンカチなんて持ってるんすね」
「お前は私をなんだと」
「まさか映画で泣くんですか」
「涙活ってやつだよ」
「ふーん」
伏黒はコーヒーを飲む。私はチュリトスをかじる。人が少しずつ増えてきた。映画が始まるまであと10分くらいはかかりそうだ。
「映画見終わったらどこ行きます?」
「帰るよ。夜遅くなるし未成年連れ回せないよ」
「俺に慰めて貰わなくていいんですか」
ん?聞き間違えただろうか。聞き間違いだな。平常心を装ってチュリトスを食べる。無心になってしまったので半分くらい一気に胃の中に入れてしまった。
「俺、泣いてるなまえさん置いて帰れないんですけど」
聞き間違いじゃなかったようだ。伏黒から追い討ちされて私はチュリトスを食べる口が止まらない。チュリトスおいしい。
噛むのが疎かになってしまって喉に詰まりかけたのでコーヒーを手に取る。横目で見た伏黒はえらく真剣な顔をしていた。シナモン風味のチュリトスをコーヒーで流し込んでから、私は息を吐く。伏黒は話し続ける。
「そんなヒラヒラの服着て、歩きにくい靴履いて、オマケに泣いてるとかそんなんで帰せるわけないでしょ」
「伏黒さ、私の年齢10歳くらい間違えてんじゃないの」
「さっきも言ったけどそんなに年齢気になります?」
「なるに決まってんだろー」
「ならどうしたら俺を信じてくれるんですか。俺はあまり我慢強くないので、いつまでもなまえさんが向き合ってくれないといつか実力行使しますよ」
「ハハハ怖いねぇ」
やりかねないと思って乾いた笑いが出る。五条さんあたりを味方に付けられたらやばい。なし崩しに伏黒の思い通りになってしまう。
伏黒は小さく息を吐いて私から顔を背けた。アナウンスが流れて劇場の照明が落ちていく。助けてくれてありがとう映画館。
「これ終わったら覚えてろよ」
年上に対する言葉遣いじゃなかった。もうこれ呪詛じゃんと映画開始前に既に泣きそうになりながら私はハンカチで顔を覆った。