結論を言うと、別に私は泣きはしなかった。確かにいい話だった。ヒロインが親指を立てて溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙なしでは見られなかった、泣いてないけども。面白いという感情が強すぎてそれ以上まで気が回らなかったのかとも思う。鑑賞後の気分としてはアクション映画を見た後の感覚が近い。
エンドロールが終了して、劇場内が明るくなった。冷え切ったコーヒーを飲み終わり、私は横の伏黒に目を向ける。
彼も全く泣いちゃいなかった。じっとスクリーンに向かっていた目が私の方へ移動する。私は伏黒が飲んでいたコーヒーのコップを手に取り残りを確認した。飲み切っている。
「帰るかー。いい話だった」
「普通に面白かったですね」
「そうだよね、全米が泣いたとかいうから泣きに来たのに誤算だった」
ゴミを係員に渡してスタスタと映画館を出る。『じゃーな!』と明るくトンズラしようとしたが、伏黒に先回りされて手首を掴まれた。照れるとかの前に力の強さに驚いた。なんだこいつ私を脅すつもりか?覚えてろよと呪詛を吐かれた記憶が蘇ってくる。伏黒に限ってそんないわゆる悪いことをするとは到底思えないが。
伏黒は普段通りの顔で自分が掴んでいる手首あたりを見ている。私は伏黒くんを信じている。心無いことをやらかしそうな顔をしているが、ちゃんと中身はまともだと分かっているので。
だから私は慌てず騒がず、低めの声で対応する。言ったら分かってくれるはずだからと、伏黒を盛大に子ども扱いする。だってまだ子どもだし。
「伏黒、痛いから離して」
今気付きましたというように伏黒は手の力を弱めた。しかし離そうとはしなかった。ここで振り払うほど伏黒が嫌いな訳は全くないので、痛くないならいいかと手を掴ませたままにしておく。
伏黒が何かを言おうとしてやめるのを何回か繰り返した。そしてようやく言葉を放つ。
「なまえさん、晩飯食って帰りませんか」
あーめちゃくちゃ妥協したんだろうなと直感した。ホテル行きませんかとか言われたらどうしたらいいんだろうと内心ビクビクだったから良かった。まぁ伏黒くんに限ってそれはないか。まだまだ高校生だし。
私は映画館でも伝えた内容を同じように繰り返す。このスタンスは崩せない、私がこの年齢で、伏黒がこの年齢である限りは。
「あまり遅くまで未成年連れ回したくないんだっつの」
「なら弁当でも買って……俺の部屋で」
「行くわけないだろさすがに!寮だろ!」
「なまえさんの家でもいいです」
「未成年連れ込みたくないー!」
拒否の姿勢を崩さない私に対し、伏黒は若干悲しそうに眉を下げた。私にとって伏黒はまだまだ子どもなので、歳相応の反応をされると良心が苛まれる。
伏黒は顔を伏せた。すぐにいつもの表情に戻り、『じゃあ』と三つ目の案を口に出す。
「帰りだけ送らせてください」
「私が本来なら送る立場なのだがね」
「俺にカッコつけさせてくださいよ」
「んんっ、し、仕方ないなぁ!でも駅までね」
子どもだ子どもだと思っている伏黒が、要所要所で見せてくる大人ぶった殺し文句に私はとても弱いのであった。言っておきながら本人も多少恥ずかしそうに目線を落としたりなどするので余計ムズムズしてしまう。私はショタコンだった?今までの彼氏に年下なんていなかったんだけどな?
駅までという条件を伏黒はあっさり受け入れて手を離してくれた。もともとは即解散のつもりだったから粘っても仕方ないと諦めてくれたのかもしれない。映画館までの道と同様、伏黒は私の遅い歩調に合わせてくれる。黙っててもつまらないので、映画の感想でも語り合おうかと私は口を開いた。
「映画、観た?伏黒ならあの場面どうする?」
どこか遠くを見ながら歩いていた伏黒が、私の言葉にこちらを振り返る。
「……ヒロインか世界か、選ぶとこですよね」
「そうそう。ありがちなテーマだけどやっぱりそれだけ究極の選択ってことなんだろうね」
「俺がどうするか知りたいんですか」
「あまり答えたくなかったらいいんだけど」
乗り気じゃなさそうなので先に私が語らせてもらうことにする。話題がないから。間を持たせたい。
「私だったら、そうだなぁ、あの場面でももうちょい足掻くかな」
「どうやって?足掻きようがないですよあんなん」
「どっちかだけとか虚しいじゃん。どっち選んでもなんか他にあったんじゃないかってずっと後悔するよ」
「無いんですってば」
「まぁ映画だから無いんだろうけど、犠牲が出るのはどうあれ嫌だからなぁ。全部救いたい」
「全部とかRPGの主人公かよ」
馬鹿にする言い方にカチンときた。理想論をほざいている自覚はある。フィクションなんだからどう思ってたっていいだろと反論しようとしたが、伏黒が謎に嬉しそうにしていたので言葉を飲み込んでしまった。
「でも俺、なまえさんのそういうとこ好きですよ」
「……ど、どうも」
直球で告白されてしまうとどうにも照れてしまう。なんだか暑く感じてしまって、隣の伏黒を意識しすぎてしまって落ち着かない。どうせLIKEの意味で言ってんのは分かっているが、なかなか優しげな声を出すもんだから年齢差をうっかり忘れてしまいそうになることがある。良くない傾向だ。
「伏黒はどうなの」
この空気がこっぱずかしくて伏黒をせっつく。彼は考えるように目を細めてから言った。
「俺は迷わずヒロイン選びます」
「マジか。意外」
「あのヒロインに落ち度ないですからね」
そんなもんかと私は考えた。伏黒からしたら世界の方にこそ落ち度があったのだろう。落ち度のあるなしで決めるのはちょっと悲しいなぁという感想を抱いた。
そろそろ駅に着く。これ幸いと私は『じゃあこのへんで』と別れの言葉を口にした。伏黒はその場に立ち止まる。
「ありがとう、なんやかんやで楽しかった」
「……やっぱり一緒に帰りませんか」
「帰らないですね」
「……そ。ちゃんと家に着いたらLINEしてください」
「母親か」
「なまえさんが心配なんで」
「君よかそれなりに生きてんだけどね」
「まぁ威厳がないっつーことですよ」
「だろうな!知ってた!」
全てはそれに起因するのだろう。おかしいなぁ、仕事中はちゃんとやってるつもりなんだけどなぁ。悲しみを隠しながら定期券を取り出し、伏黒に『じゃあまた』と告げて駅へと向かった。
改札を抜けたところで伏黒からLINEが届く。
『また行きましょ』
『デート』
「やっぱデートだったか……」
既読だけ付けてLINEを閉じた。誘われたときもデートですねと言われたから、まぁそうだろうとは思ってはいたが。改めて伏黒から同じ認識だとバラされてしまうと恥ずかしくなる。そうか、伏黒もデートだと思っていたか。そうかそうか。
私は額に手を当てる。このまま伏黒と交流してていいのだろうか。なにかどえらい事になる気がする、懲戒免職とか懲戒免職とか懲戒免職とか。
「あーーーーーなんて返そ」
電車内でスマホ片手に私は頭を悩ませた。