「虎杖と伏黒にも意見聞いてみたんですけど」
木曜日。野薔薇ちゃんがそんな婚姻蹴り飛ばせと推してくれているのにも関わらず自分で決めることができなかった私は、野薔薇ちゃんの言葉で目の前が真っ暗になった。
……虎杖くんはまだいい。素直に思ったまま答えてくれるだろう。ただ、伏黒……伏黒になんで聞いちゃうんだ野薔薇ちゃん……、頭を抱えたくなったが野薔薇ちゃんは別に何も悪くない。現に様子のおかしくなった私を前に、不思議そうな顔をしている。伏黒が自分からなまえさんとヤりましたなんて言うはずがないので、野薔薇ちゃんは何も知らないのだろうから。
気を取り直して、野薔薇ちゃんに言葉を続けるように伝える。
「虎杖はなまえさんが決めるべきって言ってました。なまえさんの人生だからって……、でも寂しいのはアイツもなんで、言わないけど辞めて欲しくないはずです」
「そっかぁ」
「伏黒は……」
野薔薇ちゃんは言葉を一旦区切った。言いにくそうに目線をそわそわさせ、私はひとりで肝を冷やす。
「ふ、伏黒は?」
「……何も言わずに教室出ていきました……」
「ああ〜〜」
納得。そんな感じのことしそう。つまり、俺には関係ないって態度だろう。野薔薇ちゃんはそのときの怒りを思い出したのかコツコツと机を指で叩き始める。
「なんなんですかねアイツ!!あの伏黒!!クールぶりやがって!!」
「……うーん、でもまぁ伏黒には関係ないしね?」
「関係ありますよ!知らないかもしれないですけどアイツ、なまえさんのことめっちゃ私に聞くんですよ!!そもそも今回のこと話したのも伏黒がなまえさんと任務だったろとか言い出したからなのに、ホンッッッットあの野郎!!」
ちょっと待て。伏黒に対してボロクソに言いまくる野薔薇ちゃんに、私は片手を軽く挙げて問を投げかける。
「野薔薇ちゃん、質問」
「どうぞ」
「伏黒くんが、野薔薇ちゃんに、私のことを聞いている……?」
「聞いてきます。私も詳しくはないしそもそもそういう女々しい男ムカつくんでストーカーか自分で聞けやってあしらってますけど。聞けるのが私くらいしかいないんですかね、ここ女子少ないし」
「……はぁ」
「絶対アイツなまえさんのこと好きですよ」
こそこそっと伝えられたが、それは私自身がとてもよく分かっているのであった。
伏黒が野薔薇ちゃんにバレるくらい私のことを気にしていたのは想定外だった。確かに最近は伏黒を送迎することもあまり無くなってしまっていたし、彼が同級生と話してるところをちゃんと見たことは無い。私の知ってる伏黒なんてまだまだ序の口なんだなぁと感慨深かった。
最初は何言ってんのこいつと思っていたが、今や伏黒の気持ちを疑ったことはない。あの綺麗な目で真っ直ぐ見詰められて、嘘をつかれているとは多分誰も思えないのではないだろうか。彼の態度はひねくれにひねくれを重ねているが、中身はただただ実直で頑固だ。父親はドン引くクズなのでまともに育って奇跡である。一応禪院家の分家なので家柄も顔面もすこぶる良い。そして何よりあの、ほっといてたら影になって消えてなくなっていそうな存在の危うさ。
伏黒を置いて高専を出ることは私には出来そうになかった。伏黒が私を最終的に選んでくれなくてもいい、そこは望まない。けれど伏黒が私以外の人とでも幸せになってるのを見届けたいと思うのは悪くないのではなかろうか。とことん自分が安心するためであるのだが。
もやもやしながら高専の廊下を歩く。こうなったらやっぱり中間を取って、仕事だけは続けさせてくれと訴えるしかなさそう。むしろそうでなければ結婚しませんという方向でいこう。それなら野薔薇ちゃんも虎杖くんもオッケーしてくれるはずだ。
向かい側から伏黒が歩いてくる。気まずくてUターンしようとしたが、伏黒に背を向けた途端肩をがっしり掴まれた。数日前の濡れ場を思い出して固まってしまう。
「するんですか」
地を這うような声を出される、これは怒っている。主語も目的語も無く問われてもなんと答えればよいか分からなかった。まぁ何をなのかは流れ的に分かるけど、だからって上手い返答など簡単には思い付かない。
高専なので誰かに見つかったら困ると私は伏黒を振り払う。ちらりと見上げると、彼は眉を僅かに寄せて怒りと悲しみとを私に向けてきていた。拒絶してしまったことにハッと気付いて、そうか跳ね除けられるとこんな顔をするのかと呆気に取られて伏黒を眺めてしまう。まだまだ相手は15歳の子供なのだった。
「人の来ないとこで話しましょ」
「……うん」
すぐに普段の冷静さを取り戻した伏黒は、手近な空き教室に私を誘う。私は頷いて伏黒に従った。
空き教室に入室した途端、閉めた扉を背に伏黒が私を閉じ込めた。頭上に伏黒が手を突っ張って、いわゆる壁ドンの形になっている。なんというか、伏黒顔綺麗だなと思った。
「するんですか、結婚」
廊下で対峙したときよりも声が低い。隠す必要がなくなったと開き直りでもしたのだろうか。私は伏黒から目を逸らす。もぞもぞと後ろ手に扉の引き手を探す。すぐにバレて舌打ちをされた。
「答えてください」
「……8割」
「あ?」
「8割、する」
中途半端な物言いに伏黒は二の句が継げないようだった。私は正直に言った。まだ迷っていて、2割の確率で結婚しないかもしれないので。
返事が来たので多少は怒りが収まったらしい伏黒は、案外あっさりと私から離れて適当な場所の机に腰掛けた。行儀の悪さを指摘する気分になれず私は息を吐いて窓に向かう。景色は変わらず山である。
「相手は、良い奴ですか」
「……知らない、会ったことない」
「会ったこともない奴とよく結婚とか考えられますね」
「そういう世界もあるんだよ」
「家の問題ですか」
「そう、家庭の事情」
「……くっだらねぇ」
伏黒が自嘲気味に笑う。私もとてもくだらないなぁと思う。しばらくどちらも話すことなく、私はただ山を眺めた。
「なまえさん」
何分かして、伏黒から呼ばれる。さよならを告げて教室を出ようと、私は伏黒に近付いた。いい思い出にしたくて、綺麗な別れ方をしたくて。
机にラフに腰掛けて顔を伏せる伏黒を覗き込む。彼は私と目が合うと、僅かに顔を上げて口を開いた。
「キスしていいですか」
最後にキスして終わりなんて綺麗すぎるだろと内心思った。一瞬の思考の隙をつかれて、というか多分私も抵抗するのを意図的にやめていて、自然な流れで唇を合わせる。
伏黒が見てくるので私も彼を見据える。やがて後頭部に手を添えられて、本格的に口内を貪る体勢に入った。どこが綺麗な別れ方か。
「伏黒、さすがにここでは」
やり過ぎない程度を意識しながら伏黒の胸のあたりを手のひらで押す。あまり強くすると傷付けてしまう可能性がある。
私のやんわりとした拒否を受けた伏黒は一度ゆっくりと瞬きをしてから立ち上がった。背中に腕が回って、大事なものを包み込むかのようなやさしさで抱き締められる。すぐにぎゅうと握り締める強さに変わった。痛苦しくもあったがそのまま任せることにする。
必死なのはなんとなく察すが伏黒の気持ちが分からない。拒否しないとと思いながらされるがままになっている自分の深層心理も分からない。
「なまえさん、俺じゃダメですか」
「え?」
ごくごく小さな声だったので、何を言われたかわからず聞き返してしまった。ごくんと生唾飲み込んだ伏黒は、腕の力を少し緩めてから改めて言う。
「俺じゃ、ダメですか」
「だ、」
な、なにが?結婚が?あ、伏黒が代わりに結婚するってこと?神主野郎と?……なんてわけがないので。
混乱して口をパクパクさせる。金魚のようであろう。伏黒が見ていないのがせめてもの救いか。まさか、立候補してくるとは露ほども思わなかったので私はムズムズしてしまって口元がふにょりと曲がってしまう。これもまた伏黒に見られてなくて良かった。
返答しなきゃ、と私は言葉を頭の中で探す。10歳も歳上なのにこんな若い子を縛ってしまっていいのか、いずれ捨てられてしまうのではと恐怖がふつふつと浮かび上がっては消えていく。上手く頭がまとまらなくて何も言えない。
しばらく双方押し黙る。場を持たせたくて何かを言おうとして、背に回る手が私の臀部を下からさわさわと刺激してきていることに気付いた。単純にくすぐったくて身を捩ると、何と思ったのか動きが完全に性的な意図を含むものに変わる。
送迎の仕事があるとき以外はタイトスカートなので、ちょっと本気を出されるとあっさりスカート捲り上げられてしまう。私は焦って身体を反転させる。
「やーめーてー!」
「暴れないでください」
「この状況で暴れない人いるわけなくない」
力が強いので腰のあたりをガッチリ締められてしまえば私に出来ることは子どものようにバタバタすることだけである。
上半身を倒して剥がそうとするが、背後の伏黒の吐息がうなじのあたりにふぅと触れて動きを止める。ぴりっと痛みが走って身体が跳ねてしまった。
「なに!なにしたの今!」
「………………噛ん、だ」
「なんでそんなことするの!?」
返答は来なかった。噛んだのであろう部分に唇が落とされて舌が這ってぞくぞくする。ぺろりと舐め上げられるたびに、段階的に力が抜けていく。
耳朶に軽く歯を立てられて腰の神経が震えた。足が連動してガクガクと痙攣を起こす。悩ましく荒くなる呼吸が耳の鼓膜を通って頭の中を好きに犯している。抵抗していたつもりが伏黒の腕に手を添えることしかできなくなっていて、むしろそうしてもらってなければ座り込んでしまいそうだった。
「よわすぎませんか」
呆れたように煽られるが自分でも同じように思っているので何も言い返せない。
「さっき嫌がってましたけど、簡単にそんなんになってたら説得力ゼロですよ」
おっしゃる通りなので更にぐうの音も出ない。私の身体は伏黒に触られるとコントロールが全然出来なくなってしまう。ここが高専であるという事実がなければおそらく私は今よりもっとへろへろになってしまっていただろう。
「かわいいですね」
見上げた伏黒の瞳は熱くて冷たかった。どうされてしまうのか、私の胸中に淡く期待が浮かぶ。
まさか私期待、してる?自分のはしたない思考に驚いて、小さく悲鳴を上げてしまった。今週末結婚相手と面会するとは思えない思考回路だ。伏黒の腕が緩んで私はぺたりと座り込む。
突っ立ったままの伏黒が額に手を当てておおきく息を吐いた。そのまま右手が左肩に添えられる。
「……すみません、今の忘れてください」
今のってどれを。私は伏黒が壁を作ったことにハッとして手を伸ばす。一瞥すらされず伏黒は踵を返した。
「……伏黒、待って」
「いや、いいんで。ホント、これ以上はしんどいんでマジで」
「伏黒!」
競歩並のスピードで空き教室を出て行ってしまった。私は伏黒に伸ばした手を下ろす。唸りながら頭を抱えた。半端に手ェ出していきやがって。
私も伏黒も、身の程を知った方がいいのかもしれない。交際しても未来が明るいとは到底言いきれない。ならばこのまま別れてそれぞれで生きるのが最適解だと誰もが言うだろう。
けれど私はそこまで理解していながら伏黒を手放せないのである。みっともないのは分かってるけど。