銀の腕の騎士とお姫様


廊下の角を曲がった向こうから、鈴を鳴らすような楽しげな声が聞こえてくる。
この声はきっと、ナーサリー・ライムとアビゲイルだろう。
それは子供の姿をしたサーヴァントたちのごくありふれた日常の様子。そのはずだった。
ーー彼女たちの姿を捉える直前、なにか白くてふわふわしたものが視界に入るまでは。

「ナーサリー?どうしたの、それ?」
「あっ、マスター!ねぇみて、素敵でしょう?」

呼びかけに振り返った小さなサーヴァントは、零れ落ちるような笑みを浮かべ、くるりと一回転をした。
薄桃色の髪の上で翻るソレは、まごうことなき純白のヴェール。
カルデアにそぐわないことこの上ないものだが、なんだろう。どこかで見たことがある。
それもとても…そう、とても最近。

「薔薇の皇帝さんがね、あっ、最近いらした真っ白なドレスを着ているほうね。『からおけるーむ』に走っていくときに落としていったの」

見覚えがあるもなにも。つい先日召喚に応じてくれた純白の衣をまとったネロ・クラウディウス、彼女のヴェールだったようだ。

「そうなの。すぐにお返ししなきゃって思ったのだけど。でも、少しだけお借りするなら…ってナーサリーに言ってしまったの。わたし、悪い子かしら」
「そんなことないよ。あとでちゃんと返せばネロも怒ったりしないよ」

ぎゅっとスカートの端を両手で掴むアビゲイルの頭を、かがんで優しくなでると、不安げな表情を一転させて顔をほころばせた。その隣に立つ、ヴェールを纏ったままの彼女にも声をかける。

「とっても可愛いよ、ナーサリー」
「ありがとう!」

小さく飛び跳ねて喜びを表現した彼女は、だが小首をかしげて私の顔を覗き込んできた。
キラキラ輝く瞳はもう一声!と言っているようで――ふむ、なるほど。

「花嫁さんみたいだね」
「でしょう!とっても素敵だわ!楽しいわ!」

大正解。
小さな花嫁たちが踊る姿を見ているだけで種火周回の疲れも吹き飛ぶというものだ。
ふふふ、と思わず小さな笑みを漏らし、その姿に見入るのも仕方がないことだろう。ややあって、「ほら、マスターも!」と。
彼女たちと視線を合わせたままの私の視界が、白く柔らかなもので覆われた。

「ひぇっ、なに?!」

慌てて立ち上がろうとした頭上から何かがずり落ちそうになる。とっさに片手で押さえたところで、その正体に気がついた。
それは先ほどまで少女たちを飾っていた、花嫁の証だった。
「マスター、とてもお似合いだわ!朝焼け色のお髪に柔らかい霧のようなヴェールがかかって!」
「えぇ……そうかなぁ…?」
「うふふ、ヴェールは大人の女性みたいなのに、頬を染めるマスターは少女みたい。素敵ね!」
そんな惜しみない賛辞を送ってくるふたりに、少し渋ったような返事をしてみたけれども。こそばゆくて、照れくさくて、でもなんだかうれしい。
自分のことのように笑顔を向けてくる2人につられて、ふふふと照れ笑いを返してみる。
カルデアの中で着飾ることなんてないわけだから、なんだかんだで浮かれてしまっていたようだ。
そう、優しく暖かい、彼の気配が近付いていたことにまったく気づかないくらいには。

「銀の腕の騎士さま!あなたも素敵だとおもうでしょう?」
ナーサリーが背後に向かって投げかけた無邪気な声。それは私を凍りつかせるには十分すぎた。
『銀の腕の騎士』が意味する人物は、カルデアに1人しかいない。
「マスター…?しゃがみ込んで、どうされたのですか?」
いつも穏やかな彼の、心配そうな声色。背後で足を止めた気配がした。
「これにはちょっと、訳があって、あの気にしないで!具合が悪いとかじゃないから!そっと立ち去って!お願いだから!」
「…?いったい何を仰っているのですか?まさか何者かの魔力干渉がーー失礼!」
ですよねー、と心の中でため息をついた。
焦りすぎてしまい、彼が一番心配するような下手を打ってしまった。
驚くべきは肩口を無理やり引かれて振り返らされた私のほうなはずなのに。こちらがギョッとするくらい目を見開いていた。

「ベディヴィエール…?」
「あの…それは……?」
俯いたままの私には、彼がソレを指差しているのかは見えない。具体名を言われたわけでもないが、ヴェールのことであるということはさすがに伝わる。

「ナーサリーたちが載せてくれたんだけど、ごめん、似合わないよね「いえそんなことは!」

被せられた言葉に驚き顔をあげる。しまったとばかりに口元を覆うベディヴィエール。そんな反応はずるい。
息を吸い込んでは首を振り、それを何度も繰り返している彼の、次の言葉を嫌でも期待してしまう。
「ねぇ、ナーサリー」
「そうね、アビゲイル。まるで、ねぇ?」
あまいあまい砂糖菓子のような声が、張り詰めていた空気を溶かした。

「「おとぎばなしの騎士とお姫様ね」」

その瞬間、ふわりと鼻先をかすめた風。
次に届いたのはほのかな匂い。
虚空からひらりと舞い落ちてきたのは、薄桃色の花びらたち。

「結婚式だわ!騎士とお姫様の結婚式だわ!」と、興奮して走り去っていった少女たちを追う気力すら残っていない。
マーリンに見つかった以上はカルデア中の噂になるのは時間の問題だろう。それならもうどうにでもなれ。

「ねぇベディ」
「ーーーは、はい!」

すいと立ち上がり、ヴェールと花弁を舞わせながらターンをして。

「お姫様みたい?」

私の騎士であってくれたなら、と想いを寄せる彼に向けて、精一杯の笑顔を見せた。