「ここだ」

あれだけ輝いていた町並みも、立場が変われば途端に色を失うというもの。車を降り、とぼとぼと進む足取りも寒さと共に重くなっていく。
ターミナルを出た瞬間、男の仲間に取り押さえられ、口元にはテープを、両手は荒縄で拘束されてしまった。そのまま車に押し込まれ、戦々恐々としながらも何の被害もないまま一つの建物へ到着。それは長い年月を経て寂れた、朽ちた倉庫であった。雑草は至る所に生い茂り、汚れたガラスは半壊、建物に至っては錆びている始末─既に恐怖で一杯だった私を更に追い込むように、男は乱暴にドアノブを掴み、開け放った。

「偽体族を連れて来た」
「おお、コイツか…姿形も人間と変わんねえな」
「本当に何にでも変身出来んのかあ?」
「相手してもらうときに分かるだろうよ!」

薄暗い倉庫の中、男達─10人位だろうか─の口から飛び出る下卑た言葉や声々は、私の背筋を更に凍てつかせた。一体、どうするつもりなのだろう─縛られ重ねられた手の中で、唯一自由に動く指先で二の腕を強く握り締めた。

「いやあ、まだ若いのに可哀想だ」
「ボス…」

伸びのあるテノールが倉庫中に響き渡る。隣で私を逃がさないようにと掴んでいた男が小さくもらしている─。
すると、1人の天人が暗闇からゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた。1歩1歩砂利を踏みしめる音がする度に、ここは夢物語なのだと、現実ではないのだと意識を飛ばしてしまいたい。後ろにあるガラスが砕けた扉から、漏れる太陽の光が天人の顔を半分程顕にさせる。

「ここは宇宙海賊春雨の傘下組織、"春雨抜〜怒流"。いやぁ嬢ちゃんも運が悪いねェ、こんな悪〜い人達に捕まっちゃってェ。─ああ、息できないよね。テープを剥がしてあげようか」
「──っ!っは、あぁ…」

思い切りテープを剥がされ、身体中に濃密な酸素が運ばれる、と同時にひりひりと痛む唇に、まだ生きている実感があるという事実に少しの安堵感を得る事が出来た。
影から姿を現した─私の顔を覗き込むように顔を出したのは、蛸のような天人であった。赤くぬめりけのある肌と金色のギョロリとした瞳は、本で見たことがある"トラ"や"ライオン"のような獰猛さを色濃く写したような恐れを感じる。その恐怖が伝わったのか、男はさぞ嬉しそうに凶暴な目を細めた。や否や、顔の周りに生えていた吸盤を備えた触手がぞろぞろと凄まじい速度で長さを帯びはじめる──なんとおぞましい光景なのだろうか!

「ちょっと痛かったかな。ああ、ごめんね、だってテープを剥がさないとさあ…」

瞬きを数回する間にそれは床まで弛みきり、獲物を飲み込んだ蛇のような太さに変貌を遂げていた。顔と同じように粘液にまみれたそれは、薄暗いコンクリートを更に染め上げ、黒へと移し替える。尋常ではない威圧感と緊迫感に、抑えていた手が枷を破壊するように大きく大きく揺さぶり、本能が脳へ激しい警告を訴える。
─────殺される。

「─痛がる"声"が聞こえないからねェ」
「…やめっ……!」

にい…と怪しく微笑んだ男の声。刹那、私目掛けて無数の触手らが音速の如く、身体を穿とうと襲い来る。赤く蠢くそれは今まで生きてきた中で最も惨憺たるもので─反射的に両目を固く瞑り、襲い来るであろう痛みを待つ。が、何秒たっても鋭い感覚は訪れない。誰かの息遣いだけが暗闇の視界に反響するのみである。
私は訝しく思い、そっと閉ざしていた目を開く。そこには驚くべき光景が広がっていた。

「あ…ああ、俺の、が…」
「触手が、全部…切れてる…?」

あれだけあった触手が全て千切れ、無残にも地面に転がっているではないか。一つも残らず分断されたそれは神経の感覚があるのか、魚のように荒々しく跳ね続けている─正直、目を塞ぎたくなる。

「だっ誰が俺のをぶった斬りやがったァァ!!!テメェか、テメェかァァァ!!」
「残念、俺だヨ」

男性の、凛とした声音が天井から降りてくるのを感じた。声の方角へ視線を傾けると、そこには顔に包帯を巻いたマント姿の男性が傘を持ち、急速に落下する姿が(あの人は誰…?)──と、私が視認した瞬間、耳が潰れそうな程の破壊音が鼓膜を破らんばかりに突き刺さった。衝撃から四方に砕け散るコンクリートともうもうと舞い上がる砂煙の中、誰かが立っていた。

「ここっていつも傷だらけの商品ばっかりだから、阿伏兎に頼んで潰して貰おうと思ってたんだけど…俺も来て正解だったな」

包帯から零れ落ちる美しい紺碧の瞳は、ちらりと私を見た。

「女の偽体族なんて、殺すには勿体ないよ」

それは酷く淡白な笑顔であった。

2017.0507.