クラレッタのスカート



 きらり、足元。ネイルなんて馬鹿げている。
 ひやる爪先は、節ばっていてごつごつとしていた。バスタブに足を沈め込みながら、彼の身体の合間で、膝を抱えた。自分のサイズに誂えさせた陶磁器のバスタブは、随分と余裕を見せたが、矢張り二人で使うにはいささか狭かった。溢れかえる湯が、赤のタイルを弾いた。中央をせしめたバスタブは、世間に隔離されたようにも見える。「なァ」彼が、髪を掻き上げて、ニヒルに口角を上げた。「そんなに縮こまるなよ、クラウス」引き攣る傷痕を以てしても、彼の魅力は下がるどころが、冴えるばかりだ。頬を伝う水滴が艶色を伴っている。ひとさし指が、呼ぶように動かされる。そうして動くのは、犬か彼に好意を寄せる女だけだろう、と言ってやりたかったが、残念ながら自分は、彼に腹を見せた服従の犬だった。少しだけ身体を動かすと、途端に腕を引かれて彼の腕の中へ。
「ふふ、君がさァ、折角一緒に風呂に入ってくれるって言うから楽しみにしていたのに、君ってばまさか対面で入るだなんて、ほんと寂しいこと言ってくれるな」
 ほら、もっとひっつけよ。密着する肌が、ひたひたと張り付き水溶生物みたいだった。彼の肩口に頭を預け、そっと目を閉じる。彼の品の良い指が背骨の形を撫で、耳元で声が爆ぜた。まるで懐いた犬だ、私を飼いならす猛獣使いの指先はとんと優しく、それでいて時に熱を与えた。クラウス、と彼が呼ぶ。耳朶に掛かる髪を食み、そっと耳を嬲りながら、背骨の数を追いかけた。尾てい骨は尻尾の名残だ。浮き出た骨を腹の丸みが滑り、その奥に期待をしのばせた。なんとみだらがましく、はしたないことだろう。けれども、それを叱る声はここには無いのだ。
 「君はいつみても、逞しく、気持ちがいい身体だ。クラウス」彼の言葉は、幾人もを容易く誑かす巧妙な甘さを含んでいる。そうやって女性を口説いているのだと、知らないはずもなく、けれどもそれが、彼には一種のゲームであることも、また知っていた。いつその紳士さを失う気なのだ、クラウス・V・ラインヘルツ。そう言いたげな彼は、女性に手を出すことをやめはしないだろう。思い出される猫なで声、電話越しのチャーミングなアイラブユー。怒っていないわけではないが、別にどうだって良かった。彼は知らないから。
「クラウス」
 指は尾てい骨の下へ行く。期待した奥が、きゅ、と彼のそれを食んだ。水が腹の中に滑り込んでくる感覚に呻いて、肩口に熱っぽい息をかけた。彼は、あいかわらずおかしそうに笑っている。可愛いね、クラウス。その低く柔らかな声とは裏腹に、指は性急であった。だってそうだ、彼の性器はすっかり硬くなっている。こうふんは、明らかだった。こうして、すぐにでも態度を示すのは自分にだけだ。彼女たちの何人が、一体彼の中身を知っているだろう。多分、だれひとり知らないのだ。
 「柔らかいな、気持ちいい?」中の襞を撫ぜ、首に歯を立てる。思い出したかのように、耳を舐り、くすぐったい声が震えた。彼の秘めやかな憫笑が降ってくる。彼は、知らない。そんな声を出すことを。私だけの秘密だと。「指、すごい入っていく」増やされた指が開いたり閉じたりを繰り返し、お湯がごぽんと鳴いていた。ついには、声を耐えられず、仔猫のようにみゃおう、と泣いてしまう。こうして、気持ち悪くも迫ろうと彼は特別気にもせず、ただ私の中に挿れたいのだと臍に先端を擦りつけてくるのだ。
 こんなに性急な彼を彼女たちは知らない。彼女たちは、必死で彼に食らいつこうとするのに、触れ合ってキスも出来ないまま、次を期待する。けれども、けして次など無いことを、彼も彼女たちも知らないのだ。
「……あれ、クラウス。手首、どこかで擦ったのかい? 赤くなってるよ」
 彼がそこに唇を這わせて、傷をいやした。態勢はいつの間にか、バスタブに背を預けさせられ、彼の屹立がゆるくなったそこに潜り込まんとしている。高い声を上げ、彼が奥深くに身体を預けてくるのを感じながら、眩暈がするほどに感じていた。手首の傷痕は、引っ掛かれたからかも知れない。ネイルの爪は全部切り落としたから、問題ないだろう。彼の指が胸を弄り、必死で腰を振っていた。詰まる様にクラウス、と彼が呼ぶ。お湯が跳ねると、彼女たちの最後を思い出す。彼は知らない、だって情報がなくなった女など気にはしないから。
 熱に浮かされたバスルーム。赤いタイルは血のようだった。「クラウス」首に歯を立てる彼が、最奥へと性器をねじ込みながら、もっともっととねだってくる。必死で足を開き、絡めて、彼を感じた。「クラウス」その声は、私だけを呼べば良かった。
 そういえば、彼女のスカートはきちんと元に戻しただろうか。
 まぁ、すべてはどうでもいいことだけれど。ヘルサレムズ・ロットで死体が増えても、何もおかしくは無いのだから。私は、彼から向けられる白濁の熱を腹に孕ませるばかりだった。


END