最大級のベイビーアイラビュー



 ――縁の無いグラスより、君は少し細い、銀のフレームが似合うよ。

 クラウスは、ふとそんなことを言われたのを思い出し、シャンパングラスの中身を覗きこんだ。黄金色に輝く気泡の浮く表面には、見慣れない眼鏡を掛けた自身が映り込んでいる。
 いつまでたっても、このシルバーフレームの自身に慣れそうにもない。あまり良いとは言えない目つきが、より強調され凄みを増しているようにも取れるからだ。しいて言えば、まるで成金のようで、あまり品はよくは無い。
とはいえ、クラウスの身につけるだけあり、その眼鏡も一流の品であることは間違いは無かったが。
 それに、この場所では少々下品な方がウケがいい。そう言った意味でも、クラウスは普段の眼鏡では無いものを選ぶ。黒縁であったり、サーモンピンクのようなフレームであったり。クラウスの中での少々ばかり普段とは違うのだぞ、という抵抗なのかも知れない。

「連日の会食にお疲れなのかな?」

 不意に声を掛けられ、顔を上げると今夜の主催者たる男が立っていた。――マクレン・ハーネル。最近HLの一角を似合う富豪の一人であり、またライブラを援助しているスポンサー基い、クラウス個人のパトロンでもあった。クラウスは、困ったように笑みを傾け、サイドに撫でつけられた髪の一筋を耳に掛けた。

「そうですね、こう毎日されては、多少は……。ミスタ・マクレンは、そんな私を慮ってくださいますか?」
「済まないが、それは出来ない相談だなァ。なにせ、私は今日が待ち遠しくてたまらなかったのだから」
「……それではせめて、優しくお願い致します」

 クラウスが苦く笑みを作るも、男のほうと言えば実に快活に笑った。その笑みにこもる下卑たる下心に、内心舌をだしながら、クラウスはグラスの中身を煽る。
 ――連日。
 その言葉通り、ここ最近クラウスは、五つ星のホテルを貸切るようなスポンサーが開くパーティーに連日連夜招待されていた。というのも、たまたまなのか、示し合わせたのか、そのあたりは定かではないが、ライブラを支援するべく人間たちが、一同にHLに介したためであった。
 しかも、付け加えるならば、クラウス個人のパトロンばかりが。

「しかし、本当に疲れているようだな? 顔色があまり良くない。思うに、君は連日のこれらだけではなく、幾分ワーカーホリックをも患っているんではないか? あまり無理はいけないよ。世界の至高、今生の救世主様がそんな風では」
「――そのような」

 クラウスは、心の中で舌打ちをした。紳士に有るまじきものであるとは重々承知しているが、クラウスはこの男があまり好きではなかった。ゆえに、嫌悪感はひしひしと抱いても、仕方がないことだろう。クラウスにとって、人類は皆平等とは言え、得手不得手は少なくとも持ち合わせている。それでも、こうして笑っているのはひとえに、ライブラのため。欺瞞にも聞こえるかも知れないが、少なくともクラウスはライブラという組織を大切に思っているし、愛していた。
 そのためならば、己の身など鑑みる必要も無い。
 そもそもマクレンが苦手というのも、どこかしらこの男はクラウスを持ち上げることに尽くすのだ。今のように救世主だと宣ってみせたりと、それでクラウスが喜ぶのだと思っているのであればとんだお門違いである。
 救世主など、反吐が出る。むしろ、おかしくて臍で茶がわかせそうだ。
 クラウスは少なくとも、自分がそのような高潔さを微塵も孕んでいないことを理解している。いや、世界を救いたいという思いは本物であり、ましてそれらを見捨てようなどとは全く以て考えていない。しかし、クラウスが生真面目かと問われれば、それはまた違った話なのだ。
 赤ワインの入ったグラスを傾ける、マクレンの自信に満ちた表情に、「善処いたします」と当たり障りの無い返事をした。彼は、納得したのかそれとも、もうよかったのか、結局それ以上その話題が出てくることは無かった。
「そういえば」マクレンが、空のワイングラスを指の間にふらふらとさせながら、ひとつ声を掛けた。

「なんでしょう」

 クラウスの持つグラスの中身もすっかり空だった。近くにいたボーイを呼びつけ新しいグラスをもらう。クラウスはマクレンの言葉を待った。
 それにしても、忌々しい。さきから落ちてくる髪の鬱陶しさに辟易しながら、クラウスは何度か髪を掻き上げる仕草を繰り返していた。常ならあまりしない行動ではあったが、その野性的なものがクラウスを見ていた女性をざわめかせた。ちらり、と視線を投げてやれば黄色いざわめきが此処まで届く。しばらくは、騒がれるだろうか。

「君は、女性にもモテるようだな」
「あれは、ミスタを見ていたのでは」
「下手な謙遜はよすんだ。私も、君のさきほどの仕草はなかなかキた」

 またも垂れ下がる髪。普段は目に掛かるくらいまで下りているが、一度上げると一つ掛かるたびに気になって仕方がない。
 クラウスがそれを耳に掛ける前に、マクレンの指がいちはやくそれを撫でつけ、明確な意思を持ってクラウスの耳朶裏を撫でた。いやらしい手つきに、元気な男だ、と内心苦笑を隠せない。すぐに離されたが、それだけでクラウスはこの男が、会場後に望むものを分かっていた。
 なにせ、連日、そうされているのだから。

「君、このあとの予定は」

 ああ、面倒だ。
 有り体に言えば、クラウスはこのあとの行為を嫌いではない。むしろ好きな部類だ。ライブラの面子は、よくクラウスを無知のように扱うが、何も言わないだけであり、おそらく誰よりも長けていると思っている。
 ただ、面倒なのだ。どこまでも、自分本位の優位に立ちたがる男たちのそれが。果たして今夜のマクレンは、己をどうしてくれるだろうか。大抵の体位やプレイは許容範囲だが、傷が残るようなものだけは遠慮したいものだった。
 ――サディスト、ではないだろうが。
 とはいえクラウスを屈服させた気になる男たちは、こぞってクラウスを支配したがる。それが一種の、興奮剤に繋がるのだろう。せめて、優しくはあってほしいものだ。

「ミスタ・マクレン。貴殿のために、空いております」
「そうか、この会場の上はホテルになっているんだが、どうだろうか。最高の部屋を用意しておこう。こういうのをなんというんだったかな、そうだ、おもてなしだ。ああ、そうだ。忘れてはいけないな、出資額は、今後倍にしようと思っているんだが、どうだろうか」

 クラウスは、まさにそれを待っていた。そう、自分の体を使うのはメリットがある。それこそ、面倒でもこの男が嫌いだったとしてもだ。
 伏し目がちになり、そっと微笑み、恭しく腰を折った。それは女性をダンスに誘うポーズにも似ていた。

「ミスタにそう申されれば……勿論、喜んで承りましょう」
「ああ喜ばしいね。そうだ! それと、君たちが追いかけているものの情報もつけよう」

 なるほど。
 マクレンの株が、少しだけ上がる。嫌いではなく、役に立つ、という位置付けにクラウスの中で修正された頃、クラウスは囁くようにして、マクレンにそっと耳打ちした。

「それでは、私からもひとつ」

 低く、甘い、妖艶な声がマクレンの耳を揺さぶったことだろう。
 ――お好みでサービス、いたしましょう。
 下卑た笑いが耳を付く。マクレンが待ちきれないといった風に、クラウスの腰を撫でた。
 さて、今夜はどうしてやろうか。自信家の男ほどクラウスを揺さぶって楽しむことを最大としている。強固な理性の元、クラウスが早々に自分を見失うことは無い。
 なので、そうだ。
 甘く啼いて、喘いで、感じ入っている素振りでもてなしてやろう。パーティが終了を告げる前、マクレンより受け取ったカードキーで部屋にて、どのような恰好で待っていてやろうか、クラウスは、想像して昏い笑みを浮かべた。
 面倒ではあるが、行為は楽しまねば損だ。


*
◆◇◆



 クラウスはぼんやりと鏡を見つめ、顔をしかめた。
いたるところに、キスマークが付いた肌に、あの男の粘着さを表しているようで、かなりげんなりとした。
 四十半ばの男だというのに、盛んなものだ。とはいえ、体つきはきちんとトレーニングが積まれているのだろう、とても四十代のそれでは無かった。細身ながらも筋肉質の腕や腹。太もものふとましさを尋ねれば「ロードバイクが趣味でねェ」と言っていた。
 とはいえ、流石に腰が重い。外が明るくなるまで、散々嬲られ、――原因としてはクラウスがサービスとして盛大に喘いでいたこともある。――解放された時には、クラウスといえど息は絶え絶えであった。眠りにつく間際に、ギルベルトに昼の出勤になることをメールで伝えて、そこから懇々と眠りに落ち、気付けば、時間は疾うに昼を越えていた。
 携帯には、ギルベルトから何件か電話があり、起きてすぐにしたことと言えば「いま、起きた」と報告するくらいだった。
 優秀なギルベルトのことだ、理由を察し、仕事はうまくスティーブンに振ってくれることだろう。
 ばしゃん、と顔に水を掛けた。
 赤い目許が未だ上手く引かない。前髪で隠せるとはいえ、あまり良いものでもない。正直、これさえなければあとはどうとでも隠せるので、問題ないのだが。仕方がない、ギリギリまで冷やしておくしかないだろう。
 因みに、クラウスがいるのはマクレンが用意した部屋である。マクレンの姿は疾うに無いが、好きに使ってくれて構わない、と書置きがしてあったので、いつ出て行こうともいいのだろう。
 クラウスは言葉に甘え、シャワーを浴びたあと、冷蔵庫の中にあった林檎に噛り付いた。ギルベルトが見れば、はしたない、と叱られることだろうが、いまはいない。鬼の居ぬ間に、とは少し違うが少々粗雑にしても、許されるというのは矢張りいいものであった。
 そもそもクラウスは、こうして自堕落に過ごすことが好きだった。シャツ一枚でふらふらと部屋で過ごす、好きなものを好きなだけ。もしかしたら、常にいる立場の反動なのかも知れないが、ソファーに寝転んで食事をするのも実に楽しくて仕方がない。
 しゃりしゃりと林檎を食しながら、クラウスは携帯の画面を眺める。別段変わったことも無く、ギルベルトより、『迎えは三時ごろに』という連絡があっただけだった。昼出勤どころか、夕方になるのはいささかスティーブンに怒られてしまいそうだ、と思ったが、そのあたりも恐らく優秀な執事のことだ、上手く誤魔化してくれているに違いない。
 未読のメールの中には、マクレンからもあった。
 今度は、一週間後にまた社交界があるらしい。ぜひに、という文字のあとに、昨晩のクラウスの痴態の素晴らしさを書いた文言があり、一通り目を通して削除した。
 賛辞にもならない。それともそれを喜ぶと思っているのか。相変わらず、男の文面は詰まらなさにあふれていた。
 ――それにしても一体、己の何がいいのだろうか。
 クラウス自身も黙って抱かれているので、大した文句も言えないのだが、毎回男たちが目の色を変えて、こぞってクラウスを抱きたがる意図が見えなかった。
 大体にしてクラウスは、並大抵の男よりも逞しく、背丈も二メートルちかくある。腕や胴回りとて厚い。腰にかけ細くなる様は見事な逆三角形を刻んでいる。とはいえ、ボディビルダーの如く、というわけではない。必要なための筋肉を付けた結果、こうなった。腕や胸は自分の戦いのために必要とするところだ。反して、仲間内の足技を使う男は、腰から下ががっしりとしている。着やせするタイプなのだろう。太もも回りや腰回りはクラウスとそう、変わらない。
 話が逸れたが、ともすればクラウスは男としての魅力は多分に持ち合わせいていた。にも関わらず、昔から年上の男から好意を、しかも体の関係を迫られることが多かった。
 幼い時分にはまだ可愛げもあっただろうが、誰がこんな鍛え上げられ、どこからどうみても男の自分を好きにしたがるのかよく分からない。顔も可愛いかと言われれば、凶悪だと言われることの方が多いほどだ。
 初めてそう言った声を掛けられたのは、十六の時だ。
 成長はめまぐるしく、とはいえ今よりはずっと華奢だったように思う。身長のさして変わらない男が必死になって、クラウスに欲求を懇願したのだ。その時はじめて、己が男にとっての性的対象になり得るのだと知った。――余談だが、その声を掛けてきた男とは、一度だけ寝た。そのあとは牙狩りに属すようになったので、再会は無かった。
 その後、牙狩りにいた時も何度か、隊長格の男たちとは寝た。隊長だけは個室だったからか、ベッドの上で散々好きに弄ばれた。けれど壁の薄いホテルだったためか、声は駄々漏れだった。結果としては、隊のほとんどと寝たこともある。軽い乱交だ。とはいえ、ひとたび戦闘が始めればそれらの殆どは死んだ。隊長とて例外ではなかった。
 その時、唯一と言っていいほど、今の相棒、またライブラの副官たるスティーブンはなにもしてこなかった。なにもしてこなかったというより、たまたまクラウスがその隊に属していた時、誰とも寝なかったというのが最たる理由かも知れない。
 誰にでも足を開く奴だ、とスティーブンが知っていたならば、現在の関係はなかったかも知れないし、彼がクラウスに懸想をすることも無かっただろう。
 スティーブンがいつからか、確かに劣情を抱いているのをクラウスは分かっていた。彼自身はそれを隠したいようで、クラウスに対しては呆れるほど普通でいたのである。
 だから、クラウスは今も気付かないフリをしている。
 そもそもスティーブンも、またライブラのメンバーも少々、クラウスに夢を見すぎなのだ。
 まるでクラウスのことを成人君主か何かのように扱う。そんな上等なものであるはずもない。端的な俗物だ。
 清廉潔白な男ではけしてなく、前も後ろも女も男もひと通りは楽しんできているような輩がクラウスだ。ザップのように粗悪な薬まで使ってぶっとんだことは無いが、それでもキングサイズのベッドに四人ほどの女たちが裸でクラウスに折り重なるようにして眠っていた、なんていう光景もあった。
 若しくは、男たちの合間で口も後ろも前後に揺すられて頭から全身白濁に塗れたこともあるくらいだ。流石にあの時は、ギルベルトに叱られた。
 それに今は、流石にそのようなやんちゃなことはしていない。
 現在は、パトロンとなってくれる者としか、そういった行為はしていない。――女も男も、しかりだ。
 クラウスはそれまで、自分の体が金になるとは思っていなかった。牙狩り時代は、金とかではなくクラウスの体だけを目的とし、女日照りの中で性欲を発散させたいという欲望だけを如実にしたものだったからだ。
なので、そう、金になるのだと分かったときはいささか喜んだ。
最初にライブラの資金援助を申し出た男が、体を要求したことが切っ掛けであった。その日はクラウスだけが、その男と対峙したため、もしそこにスティーブンがいたならば、今クラウスはこんなことはしていないかも知れない。
 けれど、その日はクラウス一人であったのだ。
 体を要求されたことを断る理由も無かった。そもそも、貞操観念などクラウスにはあって無いようなものだ。病気にさえならなければ下でも上でも好きなように相手をした。玄人染みた行為や、素人めいたそれらもぜんぶ、求められるままに応じてきたのだ。
 ひとつ言えることは、クラウスは出来る男だった、そして尚且つ快楽に順々で、それを楽しむ術を身につけていた。
 貴族とはいえ、一人で何も出来ない箱入りの坊ちゃんではけしてなく、誰かを必要とせずともすべてそつなくこなす。また、盲目的に勤勉さも持ち合わせていたため、色事のあれやそれも飲み込みは早い。
 そんなクラウスだったからだろう。それを仕込むことに恐らく楽しみを覚えた初めてついたパトロンは、いまもまだライブラの出資を賄い、そして時々クラウスを指名する。七十近い男は、自分の体の機能は止まっていたが、道具を使い、クラウスを弄ぶことに事欠かない。
 いかなる玩具にも啼いて喜び、むしろ次はどうされるのだろうかとクラウスの方が胸を高鳴らせたものだ。時たま、彼の御付きのSPとしているところを見せろと言われたりすることもあるが、実に容易い。こんなことでライブラの出資が倍になるならばお安い御用だと、ふたつ返事で男たちの上に跨って啼いてみせたものだ。
 何度も言うが、クラウスのこの行動は、ひとえにライブラの存続のためだ。
――そして本音を言うならば、なによりも自らが楽しいからに他ならなかった。
 ソファーにて微睡んでいると、ふと、携帯のバイブが鳴った。目覚ましの機能でもかけていただろうか、と見遣れば副官の男の名が出ている。無視したところで、後の詰問が強くなるだけだ。出ないわけにもいかずに、クラウスは億劫に画面をスライドさせた。

「……ラインヘルツ」
『やあ。君、今日はずいぶん重役出勤だね』

 少し、怒っている。いや、呆れているのか。投げやりな声を耳にして、クラウスは率直に謝罪した。

「すまない。少々外せない用事で」
『……そうだね、君をご所望のパーティだったんだっけ?』
「そうだ。喜んでくれ、スティーブン。出資が倍になった」

 機械越しに、驚いた気配がする。クラウスは満足だった。少しは、彼の思い悩む金銭面に対し、援助が出来ただろうか、そう考えていたのだ。

「それから、さきほど送った情報は役に立っただろうか?」

 マクレンに聞いた、こう着状態である組織の綻びを今し方スティーブンにメールしたのである。あとは上手くことを運んでくれると見越してのことであった。

『……よく、それだけの見返りというか、手助けがあったね。どんな魔法を使ってみせたんだい、クラウス。ぜひとも僕にも教示ねがいたいな』

 ――君が概ねやっている方法だ。
 そう言ってやりたくて、クラウスは内心で笑っていた。スティーブンの情報がどこからきているのか、勿論知っている。敢えて、言外にしてやる必要も無いだろうが。クラウスに求められているのは、鈍感な指揮官だ。俗世に疎く、スティーブンやザップのしていることを何も知らないというものだ。
 だから、返事もそう、スティーブンの求めているようなものを返す。

「魔法と言っても、ライブラのことと私たちの活動を真摯に説いただけに過ぎない。マクレン氏も、志の高い人なので賛同してくれただけだ」

 普段、スティーブンの夢に見るクラウスは、人を言葉で説く男なのだと思っている。実際股を開いて得ているのだが。どこで話をするのかと言えば決まってベッドの上だし、説法を説くような口からは卑猥な言葉しか漏らさない。
 掠れた声でねだれば、途端皆が陥落するのは面白いものだ。

『そう……。君の話は、いつも素敵だからね。そうなってもおかしくないかも知れない。……しかし、こうも連日君が不在というのは、幾分困るんだけど、もうパーティは終わってるのかい?』
「ああ疾うに。けれど、来週もまた昨日の主催者にぜひに、と」
『なんだって?』

 スティーブンの素っ頓狂な声が、耳に届き、クラウスは思わず笑ってしまった。ついでにいえば、マクレンとその他二人のパトロンがやってきて、クラウスをベッドに横たえストリップショーをしてくれ、と要求している。そこまで伝えようかとも思ったが、そんなことを言えば、スティーブンは恐らく卒倒しかねない。
 流石に彼以上の副官はいないので、軽蔑や喪失感で失くすわけにはいかなかった。

『――きみ、それいくのか?』
「勿論。断る理由も無い。それに誘われているようなので、な」

 実際は、パーティよりそのあとのストリップのほうがずっと興味深いのだが。ストリップショーは人生まだ未体験のことである。はたしてどんな風に脱げば、相手を楽しませることが出来るのか、三人相手というのはなかなか好みが別れそうで、楽しみなものだった。似合いの衣装も用意するべきか、それともそのあたりは向こうが――いや、こちらで何か用意しよう。サプライズ、というのも楽しいものだ。
 クラウスが、来週のことに頭を巡らせていると電話の向こうで、スティーブンが叫んだ。

『ぼくもいく』
「え?」
『僕も行く、って言ったんだ。あとで、連絡しておいてくれ。ああ、出勤したときでもいい。よろしく頼んだよ』

 クラウスが答えなど出す暇もなく、通話は切れた。
 スティーブンがくる?
 あまりの突拍子さに、クラウスは固まる。なにか、嫌な予感がする。しかし、断るのも難しそうなスティーブンの態度に、クラウスは仕方がない、と観念した。
 そもそもこう連日連夜ライブラを空けていた自分が悪いのだから。
 時計を見遣ればそろそろ時刻は三時だ。ギルベルトが来るころだ。クラウスはのそりとソファーから起き上がり、大きく伸びをして、ようやく着替えを始めたのだった



◆◇◆



 ――一週間などあっという間だ。
 大体ここHLでは、一週間のうち三日くらいは何かしら事件が起きている。それらの対処に当たれば当然一日二日などあっという間に過ぎ去るうえに、今週はまさか堕落王が出てくるとは思ってもみなかった。
 彼の繰り出した異界生物はマンホールの下を住処として、触手で地盤基礎を食い破っていくというとんでもない生物だった。触手自体は強大なものだったが、本体は蟻ほどのサイズで、潰すのに一苦労した。レオナルドの活躍で、事なきを得たが、街の一角は地盤沈下したため、その後始末に追われることとなった一週間であった。
 くたくたな神経を奮い立たせ、スティーブンとクラウスはマクレンの招待した場所へと向かっている。ギルベルトの車が音もなく、車道を緩やかに走る中、スティーブンは、横目でちろりと、隣に座るクラウスを見た。
 いつも、ライブラにいるときは全く違った風体をしたクラウスがそこにいたからだ。。いうなれば、伊達男のそれに近い。
 黒のフォーマルに、中のシャツは少し崩した淡い桃色。眼鏡の縁は、薄いゴールドである。同系色のグラスチェーンが掛けられており、クラウスの姿に違和感を覚える。
 見慣れないせいか、スティーブンは落ち着かず、何度もクラウスの姿を見つめた。そのあまりに、セクシーだったというのも影響している。

「――クラウス、ずいぶん気合の入った格好だな」
「そうだろうか。呼ばれた際にはいつもこんなものだ。今日はそこまで堅苦しくないものなので、少し崩してはいるのだが」

 いつもは前髪で隠れた[[rb:顔 > かんばせ]]が露わになっている顔は、普段よりもずっと野性的だと感じる。撫でつけた髪から、ほろりと一束落ちるのをスティーブンはつい、凝視した。頬に掛かるそれにドキリとする。
 今夜のクラウスの様子は、どこか、艶にあふれていた。クラウスに思いを馳せるスティーブンからすれば、たまったものではない。己の恰好を鑑みて、もっと恰好をつけてくるんだったと臍をかんだ。

「……君がそんな恰好をするなら、僕ももっとお洒落すればよかった」
「? 君はいつも通り素敵だが、スティーブン。その赤のネクタイは君の瞳の色と似ていてとても好ましい。後ろに撫でつけた髪型も、とてもセクシーだ。君の垂れた眼差しとその危険な傷跡に、ご婦人方もため息を漏らすことだろう」

 スティーブンの危惧をよそに、クラウスの賛辞は赤面させるには充分であった。思わず顔を覆って項垂れる。
 ――クラウスには勝てない。
 スティーブンは、ますます彼の饒舌さにくやしさを募らせたのだった。
 ライブラの事務所から、そう時間も掛からず会場に到着した。会場に入ると、クラウスは主催者たるマクレンに見つけられ、そちらへと行ってしまった。スティーブンはひとり、酒をあおりながら会場の様子を見ているしかない。なにせ、勝手についてきたパーティーだ。知り合いもいないため、ひとりで手持無沙汰に酒を飲むことくらいしかやることもない。
 見知る顔もなく著名人がいるわけでもないこの集まりは、ただただ普通だった。金持ちの連中すべての顔と名前を憶えているわけも無かったので、そのへんは一般の連中と変わらない。スティーブンが、立食のフルーツをつまみ、一通り楽しんでいると、

「アンタ、さっきラインヘルツといただろ?」
 不意に、声を掛けられた。
 掛けられた、というよりは、唐突な質問だった。眼鏡を掛け、すらりと立つロマンスグレー風の男。ただし、風貌はどこかザップの年老いた様を彷彿とさせた。下卑た笑みが、似合う男だったからだ。

「ラインヘルツ? クラウスのことか?」
「そうそう。その三男坊のことだよ。ラインヘルツと一緒にいたってことは、今日くるメンバーか」
「今日?」

 一体なんの話だ。今日、ここにはパーティーのことしかクラウスからは聞いていない。男は、スティーブンが聞いてもいないのに、べらべらと話を始めた。
 それは、スティーブンにとってはひどく頭の痛い話だった。

「なんだ、聞いてないのか? それとも知らねえのか?  ――まア、どっちでも構わないんだけどよ。ラインヘルツがストリップショーを今夜開くんだ。どうだ、みにこいよ。こんなとこにいるんだ、アンタも大口の財布があるんだろ?」
「はァ?」

 スティーブンは、わけがわからなかった。会場に入って約十分。まさかそんなデマを聞くなんて思ってもいなかったからだ。
 ストリップショー?
 だれが?
 クラウスが?
 ――馬鹿も休み休み言え。
 ここに誰もいなければ間違いなくスティーブンは、目の前の男を氷漬けにしていたことだろう。
 冗談を言うな、と一蹴しようとしたところで、もう一人目の前に男が現れる。こちらは、温和な紳士を絵にかいたような男であった。二人は顔見知りらしく、互いに挨拶を交わしている。その二人の会話が、ひどいもので、スティーブンは本当に声が出なかった。
「よお。久しぶりだな。アンタ知ってたか? 今日、ラインヘルツの坊ちゃんのストリップショーらしいぞ」
「ああ、聞きましたよ。さて、いくら出資すれば、おさわりは可能か今から楽しみですよ」

 ――何だって?
 スティーブンは、その時、クラウスの魔法を思わぬ形で知ったのだ。彼が真摯に説いたのは活動ではなく、体でということか。まさか、スティーブンのやっていることとそっくりなそれを、あの男が?
 クラウスにそんなこと出来るわけがない。
 この期に及んで、スティーブンは信じられなかった。視線をクラウスへと向ければ、彼は優雅にマクレンという男と談笑しているようだ。

「しかし、マクレンの若造、だいぶ金を積んだらしいな。こないだ聞いたところによれば、ずいぶんラインヘルツにサービスしてもらったそうだ。口にも中にもずいぶん注いでやったそうじゃねえか。若いなァ、俺もぜひともそんなクタクタになるまでやってみたいね」
「それはそれは……。ぜひ僕もお相手願いたいですねえ。しかし、ラインヘルツの彼、かなりのスキモノですよねえ。そういえば、いつか彼、言っていましたよ。――一人で眠るのは得意ではない、って。きっと夜な夜な誰か誘っているんじゃないですか?」
「は! 俺もぜひ誘われたいものだな!」 

 ……スティーブンはすでに死にそうだった。
 どういうことだ。意味がわからない。目の前の男たちの話している意味が理解できない。いっそこの場で卒倒することも出来たが、要領のいい頭は、話の内容を整頓しようとせっせとまとめ始めている。
 クラウスが、スキモノだって?
 冗談であってほしいが、彼らの口からこぼれるのはクラウスが宣った淫猥な言葉や、今までやった事柄だ。玩具に猿轡にプレイの数々。
 そもそも他人の口からこぼれるクラウスの『中の具合の良さ』ほど、頭を掻きむしって抱え込んで、そして目の前の男たちを殺したい気分にさせた。
 クラウスは処女じゃない。
 しかも童貞じゃない。
 ついでにいえば、スキモノに近い。
 ――なんだよ、それ。
 なぜ、着いてそうそうこんな話をスティーブンは聞かされているのか。皆目見当もつかない。
 スティーブンの頭はパンクしそうだった。行為の数々を自慢げに話す男の口を今すぐ内部から氷の華を咲かせてやろうかとすら思う。一生口を利けなくしてやろうか。スティーブンは、ポケットの中で握りこんだ拳の内側をひどく傷つけていることも気にせず、ただただ笑って、クラウスとの情事を楽しんだ、と語る男たちの顔を見つめた。

「それで、君。ラインヘルツを今日見に来るのかい?」

 唐突に話を振られ、そこでスティーブンは我慢できなくなった。

「クラウス!」

 スティーブンは、自棄になっていた。
 ホールの中央、焦燥に大声でクラウスの名を呼ぶ。マクレンという男と談笑していたクラウスもまた、周囲の人間も動きを止め、瞬時沈黙が痛いほどにやってきた。
 勿論今し方会話をスティーブンに振っていた男たちもまた例外なく、突然今夜のメインディッシュの名を叫んだことで、かなり驚愕していた。
 それを気に留める余裕など毛頭スティーブンには無かった。
 スティーブンが動くと同時に周囲はざわめきだす。一体なにごとだとさざめきあっているようだが、いちいち気にもしていられない。スティーブンの視界にはクラウスしかなかった。
 スティーブンは頭の中が限界だった。
 クラウスが金のために男に抱かれることを喜んでやっているという事実に。そして、それを聞かされて、嫉妬に燃えている自分自身に限界だったのだ。
 驚いたクラウスが目を丸くして、スティーブンがこちらに来るのをぱちくりと瞬きをしながら一歩も動けずにいる。こんな注目を浴びるようなことをする男では無いのに、そんなこともお構いなしだった。
 真正面に迫ったスティーブンに肩を掴まれ、少し低い視線が、ぐっとクラウスを圧迫する。この剣幕は一体どうしたと言うのだろうか。そもそも、スティーブンは何をそんなに怒っているのか。

「なあ、僕は君の秘密をひとつも知らなかったんだ。それに勝手に自滅して憤りを感じて、君に怒っている。どうしようもないと思うだろう? 僕だってそうだ! どうして、君は、……アア、クラウス。嘘だって言ってくれよ」
「スティーブン落ち着きたまえ。一体なんの話をしているのかね。私に分かるように言ってくれまいか」
「君の……魔法のことさ!」

 少しだけ言いよどんだスティーブンは少なからず、まだ常識があったのだろう。クラウスが、先ほどより目を丸くして、ついには翠の目を落としそうなほどに見開いていた。
 ――なぜばれたのか、と周囲に視線を向ければ、ばつが悪そうに頭を下げているパトロンの男がひとり、それと目が合った。思わず汚い言葉で罵りたくなったのを心の裡だけにとどめ、ペナルティをくだろうと、そう決意する。とはいえ、今は、スティーブンのことだ。
 スティーブンはやけに興奮状態で、けれどもクラウスの想像したような軽蔑でも幻滅でも無かったことに少々驚いている。彼からは、怒りをぶつけられているからだ。
 いっそ、呆れて口も利かなくなるかと思っていたがどうもそれも違うらしい。
 果たして、スティーブンはどうしたことか。クラウスの頭には疑問符がいくつも飛び出ている。

「スティーブン、確かに私は、君が聞いた方法で出資を得ている。しかし、だ。彼らが求めるものとの対価であるのだ。なにもデメリットはないのだが」

 現にクラウスは、面倒ではあるが、コトが始まれば十分に楽しんでいる。スティーブンの思い描くクラウスという男では無かったことに怒っているのだろうか、それは、それで身勝手だとは思うが、いささか仕方がない。
 クラウスは、視線を彷徨わせる。ざわめきと周囲はこの現状をただ見守っているようだった。あまり、目立ちたくもなければ、このような現状あっていいはずがないのだが。スティーブンを引きずってここを離れるというのも、余計に火に油を注ぐような行為な気がした。
 それに詳細を伏せているだけあって、スティーブンはそれほど理性を失くしていないのは分かる。が、ここでは無く、出来れば事務所や人のいないところの方が助かるのだが。
 クラウスが思案していると、唐突にスティーブンの目からぼろん、と涙がこぼれた。端正な男の目に涙。ぎょっとして、クラウスは思わず自分の手でスティーブンの頬をこすった。
「す、スティーブン! どうしたのだ? ど、どこか痛いのかね?」
 動揺したのはクラウスだけではない。隣のマクレンも何事かと慌てる。医者を呼ぶべきか、と携帯まで取り出してくれているが、スティーブンはほろほろと泣いている。まるで、情緒不安定な女を見ているようで、クラウスはほとほと困り果てた。

 ――これは、もしかしせずとも私のせいなのだろうか?

 目尻をこれでもか、と下げクラウスは困っていた。スティーブンがなにも言わなくなったからだ。視線だけで思考を読み取れるような高等技術は生憎だが持ち合わせてはいない。
 クラウスの手のひらが万遍なく涙で濡れそぼったころ、ようやく彼は口を開いた。

「……僕は、ぼく、は、君を愛してるんだ、クラウス」
 スティーブンの口からこぼれた言葉に、今度はクラウスが絶句する番だった。散々待った言葉。これでは、あんまりだ。

「クラウス、お願いだ。僕はきみを、きみを愛してるんだ! クラウス、クラウス。おねがいだ、僕以外に触れてくれるな。なあ、頼む、たのむよ……」

 みっともない様で告げるスティーブンの様子は、正直な感想をいえば、なぜここだったのか、だった。周りは、好奇心の塊を隠しもせず、ふたりの成り行きをただただ見守っている。
 いつもはきりっとした表情のスティーブンが、これでもかと眦を下げて縋るように告白をしているのだから、クラウスはなんとなく、普段見慣れない彼の顔に、わずかにきゅん、とした。
 別段、クラウスはスティーブンを嫌いでは無かったし、彼に触れられてもいいかなと思う程度にはすきだった。スティーブンの独占欲にまみれた告白は、胸をときめかせたし、なんなら今すぐ抱いてくれ、というくらいの意気込みさえある。
 ただ、そう、なぜここなのか。
 せめて、場所を選んで欲しかった。聞いたままに、怒りでそのままクラウスへと突き進んだのだろうか。あまりに軽率であったし、彼らしくはないが、気が動転してどうにもならなかったのだろうか。
 とはいえ、クラウスがここで言うべき答えというのは、恐らくスティーブンにイエスかはいの返事だけだった。
 そうなれば、今夜マクレン含め三人の前でストリップをする約束はなしになる。大事な資金源である三人を失くすのは惜しい。とはいえ、スティーブンにさらに駄々を捏ねられるのもまいった。
 この勢いだと、副官もやめる、なんて言いだしかねない。そうなると、資金とスティーブン。どちらを取るかなどは明白である。クラウスは意を決したように、息を吸い込み、スティーブンに吐き出した。

「……わかった。君の望みを聞こう」

 ――そのイエス、を。
 勿論隣にいたマクレン、および本日参加する予定であった男たちの目が驚きに染まった。

「ミスタ・マクレン。聞いた通りです。私にはどうやら、手綱を握る主人が出来てしまったようで。今夜の約束は反故にしてもよろしいでしょうか。援助もどうして頂いても構いません。今後、もしお誘い頂けるようでしたら、この主人の許可を」

 クラウスは、ひといきにマクレンにそう告げ、壮絶にきれいな笑みを向けてやる。スティーブンもマクレンたちと同じように驚いた顔をしていた。すっかり涙は引いている。
 ――なんだ、君がやめろと言ったんだぞ、とまるで、クラウスがノーと返事をする気でいたんじゃないか、そう疑う目だった。

「スティーブン、そういうわけだ。今後、君が大変だとは思うがよろしく頼む。私は一切の役立たずに戻ってしまうかと思うが、そのあたりのフォローもよろしくしてくれたまえ。なにせ、私はいままで、この方法しか知らないのだ。君の負担がすごいことになるかも知れないが大丈夫だろうか?」
「あ、あ、ああ!! 勿論だ。勿論だとも、クラウス」

 スティーブンの目は真剣そのものだった。さて、ずいぶん大変な騒ぎを起こしてしまったものだ。クラウスは、これの始末をとうとうつけねばならない。
 とにかく、この会場からでてしまうか。そのためには最後まで、この調子でいかねばならない。
 クラウスは、ひとつ跪いて手を差し出す。さっきから驚いた顔しか見ていないなあ、と苦笑をこぼす。下方から覗く、スティーブンというのもまた新鮮なものだった。

「それでは、スティーブン。手始めにエスコートをお願いしようか」

 プリーズ、と囁く声にスティーブンは、ついに抱き寄せてキスをした。





 ――そのあと、スティーブンとクラウスがどうなったのか。
 翌日の副官の男が花を降らし、鼻歌なんて鳴らしながら「最高の天国を見た」とザップに漏らしたことで、推して図るべきである。