BED OF ROSES



「それでは、また次の取引を楽しみにしています」

 低音の声は耳に馴染みやすく、相手の男は彼――クラウスの顔を見てにんまりと笑った。「ええ、ぜひに」でっぷりと肥えたアル・カポネの様な男は、クラウスの手をその脂ぎった己の手で握り返した。クラウスは別段、嫌がる素振りも見せず、丁寧に握り返し、そっと耳元で「今度は、別の夜を楽しみにしております」期待をたっぷり込めた目がクラウスを見たが、それきりクラウスは離れて、専属のバトラーが乗りつける黒塗りの車へと、乗り込んだのだった。

「済まないギルベルト、手が汚れた」

 クラウスはそう言って、バトラーのギルベルトに手を差し出す。男の様相は昔負った火傷のせいで肌の見える範囲はすべて包帯で覆った老獪の男であった。ホットタオルで丁寧にクラウスの指を拭う。クラウスは空いた手で、行儀悪く片手で葉巻を切った。「あの男はそろそろ駄目だろう」「然様で」すっかり綺麗にされ、ギルベルトはすかさず燐寸を擦った。火が灯り、甘ったるい香りが車内に充満する。クラウスが黙れば、ギルベルトもあまり話すことは無かった。
 ドイツ、北西を支配するマフィアのひとりであるクラウス・V・ラインヘルツはその若輩ながらも大組織マフィアのボスである。赤い髪に青く透ける肌。口元には発達した犬歯が牙のようにして伸びている。目は海を溶かし込んだかのようなグリーンアイズ。稀有な見た目をしていると思う。親が近親相姦の果てに作って出来たのがクラウスだったからだ。元々、フォンは、貴族を顕わし、クラウスは少数親族の中で姉と父が結婚した結果出来た子供であった。父の妻は既に他界しており、姉はクラウスよりうんと早くに生まれ父親と婚姻を結んだそうだ。
 近親者で連なっていたラインヘルツ家は、父の代で破綻し、クラウスは家を追われることになった。その頃、路地の隅で暮らしていた時に現在は隠居しているボスに拾われたのである。なんのためかと言われれば、性欲処理用にだった。はじめのうちは。何せ、クラウスは稀有な見た目をしていたので、幼少時はまるで少女のようにも見えたことだろう。しかし、そのうちに、筋肉が付き、身長も伸び始めた頃、元々頭の回転が速かったクラウスは、めきめきと頭角をあらわし、着実に組織の輪の中枢へと潜り込んだ。それからは、あっという間で、元来あったのだろうそのカリスマ性に歳の若いものから中堅まで、骨抜きとなったのだ。そして遂に、ボスへと就任したのはつい先月のことである。
 クラウスはぼんやりと車窓を眺め、飛びゆく景色を見つめていた。ネオンの色とりどりさが好きであった。路地裏にいても怖くなかったのは、この明かりのお蔭だ。
 不意に、目に飛び込んできたのは、深夜にも関わらず歳の若いものから、妙齢の女性まで、行列を成している店があった。「ギルベルト」車体を止めさせ、クラウスは車を降りる。後から慌てるようにして付き添いの男が助手席から降りてきたのも気にはしなかった。そもそもクラウスは、二メートル越えの身長に、かなりの巨躯だった。対峙すれば、向こうが怯えることの方が多い。
 店へと辿りつくと、看板には『ノスタルジア』とあった。望郷か追憶か、果たして店名からはなんの店であるかは判別がつかないものだった。チケットブースに顔を覗かせると、若い男が座っていた。目が糸のように細い。寧ろ、これは閉じているのだろうか。

「あれ、男のお客さんだなんて珍しいですね。今日はスティーブンさんが出るからかな」
「スティーブン」

 知らない名前だった。クラウスは、とりあえずチケットを二枚頼み扉をくぐる。女性の悲鳴のような歓声が耳をついた。舞台は古めかしいシアタータイプのもので、カラフルな電飾がチカチカと光る。天井のミラーボールがいくつも反射して、目に痛い。「ラインヘルツさま、戻りましょう」付添の男が泣きそうな顔をしてクラウスに言うが聞く気は無かった。
 アンプが山ほど詰まれたステージの端で、大音量で軽妙な音楽が流れ始める。下品な音だ。しかしこの場には似合っていた。クラウスは舞台の上のカーテンがいつ開くのかと見つめていると唐突に、上下グレーのスーツに黄色の派手なネクタイ、紺色のシャツを纏った一見して、ふつうの男が飛び出してくる。
 途端に切り裂くような女たちの歓声の合間に、スティーブンという声を聞いた。そうか、彼がスティーブンか、とクラウスは妙な感慨で眺める。
音楽に合わせ彼が腰を揺らめかせ、股間に手を充てて、さながらそれは、女とセックスをするときの様子にも見えた。そうしてスーツのジャケットを脱ぎ落とし、ウインクをひとつ。足の動きの大きいダンスを繰り出して、花道の端までくると女たちにネクタイを取れとでもいうように首を差し出している。上手に取れた女にはとびきりのキスをしていた。
クラウスは、嗚呼、なるほど。と合点がいく。ここはストリップバー、かと。
 半裸になったスティーブンという男は、不意に、クラウスを見留めると舞台上にあったマイクを掴んで、叫んだ。声は甘ったるいもので、クラウスはこれが女の好きな秘訣だろうか、と考える。

「みんな、久しぶりだな。忘れてはいなかったかな? それとももうこんなおじさんには飽きちゃったかも知れないけど、今日ひさしぶりにみんなの歓声が聞けてうれしいよ。ところで、毎回恒例の俺のパートナーを務めてくれる子をやろうかと思ったんだけど、今日はもう俺決めちゃったんだけどいいかな?」

 そう一息に話をしたスティーブンは、クラウスをピジョンブラッドのように赤い目で見つめて、口角を上げた。

「なァ、そこ! 客席にいる男前のアンタ! ステージに来いよ! 俺ととびきりのダンスをしてくれ!」

 一斉に、女の目がこちらを向いた。ボス、と弱弱しい声が隣から聞こえるが無視をして、付添の男にコートを預けると制止も聞かずにクラウスは舞台へと向かう。道は、まるでモーゼの十戒の如く別れていた。女からの羨望と悦楽の目が一心に降り注ぐことに、クラウスは慣れていた。

「お招き、感謝する」
「男の客なんて珍しいから特別さ。さァ、俺のパートナーを務めてくれ」
「なにをすれば」
「女たちを楽しませるのさ!」

 スティーブンは、ベルト抜き去り客席へ放り投げる途端に取り合うように女たちが群がった。「こんな風にね!」クラウスは承知した、と呟くと、上質なジャケットを床に落とす。ウエストコートに覆われた腰がきゅうっと締まり、スティーブンは思わず喉を鳴らした。ネクタイをそろりと、抜き去り、ボタンをひとつふたつと外す。
 クラウスは薄く笑みを浮かべ、スティーブンを、と、と押し倒した。スティーブンが後ろ手を着くようにして座り込み、その腹の上にクラウスは体重を落とさないようにして乗り上げる。ゆるりと女豹のように身体をしならせて、スティーブンの胸板に手を這わせた。
 今や、会場は水を打ったような静けさに包まれている。ただひとり、クラウスの付添の男だけが、あわあわとしていた。
 スティーブンの首筋に頬をこすりつけ、低く掠れた声で呟く。

「……君の手で、脱がせてくれたまえ」

 途端、割れんばかりの悲鳴が会場を包み込み、スティーブンは真っ赤な顔でクラウスをみつめた。
その五月蠅いほどの歓声の中、クラウスはそっとスティーブンに耳打ちをして離れる。未だ茫然としているスティーブンがその言葉を理解するかは分からないが、クラウスは緩やかに口角を上げ、スーツとネクタイを拾った。
付添の男が何か泣き喚いていたが、やはりクラウスにはあずかり知らぬところであった。



 ――今夜、君を待っている。


◆ ◆


 207と金字のプレートが掛けられた扉の前で、スティーブンはメモと交互にそれを見遣った。
 ――どうも此処で間違いないらしい。
 白く磨かれた扉は、尤もスティーブンが触れるような場所では無かった。一介のストリッパーである男が何をまかり間違って、中心街のしかも五つ星ホテルに訪れているのか。オーダーメイドスーツや、安い香水のしない女の横を惨めな気持ちで通りすがりながら、スティーブンはメモの通りにフロントへ、今夜店に訪れた男の名前を伝えた。
 そもそも、ストリップショーに男がやってくることの方が稀だった。女が出るわけではない。全員が体躯の良い男ばかりだ。スティーブンは長年この仕事をしてきたが、今夜やってきた男ほどステージを盛り上げた者を知らない。その上、ステージ上の誰よりもよっぽどうつくしい体躯を誇っていたのである。
 艶笑に伏した男は、そ、っとスティーブンに耳打ちをして、スーツのベルトの合間にメモとチップにしては多すぎる額をいつの間にか差し込んで去っていった。鮮やかすぎる動作に、目を白黒させ、なんとかその日のステージを終わらせ、落ち着いた頃にメモを見つめた。
 あの手の客は、ゲイか変態に決まっている。
 行けばもしかしたらひどい目に合うかも知れないという危惧が脳裏に過る。そもそも、この手の商売をしていればそういった客には何度かお目に掛かったことも、当然あった。今夜の客はとびきり、巨躯だ。もし無体を働かれたらそれこそしばらくどうなるか。行くのをよそうかと思案するが、スティーブンは、正直なところ、あのグリーンアイズをもう一度みつめてみたかった。
 鬱蒼ととろけだす、あの碧が。
 ぞっとするほどの色を持って、スティーブンを楽しげに見ていたのだ。
 足は、ゆるゆるとこの高級ホテルに向けられた。吊るしのスーツしか持たないスティーブンは、ホテルのコンサルジュに訝しい顔をされたもののメモの「ラインヘルツ」と名前を出した瞬間、案内されたのがここ207号室。
 因みに、207号室はけして2階にあるわけではない。そもそもここのホテルは切り良く、最後の数字は5で終わる。では、207号室とはなんだ。スティーブンは、案内されるがまま一般客の使うエレベーターとは違い、小ぶりなそれでもひどく鈍重なエレベーターへと連れて行かれる。エレベーター内で、ボタンが押されるものの階数は一切表示されていない。ちなみに、箱の中に数字の表記されているものは一切無かった。重力に従って、上へと昇って行く感覚は鮮明で、エレベーターがずいぶん上へと来たころに扉は開かれる。
 少しの廊下があり、目の前には207のプレートの掛かったドアがひとつ。
 ノックをすべきか悩んで5分。意を決して、スティーブンは扉に手を掛ける。
 コン、コン。
 扉の奥で、動く音がする。少しして、扉が開かれると、目の前には今夜の巨漢が立っていた。すっかり、寛いでいたのか、今夜のようなきっちりと着込んだ出で立ちでは無くなっていた。開襟シャツから見える首筋がずいぶんセクシーだ。

「待っていた。遅いので、マッカランを開けたところだ。君は好きだろうか?」

 ウィスキーだっただろうか。スティーブンは、とりあえず、男を見上げて頷いた。部屋の中へ招かれると、そこはまるでホテルというよりは完全なるプライベートルーム。この男のために作られたかのような一室。マンションの自室だと言われても遜色ないだろう。
 4LDKほどもあり、広いリビングの中央には、男の飲み掛けたグラスが置いてあった。「座っていたまえ」落ち着いた男の声の通り、スティーブンは広いソファーへ腰かける。

「ロック、ストレート、水、どれが好みだろうか? それともほかの飲み方を好むかね?」
「あー……ロックで、お願いします」

 丸い氷がグラスの中でころん、と弾む。そこに注がれる琥珀色は、今にもとろけだしそうな色をしている。まるで蜂蜜のようだ。グラスに口を付けようとするも、男の視線が気になり、スティーブンはいささか居心地の悪い気分を味わった。これは、後者だっただろうか。変態の類かも知れない。にんまりと笑う男の顔に、喉を通る酒の味も分からず、グラスを置いた。

「その、ミスターラインヘルツ」
「クラウスで結構だ。敬語も必要ない」
「……あー、えーと、そのクラウス。俺に何の用で?」

 脳裏をかすめるのは性行為。所詮、金持ちの道楽用。それともSM趣味か、はたまた倒錯嗜好か。なんにせよ、スティーブンの今夜の命運は、男の手の裡だった。抱かれるだけなら、まだマシだ。ほかのこととなれば、痛みを伴うものは遠慮願いたい。内心で、舌打ちをしながら、クラウスの返事を待つ。
 前かがみになり、クラウスが肘を突き、顎に手を置いて、口角を深くする。

「君の、ストリップの続きが見たいのだが」
「は?」

 クラウスの言葉は、予想外のものだった。スティーブンは、首を傾げ「ストリップ?」と聞き返す。

「ああ、そうだ。君のストリップを」
「ここで?」
「そう、ここで」

 音楽も高揚させるものは何もない。クラウスは、さぁ、と手を差し示す。此処まで来たからには、スティーブンは何かしら言うことを聞くべきだろう。グラスの中身を一気に飲み干し立ち上がる。酒がなければ、こんな強面の男の前でなど脱ぐのすら嫌だった。
 「リクエストは?」脱ぎ方にだって、色々ある。セクシーにかいやらしくか誘うようにか。男の性に直結するような何かか。スティーブンはクラウスをじ、っと睨め付けた。「荒々しく、出来るだけ、男らしくセクシーに」愉悦に笑むクラウスが指示をする。
 女のように、と言われずスティーブンは少しばかり拍子抜けした。しかしセクシーにという、要望は入ってきたので、スティーブンはひとつため息を飲み込む。こうなれば仕事だ。金をふんだくってしばらくは豪遊してやる。
 ダークグレーのスーツをクラウスへ投げつける。黄色のネクタイを乱暴に引っ張り、落とした。シャツの釦を上から、ひとつふたつ、と我慢ならないような、外すのも焦れったいのだと言わんばかりに、ひらいた。クラウスの膝上へと乗りあげ、ベルトのバックルに手を掛ける。抜きとるのも面倒で、前を寛げると、黒のボクサーが覗いた。陰茎の形に膨らんだそこを、クラウスがおかしそうに見ている。

「えっち」

 まるで舌足らずの子供のような言葉を吐いたので、スティーブンは興が削がれた。そして、スティーブンの頬に、手を充て、ゆるりと唇を指先でなぞる。

「その手で、私の服も脱がせてくれ」

 ゆるゆると口の合間をなぞり、目の前のクラウスが舌なめずりをする。まるで、獣だ。とびきり大型獣の。これでは、食い荒らされてしまう。明日の朝はまともに腰が立つだろうかとスティーブンの心配をよそに、クラウスは催促する。
 さぁさぁ、と促されるまま、スティーブンはクラウスのシャツを開いた。厚い胸板が覗き、白い肌が艶めかしい。

「スティーブン」

 いつ、名前を言っただろうか。クラウスが、スティーブンの名前を呼び、指先を捕まえて、クラウスの口許まで運ばれる。中指の第一関節を甘噛みされ、クラウスはやはり、うっそりと笑っている。そっと、スティーブンを机の上に押し倒し、自らシャツを脱ぎ落とす。さっきの男の雰囲気が、どこか薄れて、まるで場末の娼婦のような、そんな香りがした。
 腰をくねらせ、ひっそりと裸の、スティーブンの胸元に頬を寄せて笑う。

「じょうずに、抱いてくれ」

 そこには、女の顔をした男がひとり。