11.水始涸
視界の端からこちらに遠慮なく向かってくる足の先が見えて、迷わず防御のために両腕を重ねて受ける。が、どうしても体重や力量の差があって受け止めきれずに私の体は吹っ飛ばされた。何とか受け身をとろうとしたが、うまく身体が動かずに右肩から着地してしまった。肩から二の腕にかけてひしゃげるような感覚がして、思わず固く目を閉じる。頭部はなんとか死守したのでどうにか身体を起こして、制服についた砂を払った。
「ユイさん!」
私と組手をしていた夏油くんが駆け寄ってくる。表情にはこちらを心配する様がアリアリと浮かんでおり、案の定「大丈夫ですか」と聞いてくる。頭も打ってないし、腕も折れていないようなので「大丈夫だよ」と返す。
「すみません」
「謝らないでよ、本気でやってほしいってお願いしたの私だし気にしないで」
そう言って笑うと、夏油くんは少し困ったように笑った。そして立ち上がろうとする私に手を差し出してくれる。その手をとろうとした瞬間に異変に気がつく。右腕が上がらない。指も痺れたようにうまく動いてくれない。思わず左手で触れてみるが、原因がわからなかった。打身かな、血は出てなさそうだけど。
「ユイさん?」
困惑したような夏油くんの表情に私も苦笑するしかなかった。腕が動かないとバカ正直に伝えれば、きっと当事者の夏油くんは気にするだろう。呪力なしの組手なのでおそらく外傷だけで済んでいるだろうから、医務室の常勤医で対応してくれるはず。硝子ちゃんは今日外出しているらしいし。
「もしかして、脱臼してませんか?」
夏油くんがそう言うので、冷静になって左腕を見ると確かにいつもより力なく、ただぶら下がっているだけのように見える。今まで、脱臼はしたことなかったのでそこまで考えが至らなかった。しかし、こんなにも見事に動かなくなるものなんだなと冷めた頭で考える。
「ごめんね、念のため医務室行ってくる」
「大丈夫ですか?一緒にいきましょうか」
「ううん、大丈夫だよ。五条くんと続けてて」
心配する夏油くんをかわして医務室へと足を進める。少し離れたところにいた五条くんが訝しげにこちらを見ていたが、何を言うでもなく早足でその場を後にした。
その夜、いつになく考え込んだ様子の傑が部屋に来た。とてもじゃないがゲームに誘える雰囲気ではなかったので、とりあえず部屋の中へと招き入れる。
「で、なんだよ」
「いや、今日のユイさんなんだが」
珍しく歯切れの悪い傑に思わず顔を顰める。今日のユイと言えば、いつもの組手でいつものように蹴り飛ばされていた。ただ、その時に受け身に失敗して医務室に向かったようだが、そこからどうなったかは知らない。当事者の傑は脱臼しているみたいだったと言っていたが。
ケータイを見ても特にメールは来ていない。というか、大事になってなければ連絡寄越すだろう普通。
「今日のユイがどうかした?」
「多分、というか確実に脱臼してたんだが様子がおかしかった」
「はあ?」
なかなか核心を離そうとしない傑についつい少しばかり語気が強くなる。
「あの人、脱臼してるのに一切痛がってなかっただろう」
「いつものことだろ。怪我に気づかねえ鈍感なんだから」
「いや、でも脱臼だぞ?そもそも肩から着地したんだから少しくらいは気にするだろう。起き上がった時に手を添えたりとか。悟もそういうの思ったことないか」
傑に言われて思い返すが、よくよく考えれば思い当たることがあまりにも多すぎてなんと返事すればいいのか困る。普通に考えれば血が滴り続けるほどの裂傷に気づかないことなんてあるわけがないし、そもそもそ痛がっていない時点で感覚的におかしい。初めて彼女を抱いた時も一切痛がる素振りもなかった。というか、ユイの口から痛いという言葉を聞いた記憶がない。
ただ痛みに慣れていて鈍感なだけかと思っていたが。
「そういう術式かと思ったけど、それなら悟がわなるだろう。となると、単純に体質の問題なんじゃないか」
「もう本人に聞けば?」
「聞いて教えてくれるか?あの人なんだかんだ本質ははぐらかすだろう」
「確かにな」
結局のところ考え込んだところで結論は出ず、硝子が帰ってきてから相談することになった。正直、どうでもいいと思っていたが、思いの外傑は真剣に考えていたらしく言いくるめられる形で解散になった。
静かな部屋で思い出すのは、何度かこの部屋で抱いたユイのことだった。俺たちは確かにセックスをした仲だが、思えば互いのことを話したことがない。表面だけの気楽な付き合いだけで本心は一切見せ合わせない。その方がお互い楽だし、その距離感が心地よかった。のだけれど。
「あー、もうめんどくせえ」
考えるだけ嫌になってそのままベッドに倒れ込む。ケータイを開いてユイへのメールを作ろうとするが、本文に何も入力できずそのまま閉じた。なんで俺がいちいちこんなことを気にしなければならないのか。
Lips on you