12.寒露

「ひとまず霊園内に人がいないことは確認済です。後、周囲の人払いも完了してます」
「わかりました、ありがとうございます」
「では、申し訳ないのですが、五条さんを迎えに行ってから戻ってきますね。後よろしくお願いします」
「はい。もし早めに終わったら連絡します」


何度も頭を下げる補助監督さんはいそいそと車に乗り込んで、現場を後にした。今日は単独任務、場所は東京郊外の大規模霊園。窓からの報告によると2級呪霊が1体と3級以下の呪霊が複数確認されたとのことだった。鬱蒼と木々が生い茂る夜の霊園は、呪術師をやっていてもなるだけ近寄りがたくない雰囲気を醸し出している。

若干の肌寒さを感じながらひとまず帳を張る。夜とは言えど近くに住宅地もあるのでなるだけ穏便に済ませないとな、そう思いながら肩に掛けておいた薙刀をケースから取り出す。およそ私の身長よりも長い薙刀は見た目のわりに軽くて使い勝手がいい。もっとも軽い分だけ打撃力は低下するのだが、元々体格的にパワーもクソもないのでそれよりも操作性を重視したものを選んで使っている次第だ。


「紫檀」


印を組んで式神を呼び出す。帳を張ったとはいえかなり広い霊園なので、私がいちいち歩き回って探していては夜が明けてしまう。紫檀に単独で探してきてそのまま祓うように命じると、颯爽と暗闇へと駆け抜けていった。
紫檀の能力的に3級以下であれば何なく祓うことができるだろう。問題は2級呪霊だ。どういった能力があるのかも不明なので不意に出くわした時に負傷するかもしれない。索敵能力に関してはとてもじゃないがザルということは私自身がよくわかっているので、こういう広域の現場は正直面倒くさいし気が乗らない。ゆっくりと歩みを進めながらため息をつく。
静まり返った空間で出来うる限り5感を研ぎ澄ます。木の影に隠れている低級呪霊を薙刀で祓いながら奥へと進んでいく。早く終わらせて、ベッドで眠りたい。

およそ20分ほど歩いただろうか。周囲には散った紅葉の枯葉が敷き詰められており、同じような形の墓跡が行儀よく並べられている。遠くで紫檀の遠吠えが聞こえたので、ひとまず奥まで進んで見つけた呪霊は祓い終わったということだろう。戻ってくるように指示を出して、探索を続ける。
ふと視界に飛び込んで来たのは、生い茂る木々の奥で何か動く影のようなものだった。ほんの一瞬だったが、何かが動いた。携えていた薙刀を構えて自身の気配を極限まで消しながら近づいてゆく。呪霊だろうか。
薙刀を振りかぶろうとした瞬間、小さな今にも消え入りそうな声が聞こえた。


「た、す、け…て」


目を見開くとそこには小学校低学年くらいの男の子がいた。体を抱え込むように座ってカタカタと肩を震わせている。近くに呪力のようなものが感じられるが、彼自身がソレに捉えられているような気はしない。補助監督さんが言うには霊園内に人はいないということだったが、この木陰にずっと隠れていて気がつかなかったのだろうか。
とにかく保護しなければ。ゆっくりとにじり寄って少年に手を差し伸べる。その一瞬だった。


「!」


右脇から何か触手のようなものがすごい勢いで伸びてきた。明らかな敵意、呪霊だ。そう思って構えていた薙刀ですかさず祓う。まるで木の枝のようなしなる触手は音も立てず足元に落ちる。すかさず何本も触手が伸びて攻撃を仕掛けてくるので、男の子を背中に庇う形で立ち触手を切りつけていく。くそ、数が多い。そしておそらくこれが2級だ。
暗闇に乗じてか本体の姿が視認しづらい。そして男の子を庇いながらではとにかく戦いにくい、紫檀が戻るまで何とか持ち堪えなくては。
ひたすら攻撃をいなしていくが、なかなかに攻撃の手が止まない。どんだけ触手生えてるんだろう、本体を想像した瞬間に体全身が粟立つ。


「お姉ちゃん!」


後ろで男の子が叫んだ瞬間に足元から触手が一斉に素早く伸びてくる。何本かわからない、切り落としたはずなのに、なぜ、どうして、いやそれよりもかわさなければ。
薙刀をこれでもかと振り回してまた払い落とす。これ、多分、触手だけ切っても意味ないのかもしれない。むしろ切った分だけ増殖するのでは?本体を祓わなければダメなのかもしれない、でも切り落とした触手のせいでこの場から離れられない。後ろの男の子を守らなければ。

瞬間、目の前から一際大きな触手がこれまでの倍以上のスピードで伸びてくる。まずい、間に合わない。このままでは少年に当たってしまう。狡猾だ、私ではなく直接少年に攻撃するなんて。
咄嗟にできる限り左腕を伸ばす。間に合って。持っていた薙刀で下からの攻撃を交わしながら目一杯体を押し広げうる。お願い。


「お、ねえ、ちゃん…」


とてつもない衝撃が左腕を襲う。あの触手が自分の二の腕を貫いているのがはっきりと見えた、思わず息をのむ。遠くで呪霊がけたたましく嘲笑う声が聞こえた。少年は大粒の涙をこぼしながらこちらを見上げている、守らなくちゃ。
沸騰した怒りを何とか鎮めて、地面に転がった薙刀を見遣る。紫檀の気配が近い、後少しだけ持ち堪えられれば。小枝ほどの太さの触手が身体中に突き刺さるのがわかった、私がやらなくちゃ。襲いかかる衝撃を振り払って、右足で薙刀を思い切り蹴る。一直線に闇に向かって飛んでいった薙刀は、おそらく呪霊本体に突き刺さったのだろう、ひしゃげた悲鳴のようなものが聞こえた。


「紫檀!」


叫んだ瞬間に傍から紫檀が飛び出して呪霊のいる方向へ食らいつく。ぐしゃぐしゃとまるで肉が引きちぎれる音がしたかと思うと、体を貫通していた触手がすうっと消え失せていく。紫檀が祓ってくれたらしい。


「大丈夫?」


振り返ると少年がガタガタと大きく震えながら、何度も頷いた。涙が止まらないらしく、まんまるとした瞳が恐怖の入り混じった様相で私を見上げている。そうか、こんなに血まみれの自分も十分彼にとっては恐怖の対象なのだ。そう理解して彼の額に優しく触れるとすうっと瞼が閉じられ他ので、両手で彼の体を抱き止める。
血液が身体中から流れているのがわかった。きっと今私の足元は血溜まりなんだろう、暗くてよくわからない。少しずつ頭がぼんやりとしてきて、いよいよまずいと自分の本能がうるさいくらいに警鐘を鳴らしているのがわかった。


「紫檀、」


息が途切れる。呪霊の体液に染まった紫檀が心配そうにこちらを見ている。口にはしっかりと私が蹴り飛ばした薙刀が咥えられており、思わず笑みが溢れた。


「ごめんね、私とこの子を一緒に運んでくれるかな出口まで、お願い」


少年の小さな体を抱えたまま紫檀の背に体を預ける。駆け出した紫檀から振り落とされないように、必死でしがみつく。ああ、そういえば私の呪力が尽きて仕舞えば紫檀も消え失せてしまうのか。せめて補助監督のところまで戻らないと。そこまでは意識を持たせないと。いやに冷静な頭でそんなことを考える。
夜風が頬を撫ぜる。切り込むような寒さのおかげで今にも飛んでいきそうな意識を何とか保つ。後少し、あとすこし。そう、自分に言い聞かせる。


「仁木さん!」


ぼんやりする頭には補助監督の声が響いた。よかった、とりあえずここまでくれば少年は大丈夫だろう。安堵した瞬間に気が緩んだのか、紫檀が消えていく。呪力がと言うよりは、気力が消えていく。
何とか両足で立って補助監督に少年の身を任せる。


「すみません、この子…お願いします」
「仁木さん、それよりもあなたですよ!」


ダメだ、どんどん視界が狭くなっていく。血の気がひくとは言葉通りこのことか、すうっと体の芯の方から冷えていくのがわかった。足元から緩やかに力が抜けていって、重力に任せるままに地面へと沈み込んでいく。
後部座席に座っていた五条くんが何か叫んでいるのが聞こえる。でも、私にはそれがもう聞こえなかった。ごめんね。

Lips on you