13.遣らずの雨

目を開くと飛び込んできたのは真っ白な天井だった。そして鼻腔をくすぐる消毒液のニオイ。


「気がつきました?」


覆い隠すようにベッドを囲っていたまっさらなカーテンを開けて現れたのは、硝子ちゃんだった。いつもの冷ややかな視線が、何だか今日はすこし柔らかく見えた。


「わたし、いきてるんだ」


出した声は驚くほど掠れていた。私、こんな声だったっけ?いや、ん?声ってこうやって出すんだっけ、まだぼんやりとする頭でそんなことを思っていると、硝子ちゃんがクスリと笑った。


「最初に言うことがそれですか?ユイさん5日間も眠ってたんですよ」
「そうなの?面倒かけてごめんね」
「気にしないでください」


硝子ちゃんはそばにあった皮張りの丸いすに徐に腰掛ける。ほんのりとタバコの苦い香が鼻をくすぐった。
上体を起こそうとするとやんわりと制止されたので、そのまま寝そべった体勢で彼女を見遣る。


「覚えてます?倒れる前のこと」
「何となく…そういえばあの男の子は大丈夫だった?」
「ああ、特に外傷もなかったみたいなので。念のためにカウンセリングを受けてるみたいですけど、そっちの方も問題ないみたいですよ」
「そっか、ならよかった」
「というか、自分の体の心配をしてくださいよ」


呆れたように硝子ちゃんに笑われて、そういえば左腕に点滴が刺さったままなことに気がつく。


「そういえば私、いっぱい刺されたんだっけ」
「そうですよ。早めに連れ帰ってもらえたんで全部塞がりましたよ」


腕や足を試しに動かしてみると、少しばかり違和感はあったが思い通り動いてはくれるようだ。もろに触手が突き刺さっていた左腕を見ると、一切の傷がなくさすが硝子ちゃんの反転術式だと感心する。


「傷はまあいいんですけど、出血量が多くて。今気分悪かったりしないですか」
「うん、大丈夫かな」


そう答えると硝子ちゃんは満足そうな、少しほっとしたような笑みを浮かべた。よほど酷い状態だったんだろう。彼女の表情から察する。


「輸血用の血液足りなくて大変だったんですよ」
「そうだったの?それは手間をおかけしました」
「五条に感謝してくださいね、分けてくれたので」


え、驚きの声はすんでのところで止まって、私の喉に飲み込まれていった。あの五条くんが?
そういえば、あの時後部座席に五条くんがいた気がする。任務前に補助監督さんが迎えに行くと言っていたし、見間違いなどではなくあれは本人だろう。かなりスプラッタな様子を見せてしまったのか、申し訳ない。


「それから、これは私のお節介かもしれないんですけど」
「うん?」
「その体のこと、ちゃんと説明してあげてくださいね。少し前から心配してたみたいなので」


硝子ちゃんのまっすぐな目に、自然と肯定の言葉が溢れた。隠していたつもりではなかったが、黙っていたのは本当のところだ。そのことで心配をかけたのであれば自分から説明するのが筋というのはわかっている。


「今度、説明するね。硝子ちゃんも心配してくれてありがとう」
「いえ、無理はしないでくださいね。あと、2日はここで様子見てくださいね」


そう言って硝子ちゃんは微笑んでカーテンを閉めて出ていく。開いた窓から吹き込む風が真っ白なカーテンをゆらゆらと揺らしていた。








予定通り、目を覚まして2日後に医務室から出られた私は真っ先に五条くんにメールをした。硝子ちゃんの口ぶりでは夏油くんも心配してくれていたようなので連絡をしてみたが、任務でしばらく不在にしていることを知り簡単にメールで感謝の意だけ伝えておいた。
夜も更けた23時頃、五条くんからようやくメールが返ってくる。部屋に行ってもいいかと連絡すると、もう寝るから来るなら早くしろと返ってきたので、急いで裏起毛のパーカーを羽織って部屋を飛び出した。


「……」


はずなのだが、五条くんの部屋の前で私はノックができずにただ立ち尽くしている。いつも気軽に訪ねていたはずのこの部屋だが、何だか今日はむず痒くて手が出ない。
まず、何から話そう。どうやって切り出そう。メールが返ってくるまでの間、私は何をしてたのだろうか。どうしよ。というか、五条くんはそんなことを本当に知りたがっているのか、私の独りよがり?どうしよう。そんなことをグダグダ考えていると、扉が開いた。


「は?お前何してんの」
「えっと、こ、こんばんは?」
「ふざけたこと言ってねえで早く入れよ。寝るってメールしただろうが」


いつもの調子の五条くんに少し拍子抜けしながら、部屋の中へと足を踏み入れる。何も変わらない、いつもの部屋。五条くんの匂いが充満している。
五条くんはベッドに乱暴に腰掛ける。いつもと何も変わらないのに居心地が悪くて、とりあえずベッドの近くローテーブルを挟んで五条くんと90度になる位置に座ってみる。変にドギマギして嫌な汗がじんわりと背中に滲んだ気がした。


「で、何?なんかあったんだろ」
「いや、えっと、硝子ちゃんから聞いた。あり、がとう」


詰まりながらも何とか言葉を絞り出すと、「別に」とぞんざいな答えが返ってくる。もしかして怒ってる?そう思って表情を垣間見ると、何だか少し不機嫌そうな表情を浮かべていた。寝ると言っていたし、明日朝早くから任務なのかもしれない。そうだとすればもしかして今ここにいることが迷惑になっているのかも。


「そんで?本題は?」


明らかにイラついている声に体を竦めながら、おずおずと口を開く。


「あの、ね。その私の体のことなんだけど、」
「うん」
「その、気づいてるかもだけど」
「いいから、早くしろよ」
「私、無痛症で、その、痛覚がない、んです」


それは呪力、術式云々ではない。単純な体質の問題だ。生まれつき痛覚がない私は、怪我をしても気が付かないことが多い。ただし軽度の無痛症なので寒暖はわかるし、汗もかく。そうは言っても、痛みがないことで火傷にも凍傷にもなりやすい。幼い頃はかなり親から気をつけるよう言いつけられていたし、教師など周囲の大人も理解して注意深く見てくれていた。
ただ、家族と引き離されてから、つまり理解してる人が周囲からいなくなった時から何となく自分でもおざなりにしてしまうようになった。呪術師になるため、その鍛錬と称してすぐに痛めつけられるような環境だったのも理由の一つかもしれない。

そしてそのままズルズルと高専に入ってしまったわけだ。呪術師という仕事柄怪我をすることは多いことは百も承知だが、幸いにも迅速治療してくれるシステムができているのでますます無頓着になっていった。早く一級術師にならなければ、その気持ちが先走った結果もあると思う。
沈黙が部屋を埋め尽くしていふ。反応が一切返ってこないのが、何より怖い。というか、やっぱり検討外れだった?こんな話求めてなかったのだろうか?


「だから?」
「えっと」
「痛くないから自分の身体はどうなってもいいとでも思ってんの」


氷点下のような寒々しい声に、背筋が凍りつくかと思った。明らかに怒気を含んだその言葉に何も返せなくなる。


「お前死にたいのかよ」
「いや、そういうわけじゃないんだ、けど」
「どこがだよ、痛くないから自分の身体を軽んじてるんだろ。死ぬっていう恐怖が薄くなってんだよ、違うか?」


鋭利な言葉で捲し立てられて、思わず唇を噛み締める。五条くんの言葉に頭の奥が揺さぶられる、核心をつかれた。


「まずは、自分の身体を大事にしろよ。どんな任務でもまずは自分が生き残る方法を考えろよ、じゃないとお前ほんとに死ぬよ」
「は、い。気をつける、ね」


絞り出した声は果たして五条くんに届いただろうか。途端に鼻の奥がツンと痺れて、視界が歪む。まずい、泣いているところなんて見られたくないと思ってすかさず顔を伏せたが、大粒の涙が頬を伝ってそのままローテーブルの木目に沿ってシミを作った。


「…泣くなよ」


呆れたように五条くんはため息をつく。それでも涙が止まらなくて情けなくなって余計に溢れ出すので、思わず手の甲でゴシゴシと拭った。


「ほら」


ぶっきらぼうな声で差し出されたのはティッシュ箱だった。普通のより潤ってて肌に優しいやつ。滲む視界そのままにティッシュ箱を受け取って五条くんに視線を向けるとバツの悪そうな表情で私を見つめていた。


「心配、してくれて、ありがと」
「…話はそれだけかよ」
「あと、あの、輸血用の血分けてくれたって聞いた。それもありがとう」


五条くんはハイハイと聞き流して、「いいからもう寝るぞ」と私の腕を引いた。手際良く部屋の電気を消して、二人で小さなベッドに潜り込む。甲斐甲斐しく掛け布団と毛布をかけてくれて、そのまま背中に手を回して抱き寄せてくれた。
五条くんの薄いスウェット越しにドクドクと動く心臓の音が聞こえた。そういえば、私の体の中にも今五条くんの血が流れているんだっけ。そんなことを考えると少し気恥ずかしくなってぎゅっと体を丸める。すると五条くんは居心地悪ように舌打ちをしたが、腕は変わらず私の背中を抱いていてくれた。ただただ暖かくて、心地よくて、瞼を閉じるとすぐに眠ってしまった。

Lips on you